9.専属侍女のビビ
「おはようございます、アマーリエ様」
扉が開く寸前、ネーヴェの身体が白く光り、あっという間に元の小さな姿へ戻りました。
私は慌てて夜着の胸元をかき合わせ、何事もなかったかのようにベッドの上へ座り直します。
入って来たのは、猫のようにしなやかで、とびきり美人なメイドさんでした。
「本日より、アマーリエ様付きの侍女となりました、ビビと申します。どうぞよろしくお願いいたします」
優雅に一礼した彼女からは、悪意や敵意といった不快な気配が、まるで感じられません。
「あら、私専属なの?」
はい、と彼女はにっこり笑って答えてくれました。
昨日、家令のロベルトに侍女は不要だと言っておいたのですが……
侯爵家ともなると、やっぱりそういうわけにもいかないのですね。
「いいえ、違いますよ。私はアマーリエ様にお仕えするのであって、このロンバルディ侯爵家とは何の関係もございません。どうかご安心くださいませ」
え?
侯爵家とは関係がないのに、どうしてここへ?
それに私、今の言葉を声に出していましたっけ?
ビビを見ると、なぜだかくすっと笑われてしまいました。
まあ、本邸にいたあのメイドたちとは違って、ビビはとても温かい感じがします。
私だって本音では、誰かがそばにいてくれたほうが助かりますし、その誰かには好意を持っていてほしいです。
「そうなのね。じゃあビビ、これからよろしくお願いね」
「ええ、それはもう。これから先、末永くアマーリエ様のおそばでお仕えさせていただきますとも」
にっこり笑ってそう言うと、ビビは急に表情を引き締めました。
「それから、ネーヴェ様」
『な、何かな?』
「私が来なかったら、一体どこまでなさるおつもりだったのでしょうか?」
『だって、アミィが好きなだけ触れていいって……』
「それは言い訳になりません」
ビビにぴしゃりと言われ、ネーヴェは小さな耳をぺたんと伏せました。
あら?
なんだか、叱られた子犬のようになっています。
――ではなくて。
どうしてビビはネーヴェのことを知っているのでしょうか?
ビビって、一体何者なのでしょう?
◇
「えっ、じゃあ夜は人間になれるの?」
『うん、そうだよ。昨日の夜も、僕は人型になってアミィと一緒に寝ていたんだよ?』
ええっ?!
一緒に寝ていたの?
じゃあ、やっぱりあれは……
「そっか。それで、あんなに……」
『あんなに?』
ネーヴェが小さなお顔で、不安そうに私を覗き込んできます。
思い出すと、今もまだ、あの温かな腕が背中を撫でてくれた感覚が残っています。
「きっ、気持ちよかったなって……」
恥ずかしかったけれど、とても嬉しかったので、私は正直に伝えました。
けれど、返事がありません。
ネーヴェのほうを見ると、なぜか彼は固く目を閉じ、ふるふると震えていました。
「ネーヴェ?」
『いや、気にしないで。大丈夫だから』
また何かに耐えているようで心配でしたが、私はそっと見守ることにしました。
今、私たちがいるのは別邸の裏庭です。
目の前には、朝の光をきらきらと映す美しい湖が広がっています。
爽やかな風を感じながら、私はとっても美味しい朝食をいただいていました。
あれからビビは朝の身支度を手伝い、朝食まで用意してくれました。
こうして誰かに給仕してもらうのも本当に久しぶりで、私は嬉しいような、気恥ずかしいような、なんともくすぐったい気持ちです。
ネーヴェも今、私と一緒に食事をしています。
けれど、彼は子犬のように小さいので、私の隣にもチェアを用意し、その上に置いた箱へ座ってもらっています。
『アミィ、そのアーモンドが乗ったやつがいい』
「あ、はい。こぼしたらダメですよ?」
私はネーヴェの小さなお口に合わせて、アーモンドの乗ったマフィンをひと口大に切ってあげました。
それをフォークに乗せて差し出すと、あーん、と可愛らしくお口を開けてねだるものだから、ついつい食べさせてあげてしまいます。
「ネーヴェは……本当は大人なの?」
先ほど、一瞬だけ大きな姿を見せたネーヴェ。
きっと、あれが本来の姿ではないかと思うのですが……。
『うん。アミィは鋭いね。僕は人間でいえば、アミィと同じくらいの歳かな』
「じゃあ、どうして今は小さくなっているの?」
『それはね、番を迎えるために必要な儀式なんだ』
「儀式?」
『僕はアミィが幼い頃から、大人になるまでずっと見守ってきたんだよ? だから今度は、アミィに僕の成長を見守ってもらうんだ』
ネーヴェがまたお口をあーんと開けてねだるので、マフィンをもうひと口食べさせてあげました。
「私が幼い頃から……?」
『そう。僕は、アミィが三つくらいの頃に初めてその歌声を聞いたんだ。それで、アミィが僕の番だってわかった。アミィが歌っている時だけは、そばへ姿を見に行くことができたんだよ』
「そんなに前から?」
『うん。アミィがこんなにちっちゃかった頃の、可愛い姿も知ってる。だんだん背が伸びて、女の子らしくなっていく様子もずっと見てきた。君が人から隠れてこっそり歌っていた時、僕はいつもそばで聴いていたんだよ?』
ネーヴェが懐かしむように、金色の瞳を細めます。
私は驚いて、何も言えませんでした。
実家では、離れにいたとはいえ、歌っていることが知られるたび、罰として食事を抜かれました。
だから私はいつも、庭の隅や少し離れた森へ行き、人目を避けるように歌っていたのです。
ずっと、ひとりぼっちだと思っていました。
けれど、本当はあの頃から、ネーヴェがそばで聴いてくれていたのですね。
『今度はアミィの番だよ。これからひと月かけて、僕は君と初めて出会った頃の姿から、今の歳まで成長していく。期間が短いから、日に日に大きくなっていくんだけど……僕の成長を見守ってほしいな』
「……三歳くらいから、十七歳まで?」
『うん』
「ひと月の間に?」
『ふふ、そうだよ』
なんだか、まだよくわからないけれど。
とにかく、これからひと月の間、ここでネーヴェと一緒に暮らせばいいってことかしら?
『うん、そういうこと』
私が頭の中でそう考えただけなのに、ネーヴェは嬉しそうに答えました。
ふふ、それならいいわ。
とっても楽しそう!
だって、今日から私はひとりじゃない。
つまりは、そういうことでしょう?




