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自己愛性ハーレム勇者 〜元の世界が俺の価値を理解できなかっただけ!〜【R15版】  作者: シュキラ
リーフの章~影の勇者~

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22.自由

 その夜も、三人は林の奥にいた。


 焚き火の明かりも届かない暗がりで、月だけが三人の汗に濡れた肌を、青白く照らしていた。


 リーフは、いつものように、風下の茂みに這いつくばっていた。


 ガラムの腕の中に、ナティアがいた。


 金色の髪を振り乱し、白い背中を反らせて、ガラムにしがみついている。

 月明かりが、汗に濡れたふたりの肌の輪郭だけを、青白く浮かび上がらせていた。

 その背中に、ニコが後ろから抱きついて、ナティアの首筋に唇を這わせている。

 絡み合った三つの影が、岩の窪みで、ひとつの生き物のように揺れていた。


「にゃは……ナティア、今日、いつもより声おっきいよ……?」

「う、るさ……っ、あ――っ!!」


 ナティアの声が、高く、細く、途切れた。

 しばらく、荒い息の音だけが、林の静けさの中に残った。


 ナティアが、ガラムの胸に崩れ落ちた。

 ニコが、くすくすと笑いながら、その汗ばんだ頬に、ちゅ、と口づけた。

 ナティアが、とろけた目のまま、ニコの髪をくしゃりと撫でた。


「……次、ウチね」


 ニコが、ガラムの首に腕を回し、汗に濡れた耳元で、囁いた。


 ***


 リーフは、茂みの陰で、泣いていなかった。

 もう、涙は出なかった。


 ただ、見ていた。


 地面に爪を立て、息を殺し、腹の底で渦を巻く熱に、奥歯を噛みしめながら。

 ナティアの喘ぎに合わせて。ニコの笑い声に合わせて。

 いつものように。毎晩のように。


 ――熱が、ふっと、引いた。


 リーフは、荒い息を吐きながら、自分の手を、ぼんやりと見下ろした。

 爪の間に、湿った黒い土が、びっしりと詰まっていた。

 月明かりに照らされた、泥だらけの、惨めな指。

 ――ナティアの髪に触れたいと、何百回も願ってきた指。


(……これで、見納めか)


 ふと、そう思った。


 思った途端、胸の奥で、何かが、すとんと落ちた。

 ずっと喉につかえていたものが、ようやく、腹の底に落ちていったような感覚だった。


 リーフは、ゆっくりと立ち上がった。

 三人の声に背を向けて、音もなく、焚き火のほうへ戻っていった。


 ***


 焚き火は、熾火になっていた。


 三人の毛布が、焚き火の向こうに並んで、空っぽのまま敷かれている。

 その脇に、ガラムの背嚢があった。


 リーフは、その口紐をほどいた。


 中に、硬い革袋がひとつ。

 隼の路銀だった。ヴァルドから預かった、旅の金。


 袋を、自分の外套の内側に押し込んだ。ずしりと重かった。

 それから、ナティアの毛布の枕元に置かれた、細い革紐に目を留めた。

 ナティアが、毎朝、金色の髪を高く一本に結う紐だった。


 それも、拾った。

 鼻に押し当てて、深く、吸い込んだ。

 汗と、髪の匂い。


 懐にしまった。


 最後に、背中の剣の重みを、確かめた。

 継承の剣。百十年、誰も握れなかった剣。

 ――俺の剣。


 リーフは、焚き火に背を向けて、闇の中へ歩き出した。


 ***


 夜の街道を、ひとりで歩いた。


 足取りが、ひどく軽かった。

 八年間――いや、生まれてからずっと、肩に乗っていた何かが、ふっと消えていた。


(なんで、最初から、こうしなかったんだろう)


 夜番も、ない。

 稽古も、ない。

 「なんで遅れた」と責める声も、「気持ち悪い」と見下ろす目も、ない。

 干し肉をひとりで齧る夜も、壁の向こうから聞こえる笑い声も、もう、ない。


 神器を持ち出した。

 王の命に背いた。

 影の秘密を知る者が、神器を抱えて塀の外へ逃げた。


 ――反逆者だ。


 分かっていた。

 手配されるだろう。追手も来るだろう。ほかの影の組が、俺を狩るために放たれるかもしれない。


(……どうでもいいや)


 本当に、どうでもよかった。


 歩きながら、リーフは、残してきた三人のことを考えた。


 夜明けに、三人が焚き火に戻ってくる。

 リーフの毛布が、冷たくなっているのに気づく。

 ガラムが、背嚢を開けて、路銀が消えているのを知る。

 ナティアが、枕元の髪紐がないことに気づく。


 ――そして、アイツらは魔骸を消せなくなる。


(えへ……)


 ガラムは、責任を取らされるだろう。

 長のくせに、仲間ひとり見張れなかった。神器を持ち出させた。

 ヴァルドの、あの抑揚のない声で、さんざん詰められるのだ。

 あの、まっすぐな目が、俯くところを想像した。


 ――たまらなく、嬉しかった。


 ナティアとニコは、どうなるだろう。

 剣のない隼は、ただの三人だ。骸ひとつ、消せやしない。

 ほかの組の助っ人にでも回されるのだろうか。使い走りでもさせられるのだろうか。


 それとも――。


(俺を、捕まえろって、命じられるのかな)


 継承の剣を取り戻せ。反逆者リーフを、連れ戻せ。


 ――だとしたら。


 ナティアは、毎日、俺のことを考えるのだ。

 朝起きてから、夜眠るまで。俺がどこにいるか。何をしているか。どこへ向かっているか。

 ニコも。ガラムも。ヴァルドも。もしかしたら、陛下も。


 この国でいちばん偉い人間から、ゴミを見るような目で俺を見ていた女まで。

 みんなが、俺のことだけを考えて、生きることになる。


(えへ……えへへ……えへへへへ……)


 リーフは、夜道で、ひとり、声を上げて笑った。


 腹の底が、さっき茂みの陰にいたときと同じように、また、熱く疼き始めていた。


 ――収まらなかった。

 朝になっても。次の日も。その次の日も。


 ***


 地図は見なかった。

 適当に、足の向くほうへ歩いた。


 街道を外れ、獣道を抜け、名前も知らない丘を越えた。

 腹が減れば、盗んだ金で通りすがりの村から食い物を買った。

 夜のうちに畑から盗んだ。


 これから、どうしよう。


 考えても、何も浮かばなかった。

 浮かばなくても、少しも怖くなかった。


 背中には、継承の剣がある。

 魔骸でさえ、この剣の前では灰になる。人間なんか、ひと振りだ。

 どんな傷を負っても、この剣が俺を生かす。


(――怖いものなんか、何もない)


 生まれて初めて、リーフは、そう思った。


 ***


 逃げて、六日目の夜。


 リーフは、小さな村に辿り着いた。


 川沿いの、二十軒ばかりの村だった。

 家々の窓に、ぽつぽつと、夕餉の灯りが揺れている。

 どこかの家で、赤ん坊が泣いていた。犬が、遠くで吠えていた。


 村はずれの、水車小屋の前だった。


「――あの」


 背後から、声をかけられた。


「旅の方……ですか? こんな遅くに」


 振り返ると、娘がひとり、立っていた。


 麦わら色の髪を、ゆるく三つ編みにして、肩に垂らしている。

 手に、摘んだばかりの薬草の籠を提げていた。夜にしか咲かない草を摘みに、川べりまで出てきたのだろう。


 小さな顔に、大きな茶色の目。

 その目が、まっすぐに、リーフを見ていた。

 ――怯えも、蔑みも、何もない目で。


「この先、しばらく宿はありませんよ。……よかったら、村長の家に案内しましょうか? 納屋なら、きっと泊めてくれますから」


 娘は、そう言って、ふわりと笑った。


 ――笑った。

 リーフに向かって。


(……ああ)


 リーフは、娘の顔を、じっと見つめた。


「……え、えへ。あ、ありがとう。や、優しいんだね」


 しゅる、と。


 布の擦れる音がした。

 背中の大剣を包んでいた布が、ほどけて落ちる音だった。


 娘が、振り返った。


 その白い喉元に、大剣の切っ先が、触れていた。


「――――」


 娘の手から、籠が落ちた。

 夜咲きの白い花が、土の上に散らばった。


 刀身が、月明かりの中で、ぼうっと青く光っていた。

 娘の、恐怖に見開かれた茶色の目が、その青い光を映していた。


「え、えへ……こ、声、出さないでね」


 リーフは、へらへらと笑っていた。

 いつもの、媚びるような、愛想のいい笑い方で。


「出したら……えっと、困るから。ね?」


 切っ先が、ほんのわずかに、喉の皮膚に沈んだ。

 ぷつ、と、赤い玉がひとつ、浮かんだ。


 娘の唇が、わなわなと震えた。

 声にならない声が、喉の奥で、ひゅう、と鳴った。


「……な、んで……」

「なんでって……え、えへ。だって、君が先に、話しかけてきたんじゃないか」


 リーフは、心底不思議そうに、首を傾げた。


「優しくしてくれたじゃない。笑ってくれたじゃない」


 娘の目から、涙が、ぼろぼろと零れ落ちた。


「こっち。……ね、こっち、おいで」


 リーフは、剣の切っ先を喉元に当てたまま、娘を、水車小屋の裏の、木立の暗がりへと追い立てた。

 娘は、震える足で、一歩、また一歩と、後ずさった。

 水車が、ごとん、ごとん、と、何事もないように回り続けていた。


 村の灯りは、すぐそこにあった。

 赤ん坊の泣き声も、犬の遠吠えも、まだ、聞こえていた。


 ――誰も、来なかった。


 ***


 どれほどの時間が経ったのか。


 リーフは、木立の暗がりから、ひとりで出てきた。

 剣の切っ先についた、ほんの数滴の血を、外套の裾で拭いながら、鼻歌を歌っていた。


 背後の暗がりからは、何の音もしなかった。

 ただ、木の幹に縛りつけられたままの娘の、押し殺した、細い嗚咽だけが、ときおり、途切れ途切れに聞こえていた。


 リーフは、振り返らなかった。


 地面に落ちていた剣の布を拾い、大剣をぐるぐると巻き直す。

 散らばった夜咲きの白い花を、靴の先で、何気なく踏みつけた。


(――なんで、最初から、こうしなかったんだろう)


 簡単だった。

 あんなに、簡単だった。


 娼館で金を払う必要も。

 壁の隙間から、泣きながら覗く必要も。

 晒しに顔を埋めて、毛布の中で、惨めに名前を呼ぶ必要も。


 何も、なかったのだ。


 剣を見せれば、女は黙る。

 喉に当てれば、女は言うことを聞く。

 縛るよと言えば、震える手で、自分から木の幹に背中をつける。

 泣こうが、震えようが、関係ない。――俺には、この剣がある。


(えへ……えへへ……)


 リーフは、背中の剣の柄の、革巻きを指でなぞった。

 ナティアの日。ニコの日。マルス。

 その下に、爪で、新しい刻み目をひとつ、つけた。


 ***


 村を出る前に、リーフは、丘の上から、もう一度だけ、村を見下ろした。


 川沿いの、二十軒ばかりの家。

 灯りが、ひとつ、またひとつと、消えていく。


 リーフは、指を折って、数え始めた。


 あの、赤ん坊の泣き声がした家。――母親がいる。

 あの、洗濯物が干しっぱなしの家。女物の肌着が、三枚。

 あの、窓の低い、男手のなさそうな小さな家。


(……若いのが、たぶん、四、五人。人妻が、七、八人)


 数えながら、リーフは、自分の顔が、だらしなく緩んでいくのを感じていた。


 この国には、こんな村が、いくつあるのだろう。

 百か。千か。

 地図にも載らない村が、山の奥にも、川のほとりにも、数えきれないほど。


 ――気持ちよかったなぁ。


 俺には、時間がある。剣がある。死なない身体がある。

 怖いものは、何もない。


(俺は――自由だ)


 リーフは、丘を下り始めた。


 腹の底が、また、熱く疼いていた。

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