第22章 れんげちゃん
この所、調子が出ないのです。
体調におかしなところはないはずなのですが、調子が出ません。
もちろん、人前でそんな振舞いなど、微塵も見せてはならないのですが。
原因は、分かっています。
分かっているんです。
でも、わたしは裏切り者の娘。
いまさら、来々軒には戻れません。
お父さんが亡くなった事を、聞きました。
鳴人さんが、来々軒を再開させた事も、聞きました。
でも、わたしは宗主様の、父君の命令の元、皇龍でのお仕事を続けなければなりません。
わがままを許されて、お父さんの下で修業をさせて頂いた分、恩を返さなければならないのです。
いまさら、来々軒には戻れません。戻れないんです。
……戻れない。
……もう、二度と、戻れない。
わたしの中で、ナニカが蠢くのが分かります。
それはわたしの大切なものを、内側から食い荒らしているのが分かるのです。
わたしにとって、ラーメン以上に大切なものはありません。
それが、それを、そうやって、食い荒らしていくのです。
そして、わたしはそれを、止めることが出来ません。
出来ないんです。
だって、もう、戻れないから。
戻れない、から……
~ ・ ~
来々軒が、火事で全焼⁈
わたしの脚が震え、胸が早鐘のように鳴り響いています。
宗主様の最側近である宗方さんが、そう教えてくれました。
「鳴人さんは、無事なんですか⁈」
「ええ。人的被害は無かったそうです」
震えていた足は止まりましたが、代りに力が抜けました。
思わず、その場にうずくまったわたしに。
「いかがなさいますか?」
そう、尋ねられました。
どうする、と言われても。
わたしは、裏切り者の娘なのです。
どうしたら良いかと尋ねられても、答えることは出来ないのです。
答える資格など、答える権利など、答える力など、何もありはしないのです。
「……会いたい」
なにもない、わたしの口から。
ポロリと何かが零れ落ちました。
「会いたい、です。鳴人さんに」
「承知致しました」
宗方さんは、そういって部屋を出ていきました。
「わたし……今、なにを……」
そんな事を、求めてなどいけないのに。
そんな事、誰にも許されてなど、いないのに。
わたしは、裏切り者の娘なのに。
でも、なにもないはずのわたしに。
彼は、確かな何かを残していったのです。
~ ・ ~
ノックの音に。
「どうぞ」
執務室の扉が開き、入って来た彼は、皇龍の男性従業員制服を着用していました。
とても、似合っていました。
そして、纏っているラーメン力が、まるで別人でした。
自信と実力が、溢れていました。
宗主様の命令で私が来々軒を立ち去る時の彼の姿とは、まるで違っていました。
うわぁ……
急に、緊張してきました。
「ここまで、ご苦労様でした。わたしが呼ぶまで、下がっていなさい」
「はい、お嬢様」
宗方さんを下がらせて。
わたしは、そっと、歩み寄りました。
足が、手が、この鼓動で高鳴る胸が、彼を求めていたのです。
そこに、わたしの意思などないのです。
でも、彼は手で、わたしを制してきました。
「親父さん、亡くなったよ……」
「……はい」
はい。知っています。
はい。わたしは、お父さんの葬儀にも出席しない、裏切り者の娘です。
この距離は、すぐに手が届くこの距離は、とても深くて遠いことを、よく分かっています。
「今は、俺が後を継いでいる」
「……はい」
はい。知っています。
だって、鳴人さんのラーメン力が、とても凄いから。
わたしがいなくても、立派にお店を切り盛りしている事が分かりますから。
わたしは裏切り者の娘。
鳴人さんにとって、わたしはもうイラナイ存在なのです。
こみ上げてくるものを、必死に堪えます。
泣いちゃダメ。ここで泣いたら、イケナイ。
「店は、火事で、全部燃えちゃったけどね。君のせい、なの?」
え?
い、いえ、わたし、そんな事、しません。絶対にしません!
でも……宗主様は、鳴人さんの事が、お気に召さないかもしれない、のです。
わたしのふがいなさに業を煮やして、そうした命令を下すかもしれないのです。
わたしのせいです。それは、わたしのせいなんです。
ちがう!
そんなはずはありません。そんなはずは、ないんです。
でも……
そう、言い切れる、でしょう、か……
「……違い、ます。違う、はずです」
「うん、そうだと、いいね」
彼は、そう言い捨てて、改めて私を見つめ直しました。
そんなことは、どうでもいいようです。
よくはありません。あそこは、来々軒は、わたしの大切な場所だったんです。
本当に、大切な……
「で、俺に、何の用なの?」
冷たい、言葉。
用、用って、それは、あの、その……
気が付きました。いえ、気が付いていました。
冷たいのは、鳴人さんの方じゃない。
冷たいのは、もっとずっと冷たいのは、わたしの方です。
あんな、ひどい別れ方をして。
その後も、音信一つ出すこともしなくて。
何もなかったかのように、皇龍での仕事を続けてきて。
今になって、彼を呼びつけて。
一体、何の用なんでしょう。
わたしのような裏切り者が、何を言えるのでしょう。
それでも、なにか、何か言わないと。
彼は、ここを去ってしまう。
何か……
「来々軒の再建を、お手伝いできないか、と、思って…」
「君が、来々軒を?」
その口調が、少しだけ優しかったので。
ほんのちょっとですが、元気が出てきました。
「……は、はい」
「そんなのは、いらない」
「……え?」
なのに、突き放すような彼の言葉に、わたしの心は再び、震え始めます。
「君自身に来て欲しい。来々軒に、俺の元に、帰って来て欲しい。他は何もいらない」
……わたし、ですか?
裏切り者で冷たい、この、わたしを?
わたしは、立ちすくむ思いで、彼を見つめ返します。
宗主様の許可が、下りません。それは、わたしが決める事ではありません。
「それは……できません」
できない、できないんです。
ああ、でも、何も無いわたしにでも。
あなたは、連れ出して下さるんじゃ……
「じゃあ、この話は、終わりだ。俺、店の再建で忙しいんだよね。帰ってもいいかな?」
見捨て、られて、しまう。
背を向けて、用は済んだとばかりに、彼が帰ってしまう。
わたしは、必死に声を掛けました。
「ま、待って、下さい……」
「何?」
「あの、今日は、もう遅いので……ここに泊まって行ってください、ませんか?」
そんなわたしの声に、様子に。
少し戸惑っている、鳴人さん。
「いや、いい。男一人なら、別にどうにだってなるし」
な、な、なんてこと言うんですか!
「な、なりません、なりませんよ!」
ひどいです! そんなのってないです!
「だめです! 危ないです! 今夜は泊って行ってください!」
わたしは必死で彼にしがみつきました。だって、だって、だって!
軽く頭を抱えられて。
「分かった、分かったよ。今夜は泊まって行くよ」
あ、通じた、分かってくれた!
「本当ですか!」
「君には敵わないよ。全くもう」
わたしの化粧の後が付いた制服を見せられて。
それで、今、わたしが何をしたのか、急に思い出してしまって。
きっと顔が真っ赤になっている事を、鳴人さんに見られてしまいました。
~ ・ ~
最近お気に入りの、赤ワインとおつまみを出して。
わたしは、急いでサニタリー室に行き、化粧を落とし、アクセサリーを全て外します。
ほっとしたので、普段着の半ズボンとTシャツに着替えました。
あ、下着って、変えた方がいいのかしら?
だって、彼が泊まって行くという事は、男女の関係になるという事なんですよね?
違いましたっけ?
そう、何かの雑誌で書かれていたと思うんですけど。
あまり、そういうものを真剣に読んだことがないので、よく分かりません。
だって、ラーメンに関係ないものですから。
でも、一応、下着も着替えて。
「お待たせしました」
ワインをチビチビ飲んでいる鳴人さん。
なんか、凄くカッコイイです。
たくましい胸板と、二の腕。
引き締まった腹筋。
太く突き出した脚。
毎日、麺を打っている男の人の身体です。分かります。分かりますとも。
ああ、鍛えている男の人って、こんなにもカッコイイんですね。
なんか、とても、とっても緊張してきました。
ラーメン力の凄い人って、こんなにも凄いんですね。
宗主様以外でここまで凄い人を、初めて見たと思います。
自分の手の震えを隠したくて、急いで自分の分のワインを注ぎます。
「このワイン、最近のお気に入りなんです。美味しいでしょう?」
グラスを掲げて。
彼のグラスと、軽く打ち合わせて。
そのまま、喉の渇きを鎮めたくて、一気に飲んじゃいます。
うん、美味しい。
もう一杯……
なんかわたし、酔いが回るのが、早いと思います。
酔ったついでに。酔わないと聞けないことを聞いちゃいます。
わたしへのアイのあるラーメン、どうなってるんですかぁ?
諦めてる?
ナルヒトォ、コノ、ヘタレメェ!
あ、諦めてないの?
採算?
バカァ! さいさんなんて、どうでもいいでしょー!
お父さんは、おとうさんはそんなこと、なんにもいわなかったもん!
うんうん、おおきなひとだった、わたしのことをしっていても、いてもいいよって、すきにしていいよって、いってくれたもん。
なるひとさんも、いっしょだよね。
わたしのすきにしていいって、いってくれるもんね。
うふ、うふふふ……
「れんげちゃん、そろそろ、眠たいんでしょ?」
「やだやだやだー、もっとお話しするぅー!」
すきにしていいって、いってたでしょー!
すきにするもん。わたし、ナルヒトさんのことが、スキ……
強烈な眠気に、アガラエナイ。
マ、マダ、おしゃべり……
揺られている。
抱きかかえられてる。
でも、気持ちいいんで、このまま、寝たふり。
ベットに寝かせられて。
え、やだ、ちょっと、どこ触ってるの?
んと、あの、順番とか、気持ちとか、あるでしょ?
あるはず……
半ズボンのボタンが外されたので、お腹周りが楽になりました。
そして彼は、そのままわたしに毛布を被せて。
部屋の灯りを消して、出ていきました。
わたし一人を、置き去りにして。
ちょ、ちょっと!
え、うそでしょ?
なにも、なにもしないの?
うそ……
ナルヒトの、バカ!
ナルヒトの、オタンコナス!
ナルヒトの、意気地なし!
んもぅ、ンモウッ!
でも。
部屋の暗さと静けさで。
わたしはほどなく、眠りに落ちました。
……だって、わたし。
鳴人さんに、拒絶されていた訳じゃ、なさそうだから。
(終わり)




