第15章 塩見綿造
客足なんて、別にどうでもいいんダヨ。
そういうのは、もう慣れっこなんダヨ。
それでも、40食も出てるじゃないか。
別に、騒ぐような事じゃないんダヨ。
~ ・ ~
お、前に来た酔っ払いのサラリーマンじゃないかい。
融資の件、どうなったんだい?
で、こっちは、宅配便の兄ちゃんだネ。
いつも御苦労だねぇ。最近、荷物が多くて大変だろう?
さ、さ、上がっておくれヨ。
ま、一杯やろうじゃないか。
「親父さーん、怪我の具合はどうなんですか? こんな若造の茹でた麺じゃ無くって、やっぱり親父さんの麺が早く食べたいんですよ」
お、嬉しい事を言ってくれるネェ。
でもなぁ、あっしは、鳴人君を信じてる、信じてるんだヨ……
ああ、若いもん同士で、なんかじゃれ合ってるネェ。
いいねぇ、若いもんってネ。
未来は、若いもんのためにあるんだよネェ。
「鳴人君、暖簾を下ろして、営業終了の札をかけてくれ。れんげ……」
「はい、ビールとオツマミですね?」
うん、分かってるネェ。
あの子がウチの店にやって来て。
泣きながらアッシのラーメンを食べて。
ここで雇って欲しいと言われた時は、ホントにビックリしたけどネ。
彼女が食べている最中に、薄々は感じていたんだヨ。
だってこの娘、まるで女房の若い頃に、ソックリじゃないか。
だから、彼女の生い立ちとか、女房が今どうしてるのかとか聞かされても、その時にはもう、心の準備ってもんが、出来ていたヨ、いたんダヨ。
女房は、そうさなぁ、生きてさえくれていれば、それでいいんダヨ。
代わりと言っちゃなんだけどな、こんなに気立てのいい娘が来てくれるなんて、ナ。
まさか、こんなに来々軒が繁盛してしまうだなんて、ナ。
ただ、ラーメンには厳しい、本当に厳しい娘だった、ナ。
いやぁ、あっしも、女房と二人で店を構えていた、あの頃の気持ちを久しぶりに思い出したヨ。思い出せたんダヨ。
本当に、感謝しかないヨ。
だから、多少客足が落ちた処で、どうってことはないんダヨ。
そんなに心配する事でも、ないんダヨ。
あっしの、実家での立ち回りを聞いて、客人たち、すっかり盛り上がってるネ。
うん、いい気分だナァ。
ところで、タナベ君、じゃないのか、ワタナベ君。
どうしてあっしの事を「お父さん」って呼ぶんだい?
まあ、どうでもいいか。
ヨシ、乾杯と行こうじゃないか。来々軒のラーメンに、乾杯っ!
ウン、いい気分だ、いい気分だネェ。
「おぃ、ナルト君、君も、コッチ来て一杯やらないかイ?」
れんげにコップを持たされて、来たねえ、ナルヒト君。
あ、ついつい、ナルトって言っちゃったヨ。
君はまるで、あのナルトのように、あっしのラーメンの味を吸い込んでくれるからね。
来々軒のラーメンに、ナルトは欠かせない、欠かせないんだよ。
彩りよし、味よし、値段よしだからネェ。
今の来々軒のラーメンは、君なしじゃ考えられないんだよネェ。
お、酔っぱらいのサラリーマン、ナルヒト君にビールを注いであげてるネ。
仲良きことは美しきかな、なんて、ネ。
宅配便の兄ちゃんも、彼をねぎらっているネェ。
ん?
なんか、彼にお説教を始めたネ。
酔っぱらいのサラリーマン、酔うと説教を始めちまうのが難点ダネ。
こういう客、いるよネェ。
あっしもこの商売を始めて長いんだけどネ。
たまに見かけるねぇ、こういうお客さん。
あしらうのが大変でネェ。
ん?
ナルヒト君が、勝手に麺方をしてるんだろうって?
そんな訳ないだろうが。この子は、そんな子じゃないヨ?
「いや、根岸さん。鳴人君に麺方をさせてるのは、あっしなんだ」
え? 分からなかったのかい?
「いや、鳴人君なら出来る。きっと、あっしと同じように麺を茹でる事が出来ると見込んで、やらせているンだ」
そういうと、根拠を聞かれた。聞かれちゃったヨ。
そんなもの、最初から出来るだなんて、思ってやしないヨ。
でもネ、今のナルヒト君は、ほとんどあっしと同じ、いや、それ以上に上手に麺を茹でているヨ。
だってこの子は“アイのあるラーメン”を分かってくれているからネ。
だから、そんな根拠なんて、必要無いんダヨ。
分からんもんかネェ?
ん?
身びいき?
宅配便の兄ちゃん、何を言い出すんだろうネ。
だって、賄いで実際に食べているんだから、味は保証できるヨ。
ほら、れんげも、そう言ってるし。
そう言いながらこの娘も、あっしの側に座り込んだ。
「根岸さんも、来々軒のラーメンの味は、ご存じなんですね?」
れんげが、そう言って酔っ払いのサラリーマンを見つめる。
たじろいてるねぇ、根岸さん。
ワカル、ワカルよ。この娘の、あの視線で見つめられるとネェ。
なんか、やらなきゃって気持ちにさせられちゃうんだよネェ。
そう、そうだよ。昔からあっしが作り続けている“アイのあるラーメン”を分かってくれているからこその事なんだヨ。
ウーン、分からないもんかネェ?
お、根岸さん。
問題はあっし、あっしにあるっていうのかい?
どれ、聞いてやろうじゃないかぃ。
「もちろんですとも。ご亭主は、この来々軒の全ての決定を一身に担っておられる。そして、その責任も」
「もっともだヨ」
「ならば、ここ最近の客足の減少の原因も、全て承知の上で、この若者に麺を茹でさせている。この責任をなんと心得ているんですか⁈」
責任、ネェ。
「あっしはあっしの責任で鳴人君に麺を茹でさせていると、さっき言ったばかりじゃなかったかネ、あぁん?」
結果、ネェ。
だから、ナルヒト君の茹でた麺は、あっしのそれと大して変わらないヨ?
おお、れんげと声が被ったねぇ。
あん?
客が離れる?
何言ってるんだぃ、常連さんはみんな、分かってくれてるヨ?
何人いるんだって?
経営が成り立つのかだって?
そんな事言われてもネェ。
今までだって、そうやってきたんだからネェ。
これからもネ、そうやっていけるもんだネェ。
だってネェ。
「……あっしの味は、あっしが目指したラーメンは、間違ってなかった、なかったんだヨ。それが判っただけで、あっしはもう、充分だヨ」
味。
そう、味ダヨ。
それが一番大切なんダヨ。
「あっしと、あっしの女房が一緒に作った味なんダ。だから、あっしはどんな事があっても、あっしの味を守る、守るんだヨ……」
分からないのかぃ?
分からないのかぁ。
そんな事で、よくラーメン通を名乗れたもんダネ。
根岸さん、なんか周囲に止められてるけどネ。
お前さんのラーメンへのアイは、結局、その程度のモンなんだよネェ。
ふ、味覚音痴メ。おととい来やがれってんダ。
れんげがあっしを止めに入るが、あっしはなんにも間違っちゃいないヨ。
「いいから、酒ッ!」
ナルヒトくんが麺方は、まだ早い?
何回言ったら分かるんだろうネ。
店を休む?
バカ言っちゃイケナイヨ。
ナルヒト君はあっしと同じように麺方をやれてるっていうのに、なんで店を休む必要があるんダネ。
選ぶのは、あっしじゃなくて、客のほうだろ?
それが、ラーメン屋ってもんだろ?
……なんか、静まり返っちまったネ。
「つまり、ご亭主は、この若者の味はつまり、自分の味と同じだから、例えお客にどう思われようとも、そのままの味で出すと言う事なんですね?」
「ああ、そうだヨ。もちろん、まだ完全じゃないけどネ。それこそ、やっていくうちに覚えてくれるモンだと信じてるヨ」
何度もそう言ってるんだけどネ。
「……判りました。それじゃウチとしては、店への融資の話は、無かったと言う事にさせて頂きたい」
別にいいよ、そんなもの。
味の分からない奴からカネを借りたいとは思わない、思わないヨ。
この、味覚音痴メ。
ああ、まだ分からないのかネェ。
店を広げるという事は、今の倍のラーメンを茹でなきゃならないという事ダ。
だから、麺方を増やさないとダメダ。
それで、ナルヒト君を育てている。
当たり前の話だろ?
大体お前さん、経営者でもないのに、余計な口出しをよくもそんなに平気で言いだせるもんダネ。
どこをどうみても、間違っているのはお前さんの方なんだけどネ。
「……れんげ、こちらのお方には、もう帰って貰いなさい。あっしも、こんな物の判らないヤツと一緒に、酒は飲みたくないからネ」
ホント、いい迷惑だとしか思えないネ。
あん、まだなんか言うのかい。
一週間?
ああ、いいよ。ナルヒト君はやってくれる。ダイジョウブ、やってくれるヨ。
はん? 無利子無担保? バカな事を言うネェ。
「ウカツな事は、言わない方がいいんじゃないのかい?」
念を押して置いたけどネ。
そこまで言うなら、もう少しだけ、付き合ってやろうじゃないか。
ああ、やっと煩いのが帰ったネェ。
「れんげ、塩、撒いとけっ!」
「ハイっ!」
うん、いい撒きっぷりだネェ。
そうか、若いもん同士で、銭湯かぁ。
あっしもいっしょに……
いや、そういうのは、若いもん同士で行くもんだネェ。
来々軒の未来は、若いもんが引き継いで欲しいからネェ。
(終わり)




