第6章 みのるちゃん
ぼくは、なんどもいったんだ。
カレーが食べたいって。
なんども、なんどもいったんだ。
カレーじゃなきゃ、いやだって。
なのに、どうしてラーメン屋なんだよ。
おっかない男の人たちが、じろじろとにらんでくるんじゃないか。
「ここは おんなやガキのくるところじゃねえぞ」って。
ほらぁ、ね?
おかあさんには、わからないのかなぁ?
こんなところ、いたくないよ。
もう、かえろうよぉ。
いやだよ、ああ、いやだ。
ぼくにも、がまんのげんかいというものがあるんだ。
おとなは、たくさんがまんできるのかもしれないけど。
ぼくはちいさいから、そういうの、できないんだよ。
~ ・ ~
列が、意外に速く進む。
そんなに待たずに済むかもしれない。
近所でも急に評判になった、ここのラーメン。
これなら、みのるがぐずりだす前に、食べ終えられるかもしれない。
昔、子供ができる前は、週一でラーメン屋に通っていた。
髪を結び、気を引き締め、ラーメンと真剣に向かい合って、至福のひと時を味わっていた。
出産、子育てを経て、ようやく、この子と一緒に外食が出来ると思えるようになってきた。
この子がカレー好きなのは、知ってる。
でもね、今回だけ、今回だけは、ラーメンに付き合って頂戴。
だって、こんな近所で、そんなに美味しいラーメン屋が出来てるだなんて、全然知らなかったんですからね。
カレー屋さんは、また今度連れて行ってあげるから。
今回だけは、譲って頂戴。
それが、ラーメンマニアというものなのよ。お願い、分かって。
~ ・ ~
お店のなかは、たくさんのおじさんやおにいさんでいっぱいだった。
いきが、くるしい。
調理場の前の、えっと、カウンターに座らされる。
あしが、床にとどかないんだけど。
カレーが食べたい。
どうしても、カレーが食べたい。
ぼく、いったよね。
なんども、なんども、そういったよね。
でも、むりやり、つれてこられたんだよね。
ぼく、なんにも、わるくないよね?
もう、もう、もうげんかいなんだよ。
カレーがないなら、かえりたい、かえりたいよ。
いますぐ、かえりたいよ!
ああ、もう、がまんできない…
「…醤油一つと、カレーライスをお願いします」
お母さんが、注文してくれている。
え?
カレー、あるの?
うそ、うわ、やったー!
「スイマセン、カレーライスは、置いてないのですが…」
困った声の、おねえさん。
え、うそ、ないの?
あんなにおいしいカレーが、ないの?
じゃ、じゃあ、よろこばせないでよ!
ひどいじゃないか!
きたいしてたのに、してたのに、のに、のに、のにぃぃぃいいい!
「ヤダヤダっ!カレーがいいっ!」
ぼくは、おもいきり叫んでやった。
だって、カレーをおかないなんて、絶対にありえないもん!
このおみせのひとは、このおねえさんは、どうかしちゃってるんだ!
ぼくは、カレーが食べたいんだ。どうしてだれもかれも、わかってくれないんだ!
「そうねえ、困ったわねえ…」
お母さん、そんな事を言って、ちらっとぼくを見つめる。
ああ、そうか、ぼくのわがままだということにしたいんだな?
だまされないもん、だまされてなんかやるもんか!
ぼく、いったよね、カレーが食べたいんだって。そういったよね!
ん?
なんか、ぼく、にらまれてる?
となりのおにいさんの視線が、コワイ。
うしろのおじさんたちの息遣いが、コワイ。
カウンターのなかのおじさんも、コワイ。
みんな、コワイ、コワイよ…
「ウワアアアァァァアアアン…!!」
ぼくは、とりみだして、泣き叫んだ。
みんな、コワイよ、コワスギルよ。
ぼくが、なにをしたっていうんだ!
ただ、カレーが食べたかっただけじゃないか。
それを、それを、それを!
息がつまって、それでもむりくり息をすいこんで。
もういちど叫ぼうとしたぼくの口が、顔が、なにかやわらかいものでおおわれて、しまった。
な、なんだ、これ…?
すっごく、ふわふわで、あったかくて、やわらかくて…
「…ゴメンネ。カレーライスは、ないの。でも、マスターが、もっと美味しいもの造ってくれるから、それで許してネ…」
おいしい、もの?
優しくささやかれるその声は、おかあさんの声とは全然ちがっていた。
ぼくのことをほんとうにしんぱいしてくれる、やさしい声だった。
うわぁ、これって、おとなのおんなのひとの、おっぱいだ。
なんて、なんてやわらかくてすてきなものなんだろう…
やがて、おねえさんはそっと、ぼくから離れて。
カウンターの奥に行って、何か作り始めた。
うわぁ、炎が上がってる!
火事だ、火事になっちゃうよ!
あれ、ならない?
なんか、スッゴク、いい香りが漂い始めた。
ぼくのくちから、だらしなくよだれが垂れている。
「お待たせしました。ゴメンナサイ、これで許してネ」
おねえさんが持ってきたものは。
お母さんには醤油ラーメン。
ぼくには、なんだこれ、カレーじゃないよ、カレーじゃない。
でも、なんか、それっぽいのが掛かってる。
お皿の下には、白いゴハンじゃなくて、ラーメンのメンだと思うけど。
なんだろう、これ。
一口、食べてみた。
…おいしい。
すごく、おいしい。
なんだ、これ?
すごく、おいしいよ。
とても、とってもおいしい!
ぼくは、夢中になって食べ始めた。
世の中には、カレーよりおいしいものはないと思っていた。
そんなこと、なかった。
ぼくは今日、おとなのかいだんを一歩、のぼったんだ。
おとなのおんなのひとのおっぱいと。
おとなのあじがするたべものによって。
(終わり)




