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自己愛性ハーレム勇者 〜元の世界が俺の価値を理解できなかっただけ!〜【R15版】  作者: シュキラ
ミナトの章~村の英雄~

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16.知る者たち②

 ――手を、貸せ?


 ミナトは、その言葉の意味が、すぐには分からなかった。


 金髪の娘の背中を見ていた。高い位置の一本結い。引き絞られた白木の長弓。

 革の胴着に包まれた細い肩が、怒りで小刻みに震えていた。


「お、俺は――」


 リーフなんて名前じゃない。

 そう言いかけて、口を閉じた。


 言って、どうなる。中身が違うなどと言ったところで、信じるはずがない。

 それに、この娘は最初に何と言った。


 ――死ね、リーフ。


(……なんだよ、それ)


 腹の底に、苦いものが滲んだ。


(初対面の女に、いきなり死ねって言われる筋合いなんかない。何かしたのは、この身体の前の持ち主だ。俺じゃない)


 ずどぉんっ!!


 すぐ右手に、何かが落ちてきた。

 地面が揺れ、血の泥濘が壁のように跳ね上がる。


 大男だった。坂の上の岩場から、一息に飛び降りてきたのだ。

 肩に担いだ大槌の鉄の頭が、熾火のように赤く唸っている。

 近くで見ると、厳つい顔は思ったより若かった。二十をいくつか過ぎたほどの青年だ。眉間に刻まれた深い皺が、この男を十も老けて見せていた。


 大男はミナトを見ないまま、低く言った。


「……しぶといやつだ」


 何の温度もない声だった。

 踏みつけられて汚れた襤褸切れに向けるような。


 ひゅるり、と。

 反対側に、小柄な影が音もなく降り立った。


 短い黒髪の娘だった。

 燃える瓦礫の上に、猫のようにちょこんとしゃがみ込んでいる。くりくりとした大きな黒い瞳。日に焼けた小麦色の頬。口元が、にんまりと三日月の形に吊り上がっていた。


 娘はミナトを下から上へ、じろじろと眺め回した。

 裸同然の身体から、血まみれの顔まで。


「――にゃはははっ!」


 娘は腹を抱えて笑い出した。


「うっわ、ほんとにリーフじゃん! しかも、すっぽんぽん! 四年ぶりの再会がそれ? ねえ、それ? ウケるんですけど!」


 炎と血の匂いが充満した谷に、ひどく場違いな、鈴を転がすような笑い声。

 だが、ミナトはぞくりと背筋を震わせた。


 娘の目は、少しも笑っていなかった。

 黒い瞳だけが、ぴたりとミナトの喉元に据えられている。


「……で、ナティア。こいつ、使うの?」


 娘が、笑顔のまま金髪の娘に訊いた。

 ナティア。それが、あの金髪の娘の名前らしかった。


「使うしかないでしょ、我慢して、ニコ」


 ナティアと呼ばれた娘が、弓を引き絞ったまま吐き捨てた。


「四人いなきゃ、あれは完全には消せない」


「分かってる分かってる。にゃはは……分かってるけどさぁ」


 ニコと呼ばれた黒髪の娘は、笑顔のまま、ぺっ、と泥濘に唾を吐いた。


「――ゲロ吐きそう」


 ***


 黒獣が吠えた。

 谷が震え、燃える家々の炎が一斉に横倒しになる。


 無数の紅い目が、四人を見下ろしていた。

 いや――そのほとんどは、ミナトだけを見ていた。

 額から鼻面にかけて走る、白く盛り上がった古い傷痕が、炎の照り返しにぬらぬらと脈打っている。


「……傷、あるね」


 ニコがぽつりと言った。その顔から、笑みが消えていた。


「ああ」


 大男の目が、一瞬だけミナトに向いた。


「一人で斬りやがったな」


 何のことか分からず、ミナトはぽかんと大男を見返した。


「……何だよ。その顔は」


 大男の声が、一段低くなった。


「あの傷、継承の剣の痕だろうが。この辺りで、テメエ以外に誰が魔骸に傷なんざつけられる」


(まがい……?)


「にゃはは。しかもさぁ、一人で、だよ?」


 ニコがまた笑い、燃える村をぐるりと見回した。


「神器を四つ揃えなきゃ魔骸は消えないって、耳にタコができるくらい言われてたのにねえ。一人で半端に斬ったら、どうなるか――」


 ニコの指が、黒獣の背中を指さした。

 何十本もの触手が、蒸気を噴き上げてうねっている。


「――ほら。ああなるって、さ」

「……火まで噴くようになりやがって。どんだけ肥え太らせりゃ気が済むんだ」


 大男が吐き捨てた。


 ミナトは黒獣を見上げた。

 村に戻ってきたあれを初めて見たとき、ミナトも思ったのだ。あの日に斬った黒獣より、一回り以上も大きい、と。

 あの日には、触手などなかった。内側から灼けて爆ぜる肉も、村を焼き尽くす炎も。


 大男の目が、まっすぐにミナトを射抜いた。


「お前のせいだ。この村を潰したのは。 リーフ……なぜ、こうなるとわかっていて……」


 ***


(――は? 知らんが?)


 俺のせい?

 村が滅んだのが? サリヤが潰されたのが? 俺の家が、俺の女たちが、俺の子どもたちが――全部?


(ふざけんな。そんなの、誰も教えてくれなかったじゃないか)


 あの日、気づいたらこの身体の中にいた。わけも分からず剣を握らされ、化け物の前に立たされ、身体が勝手に動いて斬った。

 それの何が悪い。


 サリヤもそうだ。待てと言ったのに、勝手に走っていって。

 何より――この身体の、リーフとかいうやつだ。全部知っていたくせに仲間から逃げ出して、こんな辺境で勝手にくたばって、尻拭いを何も知らない俺に押しつけた。


 それから――。

 ミナトは、目の前の三人を見た。


(――こいつらだ)


 こんなに強いのなら、なんでもっと早く来なかった。

 四年も探していたなら、あと一日、あと半日早く来ていれば、サリヤは――俺のものは、全部無事だったのに。


 俺は、何ひとつ悪くない。


 ミナトは奥歯を噛み締め、大男から目を逸らした。


「……ガラム」


 ナティアが鋭く言った。


「話はあと。陣、組むわよ」

「……おう」


 ガラムと呼ばれた大男が、大槌を肩から下ろした。鉄の頭が泥濘にめり込み、赤い光がぐん、と脈打つ。


「いつものだ。ナティアが目を潰す。ニコが縛る。俺が殻を割る」


 太い指が、ミナトの大剣を指さした。


「――で、最後に、テメエが核に、その『継承の剣』を叩き込め」


(けいしょうの、けん……?)


 ミナトは手の中の剣を見下ろした。


 ――光っていた。

 青く、脈打つように。

 ナティアの弓の黄色、ニコの鞭の緑、ガラムの槌の赤――三つの光と、まったく同じ拍子で。


 坂の上に三人が現れたときから、ずっとだった。

 三つの光に呼ばれるように。


「にゃは。ちゃーんと共鳴してるじゃん」


 ニコが鞭をしならせ、目を細めた。


「……あたしたちの神器は、四つで一つ」


 ナティアが、ミナトを見ずに言った。


「あんたがどれだけクズでも、その剣がある限り、あんたはあたしたちの――……」


 ***


 触手が来た。

 四方八方から、炎に灼けた肉の管が、蛇の群れのように一斉に。


「散ってッ!!」


 三人が跳んだ。

 ナティアは燃える屋根の上へ。ニコは崩れかけた石垣の上へ。ガラムは――正面へ。黒獣に向かって、まっすぐに。


 ミナトだけが、取り残された。


「あ――」


 頭上から、触手が三本。


 剣の光が強まった。三つの光に引っ張られるように、腕が跳ね上がる。一本目を刀身で受け止め、身体が勝手に半歩引いて二本目を躱す。

 ――この身体が覚えているのだ。あの三人と肩を並べていた頃の動きを。


 三本目が――。


 ひゅんっ!


 黄色い光の矢が、三本目を根元から焼き切った。

 燃える屋根の上で、ナティアがすでに次の光を番えていた。


「突っ立ってんじゃないわよッ!! 本当にあたしの弓で殺されたいわけ!?」


 ――ひゅんっ、ひゅんっ、ひゅんっ、ひゅんっ、ひゅんっ!!


 五本の光の矢が扇のように広がり、黒獣の顔面に吸い込まれた。

 紅い目が、五つ同時に弾ける。


 ぎゃああああああああっ――!!


 ただ潰れただけではなかった。目の穴から、黄色い炎が内側へ、内側へと這い進んでいく。肉ではない、もっと深い何かを焦がしている。黒獣の巨体が、耐えかねるようにのたうった。


(――魂まで、焦がす……)


 ナティアは止まらない。

 屋根から屋根へ飛び移りながら矢継ぎ早に光を放ち、紅い目をひとつ、またひとつと潰していく。

 炎の中で旗のように翻る金色の一本結い。一瞬も揺るがない空色の瞳。


 ミナトは、その姿を見上げていた。

 しなやかに引き絞られる背中。弦を引くたびに張り詰める胸元の革紐。すらりと伸びた白い脚。


(……いい女だな)


 村が燃えて、サリヤが潰されて、まだ一刻も経っていないのに。

 頭の片隅で、ひどく冷静な、ひどく卑しい声が呟いていた。


(村の女は、もうみんな死んだ。……なら、次は――)


 黒獣の触手が、ナティアのいた屋根を叩き潰した。

 ナティアは、すでにそこにいなかった。


 ***


「――ニコッ!!」


「はいはーいっ、と!」


 石垣の上で、ニコが右腕を大きく振った。

 緑の鞭が宙を走り、空中でほどけるように裂けて、二十本もの光の糸になる。


 しゅるるるるるっ――!


「にゃははっ、つーかまーえたっ♪」


 光の糸に絡みつかれた触手が、ぴたりと止まった。

 赤く灼けていた肉の管から、みるみる色が抜けていく。枯れ木のような灰色に。膨れ上がっていた表面がしわしわと萎み、ひび割れ、もう爆ぜることもできずに軋むばかりになる。


 ――吸っている。

 あの鞭は、触手の熱を、力を、何もかもを吸い上げているのだ。


 だが、その代償があった。

 鞭を握る右腕に巻いた獣の革が、内側から黒く染まっていく。吸い上げたものがニコ自身に流れ込み、細い腕の血管を、黒い蚯蚓のように肩へと這い上がっていく。


「……っ、にゃは、は……っ。あー、これ、やっぱきっつ……っ」


 額に脂汗を浮かべ、小柄な身体をぐらつかせながら、それでもニコは笑みを崩さなかった。鞭も、離さなかった。


「ガラム……っ、はーやーくぅ……っ!! ウチの腕、腐っちゃうってば……っ!!」


 ***


 ガラムが走っていた。

 枯れた触手の間を縫い、黒獣の真正面へ。

 まだ動く触手が、背中を、肩を、脇腹を打ち据える。皮膚が裂け、血が噴く。それでも足は緩まない。声ひとつ上げない。


 大木の幹ほどもある前脚を駆け上がり、膝を蹴り、肩を蹴り――。

 黒獣の背中の真ん中、触手の根元に瘤のように盛り上がった、黒い殻の上へ。


 大槌を振りかぶる。

 鉄の頭が、熾火の赤から、溶けた鉄のような白に近い赤へと膨れ上がっていく。


「――割れろォォォォッ!!」


 ごぉぉぉぉぉんっ!!


 鐘を打ったような音が、谷じゅうに響き渡った。

 黒い殻にひびが走る。一本が二本に、四本に、八本に。陶器が割れるように、赤い光の筋が背中一面に広がっていく。


 ごぉぉんっ!! 二撃目。

 ごぉぉんっ!! 三撃目。


 殻が、割れた。


 その下から現れたものに、ミナトは息を呑んだ。


 ――心臓。

 いや、違う。黒い硝子のような、石のような、それでいてぬらぬらと濡れた、ひと抱えほどの塊。

 どくん、どくん、と脈打つたびに、その表面に顔が浮かんでは消える。苦悶に歪んだ、誰のものとも知れない顔が。


 ぞわり、と全身の毛が逆立った。


「――リーフッ!! 今だッ!! 叩き込めェェェッ!!」


 ガラムが吠えた。


 ***


 ミナトは、動けなかった。


 剣は光っている。腕を振り上げれば、身体はきっと勝手に動く。

 だが、脚がすくんでいた。


 あの背中まで駆け上がる。のたうち回る何十本もの触手の真ん中へ。サリヤを、アーシャを、フィオを、ばらばらにした、あの中へ。


(……無理だ。死ぬ。俺が、死ぬ)


 なんで俺が、そんなことをしなきゃいけない。

 あいつらは強いんだから、あいつらがやればいい。俺は知らなかったんだ。巻き込まれただけなんだ。


 足が、一歩、後ろへ下がった。


「……おい」


 黒獣の背中の上から、ガラムが見下ろしていた。


「テメエ――また、逃げる気か」


 怒鳴り声ではなかった。

 静かすぎて、背筋が凍った。


「お前は……本当に……」


 黒獣が巨体を大きく揺さぶった。

 ニコの鞭が、ぶつり、と一本千切れる。色を取り戻した触手が赤く灼け、ガラムの脇腹を真横から薙いだ。


「ぐ、おッ――!!」


 ガラムの巨体が宙を舞い、燃える家の壁に叩きつけられて、壁ごと崩れ落ちた。


(――ざまあみろ)


 俺のせいだと言ったやつが、吹っ飛んだ。


「ガラムっ!!」


 ニコの声から、初めて笑いが消えた。

 その隙に、もう一本鞭が千切れる。


 剥き出しの核が、どくん、と大きく脈打った。割れた殻の縁が、じわじわと盛り上がり始める。

 ――塞がろうとしている。


「何やってんのよッ、リーフッ!! また塞がったら、もう、あたしたちじゃ――!!」


 ナティアの声が裏返った。


 ***


 ミナトは、黒獣を見上げていた。


 紅い目の半分以上が焼き潰されている。

 残った目が、それでも、ミナトを見ていた。

 古い傷痕のすぐ下で、黒獣の口の端が吊り上がった。


 ――笑った。


 サリヤを噛み砕いたあとの、あの顔だった。

 ばきり、ばきり、と骨の砕ける音が耳の奥で蘇る。栗色の髪が。「すき」と動いた唇が。あの口の中で。


(――お前が)


 腹の底で、何かがぶつりと切れた。

 悲しみではなかった。後悔でもなかった。


(お前が、全部持っていきやがった)


 俺の村を。俺を崇めていた連中を。俺の女たちを。俺の子どもたちを。俺の、サリヤを。

 元の世界で誰からも何ひとつ与えられなかった俺が、やっと手に入れた、俺のものを。


 それを、あの化け物は笑いながら喰った。

 しかもこいつらは、それを俺のせいだと言う。


(ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなァッ……!!)


 怒りが、恐怖を塗り潰した。


 剣が、ぐん、と熱を持った。青い光が膨れ上がり、三つの光の拍子に、ミナトの心臓の拍子が重なる。

 どくん。どくん。どくん。


「――あああああああああああああっ!!」


 ミナトは走った。

 大剣を引きずるように握りしめ、裸足で血の泥濘を蹴って。


 身体が勝手に動いた。剣が三つの光に引っ張られ、ミナトの身体ごと、あの核へと向かっていく。

 四方から襲いかかる触手を、身体が躱し、剣が薙ぎ払う。躱しきれなかった一本が脇腹を裂いた。止まらなかった。止まれなかった。


 前脚を駆け上がる。膝を蹴り、肩を蹴り――。


 黒獣が、首をほとんど真後ろまで捻じ曲げた。

 サリヤを呑み込んだ口が、目の前に迫る。


「――ニコぉッ!! 口ぃッ!!」


「にゃは……っ、人使い、荒い、なぁっ……!!」


 残ったすべての光の糸が、黒獣の顎に絡みついた。

 閉じかけた顎が、ミナトの鼻先で、ぎしりと止まる。

 石垣の上で膝をついたニコの首筋まで、黒い血管が這い上がっていた。それでも、にい、と歯を見せて笑っていた。


「――おおおおおおおおおおッ!!」


 瓦礫の中から、ガラムが立ち上がった。

 脇腹から血を滝のように流しながら大槌を引きずって走り――跳んだ。


 ごぉぉぉぉぉぉんっ!!


 塞がりかけた殻の縁を、大槌が再び粉々に叩き割る。赤い光が、核の表面を這い回った。


「ナティアぁッ!!」


「――言われなくてもッ!!」


 燃える屋根の上で、ナティアが弓を限界まで引き絞っていた。

 弦と弓の間の黄色い光が、太陽のように膨れ上がっている。


「――いけッ!!」


 ひゅごぉっ――!!


 極太の光の矢が夜を貫き、核のど真ん中に突き刺さった。


 黄色。緑。赤。

 三つの光が核の表面でぶつかり合い、渦を巻き――。


 ミナトの剣に、流れ込んできた。

 刀身の青と溶け合い、四つの光がひとつになる。


 白。

 何もかもを塗り潰すような、真っ白な光。


 眼下で、核が脈打っていた。

 その表面に浮かぶ苦悶の顔のひとつが、一瞬、サリヤの顔に見えた。


 そんなはずはない。

 それでも、腹の底のどす黒い怒りが、それで決まった。


 剣を、逆手に握り直す。


(俺のものを、喰いやがって――!!)


「――返せよォォォォォォォォッ!!」


 叩き込んだ。


 音が、なかった。


 切っ先が、核に沈み込む。抵抗はなかった。熱した刃を雪に刺し込んだように、すうっと根元まで。


 核に浮かんでいた無数の顔が、一斉に口を開けた。

 悲鳴は聞こえない。それでもミナトには、何百という声が頭の中で一斉に叫ぶのが聞こえた気がした。


 白い光が、核のひびというひびから溢れ出した。

 黒獣の巨体が、内側から白く灼けていく。


 触手が根元から崩れた。燃えるのでも爆ぜるのでもなく、炭が灰になって風に崩れるように、さらさらと、音もなく。


 足場が消え、ミナトの身体が宙に投げ出された。

 落ちていく視界の中で、山のような巨体がひとつ残らず黒い灰になり、熱風に乗って夜空へ舞い上がっていくのが見えた。


 一年前も、黒獣は灰になって崩れ去ったと村人たちは言っていた。

 だが、あのときは核がどこかに残っていたのだ。

 今度の灰は、舞い上がりながらさらに細かく砕け、ほどけ、何もない闇に溶けて消えた。


 骨の一本も。牙の一本も。核のかけらひとつ、残らなかった。


 ――今度こそ、本当に、消えた。


 べしゃり、と、ミナトは血の泥濘に落ちた。


 仰向けのまま、裂けた脇腹が軋みながら塞がっていく。

 手の中の大剣は、もう光っていなかった。ただの冷たい鉄の塊だった。

 夜空には、炎の照り返しで赤く染まった煙しかなかった。


 ――終わった。


 ***


 どれほどそうしていたか、分からない。


 ミナトは身体を起こし、ふらつく足で村の奥へ向かった。

 村長の家は、もう家の形をしていなかった。炭の山から、焼け焦げた柱が何本か突き出しているだけだ。


 膝をつき、まだ熱い炭を素手で掻き分けた。手のひらが焼け、焼けたそばから治っていく。


 何もなかった。

 炭と灰と、燃え残った鍋の破片のほかには、何も。


 サリヤの身体は、あの口の中に消えた。

 あの口は、灰になって夜空に溶けた。


「……ぁ……あ、あああ……」


 掴んだ炭が、指の間からぼろぼろと崩れ落ちた。


「……俺の、だったのに」


 声が震えた。


「俺のサリヤだったのに……っ。俺の村だったのに……! 俺の家で、俺の女たちで、俺の子どもたちで……っ!! 全部、俺のだったんだぞ……っ!! 俺がやっと手に入れたんだぞ……っ!! 毎晩、俺の名前呼んでたんだぞ……っ!!」


 涙が止まらなかった。

 炭の山に額を擦りつけ、駄々をこねる子どものように、拳で何度も地面を叩いた。


「なんで俺から全部取り上げるんだよぉっ……!! 俺は勇者様だったんだぞ……っ!! これから、もっともっと手に入るはずだったんだぞ……っ!!」


 ゆっくりと顔を上げ、振り返った。

 三人が、そこにいた。


 焼け残った石垣の上に立つナティア。

 その足元で、黒く変色した右腕を押さえて座り込むニコ。

 少し離れて、脇腹を裂いた布で縛っているガラム。


 三人とも、ミナトを見ていた。


「……なんでだよ」


 言葉が、零れた。


「だからさぁ! お前ら、あんなに強いんだったら、なんでもっと早く来なかったんだよ……っ」


 三人は何も言わなかった。


「知ってたんだろ!? 黒獣は半端に斬ったら強くなって戻ってくるって……!! 知ってたんなら、なんで早く来て教えてくれなかったんだよ!! お前らが何年もぐずぐずしてたから、俺の村は――俺のものは全部――っ!!」


 ミナトは三人を指さした。


「――お前らのせいだろうが!! お前らが遅かったから、俺の女は死んだんだ!! 俺は悪くない!! 俺は何も悪くないだろうが!!」


 沈黙が落ちた。

 炎の爆ぜる音だけが聞こえた。


「……にゃは」


 ニコが笑った。ひどく乾いた笑い声だった。


「にゃはは……。あー……うん。相変わらずだにゃあ、リーフは」


 口元だけで笑っていた。

 黒い瞳は、踏み潰した虫のまだ動いている脚を見るような目で、ミナトを見ていた。


「村の人、ぜんぜん名前呼ばないんだね。ずーっと『俺の、俺の』って。……ほんっと、なーんにも変わってない」


「ああ」


 ガラムが低く頷いた。


「何ひとつ変わっちゃいねえ。テメエはいつだって誰かのせいにして、自分だけ泣いてやがった」


 ナティアは、何も言わなかった。

 石垣の上から見下ろす空色の瞳に、炎が映っていた。


 その目には、もう怒りすらなかった。

 心のいちばん底から湧き上がる――軽蔑だった。どんな言葉を投げかける価値もないと、そう言っているかのようだった。


 ***

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