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第十一話

 どこへ行こう、と惚けた頭で考えて、シズン商会しかない、という結論が出た。

 家には居られない。行き場所はあそこしかない。




 ……シズン商会まで、どうやって行ったのかよく覚えていない。

 灯りの落ちた街中を歩きながら私が考えていたのは、お父様が亡くなる前にくださった双晶の水晶。


 多分、あの水晶はコライユの机の中にある。無くした、と言っていたがあれは嘘だろう。新しい家でも溶け込んで上手く過ごせる器用な子だ。欲しい物、必要な物を手に入れる力がある。……私とは違い。

 幼い頃の嘘を今更追及するつもりはなけれど、出来ればあの水晶だけは持って行きたかった。私とお父様を繋ぐ唯一の物。お父様から受け継いだ誇りはあるけれど、家を追い出された今、目に見える心の拠り所になる物が欲しかった。


 泣き腫らしてぼーっとした頭でも、シズン商会へ無事辿り着くことが出来た。

 夜中なのにやけに明るい従業員用出口は、いつも使っている扉だ。力の入らない手でコンコンとノックすると、すぐにラングレーさんが出てくれた。


「はいはい、こんな夜中に誰……嬢ちゃん?」


 驚いた表情を浮かべたラングレーさんと目が合うと、更にぎょっとした顔に変わった。


「な、何だその顔! 何があったんだ!?」

「……あ」


 事情を説明しようとして口を開いたが、上手く言葉に出来ない。

 声ってどうやって出すんだっけ。そんな事を考えていたら、ぶるぶると唇が震え、ここに来るまでにすっかり枯れたと思っていた涙が、勝手に溢れてきた。


「あ、あのっ……ご、めんなさ……」

「とりあえず、入れ。……ヴェルドさんはいつもの部屋だ、すぐ行くか? それとも、落ち着くまで俺と一階で茶飲むか?」


 ラングレーさんの大きな手が、私の背中を優しく撫でてくれた。

 こんな風に、大人の男性に優しく扱われたのはいつぶりだろう。それを考えると、また勝手に涙が出てきてしまう。

 ヴェルドさんにこんな情けない顔は見せられない。それに今は、ラングレーさんのやさしさに甘えていたい。泣きじゃくりながら彼の服の裾を掴むと、背中を撫でていた手が今度は頭に乗せられた。

 そのまま、子供をあやす様に撫でられる。


「よし、俺と茶だな。待ってろ、秘蔵の紅茶を淹れてやる」


 そう言って、ラングレーさんは撫でる手と同じ、優しい笑顔を浮かべた。




 ラングレーさんの淹れてくれた紅茶を飲み干す頃には、涙も引っ込んで大分落ち着いた。こんな夜更けに報せもなく訪れた私を、ラングレーさんは何も事情を聞かずにいてくれた。その気遣いがとてもありがたい。

 泣き腫らした顔はもうどうしようもないので、涙の跡だけ綺麗に洗い流してヴェルドさんの部屋を訪れる。ラングレーさんが一緒に来てくれて、扉を二回ノックする。

 すると、いつもは「入れ」と不機嫌そうな声が返ってくるのに、今日は慌てた様子でヴェルドさんが扉を開けた。


「大丈夫か。何があった?」


 私が来た事は、ラングレーさんから他の従業員に伝言で彼の耳に入っている。けれど、いつまでも来ない私にやきもきしていたのだろう。

 私は慌てて「ごめんなさい」と頭を下げた。


「おい、何故謝る」

「お待たせしたかと思って……」

「こんな時に変な気を使うな! 声がガラガラじゃないか。ラングレー、ハチミツを入れた茶を持ってきてくれないか」

「分かりました」


 先程お茶を飲んだところだが、涙になって消えた分の水分量がかなり多かったらしい。まだ喉が渇いていたのでありがたかった。それに、あんなに泣きじゃくったのは子供の時以来で、言われてみれば確かに喉がガラガラだ。

 もうすぐ十六歳で成人を迎えるというのに、人目も憚らず泣き喚いて恥ずかしい。見たのがラングレーさんだけでよかった。親子ほど年齢が離れているあの人なら、醜態を晒してもそこまで恥ずかしくない。

 親子、と頭の中で言葉が浮かび、思い出すのは飛び出してきたあの家。胸の奥がズキリと痛んだ。


「……大丈夫か?」


 再び、ヴェルドさんが尋ねてくる。今の私は感情が表に出やすいみたいだ。胸の痛みを感じた瞬間、顔に出ていたらしい。少し俯いている私を覗き込むように見てくる銀の瞳に、困惑と私への気遣いが見えた。

 大丈夫です、そう言って笑おうとしたけれど、口の端が引き攣るばかりでどうにも上手く笑えない。なので、小さく頷いて返すしか出来なかった。




「……成る程、そんな事が……」


 ラングレーさんが持ってきてくれたお茶を飲みながら、一通り事情を説明する。

 出ていけ、と義父様に言われた時、私の行く先はここしかなかった。ここしか思いつかなかったとも言う。生家であるバストンの家も一瞬浮かんだが、お母様が再婚してからあの家とは没交渉だ。今は叔父様がバストン家当主だが、いきなり訪れても受け入れてもらえるか分からない。

 シズン商会にも迷惑はかけたくなかった。けれど、私にはここ以外行き先がないのだ。申し訳なく思いながら、難しい顔をしているヴェルドさんに謝罪する。


「迷惑かけてしまってごめんなさい」

「いや、謝る必要はない。未成年の保護は大人の義務だ」

「……私、あの家にはもう戻れません」

「当たり前だ。戻る必要なんかない」


 ヴェルドさんが難しい顔のまま、僅かに身を乗り出す。その声には怒りが混じっている。けれど、義父様が私に向けた怒りとは違うものだ。


「トゥフォン家当主がどれだけ愚か者か、今の話でよく分かった。いや、前々からお前に対する態度はどうかと思っていたが、今夜の出来事は決定的だ。あんな名前だけの侯爵家は、お前に相応しくない」


 義父様は同じ言葉を私に言った。けれど、ヴェルドさんの言葉は、義父様とは真逆のものだ。

 もう出ないと思っていたはずの涙が、また溢れてきそうだ。ぐっと飲みこみ、それでも震える声は隠せなかった。


「……ありがとう、ございます。私、あの家は好きじゃありませんでしたが……出ていけと言われた時、私の全てを否定された気がして……極端な話ですが、この世界に私の生きる場所なんて無いんだと、そう思ってしまいました」


 多分、私は心のどこかで期待していたんだと思う。

 否定され続けてきた六年間だったけど、頑張ればいつかきっと認めてくれると。そんな根拠もない思い込みで、私は勝手に傷付いていた。


「私がいくら頑張ったところで、あの家の誰も認めてくれないのに。私、馬鹿でした」

「いや、お前は馬鹿じゃない。……子供は誰だってそうだ。親に認めてもらいたくて、一生懸命頑張るんだ」


 座り直し、ヴェルドさんが言う。見上げて視線を向けた彼の顔は穏やかだったけど、目はどこか遠い場所を見ていた。


「偉いぞ、よくやったな。親のそんな言葉を期待して、頑張っちまうんだ。得られるのは親からの称賛だけ、他には何もない。金にならないようなくだらない事も……子供は、ただ親から認めて欲しいだけなんだ」

「ヴェルドさんも、そうだったんですか?」

「ああ。今でもそうだ。この商会を大きくするために頑張ってるのは、俺自身のためでもあるが……親父に認めてもらいたい、って気持ちもある」


 ヴェルドさんのお父さんには何度か会った事がある。お父様がお世話になっていた方だ。今は経営権をヴェルドさんに渡して隠居しているが、たまに商会に顔を出しに来る。

 彼のお父さんは商人らしく溌剌とした方で、物事をはっきりと言い切る。私には優しかったけれど、実の息子であるヴェルドさんはきっと厳しい教育を受けてきたのだろう。

 でも、あの人ならきっと正当な評価をしてくれる。義父様とは違い、厳しくも正直な方だ。ヴェルドさんの言葉から察するにまだ完全に認めてはくれていないようだが、シズン商会を任せてくれているという事は、一定の評価を得ているという事だ。


「だから、お前は間違っていない。……お前の努力は、商売のパートナーでもある俺がよく知っている。ここまで、よく頑張ったな」

「……ヴェルドさん」

「商売だけじゃない、勉強だってそうだ。あの鬼宰相様が作った試験に合格したんだろう? エカラット。お前は、商人として、貴族として、一人の人間として、立派な奴だ」

「……う、ヴェルドさん……私の泣き顔見たいんですか……?」

「お前の不細工な泣き顔なんて、見たところで一文の得にもならんがな。泣きたければ我慢するな。お茶のおかわりはいくらでもある」

「は、ハンカチも用意しておいてくださいぃ……」


 今日だけで、一生分の涙を流しただろう。

 泣きじゃくる私に、ヴェルドさんがそっとハンカチを差し出してくれた。




 窓から入る眩しい光で、私は目を覚ました。

 見慣れない天井を、ぼーっと眺める。寝起きは良い方なのだが、今日は何故か頭がぼんやりする。何故だろうと考え、ああそういえば寝る前にたくさん泣いたからか、と思い出した。

 そして、飛び起きる。昨日、というか今日の夜中の出来事が一気に頭の中を駆け巡り、そして知らないベッドの上で「あああなんて恥ずかしい事を!」と身悶えた。


「というか、ここは……」


 あの後、確か泣き疲れた私はヴェルドさんに引っ張られるまま、三階にある仮眠室に連れてこられた。仮眠室とは言ってもこの街一番の商会、立派な一室で設備も広さも充分。疲労困憊していた私は、着替えも湯浴みもせずベッドになだれ込むように眠りに就いたのだ。

 窓を開け外を見てみると、太陽はすでに真上を通り越している。どれだけぐっすりだったんだ。私は慌てて身支度を整えて、とりあえずヴェルドさんの部屋に行く事にした。


「あのーヴェルドさん、居ますか?」

「ああ、入ってこい」


 昨日の事もあり少し気恥ずかしい気もするが、そうも言ってられない。

 扉を開けると、そこにはいつもと同じように机に向っている彼の姿があった。


「何だお前、着替えも持ってきてないのか?」

「ドレスは全て置いてきましたから」

「お忍び用の服なら仮眠室のクローゼットに運んであるから、着替えてこい。その後ここで昼食にしよう。僕もまだ食べてないからちょうどいい」

「分かりました」


 流石ヴェルドさんだ、用意がいい。皺だらけの服ではまともに話し合いもできないと思っていたところだ。

 仮眠室に戻り、お忍び用の服の中でも上等な物を選ぶ。着替え終わって再びヴェルドさんの部屋を訪れると、簡単な昼食が用意されていた。


「サンドイッチ! ラングレーさんのお手製ですか?」

「ああ、朝食を食べてないお前用に少し量を多めにしてもらった。血糖値が上がらないと頭も回らないだろう?」


 そう言いながら、片手で素早く書類の山を片付けていく。

 昨夜は事のあらましを説明するだけで、まともに話し合いもできなかった。この後の時間を用意するために、きっと今日の彼はハードスケジュールだったのだろう。なんだか申し訳なく思ってしまうが、しかしずるずると引き延ばしにしていいものでもない。

 私も急いで、けれどよく噛んで食べる。ラングレーさんのお手製料理はヴェルドさんと前会長、たまに私とエベンという限られた人しか食べられない。彼の料理はとても美味しいので、量も気にせずぺろりと平らげてしまう。

 妻帯はしているのだが、どうにもその奥さんが料理下手らしく、彼の腕前はそのおかげで磨かれたとのことだ。ラングレーさんの奥さんは驚いたことに、街の駐屯兵の隊長を勤めている。もう十五年以上その職に就いており、家の事はラングレーさんに任せっきりらしい。

 女性だてらに兵隊を率いているラングレーさんの奥さん。一度機会があれば会ってみたいものだ。


「……さて、こちらも終わった。話し合いといこうか」


 ご馳走様、と手を叩き皿を横に置いたヴェルドさんが、改めて私と向き直る。

 悪いようにはならないだろう、とは思いつつも、自然と身体が強張り緊張するのは止められなかった。

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