第3話「初討伐」
「なあ、リュネ」
「うん?」
「俺、昨日ちょっと重大なことに気づいたんだよ」
朝の冒険者ギルド。
ダスは依頼掲示板の前で妙に真剣な顔をしていた。
隣のリュネはその横顔を見上げる。
「何に気づいたの?」
「俺、剣士として登録しただろ?」
「したね」
「なのに、まだ一回も剣を抜いてない…」
「昨日は薬草採取だったもの」
「そうなんだよ!」
ダスは腰の剣を軽く持ち上げた。
「せっかく剣士になったのに昨日一番活躍したのはヴァルだからな。しかも薬草を見つける仕事で」
足元のヴァルが顔を上げた。
小さな白い飛竜はダスを一度見てから、
また周囲の冒険者たちへ視線を戻す。
「何だよ、その顔」
「昨日の勝敗を思い出したんじゃない?」
「まだ言うか!」
リュネが楽しそうに笑う。
実際、昨日の薬草採取はダスにとって随分と面白い経験だった。
だが剣士として登録した以上、剣を使う仕事も経験してみたい。
もちろん、今回は普通の新人冒険者としてだ。
本来の身体能力も、固有能力も使わない。
ダスが望んでいるのは強敵を一瞬で倒すことではなく、
Gランクの剣士として依頼をこなす経験だった。
「というわけで、今日は討伐依頼だ!」
「昨日から決めてたものね」
「おう。いいのあるかな」
二人が掲示板を眺めていると近くで依頼書を選んでいた冒険者が場所を譲ってくれた。
ダスは礼を言って、討伐依頼の並ぶ一角へ近づく。
小型魔獣の駆除。
農地周辺の害獣対処。
街道沿いの危険生物調査。
仕事の内容は様々だった。
「おっ、これ」
ダスが一枚の依頼書へ手を伸ばした。
《角兎三体討伐》
指定された区域で角兎を三体討伐し、討伐証明を提出する依頼だった。
「角兎か」
「角のある兎だね」
「名前そのままだな」
「分かりやすくていいと思うけど」
「確かに。頭が七つある蛇とかだったら名前だけで帰りたくなるしな」
「そういう相手はそもそもGランクで受ける仕事じゃないと思うよ」
「だな」
ダスは笑いながら依頼書を読み進めた。
角兎は兎に似た身体と頭部の角を持つ魔獣である。
大型の魔獣に比べれば身体は小さい。
しかし、その角を使った突進には十分な殺傷力があり、
油断した冒険者が脚や腹を貫かれる事故も起きている。
単に小さいから弱いという相手ではない。
「うん。いいんじゃないか?」
「三体いるね」
「俺が前で、リュネが後ろ。いつもの感じでやってみようぜ」
「分かった。でも、昨日みたいに急がないでね」
「昨日はそんなに急いでないだろ」
「銀縁草を見つけるたびに走ってたよ」
「あれは嬉しかったんだよ!」
二人は笑い合いながら受付へ向かった。
*
「角兎三体の討伐依頼ですね」
受付のミーナは、差し出された依頼書を確認した。
「お二人とも、討伐依頼は初めてでしたよね?」
「おう!」
「それでは、出発前に注意事項をご説明します」
ミーナは依頼区域を示した地図を広げた。
場所はエルノア西方の草地と低木林が接する一帯。
昨日の薬草採取区域から、それほど大きく離れていない。
角兎は周辺の畑にも被害を出すことがあるため、ギルドが討伐依頼を仲介しているらしい。
「角兎は小型ですが、角を使った突進に注意してください。特に足場の悪いところで複数と遭遇すると危険です」
「なるほど」
「あと、依頼数が三体だからといって、現地にも三体しかいないとは限りません」
「……ああ、それは大事だな」
「四体目が出てきたら、三体倒したから終わりとはいかないもんな」
「そうですね。討伐を続けるより、その場を離れた方がいい場合もあります」
「了解」
ミーナは二人の装備にも目を向けた。
ダスは剣を一本。
リュネは魔術師としての装備を整えている。
ヴァルも白い小型飛龍種としての姿でダスの足元で面倒そうに横たわっている。
「危険を感じたら、無理をせず帰還してください。依頼よりも、お二人の安全が大切ですから」
「分かった。ありがとな、ミーナ」
「はい。お気をつけて!」
受付を離れると、ダスは地図をもう一度眺めた。
「それじゃ、行くか」
「うん」
その横をヴァルが歩き出す。
ギルドを出る際、ダスはふと思い出したように立ち止まった。
「……あ、ちょっと待って」
「どうしたの?」
「昨日のフィナたち、今日もいるかな」
「探す?」
「いや、いいや。どうせまた会うだろ」
ダスは笑い、扉を押し開けた。
「先に俺たちでやってみようぜ」
*
西門を出て街道を進むことしばらく。
昨日の採取場所を過ぎると周囲の景色は少しずつ変わっていった。
人の手が入った畑や牧草地が減り、背の高い草が風に揺れるようになる。
低木が点在し、その向こうには小さな林が広がっていた。
足元の土はところどころ湿っており、雨水が流れた跡も残っている。
「この辺りか」
ダスは地図をしまった。
草地の向こうから鳥の声が聞こえる。
少し離れた場所では何か小さな生き物が草を揺らしていた。
「角兎って、どのくらいの大きさなんだろうな」
「個体によると思うけど、普通の兎よりは少し大きいものもいるみたい」
「角の大きさも違うのかな」
「たぶんね」
「へえ。見比べてみたいな」
リュネが小さく笑う。
「討伐依頼だよ?」
「分かってるって。でも、せっかくならちゃんと見たいじゃん」
ダスは腰の剣の位置を確かめた。
今回は自分たちの感覚を通常の新人冒険者が扱える程度に抑えている。
強大な魔力を周囲へ広げ、生命反応を一瞬で探り当てるようなことはしない。
草の動き、足跡、食べられた植物、周囲の音。
そうした手掛かりから相手を探す。
ダスにとって、それ自体が楽しい作業だった。
「おっ」
しばらく進んだところで、ダスがしゃがみ込む。
「これ、足跡じゃないか?」
湿った地面に小さな窪みがいくつか残っていた。
リュネも隣に屈む。
「何かが通ったのは確かだね」
「兎っぽい?」
「うーん……」
二人はしばらく地面を眺めた。
やがてダスが顔を上げる。
「……分からんな!」
「そうだね」
「昨日に続いて、今日も見分けるところからか」
「冒険者って覚えることが多いね」
「ほんとそうだな」
ダスは笑いながら立ち上がった。
ヴァルは二人の少し先で足を止め、草地の方を見ていた。
何かを見つけたらしい。
ダスがその視線を追う。
風に揺れる草の間に、茶褐色の小さな背中が見えた。
そして、草の上から突き出した一本の角。
「……いた」
ダスが小声で言った。
リュネも視線を向ける。
角兎だった。
しかも、一体ではない。
最初に見つけた個体から少し離れたところに、もう二体。
三体とも頭を低くし、草を食んでいる。
「ちょうど三体か」
「そうだね」
ダスはゆっくり剣を抜いた。
刃が鞘を擦る小さな音が響く。
その音に反応したのか、一体の角兎が顔を上げた。
長い耳が動く。
鼻先がひくひくと揺れた。
「……気づかれたかな」
「たぶん」
リュネも魔術を使う準備を整える。
ヴァルは二人より少し後ろへ下がった。
今回の戦闘には参加しない。
ダスとリュネが冒険者として自分たちの力で依頼を達成する。
それが二人の決めた方針だった。
「さて……」
ダスは剣を構えた。
「初討伐、やってみるか!」
最初に動いたのは、三体のうち最も近くにいた角兎だった。
草を食んでいた頭が上がり、耳がこちらへ向く。
次の瞬間、後脚が地面を蹴った。
「おっ!」
ダスが声を上げる。
角兎は身体を低くし額の角を前へ向けて突進してきた。
距離は十歩ほど。
小さな身体からは想像しにくいほど、踏み込みが速い。
ダスは剣を振り上げた。
しかし、その一撃は角兎の頭上を空振りする。
「うわ、速っ!」
踏み込みすぎた足を戻しながら、横へ跳ぶ。
角兎の角が、ほんの少し前まで彼の脚があった場所を通り抜けた。
相手はそのまま数歩先へ進み、身体を反転させる。
「……なるほどな」
ダスは剣を構え直した。
実際のところ、今の一撃を避けること自体は難しくない。
だが、今回は力も技術も制限している。
熟練剣士の動きを見せず、普通の新人剣士として戦う。
自分で決めた条件を守りながら、どのように相手を倒すか考えるのが今回の楽しみだった。
「ダス、右にもいるよ」
リュネの声が飛ぶ。
最初の一体へ注意を向けている間に、別の角兎が移動していた。
右側の低木を回り込み、こちらを窺っている。
さらにもう一体は、少し離れた草むらの中で落ち着きなく跳ねていた。
「三体同時か。そりゃそうだよな」
ダスは笑いながら、剣の握りを直す。
右の角兎が動いた。
それとほぼ同時に、最初の一体も地面を蹴る。
二方向からの突進。
「リュネ、右頼む!」
「うん!」
リュネの手元に小さな魔術式が浮かんだ。
複雑な術式ではない。
魔力を通し、必要な現象を成立させるための、簡単な初級魔術。
生じた水の塊が右から迫る角兎の進路へ飛んだ。
水は地面にぶつかって弾け、土を湿らせる。
飛び込もうとした角兎が足を滑らせ、突進の勢いを失った。
「おお、うまい!」
「そっちも来てるよ!」
「分かってる!」
正面の角兎が迫る。
ダスは剣を横へ振った。
今度は当たった。
だが、刃の先端が浅く触れただけで十分な一撃にはならない。
角兎は傷を負いながらも、そのまま横を抜けようとする。
「……っと!」
ダスは慌てて身体を回した。
踏み出した足が湿った草を踏み、少し滑る。
剣を握り直し、もう一度振り下ろす。
今度は角兎の胴を捉えた。
短い鳴き声とともに角兎が地面へ倒れる。
身体が二度ほど痙攣し、やがて動かなくなった。
「……よし!」
ダスが息を吐く。
「一体!」
「おめでとう。でも、まだ二体いるよ」
「分かってるって!」
右側では先ほど足を滑らせた角兎が立ち直っていた。
もう一体は草むらを大きく回り込み、二人から離れようとしている。
だが、開けた場所へ出たところで急に足を止めた。
後ろを振り返る。
そして逃げる代わりにダスたちへ向かって駆け出した。
「おいおい、戻ってくるのか!」
ダスは剣を構え直す。
同時に、右の角兎も跳んだ。
二体の突進方向は異なる。
一体はダスの足元へ、もう一体はリュネの方へ。
「リュネ!」
「大丈夫」
彼女は慌てなかった。
後ろへ下がりながら魔術式を描き、先ほどより小さな水弾を放つ。
水弾が角兎の肩口へ命中した。
その身体が横へ弾かれ、地面を転がる。
リュネは続けてもう一発。
立ち上がろうとした角兎を正確に捉えた。
小さな身体が再び倒れ、今度は動かなくなった。
「二体目」
「おお!」
ダスが声を上げた直後、最後の一体が足元へ飛び込んできた。
「うわっ!」
剣を振る余裕がない。
ダスは左脚を引き、半身になって角を避けた。
角兎は彼の脇を抜け、低木の根元へ着地する。
すぐさま向きを変えようとするが、後脚が露出した根に引っかかった。
ほんの一瞬、動きが止まる。
「……今だな!」
ダスは一歩踏み込んだ。
剣を振り下ろす。
刃が角兎の身体を捉え、最後の一体も地面へ倒れた。
しばらく様子を見ていたが、再び起き上がることはなかった。
ダスは周囲へ視線を巡らせる。
草むら。
低木の陰。
林の入口。
他に動くものがいないことを確かめると、ようやく剣を下ろした。
「……ふう」
大きく息を吐く。
そして、ぱっと顔を輝かせた。
「三体!」
リュネが微笑んだ。
「うん。三体だね」
「よっしゃあ!」
ダスは剣を掲げかけ、慌てて下ろした。
「……いや、これ血ついてるから垂れちゃうな」
「そうだね」
リュネが笑う。
ダスは自分の剣を見つめた。
刃には角兎の血が付着している。
小さな魔獣とはいえ、実際に剣で生き物を斬ったのだ。
もちろん、彼にとって戦闘や殺生は初めてではない。
むしろ、数え切れないほど経験している。
それでも今回は違った。
初めて、冒険者ギルドから正式に受けた討伐依頼。
自分で選び、自分で現地へ行き、自分で戦って達成した。
その一連の流れが面白かった。
「……いいな、これ」
ダスが小さく笑った。
「すごくいい」
リュネが近づいてくる。
「楽しかった?」
「おう。想像してたよりずっと」
「ふふっ。よかったね」
「ただ、剣士としてはまだまだだな」
「そう?」
「ほら、最初の一撃なんて完全に空振ったし」
「そうだね。ちょっと格好悪かった」
「そこは否定してくれよ!」
リュネが楽しそうに笑った。
「でも、三体倒せたでしょう?」
「まあな」
「じゃあ、初討伐としては十分じゃない?」
ダスは少し考え、それから笑った。
「……そうだな!」
足元へ視線を落とす。
ヴァルが、倒れた角兎を順番に眺めていた。
最初の一体。
リュネが倒した一体。
そして、最後の一体。
すべてを見終えると、ヴァルはダスへ顔を向けた。
「どうだ、ヴァル」
ダスが得意げに笑う。
「今日は俺の勝ちじゃないか?」
ヴァルは少しだけ首を傾げた。
何と何を比べているのか。
そんな顔だった。
「昨日はお前が薬草いっぱい見つけたけど、今日は俺が二体倒したからな」
ヴァルは静かに目を細めた。
そもそも自分は戦闘に参加していない。
勝負にすらなっていないだろう。
その態度を見て、リュネが吹き出した。
「ダス、それはちょっとずるいと思う」
「えー?」
「ヴァル、今日は何もしてないもの」
「……まあ、確かに」
ダスは笑い、剣を鞘へ戻す前に汚れを落とした。
「じゃあ、今日は勝負なしだな」
ヴァルは満足そうに尾を揺らした。
*
討伐した三体を確認し、必要な部位を回収する。
角兎は小さな魔獣だが、だからといって死体を放置してよいわけではない。
周囲に別の魔獣を呼び寄せる可能性もあるし、持ち帰れる素材には価値がある。
ダスたちは作業を終えると、来た道を戻ることにした。
「……ところでさ、リュネ」
「うん?」
「今日の俺、ちゃんと新人剣士っぽかった?」
「うん。結構危なっかしかったよ」
「よし!」
「褒めてるわけじゃないけど」
「いや、褒め言葉だろ!」
リュネは笑いながら首を振った。
「でも、あんまりわざと転びそうになるのはやめてね」
「分かってるよ。今回は実際にあの足場だと滑るだろ」
「それはそうだけど」
ダスが見せた剣の動きは、確かに新人らしいものだった。
振りが大きく、次の動作へ移るのが遅い。
相手との距離を測るのも、見た目には不慣れだった。
しかし、それを演じるために自分や周囲を無意味に危険へ晒すつもりはない。
新人らしい動きをすることと、何も考えずに行動することは別だ。
「それにしても、リュネの魔術はうまかったな」
「そう?」
「最後の一体、あれで綺麗に倒してたじゃん」
「初級魔術でも、当てる場所を考えれば十分だからね」
「だよなぁ。威力だけじゃないってことか」
「そういうこと」
リュネは柔らかく笑った。
ダスは少し考える。
「……今度、俺も魔術師やってみようかな」
「剣士は?」
「いや、剣士もやるけど」
「もう職業を変えるの?」
「だって面白そうじゃん!」
リュネが声を立てて笑う。
「まだ初討伐が終わったばかりなのに」
「今すぐじゃないって。いつかの話だよ」
「ふふっ。そうだね」
ダスは満足そうに頷いた。
こうして何でもない話をしながら歩く時間も、彼はすっかり気に入っていた。
*
エルノアへ戻ったのは、昼を少し過ぎた頃だった。
西門から街へ入り、冒険者ギルドへ向かって歩いていると、向こうから見覚えのある大柄な男がやってきた。
「おう。ダスじゃねえか」
「おっ、ガルド!」
Aランク冒険者のガルドだった。
今日は装備を整え、いつもより少し荷物が多い。
その隣には、もう一人の冒険者がいた。
女性だった。
動きやすそうな装備を身につけ、腰に武器を提げている。周囲を落ち着いた目で見渡しており、歩き方からも実戦慣れしていることが分かった。
「そいつらが昨日言ってた新人?」
女性がガルドへ尋ねる。
「ああ。ダスとリュネだ」
「へえ」
女性は二人へ視線を向けた。
「私はシア。Bランクよ。よろしく」
「ダスだ。よろしく!」
「リュネです」
シアは軽く頷くと、足元のヴァルを見た。
「……珍しい従魔ね」
「だろ?」
ダスが嬉しそうに答える。
「ヴァルっていうんだ」
「ふうん……」
シアはしばらくヴァルを見つめていた。
その視線に、ガルドが苦笑する。
「俺も最初はちょっと気になったんだが、まあ、よく懐いた従魔だよ」
「そうなの?」
「ああ。お手までできる」
「……お手?」
シアが少し意外そうな顔をした。
ダスは、そこで嫌な予感を覚えた。
足元を見る。
ヴァルが、静かにこちらを見上げていた。
その目が何を言いたいのか、よく分かる。
「……いや、今日はやめとこう」
ダスが即座に言った。
「ん?」
ガルドが首を傾げる。
「何でだ?」
「こいつ、今日は働いた後だからな。疲れてんだよ」
ヴァルはゆっくり目を細めた。
今日はほとんど何もしていない。
もちろん、そんなことをガルドたちが知るはずもなかった。
「そうか。なら無理させることもねえな」
ガルドはあっさり引き下がった。
リュネが横で肩を震わせている。
「……何笑ってんだよ」
「ううん。ダス、優しいなって」
「だろ?」
ヴァルの尾が、ダスの足を軽く叩いた。
シアがその様子を見て、小さく笑った。
「本当に賢そうな子ね」
「まあな!」
ダスは嬉しそうだった。
ガルドはそんな三人を眺めてから、ダスが持っている荷物へ目を向けた。
「ところで、お前ら仕事帰りか?」
「おう。今日は討伐依頼!」
「ほう。何を倒した?」
「角兎三体!」
「へえ。もう討伐依頼を受けたのか」
ガルドは少し感心したように頷いた。
「怪我はないか?」
「全然!」
「ならいい。だが、角兎だからって油断するなよ。新人が角でやられることもあるからな」
「ミーナにも言われた」
「なら覚えとけ。小さい魔獣ほど、気づいた時には足元にいることもある」
「おう。ありがとな」
ダスは素直に頷いた。
ガルドは満足そうに笑う。
その隣で、シアが空を見上げた。
「ガルド、そろそろ行かないと」
「ああ、そうだった」
「どっか行くのか?」
ダスが尋ねると、ガルドは東の方へ顎を向けた。
「ちょっとな。東の森で妙な報告が続いてるんだよ」
「東?」
「ああ。魔物が変な動きをしてるらしい」
ダスの目に興味が浮かんだ。
「へえ。どんな?」
「異なる種類の魔物が、揃って西へ向かってるんだと。普通の生息域から外れてな」
「……ふうん」
「詳しいことはまだ分からん。だから、これから確認に行く」
シアが言葉を継いだ。
「原因が分からないからこそ、勝手に決めつけるわけにはいかないのよね」
「なるほどなぁ」
ダスは少し考えた。
異なる魔物が同じ方向へ動く。
確かに興味深い。
強い何かから逃げている可能性もあれば、環境が変化しただけかもしれない。
それ以外の理由も考えられる。
「……ちょっと見てみたいな」
思わず呟く。
ガルドが即座に眉を上げた。
「おいおい。やめとけよ」
「分かってるって」
「まだGランクなんだろ? こっちでも何が起きてるか分かってねえんだ。新人が首突っ込むような話じゃねえぞ」
「だよな!」
ダスはあっさり頷いた。
その反応に、ガルドが少し拍子抜けした。
「……随分素直だな」
「だってGだからな。Aランクの仕事はAランクに任せるよ」
「そうしろ。そっちの方が長生きできる」
ガルドは笑い、ダスの肩を軽く叩いた。
「じゃあな。依頼達成、おめでとう」
「おう! 気をつけてな!」
「そっちもね」
シアも片手を上げた。
二人はそのまま東へ向かって歩いていく。
ダスはしばらく背中を見送っていた。
「……面白そうだな」
「行きたい?」
リュネが尋ねる。
「そりゃ行きたいよ」
「でも?」
「今日はGランクの仕事があるからな」
ダスは笑った。
「それに、もう調べる人がいるんだろ。だったら俺たちは俺たちで楽しもうぜ」
「うん」
リュネも微笑んだ。
そして二人と一体は、冒険者ギルドへ向かって歩き出した。
*
その日の午後。
ガルドとシアは、エルノア東方の森林へ入っていた。
林の中は静かだった。
鳥の声は聞こえる。
風が葉を揺らす音もある。
だが、普段なら見られるはずの小型魔物の姿が少ない。
「……確かに、妙だな」
ガルドが呟いた。
シアは少し離れた地面へ目を向けている。
「こっちにも足跡がある」
「ああ?」
「何種類か混じってる。みんな西へ向かってるみたい」
ガルドが隣へしゃがみ込んだ。
確かに、小型の四足魔獣らしい足跡と、それとは異なる形の痕跡が重なっている。
同じ群れとは考えにくい。
それでも、進行方向はおおむね一致していた。
「逃げてんのか?」
「どうだろう。少なくとも、慌てて走り回った跡ばかりじゃないね」
「……そうだな」
ガルドは立ち上がった。
しばらく進むと、二人は実際に魔物の移動を目撃した。
小さな四足の魔獣が数匹、低木の間を抜けていく。
その少し後ろからは、別種の魔物が移動していた。
互いに争う様子はない。
しかし、協力しているようにも見えなかった。
ただ、どちらも西へ向かっている。
「……何だ、ありゃ」
ガルドが眉を寄せる。
「群れじゃねえよな」
「うん。別々に動いてる」
シアが頷く。
「でも、方向は同じ」
二人は無理に追いかけず移動の様子を観察した。
やがて魔物たちが見えなくなると、周辺の地面や植物を確認しながらさらに進む。
そこで、ガルドが一本の木の前で足を止めた。
「……おい、シア」
「何?」
「これ、見てみろ」
木の幹に小さな穴が開いていた。
一つではない。
細かな穴がいくつも並び、その周囲だけ樹皮の色が変わっている。
ガルドは手袋をはめた指で穴の周囲を確かめた。
「虫か?」
「……虫にしては、変じゃない?」
シアが顔を寄せる。
木の表面には確かに穴がある。
だが、周囲に木屑はほとんど落ちていない。
樹液が流れた痕跡も乏しい。
シアは慎重に魔力の状態を調べた。
「……ガルド」
「何だ?」
「この辺り、魔力が薄い」
「森の中なのにか?」
「うん。特に、この穴の周囲」
ガルドは木を見上げた。
葉が枯れているわけではない。
幹も折れていない。
しかし、木の一部分だけ、魔力が抜けたような状態になっていた。
「……吸われた?」
「そう見える。でも、何がやったのかまでは分からない」
「だよな」
ガルドは周囲へ視線を向けた。
一本だけではなかった。
近くの木にも、似たような小さな穴がある。
さらに少し離れた木にも。
「……増えてやがるな」
シアの表情が引き締まった。
「奥まで続いてる可能性があるね」
「ああ」
ガルドは少し考えた。
足跡。
魔物の移動。
木に残された小さな穴。
そして、局所的な魔力の減少。
何かが起きているのは確かだ。
だが、それらがすべて同じ原因によるものかどうかは、まだ分からない。
「……今日はここまでだな」
ガルドが言った。
シアも頷く。
「同感。二人で奥へ進むには情報が足りない」
「一度戻って、報告をまとめよう」
二人は周囲の位置と痕跡を記録し、来た道を引き返し始めた。
背後の森は相変わらず静かだった。
*
同じ日の夕方。
エルノア支部の酒場では東の異変の話で持ちきりだった
その中、一人の老冒険者が奇妙な話をしていた。
「……五十二年前にも、似たようなことがあった」
酒場の一角でその老人は低い声を出した。
周囲にいた冒険者たちが顔を向ける。
「五十二年前?」
「ああ。東の方でな」
老人は手元の酒杯を見つめた。
「木から魔力が抜けたような跡が見つかった。妙な穴もあったな」
「……今回と似てるじゃねえか」
「似てるだけかもしれん」
老人はそう言った。
「ただ、あの時も最初は大した騒ぎじゃなかった」
周囲が静かになる。
「俺たちは十二人で調べに行った」
「十二人?」
「ああ。腕の立つ奴もいた。経験のある奴もいた。だから、何とかなると思ってた」
老人は一度言葉を切った。
酒杯を持つ手に、少しだけ力が入る。
「……帰ってきたのは、俺一人だった」
誰もすぐには口を開かなかった。
少し離れた卓では、別の冒険者たちが笑っている。
皿の触れ合う音。
酒を注ぐ音。
酒場そのものの賑わいは変わらない。
しかし、老人の周囲だけ空気が重くなっていた。
「……何がいたんだ?」
若い冒険者が尋ねる。
老人は首を振った。
「分からん」
「見なかったのか?」
「見たものはある。だが、あれが全部だったのかも分からん」
それ以上、老人は語ろうとしなかった。
周囲の冒険者たちも、無理に問い詰めることはしなかった。
五十二年前。
十二人中、十一人が帰らなかった調査。
今回の異変と関係があるのかどうか。
それはまだ誰にも分からなかった。
*
一方、その頃。
「二件目達成!」
冒険者ギルドの受付で、ダスが嬉しそうに笑っていた。
角兎三体の討伐証明を提出し、依頼達成の確認を受けたところだった。
ミーナも微笑んでいる。
「おめでとうございます。これで二件目ですね」
「おう!」
「怪我もないようで何よりです」
「ちゃんと気をつけたからな」
「それが一番大切ですよ」
ミーナは報酬の手続きを進めた。
ダスは受け取った硬貨を眺めながら満足そうに頷く。
「……いいなあ」
リュネが笑う。
「昨日も同じこと言ってたね」
「だって、今日は討伐依頼だぞ」
「うん」
「昨日は薬草採取。今日は角兎討伐」
「ちゃんと違う仕事だね」
「そう! しかも、どっちも達成だ!」
ダスは冒険者証を取り出した。
そこに記されたランクは、昨日と変わらず《G》。
その文字を見て、また嬉しそうに笑う。
「……いやぁ、Gランクっていいな」
ミーナが思わず笑った。
「そこまでGランクを気に入っていただけるとは思いませんでした」
「だって、今しか楽しめないかもしれないだろ?」
「……確かに、昇格したらGランクではなくなりますからね」
「そういうこと!」
ダスは冒険者証をしまった。
その隣ではリュネが楽しそうに微笑んでいる。
足元のヴァルはもう何度目になるか分からないやり取りを静かに聞いていた。
受付を離れたところで、ダスは掲示板へ目を向けた。
明日の依頼を探しておこうと思ったのだ。
だが、掲示板の一角には、昨日までなかった注意書きが掲示されていた。
《東方森林地帯における魔物の異常移動について》。
ダスは足を止める。
「……おっ」
リュネも隣から覗き込んだ。
東方の森林では、複数種類の魔物が通常の活動範囲を外れて移動しているらしい。
ギルドでは追加調査を進めており、低ランク冒険者には指定区域への不用意な立ち入りを控えるよう求めている。
「へえ……」
ダスの目が輝いた。
「やっぱ面白そうだな、これ」
「うん。まだ原因は分かってないみたいだね」
「ガルドたち大丈夫かな」
「どうだろうね」
ダスはしばらく注意書きを眺めていた。
未知の異変。
説明できない魔物の動き。
何が起きているのか分からない森林。
本来なら、すぐにでも足を運んでみたくなる話だった。
しかし、彼は少し考えたあと、隣の掲示板へ視線を移した。
「……あ、これ」
リュネが見る。
《西街道沿い・行方不明の荷馬捜索》。
「荷馬?」
「おう。逃げたらしい」
ダスは依頼書を指差した。
「これ、面白そうじゃない?」
「ふふっ。今度は馬を探すんだね」
「だって、今日討伐しただろ? 明日は戦わない仕事もいいかなって」
ダスは笑った。
その視線には先ほどの東方異変への好奇心がまだ残っている。
だが、目の前には自分たちが受けられる依頼がある。
探している人がいて、困っている人がいる。
そして、まだ経験したことのない仕事がある。
「……よし」
ダスは依頼書を一枚取った。
「明日は馬探しだ!」
「今度はヴァルに負けないといいね」
「いや、馬探しなら俺だって……」
そこまで言って、ダスは足元を見た。
ヴァルがこちらを見上げている。
鼻先が小さく動いた。
「…………」
ダスは一瞬黙った。
「……匂いで探されたら、俺勝てなくない?」
リュネが吹き出した。
「今気づいたの?」
「ちょっと待て! 今度は俺が先に見つけるからな!」
ヴァルは静かに尾を揺らした。
ダスが何を宣言しているのかは理解している。
ただ、別に競争するつもりはなかった。
そんな一体の龍と二人の冒険者が、賑やかなギルドの中を歩いていく。
東方の異変は、まだ始まったばかりだった。
しかし、ダスたちにとって今一番大切なのは明日受ける仕事である。
薬草を三十本集めた。
角兎を三体討伐した。
次は、行方不明の馬を探す。
世界には未知が山ほどある。
そして、こんな些細な仕事の中にもまだ知らない面白さがあった。
ダスは笑いながら、リュネへ声をかけた。
「なあ、帰りに何か食おうぜ!」
「今日は何の記念?」
「初討伐記念!」
「ふふっ。毎日記念日になりそうだね」
「最高じゃん!」
その言葉にリュネは楽しそうに笑った。
ヴァルも、今度は特に異議がないらしい。
三人は夕食の相談をしながら、ギルドを後にした。




