姫様、運命の悪戯を思い出します。
ギィィィ……
古びた屋敷の扉が、重々しい音を立てて開いた。
中は昼間だというのに薄暗く、床一面には埃が積もっている。
天井からは蜘蛛の巣が垂れ下がり、風もないのにシャンデリアがゆらゆらと揺れていた。
「……雰囲気だけは満点ね」
私は一歩足を踏み入れる。
その瞬間――
バタンッ!!
背後の扉が勢いよく閉まった。
「きゃっ!」
受付嬢が悲鳴を上げる。
「姫様。風の噂によると、こういうのは大体閉じ込められる演出です」
「メタいわね」
すると廊下の奥から、
コツ……
コツ……
誰かの足音が響き始めた。
受付嬢は真っ青になる。
「で、出ましたぁ!」
「落ち着きなさい」
私はため息をつく。
「ホラー映画だったらここで逃げる場面だけど、報酬は金貨百枚よ」
「姫様、お金への執着だけは一流ですね」
七海がいたら絶対そう言ってるわ。
足音は少しずつ近づいてくる。
コツ……
コツ……
やがて廊下の暗闇から、白い影が姿を現した。
長い髪。
真っ白な服。
青白い顔。
いかにも幽霊だった。
「ひぃっ!」
受付嬢は私の後ろへ隠れる。
しかし幽霊は私を見るなり立ち止まり、
「あ……」
小さく震え始めた。
「もしかしてホシノミナエさんですか?」
「そうよ。でもあんた誰よ?」
「数年前、私は死ぬはずだったのに、あなた様が身体を張って私を助けてくれました」
「身体を張って助けた記憶はないんだけど」
「私は死後、天界で天使から聞きました。数年前、私の代わりに命を落としたホシノミナエさんという方がいたと」
そう言われてピンときた。
「あんた、もしかして隣人の家に現れたゴキブリ!?」
「はい。元ゴキブリです。今は地縛霊をさせてもらってます。天使から『君はまだ家に住み着く才能がある』と言われまして」
「褒めてないからね?」
「次生まれ変わったら今度はあなた様の盾になると誓いお待ちしておりました」
「なんで事故物件で待機してるのよ!」
「さあ姫様。命を狙われて、私の悲願を達成させて下さい!」
とんでもないことを言い出す元ゴキブリ。
私は受付嬢に聞いた。
「この屋敷、燃やした方がいいわよ?」
「ミナエ様。それは困ります。」
元ゴキブリが真顔で言う。
「火だけは本当に苦手なんです。」
「そこだけゴキブリなのね!」
「ミナエ様。私はどんな攻撃も素早く避けることができます!」
「だからどうしたのよ?」
「早く命を狙われて下さい!」
「盾になる気ないでしょ!」
私は思わず絶望の波動を放つ。
しかし、神のドレスが嫌がったのか、その波動は勝手に収束してしまった。
「……え?」
神のドレスも、元ゴキブリを蘇生させたくはないらしい。
「姫様。いかがなされますか?」
ウインドが聞く。
私は屋敷を見回した。
「まず、この元ゴキブリは放っておくとして」
「放置ですか!?」
「本題はこの屋敷よ」
その瞬間――
ドゴォォォン!!
屋敷全体が激しく揺れた。
天井から大量の埃が降り注ぐ。
「な、何!?」
ウインドが風をまとい身構える。
元ゴキブリは青ざめた。
「き、来ました……!」
「何が?」
「この屋敷を本当に呪っている存在です」
すると、鎧を着た大男が現れた。こんな部屋じゃ振り回せない斧を持参している。
「この屋敷に足を踏み入れた者は、生かして帰さん」
元ゴキブリは私の肩を押しながら叫んだ。
「ミナエ様! まずは床と壁の隙間へ!」
「入れないわよ!」
「なら台所へ!」
「なんでホームアドバンテージ取ろうとするのよ。てか、早く盾になりなさいよ」
「もちろんです!」
元ゴキブリはそう言うと、一目散に私の後ろへ隠れた。
「隠れる側なの!? 私が盾になってるじゃない!」
「つい前世の本能が!」
すると大男は斧を容赦なく私、ではなく元ゴキブリに向かって振り下ろす。
「ミナエ様、助けて!」
「本能はどうしたのよ?」
「やっぱりまだ死にたくない!」
大男は執拗に元ゴキブリだけを狙う。
様子を見ていて事情を理解したので受付嬢に言った。
「帰るわよ」
「何故ですか?」
「あの大男がいつかきっと退治してくれるわ」
つまり、もともと住み着いていた大男の霊が、後からやって来た元ゴキブリの霊に困っていたという話だったのだ。
多分退治したら屋敷は静かになるだろう。
......知らんけど。
結局、金貨百枚は手に入らなかった。
しかし受付嬢に、
「ミナエさん! あなた不動産屋の営業に向いてます! 試しにうちで働いてみませんか?」
と、勧められてしまったのであった。
結局、その日のうちに採用が決まり、社宅まで用意してもらえた。
私は明日着ていくスーツを確認する。
出社なんて何年ぶりだろう。
少しだけ期待を胸に膨らませていたら、どんよりした七海が帰って来た。
「姫様、申し訳ございません」
七海は深々と頭を下げた。
「初日でクビになってしまいました」
「何故?」
「会社を良くしようと、就業規則や雇用契約書の改正案をまとめたのですが、入社初日でやることじゃないと」
「あなた、事務員で応募したのよね?」
「社長にも改善点をご説明したところ、『今日で辞めてください』と」
「改善される前に追い出されたのね」




