第9話『街を向いた十七体』
エルノア東門の閉鎖が決まったのは朝の鐘が三度目を告げる少し前だった。
「東へ向かう荷馬車はここで引き返してください! 通行再開の時刻は未定です!」
門前に響いた衛兵の声に商人たちが一斉にざわめいた。
交易都市エルノアにとって、街道の封鎖は珍しいことではない。
大型魔物の出現、橋の損傷、豪雨による土砂崩れ。
街道を利用する人間が多い以上、安全のために道を閉ざす判断が下されることもある。
しかし今回ばかりは事情が違った。
東方森林の異変についてはすでに街の人間の多くが知っている。
調査隊に負傷者が出たことも、世界最高位の冒険者が応援に来たことも、酒場や市場では毎日のように話題になっていた。
それでも森で起きている異変が街そのものへ迫っていると考える者はまだ少なかった。
「おい、門を閉めるってどういうことだよ。俺の荷物は今日中に届けなきゃならねえんだぞ!」
一人の商人が衛兵へ詰め寄る。
「申し訳ありません。東街道の通行は全面禁止です」
「だったら理由を教えろ!」
「森林の監視地点で複数の危険個体が確認されました。現在、高位冒険者が対応しています」
「複数って、何体だ?」
衛兵が答えるより先に近くの冒険者が口を開いた。
「十七体だよ」
その数字に周囲の人々が黙り込んだ。
「……十七?」
「ああ。森の中で妙な生き物が見つかったって話は聞いてるだろ。あれが十七体も出てきたらしい」
商人は顔をしかめた。
「一体だけじゃなかったのかよ……」
誰も答えなかった。
門の向こうでは森から逃げてきたという旅人たちの確認が続いていた。
彼らが実際に何を見たのか、まだ詳しい話は分かっていない。
ただひとつだけ確かなことがあった。
昨日まで森の奥にいたはずの異変が今朝になって街道のすぐ近くまで姿を現した。
そして十七体すべてがエルノアの方角を向いているという。
その報告は朝のうちに冒険者ギルドへ届けられていた。
*
「十七体かぁ」
ギルド一階の掲示板前でダスは張り出された臨時通達を眺めていた。
東方森林の危険度は暫定S以上。
指定区域への立ち入りは禁止。
東街道の通行も停止。
冒険者には所属ランクと役割に応じた待機や補助活動が求められている。
昨日Fランクへ昇格したばかりのダスとリュネは当然ながら調査隊の対象外だった。
「せっかくFになったのになぁ」
ダスは自分の冒険者証を取り出した。
真新しい《F》の文字を指先でなぞる。
「一日目から仕事がないぞ」
「街の中なら、まだあると思うよ」
リュネが横から覗き込むと、彼は依頼掲示板へ目を戻した。
確かに依頼が全くないわけではなかった。
街内の配送や倉庫整理、商店の手伝いなどは平常時よりむしろ増えている。
東街道が閉鎖された影響で予定を変更しなければならなくなった業者も多いのだろう。
「でも、今日は何か違う仕事をしたかったんだよな」
「じゃあ、休んで見学する?」
「見学?」
「高位冒険者が集まってるんでしょ?」
その一言でダスの表情が変わった。
「……おお、いいな!」
リュネが笑う。
「ふふっ。楽しそう」
「いや、だってさ。昨日まで知らなかった奴らが、今日は何人も来てるらしいぞ。どんな冒険者なのか気になるだろ?」
「そうだね」
「よし、決まり!」
勢いよく振り返ったダスは足元のヴァルへ目を向けた。
「ヴァルも行くか?」
白い小型飛竜はすでに二人の会話を聞いていたらしい。
短い脚で立ち上がると、何も言わずに歩き始めた。
「おっ、やる気だな!」
ダスが笑いながら後を追う。
リュネはその背中を眺め、少しだけ目を細めた。
本来なら、東の異変が何であろうと、三者にとって大きな脅威にはならない。
しかし今の彼らはFランクの新人冒険者だ。
未知の事件に首を突っ込み、圧倒的な力で解決するためにここへ来たわけではない。
冒険者として依頼を受け、失敗し、誰かに教わり、少しずつランクを上げていく。
ダスが楽しんでいるのはそういう生活だった。
そしてリュネもまた彼と一緒にその時間を過ごすことを楽しんでいる。
もっとも、今朝のダスは冒険者証を眺めるより新しく来た高位冒険者の方が気になっているようだった。
「なあ、リュネ!」
「うん?」
「SSSとかAランクって、やっぱりみんな通り名持ってるのかな?」
「持ってる人は多いんじゃない?」
「いいよなぁ、通り名!」
ダスは楽しそうに笑った。
「俺もいつか欲しいな!」
リュネは一瞬彼の顔を見た。
そして何かを思いついたように口元を緩める。
「……《鶏捕り》とか?」
「待て待て!」
ダスが振り返った。
「それはちょっと違う!」
「鶏、ちゃんと捕まえたでしょ?」
「捕まえたけど!」
「《三羽のダス》」
「何か格好よくなったようで全然格好よくないぞ!」
リュネが声を出して笑った。
その足元でヴァルは静かに首を振っていた。
*
エルノア東方の監視地点にはすでに複数の高位冒険者が到着していた。
森の手前に設置された仮設の指揮所ではヴェルトが地図を広げ、ガルドたちと状況を確認している。
監視員によれば、十七体の《吸脈殻虫》は夜明け前から森の外縁部へ移動を始めたらしい。
最初に確認されたのは三体だった。
それが四体、七体と増え、朝の段階で十七体に達したという。
奇妙なのはその動きだった。
個体同士が接近しても争わず、互いの進路を避けるように移動している。
周囲の植物から魔力を吸収する一方、人間の監視地点へ積極的に襲いかかってくる様子もない。
ただ、一定の間隔で身体の向きを変え、何かを確かめるように止まる。
そして再びエルノアのある西側へ向かう。
「……まるで、目的地があるみたいだね」
ヴェルトは報告を聞きながら呟いた。
ガルドが腕を組む。
「街の魔力が目当てか?」
「それも考えられるけど、まだ分からないかな」
彼女は地図上の監視地点へ指を置いた。
「昨日まで谷の奥にいた個体が今日はこんなところまで出てきてるんだよね。何かが変わったのは確かだけど……」
そこで言葉を切り、報告書へ視線を戻す。
「全部同じ方向を向いてるっていうのも気になるなぁ」
「一体ずつ動いてるようには見えねえってことか?」
「うん。もしかしたら、互いに何かを伝え合ってるのかもしれない」
ガルドは小さく唸った。
昨日までに確認された半透明の吸魔器官は個体同士の間でも繋がっている可能性が指摘されている。
それが魔力を運ぶだけの器官なのか、それとも別の役割も持っているのかは分かっていない。
「……面倒な相手だな」
「そう?」
ヴェルトは笑った。
「私は結構好きだけど」
「お前さんはそうだろうよ」
ガルドが呆れたように返すと、近くの冒険者たちから笑いが漏れた。
そのとき、指揮所の外から大きな声が響いた。
「おう! ここが東方調査の指揮所か!」
全員が振り返る。
入ってきたのは巨大な塔盾を背負った大柄な男だった。
厚手の鎧を着込み、肩から腕にかけて古い傷跡がいくつも残っている。
背負った盾は本人の身体をほとんど隠せるほど大きく、縁には何度も補修された跡があった。
男は周囲を見渡し、ヴェルトを見つけると豪快に笑った。
「おお、《未踏の獅子》! 久しぶりだな!」
「こんにちは!」
ヴェルトも明るく手を振った。
「応援に来てくれたんだね」
「当然だ! 十七体も妙な奴が出てきたって聞いたら、こっちも黙ってられん!」
男は背中の盾を床へ下ろした。
重い音が響き、近くにいた調査員が思わず肩を揺らす。
「Aランク、《城壁》だ。今回の防衛は俺たちが担当する!」
その後ろからもう一人の冒険者が姿を現した。
細身の男性で、濃い青の外套を纏っている。
腰には短い杖が二本、背中には小型の魔術具がいくつも収められていた。
こちらは《城壁》とは対照的に静かな足取りで指揮所へ入ってくる。
「……もう少し声を落としてもらえませんか。外まで響いていましたよ」
「何だ、元気があっていいだろう!」
「元気と騒音は別の話です」
男はため息をついた。
それからヴェルトへ向き直り、軽く頭を下げる。
「Aランク、《青灯》です。魔術による索敵と支援を担当します」
「よろしくね!」
ヴェルトが笑顔で答えた。
こうしてエルノア東方の調査隊には新たな戦力が加わった。
*
一方、その頃の冒険者ギルドでは。
「……《城壁》?」
ダスが聞き返していた。
「そう。《城壁》。Aランクの防衛専門冒険者だよ」
フィナが得意そうに説明する。
「巨大な盾を使って、敵の攻撃を防ぎながら味方を守るんだって。何年か前には、大型魔物の突進を真正面から受け止めたこともあるらしいよ」
「へえ!」
ダスは目を輝かせた。
「格好いいな!」
「でしょ?」
「じゃあ《青灯》ってのは?」
今度はレオが口を開いた。
「Aランクの魔術師だ。夜間戦闘や索敵が得意で、青い光を使った魔術が有名らしい」
「青い光?」
「ああ。暗い場所でも周囲を照らしたり、敵の位置を探ったりするんだと」
「なるほどなぁ」
ダスは感心したように頷いた。
冒険者の通称は必ずしも本人が名乗り始めるものではない。
使う武器や得意な戦法、達成した功績などから周囲が自然に呼び始めることもある。
特に高位冒険者になると、本名より通称の方が広く知られている者も珍しくなかった。
「じゃあさ、ガルドさんにもあるのか?」
ダスが尋ねると、レオは笑った。
「あるぞ。《砕拳》だ」
「……《砕拳》!」
ダスが声を弾ませる。
「めちゃくちゃ格好いいじゃねえか!」
「そうだろ? あの人、拳で岩みたいに硬い魔物の外殻を砕いたことがあるらしいぜ」
「へええ!」
ダスはしばらく感心していたが、やがて何かに気付いたように顔を上げた。
「……ん?」
「どうした?」
「ヴェルトさんは《未踏の獅子》だろ?」
「そうだよ」
フィナが即答する。
「誰も行ったことがないような場所を何度も踏破してきたから、そう呼ばれるようになったんだって!」
「……なるほど」
ダスは少し考えた。
「じゃあ、通称って必ずしも強さだけで決まるわけじゃないんだな」
「うん。そうだよ」
フィナは頷く。
「冒険者として何をしてきたか、どんな人なのか。そういうのも関係するんだって」
その言葉にダスは嬉しそうに笑った。
「いいなぁ、それ!」
「何が?」
「いや、何かさ。自分がやってきたことが名前になるって、面白いなと思って」
レオが頷いた。
「まあ、そういうもんだな」
「……よし!」
ダスは拳を握った。
「俺もいつか、すげえ通称をもらおう!」
フィナが笑う。
「まずはFランクの仕事を頑張らないとね!」
「おう!」
そのとき。
「……《鶏捕り》」
リュネが小さく呟いた。
「やめろって!」
ダスが即座に振り返る。
周囲から笑いが起きた。
リュネは何食わぬ顔で微笑んでいた。
「似合うと思うけど」
「もっと格好いいのがいい!」
「《伝説の鶏捕り》」
「強くなっただけだろ!」
今度こそフィナが吹き出した。
レオも腹を抱えて笑う。
ヴァルは少し離れたところで目を閉じていたが、尾の先が僅かに動いていた。
*
東方森林では、午後になって最初の捕獲作戦が始まった。
今回の目的は十七体すべてを討伐することではない。
一体を捕縛し、吸魔器官の接続先を調べる。
それによって地下に存在すると考えられる本体、あるいは巣の位置を特定することが狙いだった。
「……よし、準備できたぞ!」
《城壁》が塔盾を地面へ突き立てる。
その後方には《青灯》と調査員が位置し、左右にはガルドを含むAランク冒険者たちが展開していた。
ヴェルトは少し前へ出て森の奥を眺めている。
「みんな、無理しないでね」
「分かってる!」
《城壁》が笑った。
「お前さんがいるからって、こっちも油断するつもりはねえよ!」
「うん。それならよかった」
ヴェルトも笑う。
しかしその目はすでに森の奥へ向けられていた。
十七体の採餌体は木々の間に点在している。
最も近い個体まで約二百メートル。
その後方に四体、さらに奥に残りの個体が広がっていた。
地面から伸びる半透明の器官は、周囲の草木へ絡みつき、地中へ潜っている。
「……じゃあ、始めようか」
ヴェルトが一歩踏み出した。
その瞬間。
森の奥で十七体が同時に動いた。
「……っ!」
監視員が息を呑む。
昨日までの個体は人間が近付かなければほとんど反応を示さなかった。
しかし今日は違った。
十七体すべてがまるで示し合わせたように身体の向きを変え、四本の脚で地面を蹴った。
「来るぞ!」
ガルドが叫ぶ。
最前列の三体が一斉に加速した。
地面を這っていた半透明の器官が跳ね上がり、周囲の魔力が急激に減少する。
「防御!」
《城壁》が塔盾を構えた。
直後一本の器官が鞭のように振り下ろされる。
重い衝撃音が響いた。
盾の表面へ叩き付けられた器官は弾かれ、地面へ落ちる。
「……おお!」
《城壁》が笑った。
「なるほど! なかなかの威力だな!」
しかし攻撃はそれだけではなかった。
左右から別の器官が伸び、盾を避けるように後方へ回り込む。
「右!」
ガルドが声を上げた。
ヴェルトが動く。
彼女は一歩で距離を詰めると、後方へ伸びた器官を切り払った。
半透明の組織が地面へ落ち、すぐに収縮し始める。
「……やっぱり再生するね」
ヴェルトが呟いた。
さらに奥では別の個体が地中へ器官を伸ばし、周囲の魔力を吸収し始めていた。
「青灯!」
《城壁》が叫ぶ。
「分かっています!」
《青灯》は短い杖を掲げた。
青白い光が杖先へ集まり、細い線となって森の中へ伸びる。
それは攻撃ではなかった。
周囲の魔力の流れを可視化し、器官の位置を追跡するための術式だった。
「……見えました」
《青灯》が目を細める。
「地中の器官、複数方向へ分岐しています」
「接続先は?」
ヴェルトが尋ねる。
「まだ……っ!」
突然、青い光が大きく揺らいだ。
周囲の魔力が一気に吸収されたのだ。
術式の維持が難しくなる。
「……なるほど」
《青灯》は舌打ちした。
「こちらが魔力を使うと、反応して吸収量を増やすようですね」
「そうみたい!」
ヴェルトが答える。
「でも、ずっと吸ってるわけじゃないよ!」
《青灯》が顔を上げた。
「……え?」
ヴェルトは目の前の採餌体を見ていた。
十七体は一斉に攻撃しているように見える。
しかしよく観察すると、吸魔器官が最大出力で動く瞬間には僅かな間隔があった。
一体が大量の魔力を吸収すると、別の個体がその後を追うように活動する。
そして、一定の時間が経過すると、吸収量が落ちる。
「……周期があるんだ」
ヴェルトが呟いた。
彼女の表情が明るくなる。
「分かった!」
次の瞬間彼女は《城壁》へ声をかけた。
「三拍待って!」
「三拍?」
「うん! そのあと一瞬だけ吸収が弱くなる!」
《城壁》は理解した。
盾を構えたまま、器官の攻撃を受け止める。
一度。
二度。
三度。
「……今!」
ヴェルトが叫んだ。
《青灯》が杖を振る。
青い光が一気に器官へ流れ込んだ。
今度は、吸収されない。
光は地中を進み、複雑に絡み合う器官の内部を伝っていく。
「……よし!」
《青灯》が声を上げた。
「標識が入りました!」
ヴェルトが笑う。
「やった!」
しかし、直後。
《青灯》の表情が変わった。
「……待ってください」
彼は地図を広げた。
青い光の反応が地下で複数方向へ分かれている。
一本。
二本。
五本。
さらにその先。
「……これは」
《青灯》が呟いた。
「接続先が……一つではありません」
ガルドが振り返る。
「何だと?」
「複数あります! しかも、かなり広い範囲に!」
ヴェルトは一瞬だけ驚いた顔をした。
そして嬉しそうに笑った。
「……へえ」
その直後だった。
地面が大きく揺れた。
*
最初に異変へ気付いたのは、後方にいた調査員だった。
「……っ! 地面が!」
足元の土が沈んだ。
続いて森の中から低い音が響く。
ごごごご、と。
地面の奥から何かが崩れるような音だった。
「全員、離れろ!」
ガルドが叫ぶ。
ヴェルトはすぐに振り返り、後方の調査員たちへ駆け寄った。
彼らの足元に亀裂が走る。
地面が割れ、土と石が崩れ落ち始めた。
「……危ない!」
ヴェルトは二人の調査員を抱えると、崩落範囲の外へ跳んだ。
その直後。
地面が音を立てて崩れた。
木々が傾き、土砂が地下へ落ちていく。
巻き込まれた採餌体の一体もそのまま地中へ消えた。
「……っ!」
《城壁》が塔盾を構え、飛んできた石や土を防ぐ。
ガルドは近くにいた冒険者を引き寄せ、崩落の外側へ退いた。
数十秒後。
ようやく揺れが収まった。
森の一角には巨大な穴が開いていた。
幅は数十メートル。
深さは、地表からでは底が見えないほどだった。
「……何だ、これ」
ガルドが呟く。
ヴェルトは慎重に穴の縁へ近づいた。
崩れた土の間から冷たい空気が上がってくる。
その奥には。
暗闇が広がっていた。
「……青灯」
ヴェルトが声をかける。
「下、照らせる?」
《青灯》は頷いた。
「できます。ただし、魔力の吸収に注意が必要です」
「うん。無理しないで」
彼は短い杖を掲げ、青い光球を一つ作り出した。
光球は穴の中へゆっくりと降りていく。
十メートル。
二十メートル。
さらに下へ。
そして。
「…………」
誰もが言葉を失った。
光が照らし出したのは、巨大な地下空洞だった。
その壁面には無数の半透明の器官が絡みついている。
地面には硬い殻が並び、四本脚の小型個体がゆっくりと身体を動かしていた。
一体。
十体。
数十体。
光がさらに奥を照らす。
そこにも同じ殻があった。
「……冗談だろ」
ガルドが低く呟く。
《青灯》は光球の位置を調整した。
視界の届く範囲だけでも、数えきれないほどの個体が存在している。
「……最低でも、数百」
調査員の一人が震える声で言った。
「数百体はいます……!」
地下空洞の奥ではさらに多くの殻が重なっていた。
そのすべてが同じ生物なのか。
すべてが活動可能なのか。
それすら分からない。
ただ地上に現れた十七体が、ほんの一部にすぎなかったことだけは明白だった。
ヴェルトは暗闇の奥を見つめた。
その目には驚きと強い好奇心が宿っている。
しかし、彼女はすぐに周囲の冒険者たちへ視線を戻した。
負傷者はいない。
だが、崩落で足場は不安定になっている。
魔力の吸収も続いており、地中から伸びる器官が再び動き始めていた。
「……今日はここまでだね」
ヴェルトが言った。
ガルドが頷く。
「ああ。こんな数、俺たちだけじゃどうにもならねえ」
《城壁》も盾を肩へ担ぎ直した。
「退くぞ! 全員、隊列を崩すな!」
ヴェルトは穴の奥をもう一度だけ見た。
「……また来るね」
小さく呟く。
それから仲間たちの後を追った。
*
夕方。
エルノア支部では緊急会議が開かれていた。
卓上には、地下空洞の概略図と、確認された個体数の推定記録が並んでいる。
「……数百体」
支部責任者が低く呟いた。
ガルドは腕を組み、険しい表情をしている。
《城壁》と《青灯》も黙って資料を見つめていた。
ヴェルトは椅子へ腰かけ今日の調査結果を整理している。
支部責任者は深く息を吐いた。
「……これは、地方支部で対応できる規模ではありませんね」
「うん」
ヴェルトが頷く。
「一体ずつなら、そこまで強くないと思う。でも、あの数と地下の器官網があると、全然違うね」
「魔力を吸われ続ける環境で、数百体を相手にするわけですからね」
《青灯》が続けた。
「魔術師だけでなく、身体強化に魔力を使用する前衛にも影響が出ます。長期戦は極めて不利です」
《城壁》が腕を組む。
「しかも、奴らは地下を通って動ける。地上で防衛線を作っても、下から回り込まれる可能性があるな」
「……そうですね」
支部責任者は頷いた。
そして正式な判断を下す。
「東方森林地帯の異変について、危険度を暫定SS相当へ引き上げます」
室内に緊張が走った。
SS。
それは単体の戦闘能力だけを示す評価ではなかった。
今回の場合、個体数、地下巣の規模、広域の魔力吸収、周辺環境への影響、そして都市への接近可能性を含めた総合的な危険度だった。
「レグナリア本部へ正式な支援要請を出します」
支部責任者が続ける。
「高位冒険者の追加派遣に加え、地下探索と未知生物の解析に長けた専門家が必要です」
ヴェルトが顔を上げた。
「……あ」
何か思いついたらしい。
「それなら、ちょうどいい人たちがいるよ」
ガルドが振り返る。
「知り合いか?」
「うん!」
ヴェルトは笑った。
「地下を調べるのが得意な人と、こういう変な生き物を調べるのが大好きな人!」
《城壁》が笑う。
「そりゃ頼もしいな!」
「うん。すごく頼りになるよ!」
その言葉に支部責任者は少しだけ表情を和らげた。
「では、その方々にも連絡をお願いできますか?」
「もちろん!」
ヴェルトは元気よく頷いた。
*
その日の夜。
ダスたちは宿屋の食堂で夕食を取っていた。
「……暫定SS、か」
ダスが呟く。
リュネが顔を上げた。
「うん?」
「東のやつ。結構大変になってきたな」
「そうだね」
「ヴェルトたち、忙しそうだなぁ」
ダスは皿の上の肉を口へ運んだ。
ヴァルは足元で静かに休んでいる。
食堂の隅では、商人たちが東門閉鎖の話をしていた。
明日の荷物が届かない。
別の街道へ迂回する必要がある。
森の魔物が街へ来るのではないか。
話題は様々だったが、誰もが多少なりとも不安を抱えているようだった。
ダスは、しばらくその会話を聞いていた。
「……なあ、リュネ」
「うん?」
「もし、あいつらが街まで来たらどうする?」
リュネは少し考えた。
「……Fランクとして?」
「おう」
彼女は微笑んだ。
「できることをするしかないんじゃない?」
「……だよな」
ダスは笑った。
「まあ、街まで来たらFランクなりに頑張るか!」
「ふふっ。そうだね」
ヴァルが静かに目を開いた。
そして二人を見上げる。
その視線に気付いたダスは楽しそうに笑った。
「何だよ?」
ヴァルは何も言わなかった。
ただ少しだけ呆れたように尾を動かした。
彼らは、今の生活を気に入っている。
Gランクから始まり、ようやくFランクへ上がったばかり。
依頼を受けて報酬を稼ぎ、少しずつ冒険者としての実績を積み上げていく。
その楽しさを、まだ十分に味わい尽くしてはいなかった。
だからこそ、今は高位冒険者たちに任せている。
自分たちが出る必要はない。
少なくとも、今のところは。
*
同じ頃。
エルノア東方森林の地下深くでは、巨大な殻が静かに脈動していた。
地上から集められた魔力が無数の器官を通って流れ込んでいる。
その量は日に日に増えていた。
地下空洞に並ぶ採餌体たちは中央へ向けて器官を伸ばし続けている。
一体が吸い上げた魔力は別の個体を経由してさらに深部へ送られる。
それぞれが独立した生物でありながら、全体として一つの巨大な採餌網を形成していた。
その中心にある殻が、ゆっくりと動いた。
……ぱき。
硬い表面に細い亀裂が走る。
そこから淡い光が漏れた。
……ぱき、ぱき。
亀裂は少しずつ広がっていく。
長い年月をかけて蓄積された魔力が殻の内部で循環を始めていた。
そして。
巨大な殻の一部が、音を立てて割れた。
暗闇の奥で何かが動いた。
それは、地上で確認された採餌体とは比較にならないほど大きな存在だった。
まだ完全に目覚めたわけではない。
しかし長い眠りは確実に終わりへ近づいていた。
地上の人間たちはまだそのことを知らない。
そして、エルノアの街では。
Fランクになったばかりの一人の青年が、明日の依頼を何にしようかと楽しそうに考えていた。




