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自己愛性ハーレム勇者 〜元の世界が俺の価値を理解できなかっただけ!〜【R15版】  作者: シュキラ
ミナトの章~村の英雄~

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14/23

14.終わりの日②

 ――声が、出なかった。


 ミナトの膝が、がくがくと震えていた。

 止めようとしても、止まらなかった。


 あの日、黒獣を斬ったときは、何も怖くなかった。

 身体が勝手に動いて、気づいたら終わっていた。恐怖を感じる暇もなかった。


 今は、違った。


 怖かった。

 どうしようもなく、怖かった。

 喉の奥から、酸っぱいものがせり上がってくる。全身の血が、足元へ抜け落ちていくように冷たい。

 内ももを、生温かいものが伝い落ちた。

 それが何なのか、ミナトには、もう分からなかった。


「――ミラ……」


 背後で、サリヤが、呟いた。


「ミラ……リオ……。おかあさん……おとうさん……」


 サリヤは、寝間着の前をかき合わせたまま、村の奥を――村長の家のほうを、見ていた。

 村長の家は、黒獣のいる広場の、すぐ向こうにあった。

 その屋根から、炎が上がっていた。


「――カイ」


 アーシャが、口元の汚れを拭いもせずに、柱から手を離した。

 カイルの両親の家も、村の奥にあった。


「……あたしの、子……」


 フィオが、へたり込んだまま、震える声で言った。


「あたしの、子が……っ、おかあさんの、ところに……っ」


 三人の女が、一斉に、村の奥へ向かって、駆け出した。


「――待て!!」


 ミナトは、叫んだ。


「行くな!! 戻れ!! あいつが――!!」


 三人は、止まらなかった。

 振り返りもしなかった。

 前をかき合わせただけの寝間着をはためかせ、裸足のまま、燃える村の奥へ、黒獣のいるほうへ、まっすぐに。


 ――母親だった。

 三人とも、ただ、子どもの名前だけを呼びながら、走っていた。


 ミナトは、追いかけた。

 追いかけようとした。

 だが、脚が、言うことを聞かなかった。

 震える膝が、一歩踏み出すたびに、がくりと折れそうになる。


(なんでだ)


(あの日は、勝手に動いたのに)


(なんで、今は、動かないんだ――!)


 ***


 最初に追いつかれたのは、フィオだった。

 燃える家と家の間の、細い路地に差しかかったとき――屋根の上から、一本の触手が、蛇のように垂れ下がってきた。


「フィオ――っ!!」


 ミナトの叫びは、届かなかった。


 触手の先端が、花が開くように裂けた。

 その内側に、ぎっしりと、鋸の歯のような棘が並んでいた。


 それが、フィオの身体を、頭から、腰まで、一息に咥え込んだ。


 ――そして、閉じた。


 ぶつり、と。


 太い縄を、鉈で断ち切るような音がした。


 触手が、持ち上がる。

 路地には、フィオの、腰から下だけが、残っていた。

 寝間着の裾から伸びた、細い二本の脚。その付け根の、真っ平らに断たれた断面から、血が、噴水のように噴き上がっていた。脚は、まだ、走ろうとするかのように、二歩、三歩とよろめいて――それから、ぱたりと、横に倒れた。


 触手の口から、赤い髪の束が、はみ出していた。

 それが、ゆっくりと、内側へ、呑み込まれていった。


 ***


「あ……あ、あ……」


 アーシャが、立ち止まった。

 振り返って、フィオだったものを見た。


 その顔から、表情というものが、すべて、抜け落ちていた。

 あの日、カイルの亡骸の筵をめくったときと、同じ顔だった。


「アーシャ!! こっちへ来い!!」


 ミナトは、叫んだ。

 震える脚を引きずって、アーシャのほうへ、手を伸ばした。


 アーシャが、ミナトを見た。

 翠色の瞳が、炎を映して、揺れていた。


「……ミナト、さま……」


 アーシャの唇が、動いた。

 何かを、言おうとした。


 その腰に、横から、太い触手が、叩きつけられた。


 大人の胴ほどもある、肉の管だった。

 それが、鞭のようにしなって、真横から、アーシャの細い身体を、薙いだ。


 アーシャの身体が――ふたつに、なった。


 腰から上が、宙を舞った。

 金茶色の長い髪が、炎の中で、扇のように広がった。

 腰から下は、その場に、膝から崩れ落ちた。

 握りしめていた白い花の束が、ぱっと散って、血の泥濘に落ちた。


 宙を舞ったアーシャの上半身が、燃える家の壁に、べしゃりと叩きつけられて、ずるずると滑り落ちていく。

 裂けた腹から、赤黒いものが、とめどなく零れ落ちていった。


 壁の根元に、くたりと座り込んだアーシャの上半身は、まだ、目を開けていた。

 右の頬に、あの小さなえくぼの影が、浮かんでいた。

 唇が、最後に、かすかに動いて――「カイ」と、言ったように見えた。


 ***


「あ……あああ……」


 ミナトの喉から、声とも呼べない音が漏れた。


「ああああああああああああっ……!!」


 ミナトは、走った。

 膝が折れても、転んでも、這うようにして、走った。


「サリヤ――!! サリヤぁぁっ――!!」


 サリヤは、広場の手前にいた。

 村長の家の、燃える屋根が、すぐそこに見えた。


「ミラ――!! リオ――!! おかあさん――っ!!」


 サリヤは、燃える家に向かって、泣き叫んでいた。

 肩で切りそろえた栗色の髪が、炎の風に煽られていた。

 いつも、ひまわりのように笑っていた顔が、涙と煤でぐしゃぐしゃに歪んでいた。


 サリヤが、燃える戸口へ、飛び込もうとした。


 その瞬間――足元の地面を割って、触手が、噴き上がった。


「――きゃあああっ!!」


 サリヤの身体が、宙に吊り上げられた。

 ぬめる赤黒い肉の管が、足首から腰へ、腰から胸へと、螺旋を描くように巻き付いていく。表面の無数の棘が、寝間着を引き裂き、白い肌に食い込んで、細い血の筋を幾本も走らせた。


「ミナトさま……っ!! ミナトさまぁっ……!!」


 サリヤが、宙で、ミナトを見た。

 手を、伸ばした。


 ミナトも、手を伸ばした。

 届かない。

 サリヤは、もう、ミナトの背丈の倍以上の高さに吊り上げられていた。


(――助けろ)


 ミナトは、心の中で、叫んでいた。


(助けろ、助けろ、助けろ――!! あのときみたいに、来い――!!)


 ――右手に、ずしり、と重いものが、あった。


 革巻きの柄。

 冷たく、硬く、手のひらに吸い付くように馴染む。


 見下ろすまでもなかった。

 家の寝室の隅に置いてきたはずの、あの大剣が、ミナトの手の中にあった。


 だが――。


 刀身は、光っていなかった。


 あの日のような青い輝きも、薬師の家で見たような、燃えるような光も、なかった。

 ただの、鉄の塊だった。

 ずしりと重く、冷たく、何も語らない、ただの鉄の塊だった。


(なんで――)


 それでも、ミナトは、剣を振り上げた。

 両手で柄を握りしめ、震える腕で、頭上高く。

 涙が、止まらなかった。視界が、滲んで、揺れていた。


「サリヤを――離せぇぇぇっ――!!」


 身体は、勝手に動かなかった。

 あの日のように、筋肉に刻まれた何かに突き動かされることも、なかった。

 ただ、元の世界で、剣など握ったことのない、ひとりの男として――ミナトは、泣きながら、震えながら、大剣を、触手に向かって振り下ろした。


 刃が、触手に食い込んだ。

 浅かった。

 ぬめる肉の表面に、ほんのわずかな切れ目が入っただけで、刃は、まるで分厚い革に弾かれるように、跳ね返された。

 手が、痺れた。

 大剣が、ミナトの手から、すっぽ抜けそうになった。


 触手が、ゆっくりと、持ち上がっていく。

 サリヤを巻き付けたまま、黒獣の頭のほうへ。

 無数の紅い目の、すぐ前へ。


「ミナトさま……っ」


 サリヤが、ミナトを見下ろした。


 ――目が、合った。


 炎の照り返しの中で、サリヤの栗色の瞳が、まっすぐに、ミナトを見ていた。

 涙で濡れていた。

 怯えていた。

 それでも、その目は、ミナトを見ていた。


 出会った日の、あの目だった。

 炭で木の板に文字を書いて、「これは、パン。言ってみてください、ミナト様」と笑っていた、あの目だった。

 「"すき"、です」と、震える手でミナトの手を自分の胸に導いた、あの夜の目だった。


 サリヤの唇が、動いた。


「――ミナト、さま。……すき――」


 ぐしゃり、と。


 サリヤの顔が、潰れた。


 頭に巻き付いた細い触手が、一息に、締まったのだ。

 栗色の髪ごと。

 ミナトを見ていた、あの目ごと。

 ひまわりのように笑っていた、あの顔ごと。


 熟れた果実を握り潰したように、赤いものが、触手の隙間から、四方に弾け飛んだ。

 温かいものが、雨のように、ミナトの顔に、降りかかった。


 サリヤの身体が、びくん、と一度だけ、大きく痙攣した。

 伸ばされていた白い手が、宙で、ゆっくりと、力を失って、垂れ下がった。


 ***


 ――音が、消えた。


 炎の轟きも。悲鳴も。黒獣の咆哮も。

 何もかもが、遠くなった。


 ミナトは、大剣を握りしめたまま、立ち尽くしていた。

 顔を、生温かいものが、伝い落ちていく。

 それが、涙なのか、サリヤの血なのか、分からなかった。


 黒獣の触手が、サリヤだったものを、ゆっくりと持ち上げて――黒獣の、裂けた口の中へ、運んでいった。

 巨大な顎が、閉じた。

 ばきり、ばきり、と、骨の砕ける音が、谷に響いた。


 そして、黒獣の、無数の紅い目が――。


 一斉に、ミナトを見下ろした。


 ミナトは、見上げた。

 炎に照らされた、漆黒の巨体を。

 額から鼻面にかけて走る、白く盛り上がった、古い傷痕を。

 あの日、自分が刻んだ、その傷を。


 黒獣の口の端が、ゆっくりと、吊り上がった。


 ――笑った、ように見えた。


 ミナトの手の中で、大剣は、冷たく、黙ったままだった。

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