第十七話
エベンの予想通り、私達のモーヴ領行きにヴェルドさんには猛反対だった。
「この書類の山を僕一人で片付けろと言うのか」に始まり、「モーヴ領にお前達を送り出すくらいなら、僕がお前達を正式に雇う」と言う無茶振り。
最後はラングレーさんを呼び出し「お前もこの二人を止めてくれ、頼む」と縋り付き、ちょうど仕事が忙しかったラングレーさんから冷たい目で「仕事してください」とバッサリ切り捨てられた。
そんな感じで一通り駄々をこねた後。
私の現状とこれからを考えれば最適解だと、最後は渋々ながら納得してくれた。
「前向きに考えるなら、僕たちの事業を円滑に進めるためには良い方法と言える。無期限出張と考えれば……なんとか納得できるな」
「ヴェルドさん、私たち一応レトルドレ学園に入学するんですよ? 商会の仕事をしに行くんじゃないんですから」
「エベンも入学するのか?」
――私のモーヴ領行きが決まったときに、エベンのことを考えた。
一緒に来てとは言ったけれど、数ヶ月後には私は貴族ではなくなるだろう。勘当されるのはほぼ確定と見ていいし、そうするとエベンは従者ではなくなるわけで。
彼の立場をどうするか。悩んでいたのは一瞬で、彼はあっけらかんと「俺もレトルドレ学園に入学しますんで」と言った。
「エカラット様の隣に居る理由なんて今更必要ないですけど。まあ何もしないでただくっ付いて行くだけ、ってのは嫌ですし。何か理由が欲しいと思っていたので、渡りに船です」
「そうは言っても、学園ではただの生徒よ? 事業が軌道に乗れば給与も出せるだろうけど、暫くの間は無給になるわ」
「俺、トゥフォン家で働き始めてからは貯蓄が趣味になったんです。この先数年間は生活に困りませんよ」
そう言って、少し自慢げに胸を張った。
……人ひとりが暮らしていくのに、どれだけのお金がかかるか。
それを「私の隣に居るため」と言う理由で、あっさりと決めてしまえるエベンは、素直に凄いと思う。
彼は、主人に対して盲目的な従者ではない。
隣に居ますよとは言っても、私が道を間違えそうになると諌めてくれるし、時には厳しく叱ってくれる。
得難い従者だ。家から追い出されてしまったけれど、エベンが居てくれるなら些細な問題に思えてしまうから不思議だ。
家族運はなかったけど、私は恵まれている。
「じゃあ、これからも一緒ね」
「ええ、一緒です。それにしても、俺十八歳にして学生ですよ。レトルドレ学園って制服ありましたっけ?」
「私服よ。ブルーロワ学園とは全く違う辺境の学園なのよ、財政的にそんな余裕はないでしょう」
「前にも言ったと思うが、あくまで庶民向けの学園だ。それに、宰相様が応急処置で作った場所で、学園としての体裁はまだ整っていない」
「イメージ的には地域の寄り合い、って感じでしょうか?」
「一応子どもの育成が中心だが、何しろ教師の数が足りんらしい。僕も直接行ったことがないから詳しくは知らんが……」
……詳しくも何も、アジュール宰相から受け取った学園の概要は、書類二枚のペラペラな内容だった。
つまり、学園とは名ばかりで、場所と名前だけがあるといった現状だ。
私達は学園に学びに行くのではない。あくまで、勘当後の安全な場所としてアジュール宰相からお墨付きをもらった場所であって、入学自体が目的ではない。
そしてこれが最も大きな理由だが、アジュール宰相は私の事業に興味を持っているらしい。
そう、インティの栽培だ。
これが成功すれば、国の事業が大きく上向きになるかもしれない、とまで言われた。
インティ栽培はレトルドレ学園で行われている。入学という体にすれば全面的にインティ栽培に関われる、というわけで、レトルドレ学園入学という提案をしてくれたのだ。
「まあ、ついでにあの学園を『本当の学び舎』にしてくれれば助かるんだが」
手配までに一ヶ月待って欲しいと、ペラペラの書類を渡しながらアジュール宰相が言う。表面上は変わらない表情で、しかし声には少しの諦観が含まれていた。
アジュール宰相が発足したブルーロワ学園。学園を発足した理由を本人から聞いた。彼はあの学園で、本物の貴族の育成をしたかった、と言っていた。
「この国は表面上は平和だが、あちこちに問題を抱えている。その多くが貴族が原因によるものだ。……現王の世代までは何とか持った。問題は次の世代だ。今のうちに歪みを矯正しなければ、この国はいずれ滅ぶ」
その話を聞いたとき、思い出したのが正室様と側室様の確執だ。国のトップに位置する彼女達が対立してから、この国はなんとなく落ち着かなくなってしまった。
この落ち着きのなさが続けば、いずれ戦争になる。言葉には出さなかったけれど、アジュール宰相も私も同じことを思っていただろう。
「この国には教育が必要だ。貴族にも、庶民にも。今からでも間に合う。私が宰相の椅子に噛り付いているのは、それが理由だ」
後ろ指を指されても、根も葉もない噂を流されても、彼は『その時』を迎えさせないため、国のトップに居続ける。
……本当の貴族というのは、アジュール宰相のような人を指すのだな、と思った。
昨日の話し合いを思い出しながら、私に何ができるのだろう、とぼんやり考える。
お父様の意思を継ぐために努力をしてきた。けれどそれは自分のためで、誰かのためにやっていることではない。
貴族としてではなく、庶民でもなく、エカラットという一人の人間として、何ができるのだろう。
その答えを、レトルドレ学園で見つけたい。
……いや、見つけなければいけない。
出発まで一ヶ月を切り、慌ただしく過ぎていく日々。
アジュール宰相の言葉はいつまでも私の中に残っていた。




