05.黒い衝動①
――秋の夜風が、鎧戸をかたかたと揺らしていた。
暖炉の火が赤々と燃える寝室で、獣皮を幾重にも敷き詰めた寝台の上に、三人の娘がミナトを囲んで寝そべっていた。
輪番の夜だった。
「ねえ、勇者様。今夜は、カヤから、ですからねっ」
ミナトの右腕にしがみついて、真剣な顔でそう言ったのは、狩人の娘カヤだった。
温み淵で初めて肌を重ねたあの日から、一年。
娘らしい頼りなさが抜けて、肩や腰つきがほんの少しだけ大人びた。父親について毎日山を駆け回る身体は、相変わらず無駄な肉ひとつなく引き締まり、陽に焼けた小麦色の肩には、しなやかな筋肉の線が浮いている。
高い位置で一本に結った黒髪が、暖炉の灯りを映して艶やかに光っていた。
「カヤちゃん、今夜はずいぶん気合いが入ってるのね」
くすくすと笑いながら枕元で身を起こしたのは、機織りの娘ネルだった。
亜麻色の長い髪を、いつものようにゆるく一本の三つ編みにして、白い肩の前に垂らしている。垂れ気味の大きな目と、ふっくらとした唇。おっとりとした顔立ちは一年前と変わらないが、その身体つきは、明らかに変わっていた。
柔らかなお腹が、なだらかに、丸く膨らみ始めていたのだ。
まだ服の上からは目立たない。だが、確かにそこに宿っている命の膨らみだった。
ネルは時折、そのお腹を愛おしそうに撫でながら、目を細めてカヤを眺めていた。
「ふふ、カヤったら、目がうるうるしてる。かわいい」
反対側からひょこりと顔を覗かせたのは、赤毛のフィオだった。
肩の下で切りそろえた赤い髪がくるりと頬に跳ね、鼻の頭から頬にかけて、そばかすが星屑のように散っている。くりくりとよく動く栗色の目は、悪戯っぽい光を湛えていた。
薄いお腹は、まだぺたんと平らだ。
だが、その中にも、すでにミナトの子が宿っている。
先月、月のものが来ないことに気づいて、薬師の婆さんに診てもらったばかりだった。フィオはそれ以来、何かにつけて自分のお腹をぽんぽんと叩いては、「ここにいるんだよ」と嬉しそうに笑うのだった。
この春、三人は晴れて夜の輪番に名を連ねた。
それからというもの、三人は順番が回ってくるたびに、必ず揃ってミナトの寝室へやってくる。そして夏の初めにネルが、秋の初めにフィオが、相次いでミナトの子を授かった。
――残るは、カヤだけだった。
「勇者様……おねがい、です。きょうこそ……きょうこそ、カヤにも……っ」
カヤが、ミナトの腕を抱きしめる手に力を込めた。
「ネルも、フィオも、もう、お腹にいるんです……っ。だから今夜は……勇者様を、ぜんぶ、カヤにください……っ」
「ちょっとカヤ、それはひどくない?」
「そうよぉ。授かってたって、勇者様に甘えたいのは同じなんだから」
フィオが頬を膨らませ、ネルがおっとりと抗議する。
だが、二人とも本気で怒っているわけではなかった。むしろ、必死なカヤの姿を見て、くすくすと笑い合っている。
「……だってぇ……! ふたりとも、しあわせそうな顔してっ……、わたしだけ、置いてけぼりで……っ」
語尾が、ほとんど泣き声になっていた。
ミナトは苦笑して、カヤの身体を抱き寄せた。涙の滲んだ目尻に唇を寄せてから、耳元で囁く。
「分かった。今夜は、カヤが主役だ」
「――っ、ほんと、ですか……っ?」
カヤは泣き笑いの顔で、ミナトの首に両腕を回した。
ネルとフィオが、両側からカヤに寄り添う。ネルはカヤの額を優しく撫で、フィオはカヤの手をぎゅっと握りしめた。
「カヤ、がんばれっ。今度こそ、三人お揃いになろうね」
「うんっ……うんっ……! ふたりとも、すき……っ。勇者様も、だいすき……っ」
――ネルが手を伸ばして、枕元のランプの灯を、そっと小さく絞った。
***
ミナトがこの世界に落ちてきてから、三度目の秋が来ていた。
谷の段々畑は今年も黄金色に実り、刈り入れを終えた村は、冬支度の活気に満ちている。
この一年で、村には次々と新しい命が生まれた。
ミナトの子は、もう数えるのが難しいほどだ。広場の軒下には、いつ見ても獣皮の上に赤ん坊が並び、去年生まれた子たちが、よちよちと女たちの足元を歩き回っている。
どの子も、生まれたときから驚くほど丈夫だった。冬を越せずに死ぬ赤子が珍しくなかったこの村で、勇者様の子は一人も欠けることなく育っている。それがまた、村人たちの信仰にも似た感謝を、いっそう深いものにしていた。
そして、この夏――サリヤが、二人目を産んだ。
女の子だった。
名前は、ミラ。
サリヤによく似た栗色の産毛と、透き通るような白い肌。泣き声は小さいくせに、乳を吸う力だけは兄に負けず劣らず強い。
「とーさま! だっこ!」
朝、村長の家の戸口をくぐるなり、足元に小さな塊が体当たりしてくる。
リオだった。
一年前はまだ「あー」「うー」と声を上げるだけだったのが、今では自分の足でとことこと歩き回り、言葉もずいぶん増えた。春先までは「とーさま」「まんま」と一語ずつだったのが、近頃は二つの言葉をくっつけて喋るようになってきた。
「おう、リオ。おはよう」
「だっこ! はやく!」
「はいはい」
ミナトが抱き上げると、リオはきゃっきゃと笑って、ミナトの首にしがみついた。
ずしりと重い。生まれてから、もう一年と四月ほどになる。サリヤ譲りの栗色の髪は少し伸びて、ミナトに似たと評判のきりっとした眉は、近頃ますます凛々しくなってきた。
「おはようございます、ミナト様」
囲炉裏端では、サリヤがミラに乳を含ませていた。
二人目を産んで、サリヤの身体はまた少し、ふっくらと丸みを増した。それでも、ひまわりのような笑顔は、初めて出会った頃と少しも変わらない。
「ミラ、今朝もよく飲んでるな」
「ええ。この子、本当に食いしん坊で。リオより飲むんですよ」
「ミラ、ふとっちょ!」
「こら、リオ。妹のこと、そんなふうに言わないの」
サリヤが笑いながらたしなめると、リオは得意げに、ミナトの腕の中で胸を張った。
マルタが粥の椀を差し出してくれる。村長は相変わらず、朝早くから畑の見回りに出ているらしい。
いつもの朝。
いつもの、満ち足りた朝だった。
***
ミナトの毎日は、望むものすべてで満たされていた。
腹が減れば、どこの家でも喜んで飯を出してくれる。
寒くなれば、誰かが新しい毛皮の外套を仕立てて届けてくれる。
退屈すれば書庫で本を読み、身体が疼けば畑や森の仕事を少しだけ手伝う。切り株を引き抜き、倒木を担ぎ、崩れた石垣を積み直す。疲れるほどのことは何ひとつしない。それでも村人たちは手を合わせ、涙ぐみながら礼を言う。
そして夜になれば、輪番に従って、女たちが寝室にやってくる。
若い娘も、夫のいる若妻も、誰もが頬を染め、瞳を潤ませて、勇者の子を授かりたいと願ってやってくる。
ミナトはそれを、当たり前のように受け入れた。
――当たり前のように。
いつからだろう、とミナトは思わない。
思わないこと自体が、変化だった。
一年前のミナトは、女たちが寝室にやってくるたびに、どこか戸惑っていた。夫に送り出されてくる若妻を抱くことに、後ろめたさのようなものを感じていた。村人に礼を言われるたびに、こそばゆさと、それに見合うだけのことをしているのかという、小さな引っかかりを覚えていた。
今は、もう何も感じない。
朝、マルタが粥をよそうのが少し遅れると、黙って指で囲炉裏の縁を叩くようになった。
畑を手伝って礼を言われても、軽く手を挙げるだけで、もう「力になれてよかった」とは言わなくなった。
広場を歩けば、女たちがこちらを振り返り、頬を染める。
ミナトはそれを、品定めするように眺める。あの若妻は胸が豊かだ。あっちの娘は腰つきがいい。あの娘は、この春に成人したから、来年には輪番に入るのだったか――。
目が合った女に軽く顎をしゃくれば、女は顔を真っ赤にして、その夜には必ず寝室にやってくる。輪番など関係ない。勇者様ご自身が望んだ女なら、順番は問わない。村の女たちが、自分たちで決めた約束事だ。
村の女は、みんな俺のものだ。
口に出したことはない。だが、心のどこかで、ミナトはもうそう思っていた。
俺がこの村を救った。俺がいなければ、この村は今も黒獣に怯え、男を攫われ、女たちは泣き暮らしていた。この村の今の平和も、豊かさも、赤ん坊たちの笑い声も、全部、俺がもたらしたものだ。
だったら――この村のものは、全部、俺のものでいいはずだ。
誰も、それを咎めなかった。
咎める理由が、この村にはなかった。
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