第5話『小牙鼠と少しだけ変な新人』
冒険者ギルドに入って五日目。
ダスは依頼掲示板の前で腕を組んでいた。
「……何か寂しくなったな」
「東方面の依頼、ほとんどなくなっちゃったね」
「ああ。昨日まではもうちょっとあったのにな」
掲示板の東方面の一角には依頼書の代わりに立入禁止の通達が貼られていた。
《エルノア東方森林地帯・Aランク未満立入禁止》
昨日までの制限がさらに強化されている。
Aランクのガルドたちが負傷し、五十二年前の事件と似た痕跡まで見つかった以上、ギルドが慎重になるのも当然だった。
「……あの森、相当まずいんだろうな」
「そうみたいだね」
「行ってみたいなぁ」
「行く?」
「いや行かない」
「聞く前から答えが決まってたね」
「そりゃそうだろ。俺たちGランクだぞ?」
ダスは冒険者証を取り出し刻まれた《G》の文字を見せた。
「立ち入り禁止なら守らないとな。それにガルドたちが調べてるんだろ? 俺たちは別の仕事をすればいい」
何が起きているのか、興味は尽きない。
だが、今回は冒険者としての生活を楽しみに来ている。
自分が解決できるからといって他人の仕事まで奪っては、せっかくの冒険者生活がつまらなくなる。
「おっ、これなんかよさそうだな」
ダスが目を留めたのは、《南側農地・小牙鼠五体討伐》という依頼だった。
「小牙鼠か」
「鼠だね」
「名前に牙って入ってるぞ。結構強そうじゃないか?」
「角兎のときも似たこと言ってたよ」
「角兎は実際、角があっただろ」
「それはそうだけど」
小牙鼠は発達した前歯を持つ小型魔獣で穀物袋を食い破り、作物を荒らす厄介者らしい。
一体なら対処は難しくないが数が増えると駆除にも手間がかかる。
「……なるほどな。普通に厄介だ」
「五体って書いてあるけど、他にもいるかもしれないね」
「だな。よし、今日はこれにしよう」
ダスが依頼書を手に取ると足元のヴァルが顔を上げた。
「なあ、ヴァル。鼠って食うか?」
ヴァルの動きが止まった。
「……聞き方」
「いや、食べるかどうか気になって」
「ダスだって、会う人みんなに『虫食べる?』って聞かれたら嫌でしょう?」
「いや、食えなくは――」
「そうじゃなくて」
「……まあ、確かに変な質問だな」
ヴァルは顔を背け尾でダスの靴を叩いた。
「悪かったって!」
少し離れた受付ではミーナがいつもの新人たちを眺めていた。
*
「南側の農地ですね。依頼主の方が現地で待機しています」
ミーナは依頼書を確認しながら説明した。
「小牙鼠が穀物の保管小屋へ入り込んでいるそうです。周辺の畑でも目撃されているので、五体の討伐をお願いします」
「了解」
「ただし、建物や保管物を傷つけないようにしてくださいね。それと不用意に追い回すと隙間へ逃げ込まれてしまいます」
「なるほど。逃げ道を考えながらやるわけか」
「はい。小型魔獣の駆除では特に大切です」
「よし、覚えた」
昨日の馬探しでも相手の動きを考えずに追いかけて失敗した。
今回も同じことにならないよう気をつけよう。
受注処理を終え、三人はギルドを出た。
南門へ向かう通りには荷車が並び、商人たちが忙しそうに動いている。
その中には見慣れない装備の冒険者たちも混じっていた。
「……おっ。あれ、結構強そうだな」
「別の支部から来た人たちかな」
「そうかもな」
通り過ぎた一団には、BランクやAランクの冒険者証を持つ者もいる。
東方の異変に対応するため増援が集まり始めたらしい。
「……みんな、仕事してるなぁ」
「うん」
「じゃあ、俺たちも頑張るか」
ダスは南門へ向かって歩き始めた。
*
依頼先は南門からしばらく歩いた農地にあった。
細い農道の両側には畑が広がり、農具小屋や穀物の保管庫が点在している。
麦を積んだ荷車が行き交い、農夫たちが畑仕事に励んでいた。
「いいな、こういうところ」
「落ち着く?」
「うん。ちゃんと人が暮らしてるって感じがする」
「街の中にも暮らしてる人はいっぱいいるよ」
「それはそうなんだけどさ。畑って分かりやすいじゃん。作物育てて、収穫して、運んで……そうやって食い物ができるんだろ?」
「そうだね」
「それを鼠に食われたら、そりゃ困るよな」
何気なく選んだ依頼だが被害が増えれば農夫たちの生活に関わる。
金を払ってでも駆除してほしい理由があるのだ。
「……よし。ちゃんとやろう」
農道の先にある穀物小屋へ近づくと一人の農夫が出迎えた。
「おお、ギルドの人か!」
「おう! 小牙鼠の依頼を受けてきた」
「助かったよ。昨日も袋を二つ破られてな。こっちだ、見てもらえるか?」
小屋の中には穀物袋や木箱が並び、乾いた麦の匂いが漂っていた。
奥の壁際には小さな穴が開き、食い破られた袋から穀物が散らばっている。
「……うわ。結構やられてるな」
「最初は一匹だけだと思ってたんだが、昨日は何匹も見えてな」
「五体ってのは、そのとき見た数?」
「ああ。少なくとも五匹だ」
「分かった。周りも確認するよ」
ダスは腰の剣へ手を伸ばしかけ、室内を見回して止めた。
通路が狭く、木箱も多い。
ここで剣を振り回せば、鼠より先に積み荷を壊しかねない。
「……こりゃ、剣を振る場所じゃないな」
「外へ出す方がよさそうだね」
「ああ。まず逃げ道を確かめよう」
農夫から小屋の構造を聞き、裏側へ回る。
壁際に小さな隙間がありその先は草の茂った空き地へ続いていた。
「よし。だったら、こっちに出てきてもらおう」
*
小牙鼠が姿を現したのはそれからしばらくしてのことだった。
かさり、と小屋の壁際で音がする。
隙間から灰褐色の鼻先が覗き、発達した前歯を持つ鼠がゆっくりと外へ出てきた。
普通の鼠より肩周りががっしりしている。
「……いた」
続いて二匹目、三匹目が姿を現した。
「三体だね」
「まだいるかもな」
ダスは隙間から離れた正面、リュネはその右側へ位置取った。
背後は小屋の壁。
左側には草むらが広がっている。
逃げ道を完全に塞ぐのは難しいが、小屋へ戻られるのは避けたい。
「……行くぞ」
「うん」
ダスが一歩踏み出した瞬間、一体が地面を蹴った。
「おっ!」
小牙鼠が低い姿勢で足元へ突っ込んでくる。
ダスは左脚を引いて避け、そのまま剣を抜いた。
刃が胴を捉え、一体目が倒れる。
「よし!」
だが、残る二体が別々の方向へ走り出した。
一体は左の草むらへ、もう一体は小屋の隙間へ向かっている。
「リュネ、そっち!」
「うん」
リュネの手元に小さな魔術式が浮かび、初級魔術の水弾が一体の横腹へ命中した。
ダスは小屋へ戻ろうとする三体目の進路へ回り込む。
しかし、鼠は急に方向を変えた。
「あっ!」
剣が空を切り小牙鼠が脇をすり抜ける。
「ダス、止まって」
「ん?」
直後、目の前を水弾が通過した。
鼠の進行方向へ着弾し、跳ね上がった土に驚いて小牙鼠が急停止する。
「今だ!」
ダスが踏み込み、三体目を斬り倒した。
「三体!」
「でも、まだ終わりじゃなさそう」
「だな」
再び小屋の隙間から物音がした。
四体目、五体目、さらに六体目まで現れる。
「……おいおい、増えたぞ」
「五体じゃなかったね」
「だよなぁ!」
三体が草むらへ向かって走り出した。
「リュネ、外側へ!」
「分かった」
リュネが横へ移動すると、鼠たちは進路を変えた。
ダスは正面から追わず、先回りして待ち構える。
一体が突進してきた。
間合いへ入った瞬間、斜めに構えた剣を振り下ろす。
四体目が倒れた。
「そっち一体行った!」
「うん、見えてる」
リュネが水弾を放つ。
しかし、五体目は急に跳ねるように方向を変え、魔術をかわした。
「……あら」
そのまま足元へ走り込んでくる小牙鼠に対し、リュネは半歩だけ横へ避け、至近距離から二発目を放った。
五体目が倒れる。
残った六体目は、低木の間へ逃げ込もうとしていた。
「待て待て!」
ダスが追うが剣の間合いには届かない。
無理に踏み込めば低木へ突っ込んでしまう。
「……リュネ!」
「はいはい」
小さな水弾が飛び、低木へ飛び込む直前の鼠を捉えた。
「よし、六体!」
「依頼数より一体多いね」
「だな」
ダスは小屋の隙間を確認した。
もう物音はしないが、まだ潜んでいる可能性もある。
剣を収めず、もう一度裏手へ回った。
「……ん?」
壁際の草が揺れた。
ヴァルも顔を上げる。
次の瞬間、小さな影が飛び出した。
「七体目!」
小牙鼠は空き地を横切ろうとしていた。
ダスが剣を構えると、間合いに入る直前で方向を変える。
「……おっと!」
追いかけようとして、踏み込みを止めた。
昨日、フィナとの模擬戦で教わったことを思い出す。
相手の動きばかり追っていると自分の足元がおろそかになる。
「……なるほどな」
ダスは無理に追わず、鼠の進行方向へ回り込んだ。
小牙鼠が地面を蹴る。
一歩踏み込み、正面から剣を振った。
七体目が倒れた。
「よし、七体!」
「今度こそ全部かな?」
「確認してよかったな」
二人は小屋の周辺をもう一度調べ、他に痕跡がないことを確かめてから討伐した個体を回収した。
「しかし、七体もいたら農夫も困るよな」
「狭い隙間から出入りするから、捕まえるのも大変だね」
「だよなぁ。……あの穴も塞いだ方がよさそうだ」
「依頼には書いてなかったけどね」
「また入られたら、せっかく倒した意味が薄くなるだろ?」
「そうだね」
「じゃあ、農夫に相談してみるか」
ダスが剣を鞘へ戻した、そのときだった。
ぼりっ。
「……ん?」
振り返ると、ヴァルが倒した小牙鼠を一体咥えていた。討伐証明に必要な部分は、すでに回収してある。
「え?………」
ヴァルは一度だけ顔を上げ何事もなかったように食べ始めた。
「……食うんだ!?」
リュネが吹き出した。
「ダス、朝聞いてたでしょう?」
「いや、聞いたけどさ!」
ヴァルは構わず食べ続けている。
「……うまいのか?」
返事の代わりに、ヴァルは再び獲物へ顔を向けた。
「……何か、ごめん」
ヴァルにとっては食べられる獲物を食べているだけなのだが。
*
「七体もいたのか!」
討伐報告を受けた農夫は目を丸くした。
「おう。五体かと思ったら、まだ出てきてさ」
「いやぁ、助かったよ。本当にありがとう」
「ただ、また入ってくるかもしれないから、穴を塞いだ方がいいと思う」
「ああそうだな、あそこから入ってたのか」
「たぶんな。周りも確認した方がいいかもしれない」
「分かった。今日のうちに直しておくよ」
農夫は深々と頭を下げた。
「本当に助かった。ありがとうな」
「おう!」
報酬だけでなくこうして直接礼を言われるのも悪くない。
「……いやぁ、冒険者っていいな」
「また言ってる」
「何回でも言うぞ」
「ふふっ。そうだね」
二人と一体はエルノアへの帰り道を歩き始めた。
ヴァルの足取りはどこか満足そうだった。
*
エルノアへ戻る頃にはギルド周辺の人通りが朝より増えていた。
通りには見慣れない荷馬車が並び、武器や防具を手入れする冒険者たちの姿もある。
「……結構集まってるぞ」
「東方調査の増援かな」
「使ってる武器も全然違うな。面白そうだ」
大盾を背負った男、魔術用の杖を携えた女性、数人の仲間を連れた剣士。
高位冒険者たちを眺めながらギルドへ入ると、ミーナが書類を整理していた。
「あっ、ダスさん、リュネさん。お帰りなさい!」
「ただいま!」
「今日は小牙鼠の討伐でしたね。いかがでしたか?」
「七体いた」
「……七体? 依頼では五体でしたよね?」
「そう。六体倒して、もういないかと思ったら最後にもう一体出てきた」
ダスが討伐証明を差し出すと、ミーナは本数と状態を確認した。
「確かに七体分ありますね。依頼主の方からも無事に駆除が終わったと連絡が届いています」
「おっ、もう来てたのか」
「はい。とても感謝されていましたよ」
「よかった」
ミーナは報酬の手続きを進めた。
「規定の五体分に加えて、追加の二体分も報酬の対象になります。依頼主にも確認が取れていますので」
「……おお! 追加報酬!」
「はい。頑張った甲斐がありましたね」
「おう!」
受け取った硬貨を数えるダスにリュネが声をかけた。
「今日も記念日?」
「もちろん」
「何の?」
「初めての追加討伐報酬記念」
「……細かいね」
「細かいからいいんだろ」
そんな二人を見ていたミーナがふと思い出したように書類を取り出した。
「あ、そうだ。お二人に一つ、ご案内があります」
「ん?」
「これまでの依頼実績についてです。受注された依頼はすべて達成されていますし、依頼主からの評価も良好です。そこで、Fランクへの昇格査定を受けてみませんか?」
「…………」
ダスの手が止まった。
「正式な査定を受けていただき、その結果で判断されます。最近は依頼の振り分けも変わっていますので、条件を満たす方には早めにご案内しているんです」
「……Fか」
「はい」
「一つ上か」
「そうですね」
ダスは手元の冒険者証を見つめた。
「……ちょっと、もったいないな」
「……もったいない?」
「だって、まだGになって五日だぞ? もう卒業しちゃうの、早くない?」
ミーナは目を瞬かせた。
「……Gランクのままでいることに、何か特別な理由が?」
「うん。まだ気に入ってる」
「…………」
「すごく」
「はぁ…………」
隣でリュネが笑い始めた。
「ダス、そこまで気に入ってたんだ」
「いや、そりゃそうだろ。初めてのランクだぞ?」
「うん」
「しかも、一番下」
「そこが大事なんだね」
「大事だよ」
ダスは冒険者証を持ち上げた。
「まだGランクでできる仕事、いろいろあるだろ? だから、もう少しやってみたい」
「……分かりました。査定のご案内はいったん保留にしておきますね」
「いいのか?」
「はい。ただし、今後も活動内容や危険度によっては改めてご案内することがあります」
「もちろん。それは大丈夫。ありがとな、ミーナ」
ミーナが応えようとした、そのとき。
「……昇格断ったの?」
背後には、何とも言えない顔をしたフィナが立っていた。
「おう」
「何で!?」
「まだGがいいから」
「何で!?」
「同じこと二回聞くなよ!」
「だって! Fランクだよ!? 普通、喜ぶところじゃない!?」
「喜んでるぞ?」
「断ってるじゃん!」
周囲の冒険者たちが振り返った。
「……俺、昇格自体が嫌なわけじゃないんだよ」
「じゃあ何なの?」
「今のGが楽しいんだよな」
フィナは大きく息を吐いた。
「……ほんっと、変な新人」
「また言われた」
「まあ、本人が楽しんでるならいいのかな。ただし、ちゃんと強くなってね」
「おう!」
「じゃあ、今度また模擬戦しようよ」
「いいぞ。次は一本取りたいな」
「ふふん。簡単には取らせないよ?」
二人が次の模擬戦の話を始める横で、ミーナはリュネへ目を向けた。
「リュネさんは、どうされますか?」
「私も、もう少しGランクで続けます」
「承知しました」
「いいのか?」
ダスが振り返る。
「うん。私も今の生活、結構好きだから。それにダスがFになりたくなったら、そのとき一緒に考えてもいいでしょう?」
「……そうだな!」
足元のヴァルは、そんな二人を眺めていた。
どうやら、この遊びはもう少し続くらしい。
*
「そういや、紹介したい奴がいるんだけど」
フィナに連れられて酒場へ向かうと、レオが一つの卓で手を振っていた。隣には見知らぬ男女が座っている。
「おーい、ダス!」
「おっ、レオ!」
「こっちがオルド。Fランクの冒険者で、盾を使うんだよ」
がっしりした体格の青年が立ち上がった。
背中には使い込まれた盾を背負っている。
「オルドだ。よろしくな」
「ダスだ。よろしく!」
握手を交わしたオルドの手には、硬い皮膚と古い傷がいくつもあった。
「……へえ。盾って、結構手に来るんだな」
「そりゃ来るさ。ちゃんと受けても衝撃は残るからな」
「なるほどな」
続いて、隣の女性が軽く手を上げた。
「私はメイラ。Eランクの魔術師よ」
「リュネです。同じく魔術師として登録しています」
「あら、そうなの? 何を使うの?」
「今は初級の水系魔術を中心に」
「へえ。水系か。私は火や風を使うことが多いかな」
メイラはリュネの装備に目を向けた。
「低ランクのうちは魔術だけじゃなくて位置取りも大変でしょう?」
「そうですね。前衛との距離を考えないと思ったより動けなくなるので」
「分かる! 私も最初の頃、味方の後ろに隠れてるつもりで逆に射線を塞いじゃったことがあるのよ」
「それは大変でしたね」
「もう、すごく怒られたわ」
二人が魔術の話で盛り上がる一方、ダスはオルドの盾に興味津々だった。
「なあ、盾ってずっと持ちっぱなしなのか?」
「状況による。移動中は背負うし、戦闘中でもずっと正面に構えてりゃいいってもんじゃない」
「へえ」
「盾ってのは、受けるだけじゃなくて、仲間が動ける場所を作るためのものでもあるからな」
「……いいな、それ」
「ん?」
「剣士だと、どうしても相手を斬ることを考えるだろ? でも、盾は仲間が動ける場所を作るのか。何か、格好いいな」
オルドは照れくさそうに頭を掻いた。
「……そう言われると、悪い気はしねえな」
「こいつ、盾褒められるとすぐ機嫌よくなるんだよ」
「おい!」
オルドがレオの肩を叩き、卓に笑い声が広がった。
剣士、盾役、弓使い、魔術師。使う武器も得意なことも違う者同士が、同じ卓で仕事の話をしている。
ダスにはそれが面白かった。
*
しばらくすると、酒場の入口が騒がしくなった。
新たな増援冒険者たちがギルド職員に案内されて入ってきたのだ。
Bランクが数名。
さらにAランクが二人。
「……また来たのか」
レオが入口を見る。
「東の異変、そんなに深刻なのかね」
「ガルドさん、大丈夫かな……」
フィナの声にレオが答えた。
「ガルドさんなら、無茶して死ぬような真似はしねえと思うぞ」
「そうだけど……」
「心配なのは分かる。けど、あの人はちゃんと引き返せる人だろ」
「……うん」
ガルドたちは昨日負傷して帰還し、今日は治療と報告のため調査へ復帰していないらしい。
ダスは飲み物を口へ運んだ。
実力を信頼することと、仲間を心配することは別。
強い者でも必ず帰ってこられるとは限らない。
だからこそ、無事に戻ることが大切なのだろう。
「……ねえ、そこの子」
不意に背後から声をかけられた。
振り返ると先ほど到着したAランクの女性冒険者が立っていた。軽装の鎧に細身の剣。
その視線は、足元のヴァルへ向いている。
「その飛竜、あなたの従魔?」
「おう。ヴァルっていうんだ」
「へえ……」
女性は屈んでヴァルを眺めた。
ヴァルも黙って見返す。
「……変ね」
「何か?」
「いや……」
女性は言葉を探した。
高位の魔獣を相手にしてきた経験から何かが引っかかっている。
強いとも危険とも違う。
ただこの小さな飛竜は妙に落ち着いていた。
こちらを観察する目つきも気になる。
「……まさか、龍じゃないわよね?」
卓の空気が止まった。
「えっ、龍!?」
フィナが目を丸くする。
「いやいや、さすがにないだろ」
レオの言葉に女性は苦笑した。
「……そうよね。ごめんなさい、変なことを聞いたわね」
「龍って、そんなに珍しいのか?」
「そりゃそうでしょ。龍に似た魔獣ならいるけど、本物の龍となると話が違うわ。こんなふうに人懐っこく連れて歩けるものだなんて、普通は考えないもの」
「なるほどなぁ」
ヴァルはその会話を理解していたが知らないふりを続けている。
もっとも、面倒そうな顔までは隠せていなかった。
「ちょっと触ってもいい?」
女性が手を伸ばそうとすると、ヴァルは立ち上がり、リュネの椅子の横へ移動した。
「……あら」
「知らない人に触られるのは、あまり好きじゃないみたいで」
「ああ、そうなのね。ごめんなさい。無理に触るつもりはないわ」
女性が手を引くとヴァルはリュネの横へ腰を下ろした。
「……本当に賢い子ね」
「だろ? でも、機嫌悪いと全然言うこと聞かないんだよ」
ヴァルの尾が床を叩いた。
「ふふっ。まあ、従魔でも性格はいろいろだものね」
女性はそう言って自分の卓へ戻っていった。
「……びっくりしたぁ」
「何が?」
「だって、龍かもしれないって!」
「まあ、似てるっちゃ似てるだろ」
「そうだけど!」
フィナは目を閉じているヴァルを見た。
「……本当に龍だったりしないよね?」
「どうだろうなぁ」
「ちょっと! そこはちゃんと答えてよ!」
「いや、俺だってこいつの全部を知ってるわけじゃないし」
「それは確かにそうだね」
「リュネまで!」
結局、二人からまともな答えは返ってこなかった。
「……もう。変な人たち!」
一方、自分の卓へ戻ったAランクの女性はもう一度ヴァルへ視線を向けた。
先ほど感じた違和感は消えていない。
だが、確かな根拠も、調べる方法もない。
女性はそれ以上踏み込まず、仲間との会話へ戻った。
*
増援冒険者たちが東方調査について話し始めると酒場は再び騒がしくなった。
「……五十二年前の記録を調べ直してるらしいな」
「ああ。あのときも似たような痕跡があったって話だ」
「S以上の危険度だったんだろ?」
「当時の推定だ。今回が同じものとは限らん」
Aランクの男が答えた。
「だからこそ調べてるんだよ。原因が分からないまま討伐隊を突っ込ませたら、また同じことになる」
その話を聞いていた別の冒険者が口を開いた。
「……こういうときってさ、七厄災が動いた場合はどうすんだ?」
「話が飛びすぎだろ」
「いや、例えばの話だって!」
「まあ、例えばならな」
男は酒杯を置いた。
「七厄災が関わるような事態なら地方支部だけでどうにもできねぇ。国家とギルド本部の判断が必要だ。相手によって対応も違う」
「……だよな」
「例えば《国跨ぎ》なら、まず進路を確かめる。向こうに敵意があるかどうか以前に、身体がでかすぎるからな」
「山みたいな大蛇なんだろ?」
「目撃報告に誇張はあるだろうが、進む先に人里があるなら対処を考えなきゃならん」
「倒すんじゃなくて?」
「誰が倒すんだよ」
周囲から苦笑が漏れた。
「通り過ぎるだけなら、下手に刺激するより避難を優先した方がいい場合もある」
「《戦火の獄犬》なんかは、もっと厄介だろうな」
「ああ。あいつは戦う相手によって反応が変わるって話だ」
「軍隊を動かしたら逆に戦いになる可能性もあるってことか」
「そういうことだ。強い奴を集めれば何でも解決するわけじゃない」
ダスは興味深そうに聞いていた。
強大な存在への対応は単純に戦力をぶつければよいという話ではない。
相手の行動や目的を考えなければ、かえって被害が広がることもある。
「……じゃあ、《凶先》は?」
若い冒険者の質問に、男は少し考えた。
「……あれは〜…何を見てるかだろうな」
「何を?」
「《凶先》がいる場所そのものより、どこへ目を向けているかを気にする国は多い。ただし、未来が見えるとか、必ず災いが起こるとか、そこまで断定できるわけじゃない。噂はいくらでもあるからな」
「……なるほど」
「少なくとも、七厄災の名前を聞いたら即討伐ってのは、一番やっちゃいけない考え方だと思うぞ」
ダスは思わず呟いた。
「……いいな」
「うん?」
「いや、ちゃんと考えてるんだなって」
「そうだね」
彼らは七厄災のすべてを知っているわけではない。
それでも分からない相手にどう対応すべきかを自分たちなりに考えている。
倒せない相手もいる。逃げる方が正しい場合もある。
そんな判断を積み重ねながら、冒険者たちは仕事を続けているのだ。
「……面白い世界だなぁ」
そのときギルドの奥から職員の声が響いた。
「高位冒険者の皆さん! 至急、会議室へお集まりください!」
酒場の空気が変わった。
*
呼ばれた冒険者たちが次々と席を立つ。
「……行くか」
「ああ」
先ほどまで七厄災について話していた男たちも、酒杯を置いて会議室へ向かった。
「……何かあったのかな」
フィナが呟いた。
「追加の報告が来たんだろうな」
「東の森?」
「たぶん」
レオはそれ以上推測を口にしなかった。
会議室ではエルノア支部の責任者たちが新たな対応を協議していた。
東方森林地帯では異変が拡大している。
木々だけでなく地面や植物からも魔力が抜けたような痕跡が見つかり始めていた。
原因は依然として不明。
半透明の膜状物の正体も異なる魔物たちが同じ西方向へ移動する理由も分かっていない。
そして五十二年前の記録がある。
調査隊十二人のうち、十一人が死亡。
当時の推定危険度はS以上。
今回も同じ存在によるものとは限らないが、無視できる情報ではなかった。
「……地方支部の人員だけでは、対応に限界があります」
職員の報告を受け支部側の責任者が決断した。
「上位冒険者への緊急応援要請を出そう」
過去の記録、現在の調査結果、負傷者の状況、確認された危険と未解明事項。
それらをまとめた緊急要請がギルドの連絡網を通じて各地へ送られることになった。
*
その頃、ダスたちは酒場を出ようとしていた。
「……どうする? ダス」
「ん?」
「東のこと」
ダスは会議室の方を振り返った。
「……気にはなるな。何がいるのか、ちょっと見てみたい」
「うん」
「でも、もうちょっと任せようぜ」
「そうだね」
「みんな、自分たちで何とかしようとしてるんだろ。なら、今は俺たちが出ていくところじゃない」
懐から冒険者証を取り出す。
《G》。
今日も変わらない文字だった。
「それにさ、俺、まだGでやりたいこといっぱいあるんだよな」
「本当に気に入ってるね」
「おう」
ダスは冒険者証をしまった。
「……ただまあ、街に危険が来るようなら話は別だけどな」
リュネは頷いた。
二人が冒険者生活を楽しんでいるのは確かだが、そのために他人を犠牲にするつもりはない。
必要になれば、ダスは迷わず判断を変えるだろう。
「……ま、今は大丈夫だろ。明日も依頼探そうぜ」
「うん。農作業とか?」
「おっ、それもいいな!」
「じゃあ、明日探してみようか」
「おう!」
ギルドの外は夕暮れだった。
店先に明かりが灯り、仕事を終えた人々が家路を急いでいる。
五日目。四件目の依頼達成。
新しい冒険者と知り合い、初めての追加報酬も受け取った。Fランクへの昇格査定まで勧められた。
「……いい五日目だったな」
「うん。楽しかったね」
「明日も楽しみだ」
二人と一体は宿へ向かって歩いていった。
*
エルノアから遠く離れた場所で一人の女性冒険者が緊急連絡を受け取っていた。
獅子獣人の女性。
SSSランク冒険者《未踏の獅子》ヴェルト。
数え切れないほどの危険地帯を踏破し、多くの冒険者から憧れられる存在である。
「……エルノア?」
書類には東方森林地帯で発生している異変について記されていた。
魔物の異常移動。
広範囲での魔力減少。
半透明の膜状物。
五十二年前の類似事件。
そして当時の調査隊十二人中十一人が死亡したという記録。
「……へえ」
ヴェルトの耳がぴくりと動いた。
「原因が分からないんだ」
討伐対象の名前も正式な危険度も記されていない。
何が存在しているのかすら分からない。
つまり、まだ誰も十分に調べられていない場所があるということだ。
「……面白そう」
ヴェルトはもう一度書類へ目を通した。
現地の指揮体制、負傷者、周辺被害、現在確認されている危険。
未知への好奇心だけで、何も考えずに踏み込むつもりはない。
確認を終えると、ギルド職員へ顔を向けた。
「この応援要請、受けるよ」
「ありがとうございます!」
「ただ、出発前に今ある調査記録を全部見せてもらえる?」
「はい!」
「あと、現地で誰が指揮を取ってるのかも確認したいな」
「承知しました!」
職員が資料を取りに向かう。
ヴェルトは窓の外へ目を向けた。
知らない場所。知らない異変。
まだ誰も正体を突き止めていない何か。
「……ふふっ。久しぶりに、いい冒険になりそうだね」
このとき、ヴェルトはまだ知らなかった。
向かう先の交易都市エルノアに自分のよく知る三人がいることを。
しかも、Gランクの新人冒険者と小型飛竜の従魔として暮らしているなど、想像もしていなかった。
エルノアでは東方の異変が広がり続け、その一方でダスたちは、明日の依頼を何にするか宿で楽しそうに相談していた。
そして、その道が交わる日はそう遠くなかった。




