11.俺の女ども①
夏の陽が、谷の真上から照りつけていた。
段々畑の麦は青々と伸び、草地では山羊たちが木陰に寝そべって、気だるげに尾を振っている。
男たちは朝早くから畑と森に出払い、昼下がりの村には、女と子どもと年寄りしか残っていなかった。
ミナトは、その村の中を、ぶらぶらと歩いていた。
昼飯を食ったあたりから、身体の奥が、じりじりと疼いていた。
夜明けまで輪番の女を三人相手にして、朝にも一人。それなのに、陽が高くなる頃には、もう腹の底に熱が溜まってくる。この身体は、そういうふうにできていた。
ベン爺さんの家の前を通りかかったとき、小さな孫娘が駆け寄ってきた。
「勇者様っ、あの、柵の杭が一本、山羊に倒されちゃって……爺ちゃんが腰を痛めてて、それで――」
ミナトは、目も向けずに通り過ぎた。
孫娘の声が、背中で途切れた。
以前なら、立ち止まっていたはずだった。今は、そうする理由が思い当たらなかった。
頭の中にあるのは、杭のことでも、ベン爺さんの腰のことでもなかった。
井戸端で水を汲んでいた年寄りが、ミナトに気づいて腰を折った。「勇者様、今日もお暑うございますな」。ミナトは返事をしなかった。
鍬を担いだ男の子たちが、「勇者様だ!」と駆け寄ってきて、何か言いたげに見上げた。ミナトはその頭の上を通り越して、前を見たまま歩き続けた。
子どもたちは、ぽかんと立ち止まって、その背中を見送った。
すれ違った若妻が、ミナトの目に宿るものに気づいて、はっと息を呑み、頬を赤らめて目を逸らした。
ミナトは、それを隠そうともしなかった。
――女の匂いのするほうへ。
足が、勝手にそちらを向いていた。
***
村はずれ、谷を流れる川が大きく曲がって緩やかになるところに、村の洗い場がある。
川岸から水の中へ、平たい石を何枚も階段のように並べて沈め、その先を拳ほどの丸石で半円に囲って、流れを堰き止めてある。囲いの内側は膝ほどの深さの穏やかな溜まりになっていて、水底の小石が透けて見えるほど澄んでいた。上手の温み淵から流れてくる湯がわずかに混じるせいか、夏の盛りでも、水はほどよく冷たい。
岸には枝を大きく張り出した柳が三本並んで、水際に濃い影を落としている。その木陰から少し離れた陽当たりのいい川原には、太い杭を二本打ち込んで麻の綱を渡した干し場があった。洗い上げた敷布や肌着が何枚も綱にかかり、川風を受けて白く翻っている。
夏の昼下がりは、村の女たちが集まって洗濯をする時間だった。
水に沈めた平たい石の上に、五、六人の女たちが膝をついて並んでいる。袖をまくり上げ、裾をからげて、濡れた布を石の上に広げ、平たい木の叩き棒でばしゃん、ばしゃんと打ち据える。灰汁を溶かした桶から、つんとした匂いが立ちのぼる。
水しぶきを浴びた女たちの腕が、陽の光を受けて濡れ光っていた。誰かが冗談を言ったらしく、どっと笑い声が上がる。叩き棒の音と笑い声が、川音に混じって、昼下がりの谷に響いていた。
その中のひとりに、ミナトは目を留めた。
水際から十歩ほど離れた干し場で、洗い終えた敷布を綱に掛けている娘だった。
栗毛の髪を手ぬぐいでまとめ、袖をまくった腕が陽に焼けて小麦色をしている。背伸びをして綱に布を掛けるたびに、汗で張り付いた麻の上衣が、しなやかな背中の線を浮かび上がらせていた。
この春から輪番に名を連ねたばかりの娘だった。一度、寝室に来たことがあるはずだが、名前はすぐには出てこなかった。
ミナトは水際の女たちには目もくれず、まっすぐ干し場へ歩いていった。
娘の背後に立つ。汗と、陽に干された麻と、若い女の肌の匂いが、むっと鼻をついた。
「あ……っ、ゆ、勇者様!?」
振り返った娘が、慌てて敷布を胸に抱えた。
水際の女たちが、一斉にこちらを振り向く。洗濯の手が止まり、笑い声が途切れた。
ミナトは、娘の手から敷布を取り上げて綱に掛けた。
それから、その腰を、ぐいと片腕で抱き寄せた。
「え……っ、あ、あの、勇者様……? こ、ここで、ですか……? みんな、見て……っ」
娘は首だけで振り返り、水際の女たちと、ミナトの顔とを、何度も見比べた。
耳まで真っ赤にして――けれど、その腕は、ミナトの胸を押し返そうとはしなかった。
「嫌か」
「……い、いいえ……っ」
娘は、小さく首を横に振った。
潤んだ瞳が、まっすぐにミナトを見上げてくる。
「勇者様に、選んでいただけるなら……どこだって……」
ミナトは、その唇を塞いだ。
水際から、女たちの小さな悲鳴と、息を呑む気配が伝わってくる。
翻る白い敷布の一枚向こうで、陽の光を浴びた二人の姿は、何ひとつ隠されていなかった。
長い、長い口づけだった。娘の手から力が抜け、やがて、おずおずとミナトの首に腕を回してくる。膝が崩れかけた身体を、ミナトの腕が支えた。
水際の女たちは、誰も洗濯に戻らなかった。
ある者は両手で顔を覆い、指の隙間からこちらを窺っている。ある者は口をぽかんと開けたまま、濡れた敷布を握りしめて固まっている。年かさの若妻のひとりが、隣の女の袖を引いて、何かを耳打ちしてくすくすと笑った。
そして、その誰もが、目を逸らさなかった。
ようやく唇を離すと、娘はミナトの胸にすがりついたまま、浅い息を繰り返していた。
「……来い」
ミナトはそれだけ言って、娘の手を引いた。
娘は、真っ赤な顔で、何度も頷いた。
***
柳の木立の奥から娘を連れて出てきたのは、陽が少し傾いた頃だった。
娘は乱れた髪を手ぬぐいでまとめ直しながら、夢見心地の顔で、ふらふらと干し場のほうへ歩いていく。
年かさの女たちがその娘のもとへ駆け寄り、上衣の襟を直してやりながら、「よかったねえ」「あんた、勇者様にみんなの前で選ばれたんだよ」と、口々に声をかけた。娘は放心したまま、こくこくと頷いていた。
ミナトは、水際の女たちを、ゆっくりと見回した。
誰も、目を逸らさなかった。
頬を上気させ、息を詰め、濡れた瞳で、ミナトを見ていた。
恐れでも、非難でもない。
――羨望だった。
その中のひとりに、ミナトは目を留めた。
濡れた敷布を握りしめたまま、ずっとこちらを見つめていた、若い娘だった。
ミナトが軽く顎をしゃくると、娘はびくりと肩を震わせ、真っ赤な顔で俯いて――それから、濡れた手を前掛けで拭きながら、おずおずと立ち上がった。
その目には、怯えよりも、選ばれたことへの喜びのほうが、ずっと強く浮かんでいた。
ミナトが柳の木立のほうへ歩き出すと、娘は小走りに、その後をついてきた。
やがて、ばしゃん、ばしゃん、と叩き棒の音が、また聞こえ始めた。
***
柳の枝が垂れ下がって、外からは影しか見えない木立の奥。
ミナトが振り返ると、娘は胸の前で両手を組み、緊張に震えながら、それでもまっすぐにミナトを見上げていた。
去年成人して、この春から輪番に入ったばかりの娘だ。
「……ゆ、勇者様。わたし、ずっと……ずっと、勇者様に呼んでいただける日を、待ってたんです……」
娘は自分から前掛けの紐をほどき、震える指で、ミナトの手を取った。
ミナトは、その手を引き寄せた。
柳の枝が、さらさらと音を立てて、二人の姿を覆い隠していく。
――ふと、さっき干し場で口づけた娘の名前を思い出そうとして、ミナトは、やめた。
思い出す必要も、感じなかった。
この娘の名前も、きっと、明日には覚えていない。
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