1.結婚式と祝福の歌
ここは、ロンバルディの領都にある聖アウローラ教会です。
私、アマーリエ・ラコスタは本日この良き日に、侯爵のエミリオ・ロンバルディ様と結婚式を挙げるのです。
北部に位置するラコスタ領から、ここロンバルディ領までは馬車で五日ほどかかりました。
王都までは二日で着くので、こんなにも長い旅は初めてでした。
そして、遠すぎるという理由で、我が家からの参列者は一人もおりません。
失礼ではないかと心配になりましたが、なぜかロンバルディ家の参列者も、私の身支度を手伝ってくれたメイドが二人に、家令の男性が一人だけというので、内心ホッとしたところです。
今どきの結婚式とは、こんなものなのでしょうか?
それとも、我が家の事情に合わせてくださったのでしょうか?
「支度はできたか?」
控室まで迎えに来てくださったエミリオ様が、声をかけてくださいました。
「はい、お待たせいたしました。あの、エミリオ様。これから――」
「名前で呼ばないでくれ」
……え?
一瞬、何を言われたのかわからず、固まってしまいました。
これからよろしくお願いします、と、そう言いたかったのですが……。
今日会ったばかりの私に名前で呼ばれたくないと、そういうことでしょうか?
では、『旦那様』はどうかしら?
……いえ、きっとこれも馴れ馴れしいと叱られそうです。
「失礼いたしました。侯爵様、これからよろしくお願いいたします」
返事はありませんでした。
でも、特に訂正もなかったので、どうやら正解だったようです。
エミリオ様あらため、侯爵様は私を振り返ることなく、先を歩いていかれます。
会話はありません。
後ろでひとつに束ねられた、侯爵様の波打つ金髪。
それが歩くたび左右に揺れる様子を見つめながら、私は置いていかれないよう、早足でついていきました。
聖堂に着くと、神父様やシスターたちがすでに待機されていました。
ステンドグラスからは柔らかな光が差し込んでいましたが、感動に浸る間もなく、結婚式が始まりました。
侯爵様と私。
神父様の正面に並んで立っています。
神父様のありがたいお言葉に、新郎新婦の名前の読み上げ。
そして、結婚承諾書への署名。
さあ、次はいよいよ、待ちに待ったシスターたちによる祝福の歌です!
実は私、この歌を聴くのが本当に楽しみで、結婚式というより、むしろこの瞬間を待ち望んでいたと言っても過言ではありません。
結婚を祝うこの歌は、途中から低音と高音のパートに分かれて、まるで語り合うように紡がれていきます。
シスターたちの透き通る美しい声。
直接私の肌に伝わってくるその声量に、私は今、鳥肌が立つほど感動しています。
ハーモニーにうっとりしながら祭壇を見上げると、ベール越しに女神アウローラ像が見えました。
女神様は両手を広げて、大きく口を開けていらっしゃいます。
それは、この国に守護と繁栄をもたらす祈りの歌を歌っているお姿なのだそうです。
祈り、感謝し、祝い、哀れみ、悼む。
この国では人生の節目において、決まった言葉を決まった節にのせて紡ぐことを、歌と言います。
でも私、実はそれ以外の歌も知っています。
正確には、物心ついたときから、いくつものメロディが頭の中にありました。
ただ、それらは明らかに異国の歌でした。
正直、何語なのかさえわかりません。
だから私はそれらを言葉にすることもできなくて、いつも鼻歌で歌っていました。
もちろん、鼻歌だなんて令嬢にとって《《はしたない》》ことですから、ある程度大きくなってからは、《《人前では》》気をつけていましたよ?
けれど、人の口に戸は立てられぬって言いますから……
いつの間にやら世間から『鼻歌令嬢』などと呼ばれるようになって、たまにしか参加しない王城の舞踏会でも、ヒソヒソ話とクスクス笑いの対象となりました。
そんな私が、幸運にもこうして今日、結婚式を迎えているというわけです。
思わず両手を組み、祈りを捧げました。
(女神アウローラ様、このお導きに感謝いたします。どうかこの結婚生活が、愛と歌にあふれたものとなりますように……)
そのときでした――
頭の中で、これまで固く閉ざされていた扉が一気に開け放たれたような衝撃が走り、身体がビクッと跳ねました。
シスターたちの歌声は一切聞こえなくなり、代わりにゴォーッと風を切るような音がしています。
思わず目を閉じましたが、頭の中では、走る馬車から窓の外を見るよりももっと速く、いくつもの景色が流れていきます。
見たこともない街に、不思議な乗り物。
見慣れない顔立ちの人々に、見知らぬ文字……。
次第に音は収まり、私の頭の中に響いたのは、誰かの声でした。
『こういう歌も厳かでいいわねぇ……』




