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自己愛性ハーレム勇者 〜元の世界が俺の価値を理解できなかっただけ!〜【R15版】  作者: シュキラ
リーフの章~影の勇者~

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21.壁の向こう

 ガラムが隼に加わってから、一年と少しが過ぎた。


 その間に、四人は七体の魔骸を消した。


 廃坑の奥で鉱夫を喰らっていた、岩の甲羅を持つ百足。

 夜ごと羊を攫っていた、影だけで形を持たない狼。

 どれも、四つの光を合わせて、灰ひとつ残さずに消した。


 十九の神器を抱える五つの影の中で、一年に七体を消した組は、ほかにない。

 森の修道院から届くヴァルドの短い書状にも、珍しく「よくやった」と一言だけ添えられていた。


 ***


「リーフ。さっきの、なんで遅れた」


 七体目の骸を消した夜、焚き火の向こうから、ガラムが言った。


 ニコが、右腕に包帯を巻いていた。

 リーフが斬り込むはずだった間合いで、骸の最後の一撃を、まともに受けたのだ。


「え……え、えへ。お、遅れてないよ。ニコが、前に出すぎたから、俺、入る場所がなくて――」

「出すぎてねえ。陣のとおりだった。お前が半歩、下がったんだ。俺は見てた」


 ガラムの声は怒鳴り声ではなかった。

 ただ、まっすぐだった。逃げ道を、一つも残さない声だった。


「怖かったんなら、怖かったって素直に言え。次は俺が前に出る。……けどな、人のせいにすんのはやめろ。ニコは、お前の分まで受けたんだぞ」

「…………」


 ナティアもニコも、何も言わなかった。

 何も言わずに、ガラムの言葉に、ただ頷いていた。


(――なんだよ)


 リーフは、へらへらと笑ったまま、膝の上で拳を握った。


(なんで、俺だけ責められるんだよ。ニコだって、もっと上手く避けりゃよかったじゃないか。……長だからって、偉そうに)


 ガラムは、いつもそうだった。


 夜番を抜け出して眠っていれば、黙って叩き起こしに来た。

 立ち寄った村で、リーフが洗濯をする娘の脚をじっと眺めていれば、その視線の前に、黙って大きな身体を割り込ませた。

 嘘をつけば、嘘だと言った。誰かのせいにすれば、それはお前だと言った。


 ――そのくせ、決して見捨てようとはしなかった。


「お前、本当は、どうしたいんだ」


 一度、ガラムにそう訊かれたことがある。


「強くなりてえのか。認められてえのか。……言ってくれりゃ、俺は手伝う」


 その目には、軽蔑も、怒りもなかった。

 本気だった。本気で、リーフを正そうとしていた。


 それが、リーフには、何よりも腹立たしかった。


(正す? 俺を? 何様だよ)


 俺は、間違ってない。

 間違ってるのは、俺を分かろうとしない、お前らのほうだ。

 手伝う、だと。付き合ってやる、だと。

 ――上から、施しのように。マルスと同じ、あの目で。


 ***


 ナティアとニコは、ガラムと驚くほど早く打ち解けた。


 焚き火のそばで、ナティアがガラムに字を教えていた。

 小枝で地面に文字を書き、ガラムがそれを、大きな指でたどたどしくなぞる。間違えるたびに、ナティアが「違うってば」と笑いながら、その手を取って書き直させる。


「……な、ナティア。これ、何て読むんだ」

「『隼』。あんたの組の名前でしょ。いい加減覚えなさいよ」

「お、おう。……は、や、ぶ、さ。……難しすぎねえか、コレ」

「にゃはは! ガラム、それ一昨日も同じこと言ってた!」


 ニコが、ガラムの広い背中に、猫のように飛び乗った。

 ガラムが「重てえ!」と笑いながら、それでも振り落とさずに、ニコを背負ったまま字を書き続ける。


 三人の笑い声が、焚き火の火の粉と一緒に、夜空へ昇っていった。


 リーフは、焚き火から少し離れた岩の上で、ひとりで干し肉を齧っていた。


 誰も、こっちを見なかった。

 干し肉が、ひどく硬かった。


 ***


 その夜のことは、一生、忘れられなかった。


 北の街道沿いの、それなりに大きな宿場町だった。

 魔骸を消した報せをヴァルドに送るため、四人は珍しく、まともな宿に二晩泊まることになった。


 宿の部屋は、三つ取れた。

 ナティアとニコで、ひと部屋。ガラムで、ひと部屋。リーフで、ひと部屋。

 リーフの部屋は、廊下のいちばん奥。ガラムの部屋の、隣だった。


 夜更け。


 眠れずに寝台に転がっていたリーフの耳に、壁の向こうから、くぐもった笑い声が聞こえた。


 ――女の声だった。


(……え?)


 ナティアの声だった。

 それから、ニコの、あの「にゃは」という笑い声。


 ガラムの部屋から。


 リーフは、寝台から跳ね起きた。

 壁に耳を押し当てる。古い板壁だった。乾いて痩せた板と板のあいだに、指の先ほどの隙間が、いくつも空いていた。

 そのひとつから、蝋燭の明かりが、細く漏れていた。


 リーフは、隙間に、片目を押し当てた。

 寝台の縁に、ガラムが腰かけていた。

 寝間着の前をはだけ、困ったように頭を掻いている。


 その両側に、ナティアとニコがいた。


「お、おい……二人とも、何の冗談だ、これ」

「冗談に見える?」


 ナティアが、ガラムの耳元で囁いた。


 昼間とは、まるで違う声だった。

 低く、甘く、とろりと濡れた声。

 髪をほどいていた。金色の髪が、肩から胸へ、さらさらと流れ落ちている。薄い寝間着一枚の身体の線が、蝋燭の明かりに透けていた。


「あたしたちにだってね、そういう気持ちはあるのよ。……女なんだから」

「にゃは。ガラム、ほんと鈍いよねぇ」


 反対側から、ニコがガラムの太い腕にしなだれかかった。

 短い黒髪が、汗ばんだ首筋に貼りついている。いつもの笑い方とは違う、とろんと潤んだ目で、ガラムを見上げていた。

 寝間着の裾から伸びた小麦色の脚が、ガラムの腿に、ゆっくりと絡みつく。


「ウチら、明日死ぬかもしれないんだよ? 魔骸に喰われて、灰も残らないかもしれないんだよ?」

「これくらいの楽しみがなきゃ、やってられないでしょ」


 ナティアが、ガラムの寝間着の襟に、細い指をかけた。


「……あんたが嫌なら、やめるけど」


 ガラムは、しばらく黙っていた。

 それから、大きく息を吐いて――困ったように、笑った。


「……嫌なわけ、ねえだろ」


 ナティアが、ガラムの唇を塞いだ。


 ***


 ――リーフは、息ができなかった。


 ナティアが、口づけていた。

 リーフをゴミのように見下ろしてきた、あの空色の目を、うっとりと細めて。

 ガラムの首に腕を回し、自分から、何度も、何度も。


 ニコが、ガラムの寝間着を肩から引き下ろした。

 岩のような胸板。無数の古傷が走る、分厚い背中。

 ニコはその胸に頬を擦りつけ、傷のひとつひとつを、指先でなぞっていった。


「っ……おい、ニコ……」

「にゃは。ガラムの身体、すっごいね。……傷だらけで、カッコイイ」

「……あんまり見んなよ」

「照れてる。かわいー」


 ナティアが唇を離した。

 濡れた唇のまま、自分の寝間着の紐に、細い指をかけた。


 ――晒しの下にあるものを、リーフは、何百回も想像してきた。

 それが今、ほどかれようとしていた。


 リーフのためではなかった。

 ガラムのために、ナティアが、自分から、ほどこうとしていた。


「……ナティア」


 ガラムの声が、かすれた。


「……触って」


 ナティアがガラムの手を取り、自分の頬に導いた。

 分厚い手のひらが、白い頬を包み込む。

 ナティアは、その手に、猫のように顔を擦り寄せた。


「ウチも。……ウチのことも、ちゃんと、触って」


 ニコが、ガラムのもう片方の手を取って、自分の腰に回させた。


 ガラムは、二人を見下ろして、困ったように笑った。

 それから、両の腕で、ナティアとニコを、まとめて胸に抱き寄せた。


 ガラムの大きな手が、寝台の脇へ伸びた。

 太い指先が、蝋燭の火を、つまむように消した。


 ***


 闇になった。


 何も、見えなくなった。

 それでも、聞こえた。


 寝台の軋む音。衣擦れの音。

 ナティアが、ガラムの名を呼ぶ声。昼間とはまるで違う、甘く、とろけた声。

 ニコの、くすくすという笑い声が、やがて、笑い声ではなくなっていく。

 ガラムの、低く、困ったような笑い。


「にゃは……ナティア、すっごい声」

「う、うるさ……っ」


 三人は、笑っていた。

 闇の中で、息を弾ませながら、楽しそうに、笑っていた。


 ――夜が更けても、三人の声は、止まなかった。


 ***


 リーフは、壁に額を押しつけたまま、動けなかった。


 頬を、熱いものが伝っていた。

 泣いていた。

 声も出さずに、ぼろぼろと、涙を流していた。


(なんで)


(なんで、あいつなんだよ)


 ナティアの、あんな声。

 ニコの、あんな笑い声。

 リーフが何百回、何千回と夢に見てきたものが、すべて、壁の向こうにあった。

 すべて、ガラムのものになっていた。


 ――なのに。


 腹の底が、焼けるように、熱かった。


(……いやだ)


 耳を塞げばいい。寝台に戻って、毛布を被ればいい。

 分かっていた。分かっていたのに、リーフは、壁から離れられなかった。


(いやだ、いやだ、いやだ――)


 ナティアが、ガラムの名を呼ぶ。

 ニコが、甘えた声で、もっと、とねだる。

 寝台が軋む。


 リーフは、もう闇しか見えない隙間に片目を押し当てたまま、泣きながら、その音を聞き続けた。


 惨めだった。

 死にたいほど惨めだった。

 なのに、離れられなかった。


 壁の向こうで、ニコが、一際高い声を上げた。


 リーフは、その場に、ずるずると崩れ落ちた。

 床に頬をつけたまま、声を殺して、泣き続けた。


 壁の向こうから、三人の、満ち足りた笑い声が、聞こえていた。


 ***


 それから、リーフは、覗くようになった。


 野営の夜でも。


 焚き火が熾火になる頃、三人は、決まって目配せを交わした。

 ナティアが先に林の奥へ消え、少し間を置いて、ニコが続く。最後に、ガラムが、寝ているはずのリーフを一度だけ振り返ってから、二人の後を追う。


 リーフは、寝息を立てているふりをしたまま、三人の足音を数えた。

 十分に遠ざかってから、毛布を抜け出し、風下から、這うように後を追った。


 月明かりの下の、苔むした倒木の陰。

 川のほとりの、平たい岩の上。

 廃屋の、崩れかけた壁の向こう。


 どこでも、三人は、楽しそうだった。

 互いの身体を求め合い、汗に濡れ、声を殺しきれずに笑い合っていた。


 リーフは、毎晩、それを見た。

 毎晩、泣きながら、目を離せなかった。


 ――見るのを、やめられなかった。


 ***


 その夜も、リーフは、廃屋の崩れた壁の陰に、這いつくばっていた。


 事が終わったあとだった。

 三人は、脱ぎ捨てた外套を敷いた上に、寄り添って寝転がっていた。

 ガラムを真ん中に、右にナティア、左にニコ。

 汗の引きかけた肌を、夜風が撫でていく。


「……ねえ」


 ナティアが、ガラムの胸に頬を乗せたまま、ぽつりと言った。


「今日のあいつ、見た?」


 リーフの心臓が、跳ねた。


「にゃは。見た見た。村の井戸のとこでしょ」


 ニコが、ガラムの腕の中で、くすくすと笑った。


「水汲みしてたコの後ろ、ずーっとくっついて歩いてたよね。……で、振り向かれたら、あの『えへ』ってやつ。娘さん、桶ひっくり返して逃げてったもん」


「……気持ち悪っ」


 ナティアが、心底から嫌そうに、顔をしかめた。


「修道院の頃から、ずっとそうよ。……晒しが、ときどき、畳み方が変わってたの。洗い場に出したはずなのに、朝、取りに行くと、誰かが触ったみたいに……。ずっと、気のせいだと思うことにしてた」

「うわ、それ絶対あいつじゃん」

「……お前らそれ、なんで先生に言わなかったんだ」


 ガラムが、低い声で訊いた。


「言ってどうなるのよ」


 ナティアが、冷たく笑った。


「あいつ、継承の剣の持ち主なのよ。百十年誰も握れなかった、あの剣の。あいつがいなきゃ、魔骸は消せない。先生だって、陛下だって、あいつのことは手放さない。……それくらいは、あたしたちが我慢するしかないでしょ」

「そうそう。剣だけだもんね、あいつ。剣だけぇ」


 ニコが、崩れた屋根の隙間から夜空を見上げて、言った。


「あ、顔もパっと見はいいけどさぁ。……でも中身、空っぽ。何考えてるか分かんないし、ずーっと、人のせいにしてるし」

「あと、目つき。……あいつの目、ほんと嫌。話してても、ずっと胸とか、脚とか見てるの。こっちの顔、一回も見ない」

「分かるー! あとさぁ、知ってる?」


 ニコが、声を潜めた。


「あいつの剣の柄、よく見たことある? 革巻きのとこに、ちっちゃい傷がいっぱい並んでるの」

「……ああ、あれ。何なのかしらって思ってた」

「ウチ、数えたんだよね、こないだ。こっそり。……あれさ、ウチらの、月のものの日だよ。ぴったり、合ってるの」


 しん、と。

 夜の空気が、凍りついた。


「…………は?」


 ナティアの声が、低く、掠れた。


「……うそでしょ」


「ほんと。二列あってさ。片っぽがナティアので、片っぽがウチの。……もう、一年分以上、あるよ」

「……っ、気持ち悪い……っ」


 ナティアが、ガラムの胸に、顔を埋めた。

 その肩が、小さく震えていた。


「なんなの、あいつ……なんなのよ……っ」


「ほんと、それ」


 ニコが、乾いた声で笑った。

 いつもの、にゃはは、ではなかった。


「……早く、死んでくんないかなぁ、あいつ」


 ぽつりと、ニコが言った。


「魔骸に喰われて、灰になって、消えてくんないかなぁ。……あ、でも、継承の剣持ってるから、死なないんだっけ。最悪じゃん。にゃはは」


「……おい。言いすぎだ」


 ガラムが、静かに言った。

 ニコが、ぷいと顔を背けた。


「だってさぁ……」

「分かってる。……分かってるけどな」


 ガラムは、夜空を見上げたまま、しばらく黙っていた。


「……あいつの剣がなきゃ、俺たちに魔骸は消せねえ。それだけは、確かだ」


 それは、庇う言葉ではなかった。

 ただ、事実を、並べただけの声だった。


「――ねえ」


 ナティアが、ガラムの胸から、顔を上げた。

 その空色の目が、闇の中で、まっすぐに、どこか遠くを見ていた。


「マルスが死んだ夜のこと……ずっと、引っかかってるの」


 リーフの全身が、凍りついた。


「あの夜、煙で何も見えなかった。……でも、あいつ、マルスのすぐそばにいたのよ。いちばん、近くに」

「……」

「骸の牙に、背中から刺されたって。あいつ、そう言った。……でも、骸から絶対に目を離すなって、いつもあたしたちに言ってたのは、マルスなのよ。そのマルスが、骸に背中を向けたりする?」


 ガラムは、何も言わなかった。

 ニコも、何も言わなかった。


 夜風が、三人の髪を揺らした。


「……考えすぎだ、ナティア」


 しばらくして、ガラムが、低く言った。


「煙の中だった。誰にも、何も見えなかった。……そうだろ」

「……うん。……そう、よね」


 ナティアは、それ以上何も言わず、またガラムの胸に頬を埋めた。


 だが、ガラムの目は、閉じられていなかった。

 夜空を見上げたまま、じっと、何かを考えていた。



 ***


 リーフは、廃屋の壁の陰で、地面に爪を立てていた。


 息が、できなかった。

 頭の中で、三人の言葉が、ぐるぐると渦を巻いていた。


 ――気持ち悪い。

 ――顔だけじゃん。中身、空っぽ。

 ――早く、死んでくんないかなぁ。

 ――あいつの剣がなきゃ、魔骸は消せねえ。それだけだ。


 それだけ。

 剣だけ。

 俺は――剣の、おまけ。


(……なんでだよ)


 涙が、地面に、ぽたぽたと落ちた。


(なんで、俺ばっかり、こんな目に遭うんだよ)


 ――マルスのことだって、あいつが先に、俺を消そうとしたんだ。

 たぶん――おそらく、いや、絶対。

 俺は、自分を守っただけだ。


 なのに、あいつらは。

 俺の陰で、俺を笑って。俺を気持ち悪いと言って。俺に、死ねと言って。

 俺の剣にぶら下がって、魔骸を消して、手柄を立てて、褒められて――その夜には、三人で、楽しそうに、抱き合ってる。


(ふざけるなよ……っ)


(俺がいなきゃ、ダメなくせに……っ!!)


 リーフは、背中の剣の柄を、握りしめた。

 革巻きの、二列の刻み目。その下の、マルスの刻み目。

 ニコに、見られていた。数えられていた。

 ――刻み目の意味まで、知られていた。


(……俺がいなきゃ、魔骸は消せない)


 ふと、その言葉が、頭の中で、違う形に裏返った。


(――なら、俺が、いなくなったら?)


 リーフは、涙に濡れた顔を、ゆっくりと上げた。


 廃屋の壁の向こうで、三人が、寄り添って眠りにつこうとしていた。

 ガラムの大きな腕の中で、ナティアとニコが、子猫のように丸くなっていた。


 あの三人は、魔骸を消せなくなる。

 手柄も、褒め言葉も、全部、失くす。


 ――そのとき、あいつらは、どんな顔をするだろう。


 俺を探して、泣いて、縋って。

 「戻ってきて、リーフ」と、あの空色の目を涙で濁らせて――。


(……えへ)


 リーフの唇の端が、ゆっくりと、吊り上がった。

 泣き腫らした顔のまま。


(えへ……えへへ……)


 背中の剣が、どくん、と、脈打った。

 夜明けまで、まだ、遠かった。

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