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第十六話

 アジュール・レトルドレ・ラル・ナナリア。

 グラス王国でも五本の指に入る大貴族、ナナリア家の長男にして現宰相。


 この王国の暮らしが向上したのは、彼の挙げた功績によるものが大きい、とまで言われている。歴史の教科書に名前が載ることが決まっている偉人だ。

 彼が成したものは数多く、紹介していたら日が暮れてしまうので今は省略させ貰う。

 ともかく、一言で纏めると「凄い人」が、私の目の前に座っていた。


「初めましてレディ。アジュール・レトルドレ・ラル・ナナリアだ。噂はかねがね」


 剣のように鋭く、温度を感じない銀の髪と瞳。

 その姿だけはお茶会で何度か見かけているが……遠目からでも冷酷な印象を与える人物が目の前に居る。緊張するのは当たり前だ。


「は、はい。エカラット・ラル・トゥフォンです。お目にかかれて光栄でございます」


 なので、噛んでしまうのも仕方ない。緊張と自分の失態に、かっと頬に熱が集まったのが分かった。

 この部屋はシズン商会の一階にある、貴族向けの客室だ。貴族向けの商品数が少ないシズン商会では滅多に使われることはないが、いつも綺麗に整えてある……と、いつだったかラングレーさんが言っていた。


「何が起こるか分からねぇからな。特に貴族相手には、俺たち庶民の感覚でいちゃ危ない。……どこかのお忍びが好きな貴族が、ふらっと店を訪れる可能性だってある」


 おどけた調子で言っていたが、今この状況を考えるとまさにその通りだ。

 私はいつもシズン商会を訪れる際、次回の来訪日を決めてから帰っていた。お忍びはこの六年間ずっと隠してきたし、エベンでも気軽にあの屋敷から抜け出せなかったので、事前に報せることが出来なかったのだ。

 では、一般的な貴族が庶民向けの店に事前の来訪を報せるかと言えば、そうでもない。

 彼らは気紛れに、ふらりと店に現れる。店主からしてみれば堪ったものじゃないが、貴族と繋がりのある店は彼等の気分を阻害しないよう、専用の部屋を準備しておくのが普通だ。

 私も貴族だけれど、この部屋を使ったのは最初の数回だけで、後はヴェルドさんの自室に直接通されていた。

 入室したのも久し振りだというのに、相手がこの国の重鎮であることを思い出すと……胃の辺りがギュッと締め付けられる感じがした。


「かけたまえ」

「はい」


 見た目と同じく、その声も硬質で冷たい印象を与える。

 ヴェルドさんは「見た目は怖いが話は通じる」と言っていたが、彼の振る舞い、視線、纏う雰囲気、全てが私を威圧する。

 義父様とは違うタイプの「貴族らしい貴族」だ。


「エカラット嬢と呼んでも?」

「ええ、アジュール様のお好きに」

「ではエカラット嬢。早速話し合いといこうか」


 話し合い、と呟くと、アジュール様は怪訝な顔を見せた。


「ヴェルドから、私と話をしたいと聞いて来たんだが」

「えっ、ええ、はい。仰る通りなのですが……まさか、それだけのためにお越しくださったのですか?」


 確かに、お会いしたいとヴェルドさんに掛け合った。しかし、こんなにも早くそれが叶うとはさすがに予想外すぎる。


「そうだ。まあ、最近は仕事が忙しかったから息抜きに来た、という理由もあるがな」


 そう言うと、彼は口の端をわずかに上げてみせた。

 ……笑った、のだろうか? そうとは分からないくらいの表情の動きの無さだ。どことなくヴェルドさんと似た顔立ちなのに、彼が見せないような鉄仮面ぶりだ。

 その差が何だか少し面白くて、緊張でガチガチに固まっていた身体から自然と力が抜けた。


「ご足労頂きありがとうございます。本来であればこちらから赴くのが礼儀ですが、今の私は悠々と外出できる状態ではなく……」

「君の義父が理由か?」

「……大きい耳をお持ちですね」

「トゥフォン侯爵の様子を見ればすぐに分かる。あれは態度に出やすい男だ。それに、ブルーロワ学園の件は私も一応関係者だ。何が起こったか知るのは容易い」

「ブルーロワ……」


 自然と思い出されるのは、コライユの顔だ。

 気分が重くなる。あの試験結果の通達を、義父様は妹に伝えたのだろうか。


「私があの学園の発足人であるのは知っていると思うが、現在は運営のほぼ全てを他の者に任せてある。こう見えても宰相の仕事は忙しいのでな」

「ええ、アジュール様はこの国一番の働き者かと」

「椅子に座りふんぞり返っている、というイメージを持っている者が多いがな。……あの学園が、私の手を離れて二年ほどか。それだけ経てば、運営側の顔ぶれも変わってくる」

「……それは、どういう」

「私の手の及ばない問題が出てきている、ということだ。もっとはっきり言うと、裏口入学が横行し始めている」

「……まさか」

「そのまさかだ。君は合格したが、どうやら入学するつもりはないらしい。そこで君の義父は「代わりに妹を入学させろ」と言ってきたそうだ」

「っ!」


 頭にかっと血が上る。拳に力が入り、スカートを握りしめてしまうが、こうでもしなければ何かに当たり散らしてしまいそうだった。

 私は、あんなことがあったにも関わらず、まだ義父様に人間らしい気持ちを期待していた。私のことは憎んでいても、お母様とコライユのことは大切にしてくれるだろうと。


 けれど違った。

 あの人は、血の繋がりがなくとも溺愛していた娘の、その本質を見抜いていなかった。


 コライユはプライドが高い。それに、自分の力で手に入れたものこそ、大切にする。それは立派な令嬢になるための勉学であったり、周りからの称賛だったり。形は様々だが、自身の功績を正しく「自分のもの」と認知して、それを誇りと思う。

 今回、義父様が行ったことは、そんなコライユのプライドを踏みにじるものだ。この事実を、彼女に包み隠さず伝えたのだろうか。


「……妹の耳には入っているのでしょうか」

「さて、どうだろう。けれど今の君が気にすべきことは、妹のことではないだろう?」

「……仰る通りです」


 コライユは察しが良い。頭の回転も速いから、私が出て行ったことと学園の入学案内が届いたことを結び付けて考えるだろう。遅かれ早かれ、義父様の卑怯な手は彼女に伝わる。

 その時、コライユはどういう反応を示すのだろう。


「話を戻そうか。君はトゥフォン侯爵に勘当されたんだね?」

「ええ。出ていけと、そう言われました」

「そして君は額面通り受け取った。彼の暴言が本意でなかったとしたら?」

「つまり、口争いの弾みで言ってしまった言葉だと。そして私は拗ねて家出した貴族の小娘と、そういうことでしょうか」

「概ねそうだ。トゥフォン侯爵は確かに気が短い節があるが、娘に対してそのような馬鹿げたこと……」

「あの日、私はこのままこの家に居たら殺されると、本気で思いました」


 アジュール宰相が目を細める。

 義父様のあの剣幕、部屋を満たしていたあの空気、それを言葉で伝えるのは難しい。


「義父様に呼び出されたのは夜中の十二時です。原因となった郵便物が届いたのは夕食後、私を呼び出してただ怒りをぶつけるなら、別に夜中まで待つ必要はなかったはずです」

「……」

「その時の義父様の様子は、はっきり言って異常でした。私に郵便物を投げ付け暴言を吐くなど……普段の義父様にあるまじき言動です」

「……義理の娘に対して取る言動でもないがな」

「義父様は私のことを気に入らないようでしたが、それでもあの日までは十分な食事を与え、衣服を与え、住む場所を与えてくださいました。出て行けとは、一度も言われたことがないのです。それに……」

「それに?」

「出ていくと言ったのは、私が先なのです」


 あの日、背筋に走った冷たい感覚。あれは間違いなく殺気だ。

 それが明確な形になるのが恐ろしくて、私は選択をした。


「もう一度言いますが、あの日の義父様は異常でした。もし、私が出ていくと言わなければ……何が起こっていたか分かりません」

「……私はあの男と共に働いているから、幾分かはその人となりを知っている。しかし、流石にそこまでするとは考えられん」

「部屋の中は完全に人払いがされていました。部屋の外にも、使用人の一人も居なかったのです。もしかしたら、という可能性はあります」

「……」

「今回、アジュール宰相にお目通り願いたいと提案したのは、それが理由です。私が成人したらトゥフォン家から籍を外され、正式に勘当されます。その時、爵位を持たないただの平民では、何が起こっても対応できません」

「……成る程、貴族の庇護か。あの男より立場が上の私なら、確かに効果はあるな」

「勘当して放置されるのがある意味一番楽なのですが……あの日の夜の様子を見る限り、正式に勘当された後、何かしらの妨害があってもおかしくないです。この際はっきり言ってしまうと、怒り狂ったあの人に殺される可能性だってあります。私と義父様は没交渉で、その人となりをほとんど知る機会に恵まれませんでした。しかし、あの家で六年間過ごしてきたからこそ、その可能性はあると言い切れます」

「……憎しみが鋭さを増し、殺意の刃に変わるのは珍しいことではない。エカラット嬢の事情は分かった」


 アジュール宰相は小さく息を吐き、頷いた。


「しかし、私ができることは限られている。君にナナリアの名を与えることはできない」

「そんなことをしたら、王国内での宰相様の立場が危うくなります」

「宰相の椅子を狙うハイエナは多いからな。表立って君の支援をすることも難しい」

「……そうですよね」


 アジュール宰相の伝手でどこかの貴族の家に縁組みをしてもらえれば、と考えていた。それが一番シンプルで分かりやすい。

 貴族の令嬢は他家に嫁いでこそ価値が出る、というのは一昔前の考えだ。近年では女性の社会進出も進んでおり、一族を切り盛りする女性も珍しくない。

 自画自賛ではないけれど、私には六年間の研究結果と知識がある。これを必要としてくれる家はどこかにあるだろう、と……期待していたのだが。


「勘当後、再び貴族になるのは無理そうですね」

「ああ。状況を総括すると、君は数ヶ月後に平民となるだろう」

「そうですか……」


 ……貴族という立場に、固執しているわけではない。

 けれど、バストン家の令嬢として、お父様の遺志を継げないのだけは心残りだった。


「爵位を金で買う方法もあるが、エカラット嬢はそのようなタイプではないと見る」

「爵位を買うくらいなら慈善団体に寄付します」

「その方が有意義だ。成人後に貴族へ嫁入りをする、という方法もあるが」

「その方法も考えないではなかったのですが……見ず知らずの方へ嫁入りするのは、ちょっと」

「だろうな。であれば、私が君に示すことができる方法は一つだけしかない」

「……お伺いしても?」


 ようやく本題だ。話の運び方から察するに、アジュール宰相はここに来る前に既に答えを用意してくれていたらしい。

 すげなく断られる可能性もあったのだが(……というより、宰相様の人となりを知らなかったので、そちらの可能性の方が高いと思っていた)こんな小娘に対しても、きちんと考えてくれていたことがありがたい。


 期待に前のめりになる私を見て、銀の瞳が少し細められる。


 どこかで見たことがあるなと頭の端で考え、それはヴェルドさんが悪巧みを思いついたときの表情にそっくりなのだと思い出したのは、しばらく経ってからの話だ。


「エカラット嬢、レトルドレ学園へ入学する気はないか?」


 ……思ったより早く学園に行くことができるわ。

 その言葉の意味をすぐに理解することができず、私は見当違いな考えを垂れ流し、間抜けな顔を晒してしまった。




「思ったよりも早く学園に行くことができますね!」

「私達って本当、気が合うわねまったく!」


 アジュール宰相との話し合い後、エベンに報告して返ってきた答えがこれだ。私は頭を抱えながら、片手間に書類の山を片付けていく。

 机を挟んで、エベンは向かい合わせに座っている。私が片付けた書類のチェックをして、仕分けをする。

 ここに来て一ヶ月、お茶汲みだけでなくすっかり秘書としての働きぶりが板についてきたようだ。


「でも、レトルドレ学園があるのってモーヴ領ですよね」

「そうよ。もうすぐ春だからお花見が楽しめるわね」

「自然豊かな土地らしいですからね。俺が言いたいのはそういうことじゃなくて、王都から物理的に距離を取るってのはいい方法だと思うんです」

「宰相様もそう言ってたわ」


 この提案をされたとき、アジュール宰相は理由の一つとしてモーヴ領の辺鄙さを挙げていた。

 馬車で三日かかる距離なら、私一人をどうにかするためにわざわざ義父様が来る可能性は低いだろうと。

 目に付く場所に居るから人は害をなそうとする、という理由には確かに、と納得した。物理的に距離を取れば、義父様の頭も冷えるかもしれない。


 それにもう一つ、モーヴ領の所有者。

 ルー伯爵はアジュール宰相が信頼できる数少ない貴族の一人だと言っていた。

 思い出してみると、ルー伯爵と叔父は交流があった。それは今でも続いているらしいと、アジュール宰相が教えてくださった。

 宰相様からの又聞きだけど、破天荒な叔父と問題なく親交を深めているくらいだ。よっぽどの変わり者か、あるいは器の大きい方か。

 ……是非後者であって欲しい。


「ルー伯爵と縁が持てれば、叔父様と繋がりが作れるかもしれないわね」

「あれ? エカラット様、ブロンジュ様にはあまり良いイメージを持っていなかったんじゃ?」

「溺れる者は藁をもつかむ、よ。多分悪い人じゃないだろうし」

「でも一ヶ月前に出した手紙、まだ返事きてませんよ」

「……また旅に出てるとか?」

「あり得そうで否定できない」


 私は幼い頃に数回会ったきり、エベンに至っては話を聞いただけなのに、この言いようだ。

 だけど、あのお父様の弟だ。どうやっても悪い人には思えない。私の勝手な思い込みではあるけれど、今の私には義父様以上に悪い貴族は思い浮かばない。


「いくら変わり者の令嬢とは言え、一応貴族なのよ、私」

「忘れがちですけど、そうですね。このままだと数ヶ月後には貴族じゃなくなりそうですが」

「今まで王都から離れたことがないの。いきなり辺境の地に住めと言われたら困るのが普通でしょ?」

「エカラット様なら海でも山でもどこでも生きていけそうな感じしますけど」

「ねぇ、エベン。恐らくあと数ヶ月しかないけれど、貴族の令嬢に対する言動の見直しと改善をする必要があるんじゃないかしら?」

「いえいえ、逞しいって褒めてるんですよ」

「褒めてないわよ! まったくもう……」


 はあ、と大きく溜息を吐く。

 エベンにこうして不安をぶつけているけれど、私の中で既に決断は下っていた。

 さまざまな視点から考えても、現状ではこの方法が一番だと思うし、レトルドレ学園入学に際しての手続きはアジュール宰相の方で全て済ましてくれるらしい。


「うだうだ言ってても仕方ないわね……はあ、腹を括りますか」


 とりあえず、今後どうするかは決まった。


 勘当された令嬢は転んでもただでは起きない。

 私は一ヶ月度、王都から遠く離れたモーヴ領で、新たな一歩を踏み出す。 


「準備期間は一ヶ月。エベン、これから忙しくなるわよ。荷造りは早めにしておきなさい」

「当然のように俺も着いて行くんですね」

「あら、嫌なの?」

「エカラット様を見知らぬ土地に一人送り出す方が嫌です。どこまでもお供しますよ」

「ええ、分かってるわ。……ずっと隣に居てちょうだいね、エベン」

「もちろんです」


 書類に落としていた視線を上げ、向かいに座るエベンを見詰める。

 出会ったころと変わらない青い瞳が、楽しそうに細められる。不安はまだ残って居るけれど、彼と一緒なら多分大丈夫。

 まだ道のりは暗く不明瞭だけど、ようやく私は第一歩を踏み出すことができた。




「……一つ問題を挙げるとすれば、一ヶ月でこの書類の山が片付けられるかどうかよね」

「エカラット様を引き留めるために仕事量増やしてきそうですよね、あの人」

「あり得そうで否定できないわ……」

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