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第十三話

「宰相様? 何でまたいきなり」

「いきなりじゃありません。家を出てきた時から考えてきました」


 貴族じゃないただの小娘が生きていくために、何が必要か。

 まずはお金。これはシズン商会名義の口座へ六年間溜めてきた分がある。一生安泰というわけではないが、当面暮らしていける金額はある。

 お金があれば後はほとんど解決できる。けれど、庶民では解決出来ないことがある。


「勘当された後の身の安全を確保したいんです」

「ああ、成る程な」

「ヴェルドさんに言われてはっきり自覚しました。昨夜の様子から見るに、義父様……トゥフォン家が何かしてくる可能性はゼロじゃないです」


 我がグラス王国に置いて、貴族の権力は絶対だ。

 義父様が私に敵意を抱いたまま、私が平民となり、そして貴族の権威を振り翳した場合。

 ……私は身を守る術を持たない。


「そこで、アジュール宰相です」

「貴族の庇護を彼に要求するのか。……当たってはみるが、あまり期待するな。他の方法も考えておけ」

「分かりました」


 最善はアジュール宰相に保護してもらうことだが、ヴェルドさんの言う通り別の手段も考えておかなければならない。

 アジュール宰相と直接お話したことは一回か二回程度。それも、夜会で挨拶を交わしただけだ。彼の人となりは伝え聞いただけだが、話の通りの人物ならただの小娘の要求など受け入れないだろう。

 庇護の代わりに、私が対価として差し出せるものはない。


「……二つ目のお願いですが、こちらはアジュール宰相へ紹介してもらうより、重要なことです」

「何だ? あまり無茶な要求は応えられないぞ」

「エベンのことです」


 そう。今の私にとって最も必要なのは、エベンの身の安全と保証だ。

 昨夜、出来れば使用人宅に潜り込んで彼を連れて行きたかった。エベンは私専属の使用人だ。その主人が居なくなったら、彼の仕事は無くなる。

 それに、私の使用人というだけであまり風当たりがよくないらしい。よくて解雇、最悪の場合……私の出奔の責を咎められるかもしれない。例えそれが理不尽なものだとしても、エベンは反抗することすら許されない。

 害を受けるのは私だけでいい。もしエベンやヴェルドさん、シズン商会の人たちに悪意が向けられたら。

 私はその相手を許せない。


「ああ、そっちは問題ない。安心しろ」


 そんな私とは対照的に、ヴェルドさんはあっけらかんと言い放った。


「問題ない? どういう意味ですか」

「あいつのことだ。自分で片を付けてこちらに来るだろう」

「私、エベンにここに行くとは言ってないんですよ?」


 今思えば温室に書置きの一つでも残しておけばよかったと思うが、あの時の私は……何というか、とにかく混乱していた。


「あいつは、お前が考えているより一途な奴だ」

「それはまあ、着いてきてくれれば嬉しいですけど……エベンの人生は彼だけのものです。今回のことで彼に被害が及ぶようなら、ヴェルドさんの出来る範囲でフォローして欲しいんです」

「それはお前に言われなくてもやるさ。しかし……その必要はないみたいだな」


 言いながら、ヴェルドさんが扉の向こうに視線を向ける。と同時に、扉をノックする音が聞こえてきた。

 ラングレーさんが扉の向こうから声を掛ける。


「ヴェルドさん、今大丈夫ですか?」

「ああ。何だ?」

「客人です。エベンが来ました」

「えっ!?」


 思わず立ち上がり驚く私の向かい側で「そうか、入れ」と動じることなくヴェルドさんが言う。

 間を置かず開いた扉の向こうに、私が望む姿があった。


「……エカラット様、遅れてすみません」

「っ! エベン!」


 どうしてここに、とか、どうやって来たの、とか。聞きたいことは山ほどあったけど。


 ……今はただ、一番望んでいた姿が夢でないことを確かめたくて。


 椅子がガタンと大きな音を立てて倒れるのも構わず、ほとんど衝動的に、彼の腕の中に飛び込んだ。




「いやぁ、あんな素直で可愛らしいエカラット様は初めてでした」

「忘れなさいエベン」

「惚気なら他所でやってくれ」

「忘れてくださいヴェルドさん……ノロケ? って何です?」


 何か聞き捨てならないことを言われた気がするが、ヴェルドさんは素知らぬ顔だ。

 私の隣に座ったエベンを、照れ隠しに睨み付けながらさっと全身を確認する。目に見える範囲で怪我はしていないようだ。身体の動きも特におかしいところはない。

 ほっと息を吐くと、エベンが笑いながら言った。


「大丈夫ですよエカラット様。俺は無事です」

「本当に? 大丈夫なの?」

「トゥフォン侯爵は怒り心頭みたいでしたがね。耳の早い使用人仲間から事のあらましを聞きまして、その場で用意していた退職願を出してきました」

「あなた、そんなものまで準備してたの?」


 自分の使用人ながら、その手際の良さに驚いてしまう。


「というか、辞めたって……随分簡単に言うわね」

「エカラット様が居ない屋敷で働き続ける必要あります?」

「あのねエベン。そう言ってくれるのは本当に嬉しいんだけど、もう少しこう……自分のことを優先しても良いのよ?」

「優先した結果、ここに居るんです。前にも言いましたけど、俺はトゥフォン家に仕えているんじゃありません。エカラット様の使用人です」

「……思い切りが良すぎるわよ、あなた」


 何てことはない、という風に簡単に言ってのけるエベン。

 言葉の上では冷静を装いながらも、笑顔になるのを止められなかった。


「それに、エカラット様ほどではありませんが俺にも蓄えはあります。なのでご心配なく」

「知ってるわよ。私の仕事以外にも、ヴェルドさんから仕事貰ってたでしょ?」

「流石、察しが良い。……あと、出ていく前に裏庭の後処理はしておきました。エカラット様が持ち出し忘れていた書類と小物、こちらはヴェルドさんにお預けします」


 いつもより少し大きめの鞄。けれど私物を運ぶには小さすぎる鞄から一式を取り出す。

 エベンの荷物は入っていないのかと疑問に思っていると、視線に気付いたエベンがこちらを見て笑いながら「俺の荷物はほとんどこちらに運んであります」と言った。


「あなた、どれだけ用意周到なの。有能すぎるわよ」

「使用人としてこれ以上ない誉め言葉です。それと……はい、これ」

「インティの種?」


 見慣れた焦げ茶色の種。

 差し出された袋一杯に入っていたそれを見て、私は自分の迂闊さに頭を抱え、同時に改めてこの使用人の有能さを思い知った。


「そうよ、何を置いてもこれだけは持ち出さなければならなかったのに……!」

「エカラット様の未来を左右する、重要なものですからね。トゥフォン家がこの価値に気付く可能性は低いですが。もしかしたら、ということもあります」

「庭園で育成していたものはどうした?」

「全部引っこ抜いて適当に捨ててきました」


 インティはこれと言って特徴のない植物で、ぱっと見は雑草と同じだ。捨ててあっても特に気になるものではない。

 しかし庭で育成した分は、畑一つ分くらいはある。ブルーロワ学園入学のためにこの一年間である程度後始末はしてあったけど……それでもこの短時間で全て処理したのは、流石の手際と褒めなければならない。

 よくやったわね、と感謝の気持ちも一緒に伝えると、エベンがニコリと笑みを浮かべる。


 ……同時に、私があの家に居た痕跡が全て無くなってしまったと思い至り、少し虚しくなった。


 私物はあまり持たないようにしていた。

 義父様が私に買い与えるものは最低限、お茶会や夜会に出席する時に新調するドレスやアクセサリー類だけだった。

 それも、愛情からではなく「毎回同じドレスを着て、トゥフォン家は金がないと思わせないため」という理由のみ。令嬢のドレスはイコールその家の品格を表す。アクセサリーだってそうだ。貴族の女性は着飾り、家の権力を誇示する。

 全く、非効率的かつ無意味な風潮だ。そんなところにお金を使うなら、この国をもっと良くするために投資して欲しい。


「どうせなら、出ていく前にドレスやアクセサリーを質に入れれば良かったかしら?」

「屋敷に置いてきたのは、アルジャンドレ様のお金で買ったものですよね。エカラット様はそんなお金が欲しいんですか?」

「冗談よ。……こちらに持ってきた物は、全て私が稼いで自ら手に入れた物だわ。こうなると、後から難癖付けられないように用心しておいて正解だったかも」


 金銭問題は庶民でも貴族でも共通の話題だ。

 私が独り立ちした後に義父様からお金の問題を持ち出されないよう、必要なものは全て私の口座から引き落として購入していた。数の少ないドレスやアクセサリーは元々置いていくつもりだったので「惜しい事をした」とは思わない。


 これで、私とトゥフォン家を繋ぐのは戸籍上の記録だけ。

 本気で勘当するなら除籍の手続きが必要だ。義父様が素直に応じてくれればいいけれど。

 ……しかし、夜が明けて未だ怒り心頭と言っていたエベンの話から察するに、それは多分難しい。

 こうなると、いよいよアジュール宰相の協力が必要だ。もしくは他の貴族。私がまだ『トゥフォン』のうちに、この問題を片付けなければならない。


 溜息を吐く。

 勢いに任せて衝動的に家を出てきたおかげで、問題は山積みだ。

 そんな私に、エベンがおかわりの紅茶を注いでくれる。


 ……問題は山積みだけれど、彼が一緒に居てくれれば何とかなる気がする。


 出来ることから一つ一つ解決していこう。

 私は心からの笑みを浮かべて、得難い従者に感謝の言葉を贈った。

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