第十二話
「さて……どこから話すか」
食後の紅茶を飲みながら、ヴェルドさんが口を開いた。
昨夜のことのあらましは、一通り説明してある。
ブルーロワ学園に合格したこと、しかし妹のコライユは落ちてしまったこと。
その結果に義父様が怒り、夜中に私を自室へ呼び出したこと。
「昨夜も言ったが、トゥフォン侯爵は本当に愚か者だな。しかし、ただの愚か者なら良かったのだが……侯爵という身分が厄介だ」
「恐らく義父様は、名実共に私を本当に追い出すつもりです。私が十六歳になったら、トゥフォン家から私の名前は消えるでしょう」
「名前を消してくれるだけならいいんだが……」
ヴェルドさんが言葉を濁した不安は、私も昨夜嫌というほど感じたものだ。
「……いくら何でも、義理の娘に手を出すほど愚かではないと思いたいのですが」
「怒りは人を狂わせる。僕もこんなことは言いたくないが……用心に越したことはないだろう」
昨夜、義父様が私に向けた感情は、怒りを通り越した殺意だった。
あの部屋には私と義父様以外、誰も居なかった。
もし彼が感情のままその拳を私に向けていたら……私は、どうなっていただろう。
貴族というのは権力を持っている分、厄介だ。身内の殺人というのは滅多に無いが、前例が無いわけではない。愛憎の果て、権力のため、己の欲望を満たすため、彼等は時に愚行を犯す。
そこで罪が表沙汰になれば断罪される。我が国において、殺人は重罪だ。死ぬまで幽閉、もしくは死刑だ。
しかし貴族であれば、権力を振るい罪を回避することは出来る。殺人を自殺、もしくは自然死に見せかけるのは不可能じゃない。
そして、義父様はトゥフォン家当主。爵位は侯爵、更に王族の家系で歴史も長く、人脈も広い。
その気になれば、義理の娘だろうと簡単に消すことも……。
改めてそのこと実を考え、ぞっとした。
もし私が、コライユのように義父様に迎合していたら。彼の望む貴族の令嬢になっていたら。
後悔するには遅すぎた。
それに、もしもう一度やり直すことができても、私は義父様に迎合しない。
義父様が嫌いだからじゃない。あの人の貴族の在り方と、私がお父様から譲り受けた誇りは、どうやっても相容れないものだから。
「……もう少し、上手くやれていれば、とは思いました」
「それでも、結果は同じだったろう。お前はブルーロワ学園に合格、妹の……コライユ様だったか、コライユ様は不合格。そしてトゥフォン侯爵は激怒。……侯爵とは直接面識はないが、お前とエベンの話を聞く限りではそういう人物だろう。……それに、コライユ様もだ」
「コライユが?」
どういうことだろう。突然出てきた名前に、私は首を傾げる。
「エベンから伝え聞いただけだがな……。コライユ様は、試験勉強に対しあまり積極的でなかったようだな」
「そんなことはありません。コライユは頑張っていました」
「お前の目にはそう映っていただろうが、第三者のエベンにはそう見えなかったらしい。直接会ったことのない僕が言うのもなんだが……コライユ様は、随分とトゥフォン家に、というか、侯爵に迎合していたようだな」
それは間違いない。けれど、それと試験勉強に何か関係あるのだろうか。
「簡単に言えば、コライユ様はトゥフォン家の権力に胡坐をかいていたんだ。たかが試験、と侮っていた。お前のように、宰相様の真意を汲み取ることができなかった。……お前の妹だ、頭は悪くないだろう。その油断も、不合格の原因の一つだ」
「そんな……」
確かに、コライユは試験の重要度を正しく理解していなかった。しかしこの一年、私はそれを教えてきた。
……教えていたつもりだった。けれど、彼女には伝わっていなかった?
「……結局は、私の力不足だったんですね」
「意識改革は難しいだろう。お前がこの六年で変わったように、コライユ様も変わってしまった。一年そこらで簡単に元通りとはいかない。お前の責任じゃないさ」
「けど、私はあの子の姉です。……ただ一人の姉だった」
コライユとの間には、トゥフォン家に来てから溝が出来てしまった。いつか幼い頃に一瞬だけ見せた、私への侮蔑の視線は気のせいじゃない。
多分、彼女は私を無意識のうちに貶めることで、トゥフォン家での自分の立ち位置を明確にしていたのだろう。
そしてコライユは安心していた。
義父様の負の感情が私だけに向かえば、自分は安全だから。
責める気はない。コライユが私に直接何かしたわけじゃないし、貴族の家で上手く立ち回るために、幼い少女が選択できる数少ない方法だ。それに、年月を重ねるごとにコライユの幼稚な振る舞いは鳴りを潜めて、姉妹として私と健全な関係を築きながら、義父様に上手く取り入っていた。
そう考えると、コライユは私なんかより気遣いができて、貴族としての振る舞いもできる、立派な淑女だ。
「僕に兄弟姉妹は居ないから、お前の気持ちを正確に汲み取ることは出来ない。……気にせず捨て置け、と言っても無理なんだろうな」
「愛する妹を捨て置くなんて無理です。あの家に置いてきてしまった事は……後悔しています」
「強かな令嬢なんだろ。上手くやっているさ」
「簡単に言いますけどね……」
「第三者から見た方が分かることもある」
ヴェルドさんのその言葉に、いつの日かのエベンの言葉を思い出す。
確か、あれは今と同じような状況だった。コライユは頭のいい子だと思って、本気を出せば合格も夢じゃないと、エベンに言った。
『本気で、ねぇ』
『何よ。今日は随分と絡むわね』
『……外から見ていた方が分かることってのもあるんですよ』
あの時は、私だけでなく妹にまで失礼な物言いをするのかと思ったが、その後の不安げに揺れる碧眼に、出かかった言葉を飲み込んだ。
私は頭を抱えて、項垂れる。こうして結果が出てしまった以上、エベンとヴェルドさんの言う通りなんだろう。
「……コライユの件は、今はどうすることも出来ません」
「そうだ。今はお前のことだ」
ヴェルドさんが脇に置いていたポットから、紅茶を注ぐ。
私のカップも空だったので、無言でおかわりを淹れてくれた。
「お前がトゥフォン家から名実共に勘当されるのは、五月の誕生日まで猶予がある。成人したら親の保護責任は法で問われなくなるからな」
「逆に言えば、それ以降は貴族としての恩恵を受けられなくなります」
「独り立ちするには充分な資金が集まっている。新しく店を作るのも良し、暫くのんびり暮らすことも出来る」
「私としてはあまり目立ちたくないです」
トゥフォン家から勘当されるのは暫定だけど決定として、しかしあまり表立って活動するのは危ない気がする。
義父様の怒りがもし収まっていなかったら、私を勘当して庶民にした後、何かしらの形で手を出してくる可能性は十分ある。
……それはもちろん、悪い意味で。
貴族に手を出すより、庶民の方がやりやすい。
この国の忌むべき慣習だが、貴族の権力は絶大だ。庶民は貴族の機嫌を損ねないように顔色を窺い、貴族はそれを当たり前と受け止める。
ただの庶民になった小娘一人、侯爵家が本気を出したらどうとでも出来る。
私が今一番危惧しているのが、それだった。
「……やはり、暫くは隠れて暮らすのが一番でしょう」
「そうだな、下手に刺激するのは避けた方がいい」
「王都からは離れた方が良いでしょうか……」
「恐らく、その方が安全だ。僕としては、このままシズン商会に残って欲しいんだがな。しかし、ここに残れないとなると……僕が出来ることは、王都から離れた場所の土地の紹介か」
……ヴェルドさんにこれ以上迷惑をかけるのは申し訳ない。
けれど、私に今一番必要なのは土地の紹介ではなく。
「ヴェルドさん、二つお願いがあります」
「ん? 何だ改めて」
「ナナリアの本家……アジュール・レトルドレ・ラル・ナナリア宰相を紹介してください」
私の言葉に、ヴェルドさんは虚を突かれた顔をする。
そして、アジュール宰相にそっくりの銀の瞳を、驚きに見開いた。




