13.『庭の千草』と闖入者
今日もネーヴェと一緒に、裏庭で過ごしています。
あら?
ふと右手奥に目をやると、少し離れたところに、荒れ果てたローズガーデンがあることに初めて気づきました。
いえ、ガーデンと呼ぶにはこぢんまりとしていますが、それでも昔はきっと、素敵な空間だったのでしょうね……。
『見に行く?』
「そうですね。あとで一緒に行きましょう。でも、その前に一曲歌いたいです」
私はガーデンチェアから立ち上がり、湖のほとりまで歩くと、くるりと向きを変えました。
今日は、こちらを向いて歌いたい気分です。
いつも夜になると歌っているバルコニーは左上に、荒れ果てたローズガーデンは右手奥にちらりと見えています。
正面には、狼の姿でガーデンチェアに乗ったネーヴェが、いい子でお座りしています。
そして少し離れたところには、立ち姿も美しいビビがいて――つまり、今日のお客様は二人です。
身体が勝手に、ぺこりとお辞儀をしました。
ああ、どうやら美歌の記憶に引っ張られたようですね。
私は大きく息を吸い込み、ゆっくりと吐き出すように歌い始めました。
庭の千草も むしのねも
かれてさびしく なりにけり
ああ白菊 ああ白菊
ひとりおくれて 咲きにけり
歌い終えると、清らかな風が胸の中を吹き抜けていくような余韻が残りました。
草花も虫の音も絶えた庭に、ひとり遅れて咲く白菊。
寂しい情景のはずなのに、その白い花だけは、静かに誰かを待っているようにも思えます。
しばらく、その余韻に浸っていると――
ガサガサッ!
突然、ローズガーデンから誰かが飛び出してきました。
「待て、こら!」
続いて別の男性が飛び出し、先に出てきた人物を取り押さえます。
「ま、待ってくれ! 私は――」
「ロベルト?」
「ああ、奥様! お助けください!」
◇
「申し訳ございません。決して、覗き見をしていたわけではなく……」
家令のロベルトが、ひどく申し訳なさそうに頭を下げました。
「私は、バラ園の手入れについて検討しておりました。すると奥様の歌声が聞こえてきまして、つい聴き入ってしまったのです……。申し訳ございません」
「あら。何も謝ることはないわ」
私はロベルトに微笑みかけました。
ここでの生活を支えてくれているのは、このロベルトです。
ビビだけでなく、彼も何かと手を回し、私とネーヴェが快適に暮らせるようにしてくれているのです。
ロベルトは今、私の正面に立っています。そのすぐ隣には、庭師らしき男性が、彼を監視するように立っていました。
その男性はまるで熊さんのように、大きな身体をしています。
そう。ロベルトを取り押さえたのは、この彼なのですが……。
「あなたは?」
「……バムスです」
熊さんは私と目を合わせることなく、ぼそりと名乗りました。
そして、そのまま立ち去ろうとします。
「あ、待っ――」
「バムス! 待ちなさい!」
私の言葉を遮って叫んだのは、なんとビビでした。
彼女はツカツカとバムスのそばまで歩いていくと、背の高い彼の後頭部を、右手でむんずと掴みました。
そのまま力ずくでこちらへ向き直らせると、
「アマーリエ様。これ、うちの旦那です。まともにご挨拶もできず、申し訳ありません!」
掴んだままの頭を勢いよく押し下げ、バムスを強制的にお辞儀させています。
「あの、ビビ。どうか落ち着いてください」
私はそう言って、旦那様から手を離すよう促しました。
「あの……バムス。初めまして」
私が挨拶すると、バムスはほんのわずかに頭を下げました。
けれど、それだけです。
すぐにくるりと背を向け、今度こそ立ち去ってしまいました。
「ちょっと、バムス!」
興奮気味のビビに、まあまあ、と両手で押さえる仕草をしてみせると、彼女は諦めたようにため息をつきました。
「申し訳ありません、アマーリエ様……」
「いいのよ、気にしないで。それより、ビビの旦那様は大きくてカッコいいですね」
そう言うと、ビビは少し照れたように笑いました。
「ありがとうございます。あのとおり、愛想のないヤツですけどね」
その横では、椅子に座ったままのネーヴェが、
『バムスは大きくてカッコいい……僕は、ちっちゃくて可愛い……』
となにやら呟いていますが、今はそっとしておきましょう。
「ところで、ロベルトは私に何かご用でしたか?」
すっかり放置されていたロベルトに声をかけます。
ところが彼は、呆気にとられたように口を開けたまま、突っ立っていました。
その視線は、荒れ果てたローズガーデンに向けられています。
「ロベルト?」
そう声をかけてから、私もローズガーデンへ目を向け――
そのまま彼と同じように、口を開けて固まってしまいました。
ほのかな薔薇の香りが、鼻先をくすぐります。
さっきまで荒れ果て、わずかに昔の名残をとどめていただけの花壇が、今や手入れの行き届いた見事なローズガーデンへと様変わりしていたのです!
咲き誇る、色とりどりの薔薇。
えも言われぬ、上品な香り。
雑草は跡形もなく消え去り、私が思い描いていたよりも、ずっと美しい庭が目の前に広がっています。
『さすがだね、アミィ』
ネーヴェは訳知り顔でそう言うと、嬉しそうに尻尾をふりふりしていました。
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唱歌『庭の千草』
日本語詞は里見義。
旋律はアイルランドの伝承曲。
もとになった歌は、トマス・ムーアの
『The Last Rose of Summer』
――『夏の名残の薔薇』。
日本語詞では白菊になっているけれど、
もとの歌では、たった一輪咲き残った薔薇なのよね。歌詞の意味も、少し違うみたい。
――美歌の記憶より




