第十九話
主人公視点に戻ります。
一ヶ月後。
「私、本当に何も知らなかったのね。今実感したわ」
「俺には懐かしい景色ですね。見渡す限りの草原、遠くには山、地平線に海」
「辺境の地って、文字通り……文字通りだわ、本当に」
荷馬車から見える景色を、エベンが言葉にしてくれる。
私たちの目の前には自然と自然と自然と……王都で見るような建築物は一切見当たらない。一言でまとめるなら田舎だ。それもドがつくほどの。
荷馬車はシズン商会のもので、ちょうどモーヴ領へ行く便があるというのでそれに乗せてもらった。
……多分、これは最後まで素直に私たちを見送れなかったヴェルドさんの優しさだ。でも口に出すのは野暮なので、黙ってありがたく受け取っておく。
アジュール宰相との話し合いから一ヶ月後、約束通りレトルドレ学園への入学手続きが終わった。
入学に際し、トゥフォン家から特にアクションはなかった。
……・というか、私が出て行ってからというもの、トゥフォン家は沈黙を貫き続けていたらしい。らしい、というのは私がこの一ヶ月間、ほとんどシズン商会に引きこもっていたので、外の状況はエベンから伝え聞くしかなかったのだ。
それに、成人前の令嬢は同じ年ごろの令嬢とお茶会をするけれど、社交界に出てくることはあまりない。なので、小娘一人が消えても特に大事にはならないというわけだ。
私個人が貴族間との繋がりがあるわけでもないので、家の者が騒ぎ立てなければ騒ぎは起こりようもない。……倫理的に、大きな問題はあるけれど。
けれど、トゥフォン家が接触を図ってこなくて良かったと思う。一ヶ月で全ての手続きが終わったのは、余計な邪魔が入ってこなかったらだ。
……けれど、少し拍子抜けというか、がっかりした部分はある。
義父様やお母様に何か期待したのではない。
双子の妹、コライユだ。
私にとってのエベンと同じように、コライユにも専任の使用人が居る。私とエベンのように親密な仲というわけではないけれど。
だけど、いきなり出て行った姉を心配してくれたのなら、使用人を通じて何か動きがあってもおかしくない。
それが全くないということは……あまり考えたくはない。
せめてもう一度、旅立つ前に会いたかった。私が王都に置いてきた後悔はそれくらい。
……ヴェルドさんは私を理由にして近いうちに訪れると、声高に宣言していたので寂しくはない。ラングレーさんは頭を抱えながらも、こうなった主人は止められないと諦めの表情を浮かべていた。
私の荷物は軽い。背負うもの、人付き合いもそうだ。
身軽だからここまで来れた。身軽すぎたから家を追われた、とも言える。
書類上ではまだ勘当されていない。今は春で、私の誕生日はもっと暖かくなってからだ。成人を迎えた後、正式にトゥフォン家から籍を抜くことができる。私から何かアクションを起こすつもりはないけれど、この調子なら確実に籍は抜かれる。
「……遠い所に来ちゃったわね」
「ええ、本当に」
人生どうなるか分からない。一年前の私が知ったらどんな反応をするのかな、なんて。
でも、悪い方へ向かってはいないだろう。トゥフォン家に居る頃は息が詰まりそうな日々だったけれど、今の私は自由だ。
深く、息ができる。
がたがたと荷馬車に揺られて三日後。
途中で野営や宿屋に泊まりながら、のんびりとした足取りでモーヴ領へたどり着いた。目的の場所に着いたので荷物を降ろして、シズン商会の荷馬車に別れを告げる。
「着いたわね。……ああ、腰がばっきばきよ」
「そのトントンと腰を叩くのはやめてくれませんか。おっさん臭いですよ」
「うるさいわね。この一ヶ月、ヴェルドさんの書類を片付けるのにデスクワークばっかだったのよ。……そこにきて荷馬車の旅は流石に腰にくるわ」
「後で揉んで差し上げましょうか? ……で、ここですか。新しい家は」
モーヴ領での私達の家は、レトルドレ学園のすぐ近く、というか敷地内となった。
敷地内といっても学園の土地はかなり広く、どこからどこまでが学園なのか分からないくらいだ。
本校舎、と呼ばれているらしい建物は、三階建ての木造。大きさはそれなりにあるけれど、作りが質素すぎて大きさの割に圧迫感がない。よく言えば親しみやすい建物だ。
私達の家は本校舎から歩いて五分。煉瓦造りの平屋の一戸建てで、二人で住むには贅沢過ぎるくらいの大きさだ。小さいけれど庭もある。
「えっ、俺もここに住むんですか?」
「えっ、そうじゃないの?」
「いやいや、それは流石に……俺、適当にどこかの家に間借りしようかと思ってたんですが」
「でも、宰相様はエベンも住むつもりでこの家を用意してくれたのよ。私一人じゃ大きすぎるでしょ」
荷馬車から荷物を降ろして早速運び込もうとなったとき。エベンの分に手を伸ばしたら「それ俺の荷物ですよ」と言われ、ここに来て漸くお互いの認識のズレを見つけた。
もちろん、アジュール宰相にはエベンの事も伝えてある。
この家を紹介してもらった時も「二人の定住先が見つかるまで使ってくれ」と言われた。
「……宰相様、俺の事、女だと思ってませんよね?」
「名前からして男じゃない。何言ってるの?」
「……どういうつもりであの方は……いや、そもそも従者と主人がどうこう、って考えもしないのか? 話は通じるけどやっぱり貴族なのか……」
「何ぶつぶつ言ってるの」
「何でもありません。あの、俺がここに住むのは問題があるんじゃ……」
「知らない土地に女性を一人にする方が問題あると思うわよ?」
何やら不服そうなエベンだけど、私の方が不服だ。
ここまで来て、何で私から離れようとするんだろう。
「……私と二人で住むのは嫌?」
「嫌じゃないです!」
「なら問題ないじゃない。さ、荷物運びましょ」
荷物と言っても、私とエベン合わせて六個の木箱しかない。そのうち大きな二つの木箱はヴェルドさんからの餞別だ。
私達の荷物の少なさを見たヴェルドさんが、お前達は旅に出るのかと呆れた様子で言って持たせてくれた物だ。当面暮らすのに不自由しない日用品が入っている。
大きな木箱はエベンが運んでくれた。まだ何かぶつぶつ言ってるけれど無視する。
アジュール宰相が用意してくれたこの建物は、当初彼が仮住まいとして建てた家だ。宰相という地位を考えると小さすぎけれど、彼の人となりを多少なりとも知った今では、宰相様らしいと思えるシンプルかつ機能的な家だ。
何の装飾もない扉を開ける。今日からここが新しい家だ、と、期待に胸を躍らしながら。
……期待はすぐに疑問に変わる。
見知らぬ誰かが、玄関先の椅子に座っていた。
「え、誰?」
「どうしましたエカラット様?」
「おや、思ったよりお早い到着だね」
異変を察知したエベンが荷物を置き、すぐに私の前に立つ。
見知らぬ誰かは、焦る私達とは正反対に、のんびりとした声と笑顔でゆっくりと立ち上がった。
「突然の訪問で申し訳ない。けれど、私が表立って動くと色々面倒でね」
柔和な笑顔と雰囲気に敵意は感じられない。軽く会釈をすると、癖のある赤毛がふわりと揺れた。
取っ付きやすい態度だけれど、細かい所作は洗練されている。身なりは軽装だが、庶民の物とは違う上等な作りだ。
「……もしかして、ルー伯爵?」
「えっ?」
「そうです。お初にお目にかかります、エカラット嬢。それに、エベン君だったね。噂はかねがね」
「えっ?」
未だ警戒したままのエベンに向けて、軽く両手を上げる。
モーヴ領主、ルー伯爵は、叔父やアジュール宰相の話から聞いたイメージより、温和で貴族らしくない人だった。




