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来々軒繁盛記 ~  サイドメニュー  作者: 白河夜舟


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第18章 浪さん

 最近、店の従業員たちが、だらけ気味なんだよ。

 ベテランのチーフマネージャーの室戸が、大阪支店に移動したからなんだろうな。

 代わりのチーフマネージャーも、よくやってくれてるとは思うんだが。

 まあ、あの域に達するには、まだまだだからなぁ。

 少し、ジブンが前に出て、引き締めなきゃならんのだろうなぁ。


 そう思いつつ、熟成させた製麺を収納する作業中に。

 誰だよ、この忙しいのに、客が厨房に入って来ちゃったよ。

 アイツら、なにやってるんだ。本当に引き締めないとな。

「ちょっとお客さん、ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。表の看板が見えなかったのかい?」

 注意しながら、近寄っていく。

 若い男女のカップルだな。

 男は常識人で、彼女を止めに掛かっている。

 女の方は、どこかで見たような……?

 いや、あの方はそんなラフな格好をしない。

 しかも男連れだなんて、絶対にありえない。

 他人の空似だろう……

「未だに、味を盗むようなラーメンを作っているつもりなのですか?」

「なにぃ!」

 と、反射的に怒鳴ってしまったが。

 この声、もしかして……

「お、お、お嬢、さま……」

 あちゃぁ、やってしまった。

 とっさに飛びずさり、平伏する。

 まさか、こんな所に来られるだなんて、すっかり油断したぞ。

 だらけ気味だったのは、ジブンの方だったか。

 れんげお嬢様の容赦のないお叱りの言葉に、ただただ平伏するだけのジブン。

 お怒りが過ぎ去るまで、このままでいるしかない。

 れんげお嬢さまは厨房を一通り見て回られると、ジブンの元に戻って来た。

 ようやくお許しを得て、頭を上げたジブンに。

 連れてきた男に、ジブンの麺打ちを見せてやって欲しい?

「あら、もうそれさえも“出来なく”なったのかしら?」

 い、いえ、そのような事は……

 ジブンは、お嬢様と連れの男を、製麺室に案内した。


     ~ ・ ~


 宗主様から賜った攪拌機を大切そうに撫ぜられる、れんげお嬢様。

 確かに型は古く、メンテナンス用の部品も、もう生産していない。

 それでも、今でもジブンの相棒なんだ。

 ジブンの“アイのあるラーメン”の原点でもある。

 そして、ジブンは今の地位の代わりに、そのアイを手放したんだけどな。


 あの時は何も知らなかった。

 宗主様の最高傑作として、その力を存分に振るわれていた、れんげお嬢様。

 ジブンのような者のために、惜しげもなく麺打ちの真髄を叩き込んで下さった、れんげお嬢様。

 はるかに年下ではあるが、ラーメンへの情熱は、敬意は、真剣さは、まさに“アイのあるラーメン”そのものであると、疑う事は無かったんだがな。

 ジブンは、あの時と同じで、何も知らないままなんだよ、な。


 連れの男に、自分では麺打ちを教えることは出来ないと仰られる、れんげお嬢様。

 そう。

 それは出来ない。

 なぜなら、れんげお嬢様は、ラーメンをアイしていないから。

 だから、ジブンにソイツを委ねるのか。

 ソイツなら、アイのあるラーメンを創れると、そう、お考えなのか。

 ああ、そうか。

 そうやって、自分では抜け出すことが出来そうにもない心根を、ソイツに託して行かれるのか。

 ソイツが創ろうとしている、アイのあるラーメンによって。


「それじゃあ、この人を頼むわね」

「お嬢様は、どうなさるのですか」

 れんげお嬢さまは軽く目を伏せて、借りは作りたくないと仰られた。

 勿体なき、お言葉。

 承知致しました。お望みのままに。


 さて。

 名前を聞く。

 経験は?

 無いのか。じゃあ、黙って見てるんだな。

 いつも通り、小麦粉を撹拌機に注ぎ込み、塩をまぶし、水を灌ぐ。

 木べらでかき混ぜ、攪拌機のミキサーを下げて、スイッチを入れる。

 その間、コイツは何の集中力も見せない。

 ただ、見てるだけだ。

 本当に“見る”奴は、目つきが違う。

 全てを記憶し、自分の中に取り込もうとする。

 四天王は、みんなそうだ。そうしなければ、この地位には付けない。

 これは、見込み違いなのだろうか?

 いや、れんげお嬢様に限って、そのような事は無いと思うのだが。

 それならそれで、ジブンは命じられたことを淡々とこなしていくだけだな。

 麺生地の様子を見つつ、微調整。

 様子を伺い、木べらで確かめ、思い描く麺生地の状態に近づけていく。

 うん、これでいい。

 そのまま両手を差し入れ、腰に力を入れる。

 麺生地が弾む感覚をそのままに、麺打ち台へ放り投げる。

 そのまま愛用の麺棒で、引き伸ばしていく。

 ああ、麺打ちは、イイ。

 余計な事を考えないで、そのまま夢中になれる。

 この麺生地とジブンだけの世界に、浸っていられる。

「あ、あの……」

「……なんだ?」

 そんなジブンの世界を、このタイミングでかき乱してくるのか、コイツは。

「いえ、なんか、手伝っても、いいかな、なんて……」

 只の普通の男。そう思ってたんだが。

 いつのまにか、コイツの顔にも“集中”が顔を出し始めている。

 ほお。

 その顔だよ。もう少し早く、その顔を出せよ。

「いや、いい」

 断っては見たが。

 つい、顔がニヤけてくるのを止められない。

 その、ラーメンをアイしている顔。

 その、ラーメンバカに特有の、顔。

 それだよ。

「お嬢さ……五味の所では、製麺所を使っているのか?」

 そうだと言う、五味。

 なるほど、それでれんげお嬢様は、ジブンの所に来られたのか。

「製麺所の麺では、思い通りの味には中々ならないだろう? お嬢様がそんなラーメンをお許しになるはずはないのだがな」

 聞いてみたが。

 意外な事に、お嬢様の思い通りの麺になっているようだ。

 なに? ノータッチ、だと?

 あの、れんげお嬢様が?

 ありえん。

 そのような妥協を最も嫌われる方であられる、れんげお嬢様が?

 そう、思考を巡らすジブンに。

 お嬢様って、れんげちゃんのことなんですよね、と変な事を聞いてくる五味。

 当然だろう。他にいないだろう。

 ん?

 来々軒の亭主の女房が、宗主様の元に来られた?

 ああ、アイツの事だよな。

 イヤ、アイツ呼ばわりは失礼か。仮にも、れんげお嬢様の母君であられるからな。

 そうか、そこの亭主を「お父さん」と呼ばれるようになられたのか。

 れんげお嬢様、苦しんでおられるのか……


 お、生地が仕上がったな。

「そっちの生地の端を持ってくれ」

 五味に手伝わせ。

「いくぞ。せぇのっ!」

 タイミングを合わせて、一気に移しかえた。

 麺生地を触った感触を、尋ねてみる。

 これをさらに二日、熟成させるんだ。

 分かるか?

 ああ、分からんのか。まあ、そんなもんだろうな。

 これを6回、繰り返すんだぞ。

 製麺所を使わないのが、ジブンなりのアイ、ジブンなりのコダワリだ。

 丁寧に、正確に、素早くだな。

 すると、アイについて尋ねられた。

 アイか。

 ジブンのアイで、いいのか?

「ジブンの場合は、お嬢様のためにラーメンを作っている。それがアイだ」

 ん?

 五味、なんだその顔は。

 ああ、自分の所のラーメンの方が、はるかに旨いって顔か。

 それはそうだろう。お前の所にはれんげお嬢さまがおられるのに、ジブンの店のラーメンの方が旨いはずだなどと、言えるわけも無いだろうに。

 ジブンの忠誠は、宗主様に向けられている。

 それでも、れんげお嬢さまは、ジブンがこうして麺を打つことが出来るように取り計らって下さったのだ。

 お嬢様とジブンとの、関係性?

 そんなもの聞いて、どうするんだ?

 まあいい。

 ジブンは、お嬢様の母君の反乱を叩き潰したのだ。

 その後、追放されたのち、亡くなったと聞いているがな。詳しい事は知らぬ。

 お嬢様は、反乱には関わってはおられない。

 しかし、母君が銀座本店に連行された時に、交流を持つ機会があったようだな。

 それから、お嬢様は変わられてしまわれた。

 四天王の座を自ら退く申し出をしたようだ。まあ、宗主様がお許しになられるはずも無いがな。

 そして今、れんげお嬢さまは、お前の傍らにおられるのか。

 お前に、お前のようなものに、自らで創ることが出来ない“アイのあるラーメン”を託しておられるのか。

「五味。お前は、お嬢様を“アイのあるラーメン”の元に、繋ぎとめられるのか?」

 お前のようなものが、か?

 遊び半分、身の程知らずであるなら、決して許さぬぞ。

 お前も、この業界に居られないように、ジブンが渾身の力で叩き潰してやるぞ?

「“アイのあるラーメン”が何かは分からないけど、俺は、俺のラーメンで、自信を持ってれんげちゃんと同じ道を歩けると、思ってる」

 その目が。

 とても澄んでいて、迷いの欠片も見当たらなかったので。

「五味、隣の部屋で着替えてこい。お前に麺打ちの真髄を教えてやる」

 ジブンは、そう口にしていた。


 勤めている店の売り上げを聞いて。

 25キロ、そのまま打たせても大丈夫そうだな。

 さて、どこから教えようか……

「塩加減とか、加水率とか、どうすんだよ?」

 何?

「麺を打つのは、初めてじゃなかったのか?」

 違うらしい。お嬢様の麺打ちを見ているらしい。

 先に言えよ。

 まあ、そうか。確かに、聞かなかったな。

 お前は、モノを教わる態度には見えなかったからな。

 そういうヤツが、手取り足取り教えて貰えると思う方が、甘えだろう。

 まあいい。

「じゃあ、お前なりのやり方でいい。とりあえず、打ってみろ」

 経験者なら、そのままやらせるのが、一番分かりやすい。


 手つきは、まあ、マシだと思う。

 迷いが無いな。

「灌水を多めに使いたいんだけど、ストックはあるの?」

 嫌な事を聞いてきやがったな。

 くそっ、ウチはそんなに灌水は使わないんだよ。

「ある。ちょっと待ってろ」

 ったく、ジブンを顎でこき使うのかよ。こっちは皇龍の四天王なんだぞ?

「ちゃんとしたヤツなんだろうな?」

「一々うるさいな」

 ホントウにウルサイな。それに生意気だし。

 適当にぶっかけて、失敗しやがれ。

 って、様になってやがる。本当に生意気だな。

 って、作業に入ってからは、こっちを見もしねえ。

 普通は、これでいいですかと、自分の顔色をうかがいながら進めていくもんだぞ。

 お、水は、さすがに少しづつか。

 やり方自体は正解なんだが、まるで足りてない。

 それじゃ、いつまでも終わらないぞ。

「多加水麺だな。もう少し入れろ。全然足りない」

 一発で決めろというと、うざい顔をしやがった。本当に生意気な奴だ。

 なんか文句を言ってきたんで、その日の気温とか湿度を考慮に入れるように言うと、ようやく生意気な顔の角が取れてきやがった。

 最初から、そういう謙虚な顔をしていやがれ。

 塩加減だ?

 先に入れろよ。

 ああ、ジブンの麺とは違うからな。同じようにやっていいのか、分からなかったのか。

 先に聞けよ。

 ほお、木べらの扱いも、様になってるじゃねえか。

 ああ、麺生地の色合いは、そんなもんだとは思うぞ。

 まあ、ジブンが打つ麺じゃないからな。あまり口出しも出来ないけどな。

 撹拌機を降ろし、スイッチを入れる五味。

「素人にしては、まずまずだ」

「そりゃどーも」

 なんだよその、気の入らない返事は。本当に生意気な奴だな。

 ああ、麺打ち台に乗せるのか。

 最初は、一人じゃ無理だ。それは、慣れないと無理なんだ。

 お、やるのか?

 ほおぉ、やるじゃねえか。

 そうか、ジブンの作業の様子を見ていたのか。

 見ていないようで、ちゃんと見てるようだな。

 ああ、その顔になるよな。

 自分の麺生地が上手く打てると、愛着が湧いてくるんだよな。

 ジブンは、これこそが、アイのあるラーメンだと思い込んでいたな。

 ジブンは、今でもこれがアイのあるラーメンだと思い込んでいるな。

 五味は、ジブンが打った通りに麺生地を広げ、折り畳み、再び広げている。

 本当に、麺打ち初心者なのか?

「鉢巻ってあるんだっけ? さすがにないか」

 ああ、本当に初心者なんだな。

「最初に用意しとけ」

 手渡してやった手ぬぐいを巻いて、再び作業に取り掛かる五味。

 こんなものか、と聞かれたが、正直、分からん。

「……自分で決めろ」

 と言いつつ、顔がニヤけているのが、自分でも分かる。

 れんげお嬢様、随分と面白そうな奴を見つけてこられましたね。

 ジブンには分からんと突き放してやると、自分で麺生地をちぎって判断し始めた。

 本当に初心者なのか?

 そして、どうやら、こんなものらしい。

 アルミケース?

 ああ、貸してやるよ。

「これ、どうするつもりだ?」

「うちの店では使えないが、賄いとか、レストランでの素材とかに使える」

「来々軒では、二袋必要(いるん)だよな。もう一体、打たせてくれるのか?」

「バカ言え。そこまでの義理はない」

 本当に、生意気で面白い奴だな。そこまで図々しい奴はいないぞ?

「やりたいなら、自分の店で打て」

「来々軒は、俺の店じゃない」

 ああ、そうだったな。しかし……

「後を継ぐんだろ?」

 だって、そういうことなんだろ?

 ソイツを、解放してやれ。

 相手がいないまま、アイのあるラーメンを造り続けさせるのは、可哀想だろう。分からないか?

 だが。

「ま、お前が決める事だ」


     ~ ・ ~


 れんげお嬢さまが、戻ってこられた。

 皇龍の制服姿のお嬢様は、それはもうお似合いで。

 私服でさえなければ、遠くからでも見分けがつくのですが。

「お嬢、本当に面白い奴を拾ってこられましたね」

「そうね。鳴人さん、教えがいがありますよ」

 素直な感想を言うと、れんげお嬢様も素直に喜んでおられた。

 賄いを振舞って下さるという事で、社員食堂に案内する。


     ~ ・ ~


 れんげお嬢さまは、すでに何人かとは顔見知りになられたようだ。

 東京本店からの出向者は少ないので、こういう機会は本当にありがたいことだ。

「今回、特別に麺を打って下さる。よく見て、学ぶように」

 そう言って、ジブンも一番見やすい位置を先に陣取る。

 れんげお嬢さまの手さばきを見るのは、本当に久しぶりだ。

 それを分かっているのか、休憩中の社員たちは全員集まって来た。

 皆、ラーメンが大好きで、皇龍に、この店に勤めているのだからな。

 打ち粉の代わりに軽く塩を振って。

 そのまま、一気に引き伸ばす。

 間髪入れず、畳み始めるその手さばき。

 速い。本当に速い。

 ジブンも、この速さは無理だ。

 その小柄さで、手の短さで、女性でありながら。

 なぜ、そのような速さで、正確さで、丁寧さでこなせるというのだ。

 ジブンも、周囲も、思わずため息を漏らしてしまう。

 麺生地を畳み終えて、再び引き伸ばす、れんげお嬢様。

 もう一度繰り返し。

 中華包丁で、麺として切り分け始められる。

 切り方も速く、そして丁寧で正確だ。

 中細麺らしい。

 左右から挟んで縮れを入れて。

 おっと、見とれていて、麺箱を出すのを忘れそうになった。

 そのままれんげお嬢さまは、一玉ずつ手で測り分けては、麺ごと丸めて箱の中へ。

 計りなぞ、使われるはずはない。

 正確に一人前分。何の狂いもない。そして、速い。本当に速い。

 あまりに見事なので、ジブンにではなく、五味に言ってしまった。

「どうした、ただ見ているだけか」

「浪さん、余計な事は言わなくてもいいです」

 即座に、お嬢様に叱られてしまった。くそぉ。

 そのれんげお嬢様、五味を褒めて、そのまま麺方をやらせるらしい。

 大丈夫なのか?

 自信、なさそうだぞ?

 とか言いつつも、足が自然に大鍋の前に向かう五味。

 平ザルを寄こせ、だと?

 舐めてるのか。無いわけないだろうが。

 なんだ、その顔は。

 ああ、一般客と上級客は、扱いを分けるに決まっているだろうが。

 知らないのか。じゃあ、しばらくはそう思っていろ。

 皇龍のラーメン道は、味にうるさい上級客のおもてなしからが、本番だからな。

 お、麺方の手つき、様になってるじゃないか。

 もう茹で上がったのか。そういう麺なのか。こっちも速いな。

 ああ、後、もう八杯だ。

 出来上がったラーメンを食べてみると。

 ……旨いな。

 突き抜けた味じゃないが、しっくりと舌に馴染む味だ。

 なんだ、コイツ。

「本当に、面白い奴を見つけられましたね、お嬢」

「そうね」

 何気に、れんげお嬢様は、誇らしげだった。



                         (終わり)

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