第2話『薬草三十本』
第2話『薬草三十本』
翌朝、ダスは朝食を食べ終えるなり宿の食堂で依頼書を広げた。
「銀縁草、三十本」
昨日から何度も読んでいる依頼内容をわざわざ声に出して確認する。
向かいに座るリュネは、温かい飲み物を片手に微笑んでいた。
「覚えた?」
「当然だろ。記念すべき初仕事だからな」
「昨日も同じこと言ってたよ」
「今日は実際に仕事する日だから、もっと大事だ」
ダスは依頼書の端を指で弾いた。
指定された採取場所はエルノアから西へ少し離れた草地。街道から大きく外れる必要はなく、初心者でも比較的利用しやすい場所だという。
ただし、薬草を正しく見分けられることが前提だった。
「葉っぱの縁が銀色、だったよな」
「うん。それだけで判断しないようにって、ミーナが言ってたね」
「大丈夫だって。そこまで難しくないだろ」
リュネは飲み物を置き、笑顔のまま首を傾げた。
「じゃあ、昨日覚えた他の特徴は?」
「…………」
「ダス?」
「…よし。出発前にもう一回確認しよう」
「ふふっ。そうしようね」
テーブルの下ではヴァルが二人の会話を聞きながら横になっていた。
ダスが足先で軽く触れると白い飛竜は顔を上げる。
「ヴァル、今日はお前も頼むぞ」
ヴァルは一度だけ尾を動かした。
「三十本だからな。三十本」
今度は目を閉じた。
話は聞いているが、そこまで繰り返さなくても分かる。
そんな態度である。
「……こいつ、最近ちょっと冷たくない?」
「昨日、お手をさせたからじゃない?」
「あれ、まだ怒ってんのか?」
ヴァルの尾が、ダスの足首を一度だけ叩いた。
リュネが楽しそうに笑った。
*
エルノアの西門を抜けると街の賑わいは少しずつ遠ざかっていった。
広い街道には朝から荷馬車が行き交い、その向こうには畑や牧草地が広がっている。
街道脇を流れる細い水路では農夫が水の流れを確かめていた。
畑仕事に向かう者もいれば大きな籠を背負って街へ戻る者もいる。
ダスはそんな人々を眺めながら歩いていた。
「なあ、リュネ」
「なに?」
「冒険者って、朝から忙しいんだな」
「お仕事だからね」
「昨日のギルド、結構酒飲んでる奴もいたじゃん」
「夜から仕事だった人もいるだろうし、帰ってきた人かもしれないね」
「ああ、そっか。そういうのもあるか」
ダスは納得したように頷いた。
昨日ギルドで見かけた冒険者たちは皆が同じ時間に同じ仕事をしているわけではなかった。
討伐へ向かう者。
依頼を終えて帰ってきた者。
仲間を待つ者。
次の仕事を探す者。
同じ冒険者という立場でもそれぞれの生活がある。
そういう当たり前のことが今は妙に新鮮だった。
「……ところでさ」
「うん」
「俺たち、三十本見つけるのにどのくらいかかると思う?」
「実際に探してみないと分からないかな」
「俺は昼までに終わると思う」
「じゃあ、終わらなかったら?」
「昼飯を食ってから続ける」
「いい計画だね」
「だろ?」
リュネは笑っていたが、それ以上は何も言わなかった。
そして一時間ほど歩いた頃。
ダスは、自分の見通しが少々甘かったことを知る。
*
「……ないな」
草地にしゃがみ込んだダスが、眉を寄せた。
目の前には草が生い茂っている。
右にも草。左にも草。少し離れたところにも草。
当然ながら、草地なので草ばかりだった。
「いや、あるにはあるんだよ。草は」
「うん。いっぱいあるね」
「でも銀色がない」
ダスは手元の草を持ち上げ、角度を変えて眺めた。
「……これか?」
リュネが隣から覗き込む。
「どうだろう」
「ちょっと銀色に見えない?」
「光が当たってるからじゃない?」
「じゃあ、こっちは?」
「それも違うと思う」
「……難しくね?」
ダスは草を戻した。
昨日フィナから教わった話では、銀縁草は葉の縁に銀色の特徴がある薬草だった。
だが、現物を前にすると話が変わってくる。
乾いた葉が白っぽく見えるものもあれば、細かな毛が光を反射して銀色に見えるものもある。
似た形の草も少なくない。
特徴を一つ覚えただけでは、なかなか判断できなかった。
「ちょっと待て。俺、さっきから全部違う草見てる?」
「たぶん」
「一本くらい当たっててもよくない?」
「惜しいのはあったよ」
「惜しいじゃ駄目なんだよなぁ……」
ダスは苦笑して、再び草の中へ視線を落とした。
リュネも少し離れた場所で採取を始めていた。
普段の彼女なら、目の前の薬草を探すためにもっと効率的な方法を選ぶこともできる。
だが、今日はそれをしない。
目で探し、手で確かめ、自分たちの覚えた知識で判断する。
ダスが始めた冒険者生活にリュネも自分の意思で付き合っていた。
「あ、これかな」
リュネが一本の草を見つけた。
ダスがすぐに近寄る。
「おっ、どれ?」
「これ。葉の縁の色が違うでしょう?」
「……おお、確かに」
先ほどまで見ていた草と並べると違いが分かりやすかった。
銀色に見える部分が、葉の輪郭に沿って細く続いている。
ダスは依頼書に添えられた見本と照らし合わせた。
葉の形も、茎の様子も、おおむね一致する。
「これだな!」
「うん。たぶん合ってる」
「よし、一号!」
ダスは嬉しそうに採取用の小さな刃物を取り出した。
根元を丸ごと引き抜くのではなく、指示された部分を傷めすぎないように切り取る。
採取した草は籠へ。
「……いや、いいな」
「何が?」
「初めて自分で薬草取った」
「そうだね」
「これで三十分の一だろ?」
「うん」
「あと二十九本か」
ダスはしばらく考えた。
「……先が長いな」
リュネが吹き出した。
そのときだった。
少し離れた場所でヴァルが前脚を動かした。
白い飛竜は草むらを覗き込み器用に一本の葉を持ち上げる。
さらに、そのすぐ近くからもう一本。
少し歩いて、三本目。
「…………」
ダスが動きを止めた。
「……ヴァル?」
ヴァルは顔を上げた。
前脚の先には、見覚えのある銀色の縁。
間違いなく、銀縁草だった。
「お前、もう三本見つけたの?」
ヴァルは静かに頷いた。
「……俺、まだ自分じゃ一本も見つけてないんだけど」
ヴァルは三本の銀縁草を丁寧に置き、再び草むらへ向かった。
そして少し離れた場所から四本目を見つけた。
「おいおいおい!」
ダスが立ち上がった。
「ちょっと待て! 俺が全然見つからなかったやつだぞ!」
ヴァルは振り返らない。
「何でそんな簡単に見つけられるんだよ!」
その背中からは返事の代わりに長い尾がゆっくりと揺れた。
リュネはとうとう耐えきれず、声を出して笑った。
「ダス、負けてるね」
「いや、まだ始まったばっかりだから!」
「そうだね」
「ここから追いつくからな!」
ダスは勢いよくしゃがみ込んだ。
その直後、見つけた草を引っ張りかけて止まる。
「……これも違う」
ヴァルが五本目を見つけた。
「くっそぉ!」
草地に、ダスの悔しそうな声が響いた。
*
それからしばらく、三人は草地を行ったり来たりしていた。
最初は見つけるたびに大騒ぎしていたダスだったが、何本か採取するうちに、少しずつ違いが分かるようになってきた。
銀色に見えるというだけでは足りない。
葉の形、茎の様子、生えている場所。いくつかの特徴を合わせて確認すると、先ほどまで迷っていた草の中から、目当てのものが見えてくる。
「……あ、これだ」
ダスは足元の草を一本持ち上げた。
今度は迷わず、依頼書の見本と照らし合わせる。
「よし。合ってる」
丁寧に刃を入れ、籠へ収めた。
その隣でもう一本見つける。
「おっ」
さらに少し離れたところにも。
「おお!」
ダスの顔が明るくなった。
「分かってきたぞ!」
リュネが顔を上げる。
「本当?」
「おう。これまで見てた草、確かに全然違うわ」
「よかったね」
「いやぁ、面白いな。分からなかったものが分かるようになるのって」
彼は採取した銀縁草を、嬉しそうに籠へ並べた。
「最初から全部知ってたら、この感じは味わえないもんな」
リュネはその言葉を聞いて少しだけ目を細めた。
ダスが成長や変化を好むことは、誰よりもよく知っている。
ただ、今回彼が喜んでいるのは何か大きな力を手に入れたからではない。
ただの薬草を、見分けられるようになっただけだ。
それでも、目の前の青年は心底楽しそうだった。
「ねえ、ダス」
「ん?」
「見つけたの、そっちにもあるよ」
「どこ?」
「足元」
ダスが下を見る。
銀縁草らしい葉が、靴のすぐ横に生えていた。
「……うわ、本当だ」
「さっきから三回くらい通ってるよ」
「何で言わなかったんだよ!」
「自分で見つけた方が楽しいかなって」
リュネが悪戯っぽく微笑んだ。
ダスは一瞬口を開き、それから笑った。
「……分かってんじゃん」
「長い付き合いだからね」
「じゃあ、そっちも俺よりたくさん見つけるなよ?」
「えー、どうしようかな」
「おい!」
リュネが楽しそうに笑う。
ヴァルは少し離れた場所でもう何本か銀縁草を見つけていた。
彼にとっては、二人の競争に付き合うより、さっさと必要数を集めてしまった方がよほど合理的だった。
もっとも、二人が楽しんでいる以上、余計なことをするつもりもない。
採取した草を傷めないように置くと、日当たりのよい場所に腰を下ろした。
そして静かに、二人の様子を眺め始めた。
*
昼を少し過ぎた頃。
「二十八、二十九……三十!」
ダスは三人で集めた銀縁草を数え、最後の一本を籠へ収めた。
「よっしゃあ! 三人合わせて三十本!」
両手を上げて喜ぶダスに、リュネが拍手を送る。
「おめでとう」
「ありがとう!」
「ヴァルも頑張ってたね」
「……そうだな」
ダスがヴァルを見る。
白い飛竜は、すでに採取を終えて休んでいた。
「お前、結局何本見つけたんだ?」
ヴァルは顔を上げると、自分が採取した草が置かれている方へ視線を向けた。
ダスが数える。
「……十三本?」
ヴァルが頷いた。
「俺より早く見つけて、途中で休憩までしてたよな?」
もう一度頷く。
「……やるじゃん」
ダスは笑った。
「今日はお前の勝ちだな」
ヴァルは満足げに尾を揺らした。
「ちなみに、リュネは何本見つけた?」
「私は九本だよ」
「九本か。じゃあ、俺は……」
ダスは籠の中の銀縁草へ目を落とし、指を折って数え始めた。
「十三足す九で二十二。三十から引くと……八本?」
「うん。ダスが自分で見つけたのは八本だね」
「……俺が一番少ないじゃん!」
リュネが楽しそうに笑った。
「でも、後半はダスもかなり見つけてたよ」
「だろ? 最初の俺とは違うからな」
「うん。最初は本当に大変そうだった」
「そこは言わなくていいんだよ」
リュネが笑う。
ダスも苦笑しながら、籠の中を確認した。
三人合わせて三十本。
形の崩れたものがないかを確かめ、最後に依頼書の見本と照らし合わせる。
「……一応、もう五本くらい取っとくか」
「予備?」
「うん。ギルドで違うって言われたら困るし」
ここまで集めた三十本はどれも正しいつもりだった。
だが、最初にあれだけ間違えたのだ。
自分たちの判断が完全だとは思わない。
万が一、何本か使えないものが混ざっていても、すぐに依頼を達成できるようにしておきたい。
「じゃあ、あと五本だね」
「おう。今度はすぐ終わるぞ」
実際、五本を見つけるのにそれほど時間はかからなかった。
最初の一本を見つけるだけで苦労していたことを思えば、随分な違いである。
予備を含めて三十五本。
採取した銀縁草をまとめ、潰れないように籠へ収める。
「よし。帰るか!」
「うん」
リュネが立ち上がり、服についた草を払った。
ヴァルもゆっくりと起き上がる。
ダスは籠を背負うと、晴れた空を見上げた。
「いやぁ、いい仕事だった」
「まだ報告してないよ」
「分かってるって。でも、もう達成した気分だわ」
「ふふっ。帰るまでがお仕事だね」
「それ、昨日ミーナも言ってたな」
「大事なことだからね」
ダスは笑いながら歩き出した。
*
街道へ戻ったところで、二人組の冒険者と行き会った。
「あれ? ダス?」
聞き覚えのある声だった。
振り返ると、短槍を背負ったフィナが手を振っている。
隣には弓を携えた青年がいた。
「おお、フィナ!」
「やっぱり! 昨日の依頼、どうだった?」
「ばっちり。三十本集めてきたぞ」
「本当? すごいじゃん!」
フィナが嬉しそうに笑った。
「初めてだと結構難しいんだよ、銀縁草」
「難しかった。最初なんて、全然違う草ばっかり見てたわ」
「あはは! 分かる! 私も初めてのときそうだった!」
フィナが笑う横で、弓を背負った青年がダスたちを見ていた。
「フィナ、知り合いか?」
「あ、そうだった。紹介するね。こっち、兄のレオ」
「レオだ。よろしく」
青年は気さくに手を差し出した。
ダスも握り返す。
「ダスだ。よろしく」
「リュネです」
「おう。妹が世話になってるみたいだな」
「いや、俺たちが世話になった側だよ。昨日、依頼のこと教えてもらってさ」
「そうか。こいつ、世話焼くの好きだからな」
「ちょっと、お兄ちゃん!」
フィナがレオの腕を軽く叩いた。
そのやり取りを見て、ダスが笑う。
「仲いいな、お前ら」
「まあ、兄妹だからな」
「そうだよ。お兄ちゃん、口はちょっと悪いけど」
「お前に言われたくねえよ」
二人の口調には遠慮がなかった。
けれど、険悪な雰囲気はまるでない。
ダスはそんな兄妹を面白そうに眺めた。
「レオも冒険者なのか?」
「ああ。Eランクだ。もう少しでDに上がれそうなんだけどな」
「おお! D!」
ダスが目を輝かせる。
レオは少し驚いた。
「そんなに感動することか?」
「するだろ。俺たち、昨日Gになったばっかりだからな」
「ははっ! そりゃ確かに遠いな!」
「だろ?」
フィナが笑いながら口を挟んだ。
「ダスって、昨日もGランク証見てすっごく喜んでたんだよ」
「へえ。変わった奴だな」
「みんなそう言うんだよな」
「普通は上のランクになりたがるからな」
レオは笑い、それから少し真面目な顔になった。
「でも、焦らないのは悪くないぞ。特に討伐依頼を始める頃はな」
「やっぱ危険か?」
「そりゃな。相手はこっちの都合で動いてくれないし、依頼書に書いてある数だけ出てくるとも限らねえ」
ダスは頷いた。
「なるほど」
「まあ、薬草採取だって安全とは限らねえけどな。今日は何もなかったか?」
「特には。草探すのに苦労したくらいだ」
「なら上出来だ」
レオはそう言うと、ダスの籠へ視線を落とした。
「お、結構あるじゃねえか」
「三十五本。五本は予備」
「ちゃんとしてるな。最初の依頼でそこまで考える奴は、案外少ないぞ」
「へへっ。褒められた」
「そりゃ褒めるだろ」
冒険者として先輩に褒められる。
それもまた、新鮮な経験だった。
「そういえばさ」
フィナが二人へ顔を向けた。
「ダスたちって、目標のランクとかあるの?」
「目標?」
「うん。AとかSとか。もっと上を目指す人もいるし」
ダスは少し考えた。
「まあ、どうせならSSSまで行ってみたいよな」
フィナの目が丸くなった。
「SSS!?」
「おう」
「い、いや、目指すのは自由だけど……!」
フィナは困ったように笑った。
レオも苦笑する。
「お前、ずいぶんでかい目標持ってんな」
「だって、一番上だろ?」
「そうだけどな。普通は届かねえぞ」
「まあ、そうだろうな」
ダスはあっさり頷いた。
「でも、せっかく冒険者になったんだし。上がれるところまで上がってみたいじゃん」
その言葉に、レオは少し感心したような顔をした。
「……なるほどな。まあ、夢がでかいのはいいことだ」
「ちなみに、SSSってそんなにすごいのか?」
「そんなにって……」
フィナが目を見開いた。
「すごいに決まってるじゃん!」
「へえ」
「世界中でも本当に限られた人しかなれないんだよ! 国家が直接協力を頼むこともあるし、普通の冒険者じゃ入れないような場所へ行く人たちなんだから!」
フィナの声がだんだん大きくなっていく。
ダスは楽しそうに頷いた。
「へえ。例えば?」
「例えば……《未踏の獅子》ヴェルト!」
その名前を聞いた瞬間、リュネがほんの少しだけ口元を緩めた。
ダスも表情を変えずに聞き返す。
「ヴェルト?」
「そう! SSSランクの冒険者で、すっごく有名なの!」
「どんな人なんだ?」
「獅子獣人の女性でね、ものすごく強くて、未到区域とか危険なダンジョンとか、とにかく人が行ったことのない場所へ行くのが大好きなんだって!」
フィナはすっかり興奮していた。
「高位のダンジョンを攻略したり、誰も知らなかった場所を見つけたり! 普通の冒険者だったら絶対に近づかないような魔物を、逆に追いかけ回したこともあるって!」
「へええ」
ダスが感心したように声を出した。
「変わった奴だな」
「そこがいいんだよ!」
フィナは力説する。
「危険な場所ほど楽しそうにしてるんだって。普通なら怖がるような相手でも、むしろ嬉しそうに向かっていくらしいの!」
「……なるほどなあ」
ダスは頷きながら隣のリュネをちらりと見た。
リュネも彼を見返す。
その目には、はっきりと笑いが浮かんでいた。
もちろん、二人はヴェルト本人をよく知っている。
フィナが語っている逸話の中には、本人から直接聞いたものもあれば、多少大げさになって伝わっているものもあった。
だが、そんなことを今ここで教えるつもりはない。
「いつか会ってみたいな、そのヴェルトって人」
ダスがそう言うと、フィナは大きく頷いた。
「私も! 一回でいいから直接会ってみたい!」
「会えたら何するんだ?」
「えっ!?」
フィナは少し考えた。
「……握手?」
「かわいい目標だな」
「なっ、何よ!」
リュネも楽しそうに微笑んでいた。
「会えるといいね」
「うん!」
フィナは嬉しそうに笑った。
レオはそんな妹を見て、やれやれと肩をすくめる。
「こいつ、ヴェルトの話になると毎回こうなんだよ」
「いいじゃん。憧れの冒険者がいるって」
「まあな」
レオも笑った。
その後、二組はしばらく街道を一緒に歩いた。
フィナとレオは別の仕事を終えて戻る途中だったらしく、ギルドへ報告に向かうという。
途中、低ランク冒険者がよく受ける依頼の話や.報酬の使い方、装備の手入れなど、何でもない話題で盛り上がった。
ダスにとっては、そのどれもが面白かった。
話しているうちに、街道の先から馬車の軋む音が聞こえてきた。
*
「……参ったなあ」
道端で、一人の商人が頭を抱えていた。
荷馬車の後輪が傾き、車体が片側へ沈んでいる。
馬は繋がれたまま大人しくしているが、商人の顔には疲労が浮かんでいた。
レオが足を止める。
「どうしたんだ?」
「ああ、冒険者さんか。ちょっと車輪の具合が悪くなっちまってな」
商人は後輪を指差した。
「さっきからガタガタすると思ってたんだが、ここでとうとう外れかけた。荷物が重くて、俺一人じゃどうにもならん」
ダスたちは馬車の横へ回った。
車輪そのものは割れていない。
だが、車軸との取り付け部分に問題があるらしく、このまま動かせば完全に外れそうだった。
「なるほど……」
レオがしゃがみ込んで確認する。
「荷物を下ろして車体を軽くしないと、まず無理だな」
「そうなんだよ。けど、これを全部下ろすのがなあ……」
商人は荷台を見上げた。
箱や布袋がぎっしり積まれている。
フィナが腕をまくった。
「じゃあ、手伝おうよ」
「そうだな」
レオも頷く。
ダスは二人を見て少しニヤけた。
「俺たちもやるか!」
商人が驚いて顔を上げる。
「えっ、いいのかい?」
「もちろん。困ってんだろ?」
「いや、そうだが……」
「じゃあ決まりだな」
ダスは荷台へ向かった。
リュネも笑いながら続く。
「重いものは気をつけてね」
「おう」
まずは荷物を下ろすところから始めた。
レオが積み荷の配置を確認し、商人へ取り扱いの注意を聞く。
中には壊れやすいものもあるため、適当に投げ下ろすわけにはいかない。
ダスは箱を一つ持ち上げ、地面へ置いた。
「……よっと」
続けてもう一つ。
その次に布袋。
重いものもあったが、今日は人間の新人剣士として仕事をしている。
本来の身体能力に任せて一人で全部片づけるようなことはしなかった。
「ダス、そっちは二人で運ぼう」
レオに声をかけられダスは素直に頷く。
「了解!」
二人で箱を持ち上げ、慎重に地面へ運ぶ。
フィナは商人と相談しながら、荷物の置き場所を確保していた。
リュネも小さな箱を運び、積み荷が倒れないように並べていく。
ヴァルは少し離れた場所に座り、作業を眺めていた。
四人が慣れた様子で協力する必要もない。
誰が何を持つか、どこへ置くか、どの順番で動かすか。
その都度声をかけ合いながら進めた。
「おい、ダス。そっち持てるか?」
「いける!」
「じゃあ、ゆっくりな」
「おう!」
荷物を下ろし終える頃には、ダスの額にも薄く汗が浮かんでいた。
「ふう。結構あるな」
「商売だからねえ」
商人が苦笑する。
荷台が軽くなったところで、レオと商人が車輪の取り付け部分を調べた。
外れかけていた部品を戻すには、車体を少し持ち上げて支える必要がある。
レオが手持ちの道具を取り出し、商人も荷台の下から予備の部材を持ってきた。
ダスは指示された場所へ木材を差し込み、車体が傾かないように支える。
何度か位置を調整し、ようやく車輪が正しい位置へ戻った。
「……よし。これなら当面は動かせる」
レオが立ち上がった。
「ただ、応急処置だからな。街に戻ったらちゃんと職人に見せた方がいいぞ」
「もちろんだ。助かったよ、本当に!」
商人は深々と頭を下げた。
その後、全員で荷物を積み直した。
馬車が無事に動くのを確認すると、商人は何度も礼を言った。
「いやあ、冒険者さんたちが通りかかってくれてよかった!」
「気をつけてな!」
ダスが手を振る。
商人の馬車は、ゆっくりと街道を進み始めた。
その後ろ姿を見送ってから、フィナが笑った。
「よし。これで一件落着!」
「だな」
レオも頷いた。
ダスは少しの間、馬車の去った方を見つめていた。
「……いいなあ」
リュネが隣に立つ。
「楽しかった?」
「おう」
ダスは笑った。
「何かさ。普通に人の役に立ったな」
「うん」
「依頼じゃないのに」
「そうだね」
「……こういうの、いいよな」
誰かに頼まれて仕事を受け、報酬を得る。
それが冒険者の仕事の一つなのだろう。
けれど、こうして道端で困っている人間を手伝うこともできる。
世界を簡単に変えるような大きな出来事ではない。
車輪が壊れた馬車を、みんなで直しただけだ。
それでも商人は心から喜んでいた。
ダスは、それが妙に嬉しかった。
「……俺、冒険者結構向いてるかもしれん」
「まだ二日目だよ?」
「二日目で手応えを感じてるんだよ」
「ふふっ。じゃあ、これからが楽しみだね」
「おう!」
フィナとレオは、そんな二人を見て笑っていた。
*
エルノアへ戻ると四人はそのまま冒険者ギルドへ向かった。
夕方の支部は、朝とはまた違った賑わいを見せていた。
依頼を終えた冒険者たちが窓口へ並び、討伐した魔物の素材を持ち込む者や、仲間と今日の成果を話し合う者がいる。
酒場では早くも食事を始めている冒険者たちがいた。
「じゃあ、私たちは先に報告してくるね」
フィナが手を振った。
「またね、ダス! リュネ!」
「おう。またな!」
「またね」
レオも軽く手を上げ、妹とともに別の窓口へ向かった。
ダスとリュネはミーナの受付へ並ぶ。
「こんにちは。依頼の報告ですか?」
「おう!」
ダスは嬉しそうに籠を差し出した。
「銀縁草三十本、取ってきたぞ!」
「ありがとうございます。では、確認しますね」
ミーナは籠を受け取り、採取した薬草を一本ずつ調べ始めた。
ダスはその手元をじっと見つめる。
「…………」
リュネが横から覗き込んだ。
「緊張してる?」
「ちょっとな」
「大丈夫だと思うよ」
「いや、分かんないだろ。最初の方、結構間違えたし」
ミーナは丁寧に薬草を並べ、数と状態を確認していく。
葉の破損。
採取部分。
種類の判別。
最後にもう一度本数を数え、顔を上げた。
「はい。問題ありません。銀縁草三十本、すべて納品可能です」
「……おお!」
ダスの顔が一気に明るくなった。
「よっしゃあ!」
思わず拳を握る。
ミーナが笑った。
「初依頼、達成ですね。おめでとうございます」
「ありがとう!」
「予備の五本もありますが、こちらはどうされますか?」
「一応持ってきたんだけど、追加で納品できる?」
「はい。状態を確認して、買い取り可能なものは別途査定できますよ」
「じゃあ、それもお願いしようかな」
ミーナが予備の五本を確認する。
こちらも問題はなく、追加の買い取りが成立した。
手続きが完了し、ダスとリュネへ報酬が渡される。
ダスは受け取った硬貨を、しばらく手のひらに載せて眺めていた。
「…………」
リュネが微笑む。
「ダス?」
「……これが初報酬か」
「うん」
「俺たちが薬草取ってきた分の金なんだよな」
「そうだよ」
ダスは硬貨を一枚つまみ上げた。
特別なものではない。
街の市場や商店で日常的に使われている、ありふれた硬貨だった。
だが、今は少し違って見えた。
自分で依頼を選んだ。
自分の足で採取場所へ行き、薬草を探し、必要な数を集めた。
帰り道では馬車の修理まで手伝った。
そして、こうして仕事の結果を確認してもらい、報酬を受け取った。
「……いやぁ」
ダスは嬉しそうに笑った。
「いいな、これ!」
ミーナもつられて笑う。
「そう言っていただけると、こちらも嬉しいです」
「ありがとうな、ミーナ」
「こちらこそ。初依頼、お疲れさまでした」
ダスは硬貨を大事そうにしまった。
リュネはその様子を見て、穏やかに微笑んでいた。
もっとも、ダスが次に何を言うかは大体分かっていた。
「……よし。リュネ!」
「うん」
「記念に何か食おうぜ!」
「やっぱり」
「だって初報酬だぞ!」
「昨日も記念に串焼き食べたよ」
「昨日は登録記念。今日は初報酬記念だろ?」
ダスは至極真面目な顔で言った。
「全然違うぞ」
リュネが声を立てて笑った。
受付のミーナも、思わず口元を押さえる。
「ふふっ。では、楽しいお食事を」
「おう!」
三人は受付を後にした。
*
その夜。
ギルド併設の酒場は、昼間以上の賑わいを見せていた。
仕事を終えた冒険者たちが食事を取り、酒を飲み、笑い合っている。
大きな卓を囲んで今日の討伐成果を自慢する者もいれば、依頼の失敗を仲間に愚痴る者もいる。
ダスたちは壁際の席に座り、夕食を楽しんでいた。
「いやぁ、働いた後の飯はうまいな!」
ダスが肉料理を口へ運ぶ。
リュネも隣で食事をしていた。
「頑張ってたものね」
「おう。薬草探しって結構大変だわ」
「最初はね」
「そうそう。最初はな。次はもっと早く見つけられるぞ」
ダスはそう言いながら、足元のヴァルへ視線を落とした。
「……たぶん、お前にも勝てる」
ヴァルは食事に夢中で、相手にしなかった。
「無視かよ」
リュネが笑う。
「今日は頑張ったからね、ヴァルも」
「そうだな。今日はヴァルにも助けられたし」
ダスは笑いながらヴァルの食事を邪魔しないように手を引っ込めた。
そのとき、少し離れた卓から大きな声が聞こえてきた。
「だからよ! 《国跨ぎ》が動いたって噂があんだよ!」
ダスの耳が、その言葉を拾った。
酒を飲んでいた冒険者の一人が、身振り手振りを交えて話している。
「おいおい、また七厄災の話かよ」
「いや、今度は商人から聞いたんだって!」
「商人の噂なんて当てになるかよ」
「でもよ、山みてえな身体の奴が、国境を越えて移動してたって話だぜ?」
周囲の冒険者たちが笑った。
「そりゃ《国跨ぎ》なんだから国境くらい越えるだろ」
「そういう話じゃねえって!」
ダスは料理を食べながら、楽しそうに聞き耳を立てていた。
七厄災。
人間社会にとって、単独で国家規模の災害を引き起こし得る存在たち。
彼らについての噂は、冒険者たちの間でもよく話題になるらしい。
「なあ、ああいうのって実際に会った奴いるのか?」
別の冒険者が尋ねた。
「いるわけねえだろ。会ったら普通は帰ってこられねえよ」
「いや、帰ってきた奴もいるだろ」
「だからそういうのは運がいいだけだって」
「そもそも《国跨ぎ》は別に人間を襲うために動いてるわけじゃねえんだろ?」
「そうだとしても、進路に町があったらどうすんだよ」
その言葉で、卓の雰囲気が少しだけ変わった。
大きすぎる存在に悪意があるかどうかは、必ずしも重要ではない。
ただ通り過ぎるだけで、周囲に甚大な被害が出ることもある。
だからこそ、国や冒険者ギルドが動向を把握し、危険な地域から人を避難させる必要があるのだ。
「……なるほどなあ」
ダスが小さく呟いた。
リュネが顔を向ける。
「気になる?」
「うん。結構面白い話してる」
「そうだね」
「七厄災って、こういうふうに噂されてるんだな」
ダスは笑った。
噂には事実もあれば、誇張もある。
実際には知られていないことを、誰かが勝手に付け加えることだってある。
だが、そうして人々が未知の存在について語り合う様子は、ダスにとって興味深かった。
「俺たちも、そのうち何か噂されるようになるかな」
「どんな噂がいい?」
「そうだな……」
ダスは少し考えた。
「《薬草採取で従魔に負けた男》とか」
リュネが噴き出した。
「それでいいの?」
「いや、嫌だな!」
「自分で言ったのに」
「もっと格好いいのがいいわ」
足元のヴァルが、静かに尾を揺らした。
どうやら、その噂には賛成らしい。
「お前まで何だよ!」
ダスが笑いながら言う。
リュネも笑う。
そんな二人の声は、酒場の賑わいの中へ自然に溶け込んでいった。
やがて食事を終えると、ダスたちは宿へ戻ることにした。
外へ出ると、夜のエルノアは昼とはまた違う顔を見せていた。
通りには店の明かりが並び、仕事帰りの人々が行き交っている。
ダスは懐から冒険者証を取り出した。
《G》。
昨日と同じ文字だった。
だが、今日はその文字に、一件の依頼達成という実績が加わっていた。
「……へへっ」
ダスが笑う。
リュネが隣から覗き込んだ。
「また見てる」
「だってさ、今日ちゃんと冒険者として仕事したんだぞ」
「うん」
「いやぁ、楽しいな。明日も何か受けようぜ」
「何がいい?」
「そうだな……」
ダスは少し考えた。
「次は討伐とかどう?」
「初めての討伐依頼?」
「おう。剣士として登録したんだし、一回くらい剣振りたいじゃん」
「いいね。どんな依頼があるか見てみよう」
「決まりだな!」
ダスは冒険者証をしまい、楽しそうに歩き出した。
リュネがその隣を歩く。
ヴァルも二人の後を追った。
こうして、冒険者としての二日目が終わった。
*
一方、エルノア東方。
森林地帯の巡回報告を集めたギルドの調査担当者たちは、
ある共通点に気づき始めていた。
魔物の移動が、一か所だけで起きているわけではない。
複数の地点で、異なる種類の魔物が西へ向かっている。
通常の縄張りを離れ、普段なら避けるはずの開けた土地を通る個体も確認されていた。
奇妙なのは、どの魔物も必死に逃げ惑っているようには見えないことだった。
何かを恐れているのか。
何かから離れようとしているのか。
あるいは、逆に何かへ向かっているのか。
報告書を並べただけでは、まだ判断できなかった。
ただ、異変が起きている地点は確実に増えていた。
ギルド側は東方の巡回情報をさらに集めることを決め、現地へ入る冒険者たちにも注意を促す。
その頃、エルノアの宿屋では。
「……なあ、リュネ」
「なに?」
「明日の討伐依頼さ」
「うん」
「ちゃんとGランクで受けられるやつ、あるよな?」
リュネは寝台に腰を下ろし、楽しそうに笑った。
「あると思うよ」
「よかった。今日みたいに受注条件見落としてたら嫌だからな」
「明日はちゃんと確認しようね」
「おう!」
ダスは上機嫌のまま、剣を手の届く場所へ置いた。
窓の外では夜風が吹いている。
明日は、冒険者として初めての討伐依頼。
何と戦うことになるのか。
どんな場所へ行くのか。
何が起きるのか。
まだ何も決まっていない。
それが楽しみで仕方なかった。




