姫様、親書を受け取ります。
使者は緊張した面持ちで会場へ到着する。
しかし目の前には――
「フンッ!」
「いい大胸筋だ!」
「背中を見せろー!」
上半身裸の男たちが、次々と筋肉を披露していた。
「……私は一体、何を見せられているのでしょうか?」
おそるおそる近くの司会者へ尋ねる。
「海の男祭りだが?」
「私は悪魔姫に親書を届けに来たのですが……」
「なら出場だな」
「え?」
「姫様はVIP席で観戦中だ。会いたければ優勝しろ」
「外交ですよ!?」
「筋肉に国境はねぇ」
「そんな名言みたいに言わないでください!」
一方VIP席。
「姫様、使者が覚悟を決めてステージに上がってきましたね」
冷静に七海が言う。
見るからに弱そうで、逆に存在が浮いている。
「……何で?」
「姫様に会うためです」
「会うだけなら普通に来ればいいじゃない」
「司会者が『優勝しろ』と」
「止めなさいよ!」
「もう紹介が始まってます」
司会者は意気揚々と声を張り上げる。
『エントリーナンバー百一番! 王国代表! ヒヨワス=ギール!』
「ひどいニックネームね」
『それではポーズをどうぞ!』
「親書を渡しに来たんですけど!?」
『まずはラットスプレッド!』
「知らない競技用語を要求しないでください!」
そんな様子を見せられて私は言う。
「なんか、とんでもないものを見せられてるわね」
「姫様。これが外交です」
「外交に謝りなさい」
背後では「ナイス広背筋!」という歓声が響く中、私は海の男祭りを抜け出し、ようやく本来の外交を始めることにした。
「改めまして、私は国王の使者ヒヨワス=ギールと申します」
「まさかの本名!?」
「はい。こちらが国王陛下からの親書です」
私は咳払いを一つして、ようやく親書へ目を通した。
「……国土を私に献上したいって書いてあるんだけど、どういうこと?」
使者は姿勢を正した。
「はい。王国は正式に、姫様へ国土の譲渡をお願いしたく存じます」
「いや、お願いって……」
「現在、王国では姫様の国を目指す領民が後を絶ちません」
「……」
「軍を動かせば侵略者となり、動かさなければ国は衰退する。その結果、国王陛下は一つの結論へ至られました」
「それが?」
「国王陛下は『王とは民のためにある。民が幸せならば、それでよい』とも仰せでした」
「そんな簡単に国って譲っていいものなの?」
「国王陛下は、姫様と直接お話ししたいと望んでおります」
「話?」
「もしよろしければ、オーボ城までお越しいただけませんでしょうか」
「嫌よ」
「何故ですか?」
「この世界のトイレはどこもひどいからよ。話がしたいなら、国王にこちらまで来るよう伝えてちょうだい」
「我々から見たらあれが普通なんですが」
「その『普通』が嫌なの。なんなら使ってみなさい。違いがわかるから」
「……便所を、ですか?」
「ええ」
使者は困惑した表情を浮かべながらも、七海に案内されて屋敷のトイレへ向かった。
数分後。
使者はどこか放心したような表情で部屋へ戻ってきた。
「……姫様」
「どうだった?」
使者はゆっくりと私を見つめる。
「あれは……本当に便所なのですか?」
「トイレと言いなさい」
「臭いが……ありませんでした」
「そうね」
「汚物も見えませんでした」
「そういう仕組みだから」
「しかも、立ち上がっただけで水が流れました」
「便利でしょ?」
使者は小さく息を吐く。
「……私は、トイレとは耐える場所なのだと思っておりました」
「違うわ。快適に用を足す場所よ」
「…………」
「今までの人生は何だったのでしょうか」
私は肩をすくめた。
「だから言ったでしょ。その『普通』が嫌なの」
使者は深く頭を下げる。
「姫様」
「なに?」
「まずは国王陛下にも、このトイレをご覧いただきたく存じます」
「モデルハウスも見学していきなさい。国って、城だけじゃなくて民の家で決まるものだから」
「その言葉も、国王陛下へ必ずお伝えいたします」
こうして使者は帰って行った。
深く一礼すると、使者は屋敷を後にした。
国王がこの港を見たら、一体どんな顔をするのだろう。
そんなことを考えながら、私は冷めかけた紅茶を口に運んだ。
「姫様。一応考えておいて下さい」
いつもに増して七海が神妙な顔つきで言う。
「何を?」
「世界全てが姫様の統治下になったあと、どうするかです」
「世界?」
「今回王国を受け入れれば、他国も同じ決断をする可能性がございます」
七海は続けて言う。
「スターフィールドには、この世界のはるか先の文明の他に、神までいるんですよ?」
「私はスローライフを送りたいだけなんだけど」




