姫様、チートキャラの無駄遣いをしております。
六百年前――。
人間と魔王が争い続けた時代。
戦場の境界で、人と魔族の両方を救おうとした、一柱の神がいた。
人はその神を、戦場の神と呼んだ。
その正体は――日本から転生した、一人の少女だった。
「神様、悪魔姫について調べてきました」
クロは褒めてくれと言わんばかりの態度で報告する。
「悪魔姫は、各地で争いを起こしているわけではありません」
「そうなの?」
「むしろ逆です。人々は自ら悪魔姫の国へ移住し、その文明を求めております」
「文明?」
「上下水道、水洗トイレ、週休二日、最低賃金、成果報酬……人間たちは『理想郷』と呼び始めています」
神は本から顔を上げた。
「……悪魔姫なのに、ずいぶん平和なことをしてるのね」
上下水道、水洗トイレ。
まるで日本にいた頃、当たり前のように使っていた言葉だった。
この世界へ来たばかりの頃は、それらが存在しない現実に絶望したこともある。
だが、神となった今の私には必要のないものだとわかり、いつしか、その存在すら忘れていた。
「……ちょっと興味が湧いてきたわね」
神が本を閉じようとすると、
「神様、悪魔姫のことを私も調べてきました」
今度はシロが褒めてほしそうな顔で戻ってきた。
「今度は何?」
「百年前、神様が封印したセイレーンを覚えておりますか?」
「西の島にバカンスへ行ったら、夜中に奇声を上げていた精霊ね。うるさいから歌えないようにしたんだっけ」
「はい。その呪いを解いたのも悪魔姫です」
「え? 呪ったことになってるの?」
「さらに、セイレーン対策として『カラオケボックス』なる施設まで作ったそうです」
「……カラオケ?」
悪魔姫は日本人の転生者だろう。
上下水道、水洗トイレ、カラオケ。
こんな発想、日本人以外に思いつくはずがない。
……天界、またやらかしたわね。
神は指をパチンと鳴らした。
「初めての有休なのに呼び出すなんてひどくないですか?」
天使の輪をつけた少年が、不満そうな顔で現れる。
「悪魔姫が現れたんだけど?」
神が言うと、少年は遠くを見るような仕草をした。
「あ、ゴキブリと間違えて死なせちゃった人です。元気そうでなによりです」
「どうやったら間違えるのよ」
「当時はワンオペだったんで。でも業務改善命令が出て、今では二割も正しく判定できるようになりました」
「今でも改善してないじゃない」
「で、呼び出した理由ってなんだい?」
「悪魔姫って名前からしてチートキャラよね?」
「そうだね。でも、能力記録を見る限り、毒耐性と即死耐性くらいしか使ってないみたいだよ」
「え? 世界を支配しかけてるのに?」
「うん。でも能力で支配したわけじゃないよ」
「……それ、能力じゃなくて本人が頑張ってるだけじゃない」
「でも、ちょっとやりすぎてるんだよね」
少年は困ったように肩をすくめた。
「福利厚生ってやつだよ。天界にすら存在しない制度を作るなんて、常識外れにも程があると思わないかい?」
神はあっさり答える。
「日本じゃ当たり前だったわよ」
「え?」
「その程度の制度もない天界の方が問題だと思うけど」
「こんな世界よりも天界を変えてくれないかなぁ?」
少年が大きなため息をつく。
「ゴキブリと間違えればいいじゃない」
「この世界にゴキブリはいないんだよ」
「転生させる理由が一つ減ったわね」
どの世界にも二通りの死に方がある。
この世界には、寿命で死ぬ者と、それ以外で死ぬ者がいる。
天界の仕事は、その「それ以外」を担当することだった。
そして、転生には一つだけ絶対の決まりがある。
死因は、元の世界と同じでなければならない。
つまり悪魔姫は、ゴキブリと誤認されて転生した。
転生には「死因を合わせる」という絶対のルールがある。
だから寿命以外で死ぬには、もう一度ゴキブリと誤認される必要がある。
そして、この世界にはゴキブリは存在しない。
つまり、誤認しようがないのだ。
「即死耐性って、そういう意味だったのね」
「この世界には間違って死亡判定した人を送り込んでるから、転生者は大抵の人が即死耐性持ちだよ」
「天界、仕事が雑すぎるのよ!」
「桔梗。君はこの世界の神様だ。もし君が認めるような人なら、この世界を安心して任せられるかもしれない」
神は少しだけ目を丸くした。
「……数百年ぶりに名前を呼ばれたわ」
そう言うと少年は、
「そろそろランチタイムが終わるから帰る!」
と言い残して消えた。
「余韻を返しなさいよ」
部屋に静寂が戻る。
桔梗はゆっくりと窓の外へ目を向けた。
「……さて、悪魔姫」
「戦争とは、剣や魔法だけではない」
「あなたが戦っている相手は、国家でも魔王でもない」
「――時代、そのものよ」




