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ある物語  作者: ある人
第一章 『冒険者編』
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16/19

第16話『名前のないパーティと開いた扉』

ハルメアの朝は随分と騒がしい。

城門が開くより早く荷馬車が集まり、街道へ向かう冒険者たちがギルドの前を行き交う。

通りの両側では朝食を売る屋台が湯気を上げ、まだ眠そうな職人が道具を担いで仕事場へ急いでいた。

そんな朝の街を一人の青年が実に楽しそうに歩いていた。


「よし! 今日は二件だ!」


ダスである。

片手には依頼書。

腰には何の変哲もない鉄剣。

隣にはリュネが歩き、足元には犬ほどの大きさをした白い飛竜、ヴァルが付き従っている。


「午前中は運搬で、午後は討伐だったね」

「ああ! これなら両方できる!」

「昨日、地図を調べておいてよかったね」

「だろ? 俺もなかなか計画的になってきたと思わないか?」


リュネは少し考えた。


「そうだね。今朝もちゃんと宿を出られたし」

「……それは褒めてるのか?」

「褒めてるよ」


その声には笑いが混じっていた。

ヴァルは二人の後ろを歩きながら、前方の分かれ道へ視線を向ける。

右へ進めばギルド。

左へ進めば市場。


ダスは迷わず左へ曲がった。


「ダス、そっちじゃないよ」

「……いや分かってる」

「うん?」

「朝飯を買おうと思ってな」

「さっき食べたよね?」

「追加だ」


リュネが笑い出した。

ヴァルは静かに右側へ進み、数歩先で振り返った。


「……お前までそっち側かよ」


小さな龍は答えない。

ただギルドの方向を見ている。


「分かったよ。仕事が先だな」


ダスは苦笑しながら二者の後を追った。

彼らがハルメアへ到着したのはつい先日のことだった。

城塞都市にして大規模な冒険者都市。

周辺には幾つものダンジョンがあり、ギルドの掲示板にはエルノアでは見かけなかった種類の依頼まで並んでいる。


その一つを受け、ダスたちは昨日、初めて《クルゼ洞》へ足を踏み入れた。

依頼自体は無事に達成したものの、第四区画の奥で見覚えのない扉が発見され、現在はその周辺への立ち入りが禁止されている。

ダスはあの扉が気になって仕方なかった。


だが、だからといって勝手に潜り込むつもりもない。

今の自分たちはEランク。

第四区画へ進むにはまずDランクになる必要がある。

もちろんDになったからといって臨時の立入禁止が解除されるわけではない。


それでも進入を認められる場所が増えることに変わりはなかった。

昨夜、宿で地図を眺めながら考えていたことを思い出し、ダスは自然と笑みを浮かべた。

今までは低ランクであること自体が面白かった。

今は違う。


もっと先へ進むために次のランクを目指してみたい。

そう思う自分が何だか面白かった。


*


それからしばらく、ダスたちはハルメアで冒険者生活を続けた。

運搬、採取、討伐、護衛補助。

受けられる依頼を確認し、報酬だけでなく危険度や移動時間にも目を通す。

最初の頃は一日に二件受けるだけでも少し手間取った。


午前中の仕事が予定より長引けば、午後の依頼へ間に合わない。

逆に早く終わったとしても疲労した状態で討伐へ向かうのが適切とは限らなかった。

ある日など、街外れの倉庫から荷物を運び終えたダスが、意気揚々と討伐依頼を受けようとしたところ、受付職員から帰還予定時刻を尋ねられた。


「……えーっと、日が暮れる前?」

「対象地域まで片道三時間ほどかかりますが」

「……あ」

「今から向かわれますと、現地へ着く頃には夕方ですね」


ダスはしばらく依頼書を眺めていた。

それから素直に返却した。


「明日にする」

「その方がよろしいかと思います」


隣にいたリュネが楽しそうに笑っていたのはもちろん言うまでもない。

そうした小さな失敗を繰り返しながら、仕事の組み方にも少しずつ慣れていった。

ある日は郊外の農地で害獣を追い払った。

別の日には街道沿いの荷馬車を護衛した。


討伐依頼では剣を振るい、採取依頼では素材の状態を見極める。

野営が必要なら装備を整え、負傷者がいればリュネが無理のない範囲で治療を手伝った。

ヴァルは基本的に周囲の警戒を担当していた。

一般人の前では言葉を発さず、小型飛竜系の同行魔獣として振る舞っている。


その役回りにもすっかり慣れていた。

もっとも好んで従魔扱いを受けているわけではない。

宿の個室へ戻り、ようやく周囲を気にせず話せるようになった夜には、こんなこともあった。


「ダス。一つ言っておく」

「何だ?」

「今日の商人、次に会っても俺の頭を撫でようとするなら止めてくれ」

「気に入られてたじゃないか」

「俺は気に入っていない」

「はははっ! 悪かったって!」


ヴァルがじろりと睨む。

その横でリュネが小さく笑った。


「でも荷馬車を守ってくれたことは、ちゃんと分かってたみたいだね」

「ああ。それは構わん。礼を言われることと、子供扱いされることは別だ」

「ごもっとも」


ダスが素直に頷くとヴァルはようやく満足したようだった。

そんな日々が二週間、三週間と積み重なっていく。

当然ながら、いつも順調だったわけではない。

雨の降った街道で馬車の車輪が泥に取られたこともあった。


討伐対象を発見したものの、近くに別の魔物が現れたため、依頼を中断して引き返したこともある。

ある護衛依頼では後方の荷車が遅れたことで隊列が伸び、先頭の者がそれに気付かないまま進みかけた。

ダスは状況を見て、前方へ声をかけた。


「おーい! ちょっと止まってくれ!」


護衛隊長が振り返る。


「どうした?」

「後ろの馬車が遅れてる。このまま進むと、曲がり角で見えなくなるぞ」


隊長は後方へ目を向け、すぐに隊列を停止させた。

その後荷車の車軸に小さな不具合が見つかり、修理のため予定より長く休むことになった。

ダスたちはその間も周辺の警戒を続けた。

依頼が終わったあと隊長からは礼を言われた。


「助かったよ。新人にしちゃ、よく周りを見てるな」

「ははっ! そりゃどうも!」

「剣の腕はまだまだってところだがな」

「そこはこれからだ!」


即答すると隊長は声を上げて笑った。

ダス自身も楽しそうだった。

強い相手を倒すことだけが冒険者の仕事ではない。

仲間の位置を把握すること。


予定通りに進めないとき、どうするか判断すること。

危険を避け、無事に戻ってくること。

エルノアで見てきた冒険者たちの姿を今度は自分たちの日々の仕事として経験していた。

そしてハルメアでの活動が三週間を過ぎた頃。


ギルドの受付でダスとリュネは思いがけない話を持ちかけられた。


「Dランクへの昇格査定、ですか?」


リュネが聞き返した。

受付職員が頷く。


「はい。お二人のこれまでの活動記録を確認した結果、査定を受けていただけることになりました」


ダスの顔がぱっと明るくなった。


「おおっ! 本当か!?」

「はい。ただし、査定を受けられることと、昇格が決まっていることは別です」

「もちろん!」


ダスは勢いよく頷いた。

エルノアでの活動履歴に加え、ハルメアで積み重ねた依頼実績。

救助や護衛中の判断についても関係者からの報告が残っていた。

ギルドとしては単純な討伐数だけでなく、依頼を任せられるかどうかを見極めたいという。


ダスに異論はなかった。

むしろ大歓迎だった。


「よし! リュネ、受けよう!」

「うん。いいと思うよ」

「ついにDか……!」

「まだ合格してないよ?」

「分かってるって!」


そう答えながら、ダスはもう合格した後のことを考え始めていた。

第四区画。

その奥にある、まだ見たことのない扉。

もちろん査定に落ちれば今回の話はそれまでである。


だからこそダスは珍しく真面目な顔で受付職員へ向き直った。


「それで、いつ受けられる?」


受付職員は手元の予定表を確認した。


「明後日でしたら、お二人とも同じ日に受けられます」

「よし!」


彼は満面の笑みで答えた。


「お願いします!」


*


昇格査定は思っていた以上に細かかった。

基本的な戦闘能力の確認だけでなく、現場での判断、装備の扱い、仲間との連携なども見られる。

ダスは剣を持ち、リュネは魔術師として参加した。

もちろん本来の力を使うつもりはない。


今まで積み重ねてきた新人冒険者としての経験を今度は一つ上のランクで通用するかどうか試す。

そのための査定である。

実技の途中、模擬戦を担当していた試験官がダスの剣を受け止め、眉を寄せた。


「……お前、剣そのものはまだ荒いな」

「ははっ! よく言われる!」

「笑うところか?」

「いやちゃんと練習してるんだけどな」

「それは見れば分かる。前よりよくなった部分もあるだろう」


試験官は木剣を構え直した。


「ただ、力の入れ方に無駄がある。踏み込みも安定してない」

「なるほど」

「その代わり、危険な位置には妙に残らないな」


ダスは少しだけ笑った。


「そこは大事だからな」

「……まあ、そうだな」


試験官はそれ以上追及せず、続きを促した。

リュネの査定では魔術の精度と周囲への注意、味方との距離の取り方などが確認された。

彼女は慌てず、一つずつ対応していく。

見せているのはあくまで一般的な冒険者魔術師としての技術だった。


それでも試験官からの評価は悪くなかった。

最後の実地判断では想定された護衛隊列に問題が発生した場合の対応を問われた。

前方に魔物。

後方には足を負傷した同行者。


退路は残っているが依頼対象の荷車を守ろうとすれば、その場で戦う必要がある。

ダスは状況を聞き、少し考えた。


「……まず、撤退できる場所まで下がるかな」

「依頼対象の荷車はどうする?」

「持って帰れそうなら持って帰る。無理なら置く」

「報酬が失われるぞ」

「死ぬよりいいだろ」


試験官は手元の記録へ何かを書き込んだ。

ダスは続けた。


「それに魔物が荷車を狙ってるとも限らないしな。まずは相手が何をしてるのか見たい」

「……分かった」


それで査定は終了した。

結果が知らされたのはその日の夕方だった。

ギルドの窓口へ呼ばれたダスとリュネは並んで受付職員の前に立った。

職員は二人の記録を確認し、穏やかに微笑んだ。


「お待たせしました。お二人とも、Dランクへの昇格が認められました」

「…………」


ダスが黙った。

リュネはその横顔を見上げる。


「ダス?」

「……おお」


彼は差し出された冒険者証を受け取った。

そこには新しい文字が刻まれていた。

《D》。


「……おおおっ!」


ダスが思わず声を上げる。


「やった! Dランクだ!」


周囲の冒険者が何人か振り返った。

ダスは気にしない。

冒険者証を掲げ、嬉しそうに笑った。


「リュネ! 見ろよ! Dだぞ、D!」

「うん。私のもDになってるよ」

「はははっ! そうだった!」


彼は自分の証とリュネの証を見比べ、さらに笑った。

GからFへ。

FからEへ。

そしてEからDへ。


最初は最低ランクの証が気に入って、なかなか手放したくなかった。

それが今では新しいランクが嬉しくて仕方ない。


「……いいなぁ、これ」


ダスがしみじみと呟く。

リュネが微笑んだ。


「そんなに嬉しい?」

「ああ!」

「じゃあ、次はCかな?」

「……おっ」


ダスが顔を上げた。


「C!」


その目がまた輝き始める。

リュネは笑いを堪えきれなかった。


「ふふっ。まだDになったばかりだよ」

「そうだったな!」


二人は笑いながら受付を離れた。

その足元ではヴァルが静かに歩いていた。

ダスの手にある冒険者証へ目を向け、少しだけ尾を揺らす。

以前ならこの男がGランクの証を手放したくないと言い出しても不思議ではなかった。


今ではもう、次のランクの話をしている。

なかなか忙しい男である。

もっとも本人が楽しんでいるなら、それでよかった。


*


その日の夜。

ダスたちはギルド併設の酒場でジークたち《灰枝》と再会した。


「おっ、ダスじゃねえか!」


大きな声をかけてきたのはボルだった。

隣ではジークが食事をしており、マナは何やら地図を広げている。


「よう! 久しぶりだな!」


ダスが近付くとジークが顔を上げた。


「おう。元気そうだな。クルゼ洞以来か?」

「そうだな。そっちはどうだ?」

「相変わらずさ。第四区画はまだ調査中だが、ほかのダンジョンにも仕事はあるからな」


ジークはそう言ってからふとダスの手元を見た。


「……ん?」

「どうした?」

「その冒険者証……お前、Dになったのか?」


ダスは待ってましたとばかりに笑った。


「おう! 今日な!」

「おお、やったじゃねえか!」


ジークが嬉しそうに肩を叩いた。

マナも地図から顔を上げる。


「えっ、本当? おめでとう!」

「ありがとな!」

「リュネも?」

「うん。私も今日、昇格したよ」

「すごいじゃない! 二人ともおめでとう!」


ボルが大きく頷いた。


「いいな! じゃあ今度は一緒に奥まで行けるな!」

「おい、ボル」


ジークが苦笑する。


「第四はまだ閉鎖中だって言っただろ」

「……ああ、そうだった」

「お前、さっき聞いてただろ」

「聞いてた!」

「じゃあ忘れるなよ!」


三人のやり取りを見て、ダスが笑い出した。

初めて出会った日もこんな調子だった。

少し騒がしくて、遠慮がない。

それでいて、危険な場面では互いの役割をよく理解している。


ダスはこの三人の関係が結構気に入っていた。


「そういや、お前らって《灰枝》って名前なんだよな」

「ああ。うちのパーティ名だ」

「どうやって決めたんだ?」


ジークは少し考えた。


「最初は適当に候補を出してたんだが……結局、三人とも納得できる名前がこれだった」

「へえ」

「ボルは《岩砕き》がいいって言ってたけどな」

「格好いいだろ!」

「採取の仕事まで《岩砕き》で通す気か?」

「採取だって岩を砕くことはあるだろ!」

「薬草を採るのに岩は砕かねえよ!」


マナが笑いながら突っ込んだ。

ダスも腹を抱えて笑った。


「はははっ! いいな、それ!」

「笑い事じゃないわよ。決めるまで結構大変だったんだから」

「でもちゃんと決まったんだろ?」

「まあね」


マナは少し得意そうに微笑んだ。

そんな話をしているうちに、ジークがふと尋ねた。


「そういや、お前らは?」

「ん?」

「パーティ名だよ。二人とそこの飛竜で組んでるんだろ?」

「ああ、そうだな」

「名前は?」


ダスは口を開きかけた。

そして止まった。


「…………」


リュネが隣で首を傾げる。


「どうしたの?」

「……ないな」

「うん?」

「名前、ないぞ」


少しの沈黙。

ジークが目を瞬かせた。


「……決めてなかったのか?」

「全然考えてなかった!」


ダスは堂々と言い切った。

ボルが声を上げて笑う。


「はははっ! そりゃ面白え!」


マナも呆れたように笑った。


「今までずっと一緒にいたんでしょ?」

「ああ!」

「それで名前がないの?」

「そうなんだよなぁ」


ダスは腕を組んだ。


「……なるほど。パーティ名か」


それまで特に必要だと思ったことはなかった。

二人と一体で依頼を受け、好きな場所へ行き、興味のある仕事をする。

それで十分だった。


だがこうしてほかの冒険者たちと話していると、自分たちにも名前があった方が面白そうに思えてくる。


「よし! 決めよう!」


ダスが勢いよく言った。


「今から?」


リュネが笑う。


「おう! 何がいいかな……」


彼はしばらく考えた。


「《未知の旅人》!」

「ちょっと長いかな」

「じゃあ《白き飛竜》!」


ヴァルが顔を上げた。

その目が何か言いたげに細まる。

リュネが笑った。


「ヴァルが主役みたいだね」

「確かに」


ダスは再び考え込んだ。

ボルも面白がって候補を出し始めたがマナに次々と却下されている。


「《三牙》!」

「何で牙なのよ」

「三人だからだ!」

「飛竜はともかく、二人には牙なんてないでしょ」

「あるだろ!」

「普通の歯でしょ!」


酒場の卓が笑いに包まれた。

そんな中、リュネは少しだけ考えてから口を開いた。


「……ねえ、ダス」

「ん?」

「《余白》ってどうかな」


ダスが顔を向けた。


「……余白?」

「うん」


リュネは柔らかく微笑んだ。


「まだ何を書くか決まっていない場所。これから好きなものを書いていける、何も決められていないところ」


ダスはしばらく黙っていた。

リュネは続ける。


「私たち、今は冒険者として色々なことをしてるでしょう? 次にどこへ行くのかも、何をするのかも、全部決まってるわけじゃないし」

「……ああ」

「だったら、そういう名前もいいかなって」


ダスはゆっくりと笑った。

何も決まっていない。

だから何にでもなれる。

まだ知らない土地へ行き、知らないものを見て、好きなことをする。


今の自分たちにはなかなか似合っている気がした。


「……いいな」


彼は頷いた。


「それ、すげえいい!」


リュネの笑みが深くなる。


「気に入った?」

「ああ! 《余白》か!」


ダスは何度か口にしてみた。


「いいじゃん。俺たちらしい!」


ジークも頷いた。


「悪くない名前だな」

「そうね。変に大げさじゃないし、覚えやすいわ」


マナも賛成する。

ボルだけが少し考え込んでいた。


「……でも岩砕きの方が強そうじゃねえか?」

「もういいって!」


再び笑いが起きた。

ダスはリュネを見た。


「よし! 決まりだ!」

「うん」

「俺たちは今日から《余白》だ!」


足元のヴァルが静かに目を閉じた。

名前そのものに異論はない。

ただ今のところ構成員は三者しかいないというのに、これから何が増えるか分からないような名前を選ぶあたり、実にダスとリュネらしかった。

その後三者はギルドの手続きを済ませ、パーティ名を《余白》として登録した。


ダスは新しいDランクの冒険者証と、登録されたばかりのパーティ名を何度も見比べていた。


「……いいなぁ」


リュネが笑う。


「今日、何回目?」

「何が?」

「それ、言うの」

「……分からん!」


ダスは笑った。

新しいランク。

新しい名前。

そしてこれから先にはまだ知らない依頼が待っている。


何だか、ますます冒険者らしくなってきた気がした。


*


それから二日後。

《余白》の三者は再びクルゼ洞へ向かっていた。


ただし今回は普通の素材採取依頼ではない。

第四区画の奥で発見された、地図にない扉。

その調査隊へ補助要員として参加することになったのである。


今回の調査はギルド主導で行われ、経験豊富な上位冒険者と専門の調査担当者が参加する。

《灰枝》の三人も扉を最初に発見した者として同行することになっていた。


ダスたちが参加できたのはDランクへの昇格に加え、前回の探索で現場の状況を知っていたこと、負傷者の救助や帰還支援の実績があったことなどが評価されたためだった。

もちろん役割はあくまで補助である。

未知の扉を勝手に開けたり、調査隊の指示を無視して奥へ進んだりする権限はない。


それでもダスにとっては十分すぎるほど魅力的な仕事だった。


「いやぁ、楽しみだな!」


クルゼ洞へ続く道を歩きながら、ダスが笑った。


「前は第三までだったけど、今度は第四へ行けるんだぞ!」

「そうだね」


リュネも楽しそうだった。


「しかも、今回は調査隊の一員だものね」

「ああ! どんな扉なんだろうなぁ」


ダスは何度も地図を確認していた。

昨日、ギルドから受け取った新しい案内図である。

前回は第三までしか詳しく見ていなかったが今は第四区画の通路も確認できる。


ただし問題の扉については位置が記されているだけだった。

内部の構造も扉の材質も正確な仕組みも不明。

ダスはその空白を眺め、ますます楽しそうに笑った。


「……本当に、何も分かってないんだな」

「うん。だから調べに行くんだよ」

「そうだよな!」


ヴァルは二人の後ろを歩いていた。

背中の翼を小さく畳み、周囲の冒険者や荷馬車を避けながら進んでいる。

その姿はどこからどう見ても大人しく訓練された同行魔獣だった。

もっとも彼自身は周囲の地形や人々の動きをよく観察している。


前回と比べて、道沿いには調査用の荷車が増えていた。

洞窟の入口付近にも普段より多くの冒険者が集まっている。


今回の調査がそれなりに大がかりなものだということは明らかだった。

やがて管理所の前で見覚えのある三人組を発見した。


「おーい! ジーク!」


ダスが手を振る。

ジークが振り返り、笑った。


「よう! 来たな、《余白》!」

「おう!」


その名前で呼ばれた途端、ダスの顔がさらに明るくなった。


「……いいな!」

「何がだ?」

「今の!」

「……名前か?」

「ああ!」


ジークは呆れたように笑った。


「昨日もギルドで何回か呼ばれてただろ」

「何回聞いてもいいもんはいいんだよ!」


マナが笑いながらリュネへ顔を向ける。


「相当気に入ってるみたいね」

「うん。昨日からずっとこんな感じ」

「……大変そう」

「楽しいよ?」


リュネが微笑むとマナもつられて笑った。

ボルはヴァルを眺めていた。


「そういや、こいつも《余白》なんだよな?」

「ああ!」

「……戦えるのか?」


ダスが答えようとすると、ヴァルがゆっくりと顔を上げた。

鋭い目がボルを捉える。

ボルは少しだけ身体を引いた。


「……おお。結構迫力あるな」

「ははっ! 頼りになるぞ!」


ヴァルはそれ以上何もせずに歩き始めた。

人前で実力を見せるつもりはない。

ただ戦えるかどうかを心配されるほど弱々しい姿をしているつもりもなかった。

そんな彼を見送りながら、ボルが小さく呟いた。


「……何か、あいつに馬鹿にされた気がするな」

「気のせいじゃない?」


マナが即答した。


「おい!」


笑い声が広がる。


そのとき管理所の方から調査隊の集合を知らせる声が上がった。

ジークが立ち上がる。


「よし。そろそろ行くぞ」


ダスも表情を引き締めた。


「ああ!」


*


クルゼ洞の内部は前回と大きく変わっていなかった。

入口から第一区画へ続く通路。

人の手で整備された足場。

第二から第三へ向かう途中にはあの崩落箇所も残っている。


ただし危険な部分には新たに目印が置かれ、通行できる側の道も以前より分かりやすく示されていた。

調査隊はそこで一度足を止め、通路の状態を確認した。

ダスたちは後方の補助班として荷物を運び、隊列の間隔を保ちながら進む。

ジークたちは以前通った経路について調査責任者へ説明していた。


「この先が第三区画です。前回、音が聞こえたのもこの辺りでした」

「振動は?」

「一度だけじゃありません。帰る途中でも何回か聞こえました」

「地面の揺れは確認したか?」

「わずかに。ただ、崩落が起きるほどではありませんでした」


責任者は頷き、記録担当者へ指示を出した。

ダスはそのやり取りを興味深そうに聞いていた。

新しい扉が見つかった。

それだけなら今すぐにでも見に行きたくなる。


しかし、調査隊はそこへ至るまでの地形や振動、退路の確保にも時間をかけていた。

未知を調べるとは単に目的のものへ辿り着くことではない。

安全に辿り着き、必要な情報を持ち帰ることまで含まれる。

その考え方はエルノアでヴェルトたちが見せていた姿にも通じていた。


ダスはますますこの仕事が気に入ってきた。

やがて調査隊は第三から第四へ続く通路へ到着した。

そこから先はダスたちにとって初めての場所だった。


「……おお」


ダスが小さく声を漏らす。

第四区画はそれまでの通路よりも岩の凹凸が大きかった。

壁の一部には自然にできた細い裂け目が走り、天井からは短い石柱が垂れ下がっている。

足元には湿った砂利が溜まった場所もあり、歩くたびに小さな音が響いた。


魔力灯の光が届く範囲は限られている。

通路の先は緩やかな曲がり角の向こうへ消えていた。


「……いいなぁ」


ダスが呟く。

リュネが隣で笑った。


「嬉しそうだね」

「ああ。だって初めて来たんだぞ」

「うん」

「しかも、まだ奥がある」


ダスは前方を眺めた。

どれほど強大な力を持っていてもこうした経験は別だった。

知らない場所へ決められた手順で入る。

地図を見て、仲間と相談し、危険な場所では足を止める。


それ自体が今の彼には面白かった。

そんな彼の足元でヴァルが小さく鼻を動かした。

周囲の空気には土と湿った岩の匂いが混じっている。

それ以外にも奥の方から微かな違和感があった。


ただし、それが何を意味するのかはまだ分からない。

ヴァルは黙って前方を見つめた。

しばらく進むと通路の形が変わり始めた。

右側の岩壁には新しい亀裂があり、床には大小の石が散らばっている。


天井から落ちたものらしい。

ジークが足を止めた。


「……この辺りです」


調査責任者が前へ出る。


「扉は?」

「もう少し先です。第五へ向かう通路の近くに」


一行は慎重に進んだ。

曲がり角を抜けたところで前方の岩壁に奇妙なものが見えた。

扉だった。


*


それは洞窟の中にあるには随分と不自然な扉だった。

高さは成人が通れる程度。

表面は暗い色をしており、金属とも石とも判別しにくい。

周囲には岩壁が続いているが扉の部分だけが妙に整った形をしていた。


ただし豪華な装飾も分かりやすい魔術式も見当たらない。

まるで誰かが普通の建物の出入口をそのまま岩の中へ埋め込んだようだった。


「……これか」


ダスが呟く。

リュネも扉を眺めた。


「変わった場所にあるね」

「ああ」


調査隊はすぐには近付かなかった。

まず周囲の岩壁を確認し、床の状態を調べる。

何かが潜んでいないか。

扉が罠として機能していないか。


向こう側から危険なものが現れる可能性はないか。

専門の調査担当者が順に確認していく。

ダスたちは指示された位置で待機していた。

ジークが小さく息を吐く。


「……やっぱりあるな」

「前と同じか?」


ダスが尋ねた。


「ああ。少なくとも見た目はな。ただ……」

「ただ?」

「周りの岩が、少し変わってる気がする」


ジークは左側の壁を指さした。

前回はそこに小さな段差があったという。


だが今は崩れた岩が床に積もり、段差の形が分かりにくくなっていた。


「……また動いたのかもしれないな」


ダスが言う。

ジークは頷いた。


「そうだな。だから調査が必要なんだ」


そのときだった。

……ごり。

低い音が響いた。

誰かが岩を擦ったような、重い音。


一行の動きが止まる。


「……今のか?」


責任者が尋ねる。

ジークが頷いた。


「そうです。前回も似た音がしました」


調査担当者が岩壁へ手を当てる。

しばらくしてもう一度。

……ごり、ごり。

音が続いた。


今度は足元に微かな振動も伝わってきた。


「全員、その場で待機!」


責任者の声が響いた。

隊員たちはすぐに動きを止めた。

ダスも指示に従い、周囲へ目を配る。

リュネは後方の通路を確認していた。


ヴァルは扉ではなく、その周囲の岩壁へ視線を向けている。

やがて振動が収まると調査担当者が報告した。


「周囲の岩盤に変動の痕跡があります。ただ、扉自体が動いているわけではなさそうです」

「……分かった。引き続き慎重に確認する」


責任者はそう答えた。

しばらくして扉の表面を調べていた一人が声を上げた。


「……待ってください」

「どうした?」

「内側から、何か音が……」


その瞬間だった。

かちゃり。

小さな音がした。

扉の取っ手が動いたのである。


全員の視線が集まった。

そして。

ぎい、と。

扉が内側から開いた。


「……あれ?」


現れたのは一人の小柄な女性だった。

小人族。

背中には採集用の鞄を背負い、手には小さな道具袋を持っている。

顔立ちは柔らかく、どちらかといえば控えめな雰囲気の女性だった。


その彼女が目の前に集まった冒険者たちを見て固まった。


「…………」


調査隊も固まった。

ダスも黙った。

リュネも黙った。

ヴァルはゆっくりと目を閉じた。


数秒の沈黙。

そして。


「……えっ?」


女性が小さく声を漏らした。

その視線が調査隊の後方を捉える。

ダス。

リュネ。


ヴァル。

三者の顔を順番に見た。

女性の表情がみるみる変わっていく。


「…………え」


ダスもようやく彼女が誰なのかを理解した。

いや。

正確には扉が開いた時点で分かっていた。

ただあまりにも予想外だったため、少しだけ言葉を失っていたのである。


目の前にいるのは。

《Das Unendliche im Endlichen》第4軍第13位。

採集専門冒険者。

ノエルだった。


(……おいおい)

ダスは心の中で笑いを堪えた。

ノエルの方は笑うどころではない。

何故か自分の目の前にいる主。


その隣のリュネ。

さらに足元には小型化したヴァル。

そして周囲には事情を何も知らない冒険者たち。

ノエルの顔からさっと血の気が引いた。


(……何で!?)

表情がそう叫んでいた。


「……おい」


調査責任者が声をかけた。

ノエルがびくりと肩を揺らす。


「は、はいっ!」

「お前は誰だ?」

「……え?」

「名前と所属を聞いている。ここで何をしていた?」


ノエルは口を開いた。


しかしすぐには言葉が出なかった。

ダスはさりげなく咳払いをした。


「……こほん」


ノエルが反射的にそちらを見た。

ダスはごく自然に首を傾げている。

見知らぬ冒険者と初めて出会ったときの顔だった。

ノエルはその表情を見てようやく理解した。


――知らないふりをしろ。

そういうことだった。


「……ノ、ノエルです!」


勢いよく名乗った。


「採集を専門にしている冒険者です!」


調査責任者が眉を寄せる。


「冒険者?」

「はい!」

「ランクは?」

「Bです!」


周囲の冒険者たちが少し驚いた。

こんな場所から突然現れた小人族の女性がBランク冒険者だという。


ただしランクが高ければ何をしていても許されるわけではない。


「……なるほど。それで、何故ここにいる?」

「それは……」


ノエルは言葉に詰まった。

ダスは黙って見ていた。

リュネも静かに微笑んでいる。

ヴァルは目を閉じたままだった。


ノエルの額に汗が浮かぶ。


「……採集のため、です」

「採集?」

「はい。あの……ここ、私が使っている中継室に繋がっていて……」

「中継室?」


責任者が聞き返した。

ノエルは頷いた。


「えっと、採集に使う場所を幾つか移動するので……知人と使っている転移用の中継室なんです」

「転移?」

「はい……」

「つまり、この扉の向こうに転移設備があると?」

「……そうです」


責任者は扉へ目を向けた。

その向こうには確かに普通の洞窟とは違う空間が見えている。

整った床。

壁際には小さな棚。


採集用の道具や容器らしいものが置かれていた。

ただし部屋の奥までは入口から確認できない。


「……中を調べてもいいか?」


責任者が尋ねた。

ノエルは一瞬だけ躊躇した。

その視線がほんのわずかにダスへ向く。

ダスは何も言わなかった。


ただ普段と変わらない顔で立っていた。

ノエルは小さく息を吸った。


「……はい。入口側の部屋なら」


責任者は頷いた。

それから部下へ指示を出した。


「全員は入るな。まず少人数で確認する。何か異常があればすぐに戻れ」


調査担当者が二人、扉の内側へ入った。

ダスたちは外で待機する。

ノエルも入口の脇に立っていた。

ちらり。


彼女がダスを見る。

ダスは笑いそうになるのを必死で堪えていた。

リュネは口元を手で隠している。

ヴァルだけが何とも言えない顔で二者を見上げていた。


――楽しんでいる場合か。

そう言いたげな目だった。


*


調査の結果、扉の向こうには小規模な人工の部屋が存在することが確認された。

床や壁は人の手で整えられ、採集道具や保存容器、休憩用の備品などが置かれている。

さらに奥には何らかの転移設備らしい構造も見られた。


ただし、その先への進入は認められなかった。

所有者を名乗るノエルによれば、知人が管理する設備へ繋がっているという。

無断で立ち入れば危険な可能性があり、調査責任者も強行することは避けた。

そもそも今回の目的はクルゼ洞に突然現れた扉の正体と危険性を確かめることだった。


転移設備の所有関係や管理状況を調べる必要はあるがそれは別の手続きになる。

ただし肝心の疑問は残っていた。


「……つまり、以前からこの部屋を使っていたということか?」


責任者が尋ねる。

ノエルは小さく頷いた。


「は、はい」

「だがここの冒険者たちは、以前は扉がなかったと言っている」

「……それは」


ノエルの声が小さくなる。

ダスはその様子を眺めながら考えていた。

ノエルが使っていた外界接続用の門。

その接続先が偶然この洞窟の構造変動と重なった。


恐らく、そういうことだろう。

この付近の岩盤が動いたことで普段は外側へ露出していなかった接続口が、洞窟側から見える状態になったのかもしれない。


ただし実際に何が起こったのかは確認が必要だった。

ダスは勝手に結論を決めず、まずノエルの反応を観察した。


そのときノエルが小さく呟いた。


「……閉めておけば……」


ダスの耳にだけ届く程度の声だった。

彼はようやく事情を察した。

(……なるほどな)

閉め忘れ。


どうやら、それが今回の騒動の原因らしい。

ダスは思わず口元を押さえた。

笑ってはいけない。

少なくとも今は。


だが。

(……ノエル、お前……!)

肩がわずかに震える。

リュネが横から肘で軽く突いた。


ダスは咳払いをした。


「……こほん」


ノエルがますます青ざめた。

調査責任者はそんな三者の事情など知らない。

彼は真面目な顔でノエルへ向き直った。


「とにかく、現時点で危険がないとは判断できない。接続の管理状況と、洞窟側に扉が現れた経緯を確認する必要がある」

「……はい」

「このまま一般の冒険者が入れる状態にしておくわけにはいかない。今後の扱いを決めるまで、こちらで立入制限を続ける」


ノエルは頷いた。

ただし、その顔には別の不安が浮かんでいた。

このままではさらに詳しい調査が行われる。

そうなればいつか中継室の奥にある本当の接続先まで調べられるかもしれない。


それだけは避けなければならなかった。

彼女はちらりとダスを見た。

するとダスがごく自然に口を開いた。


「……なあ、ちょっといいか?」


責任者が振り返る。


「何だ?」

「この扉、まだ動いてるのか?」

「動いている?」

「さっきから岩が擦れる音がしてただろ? 扉が見つかったのも、そのせいかもしれないんじゃないか?」


責任者は周囲の岩壁へ目を向けた。


「……可能性はあるな」

「だったら、今はあまり長くここにいない方がいいと思うんだよな。入口を閉じても、周りの岩がまた動くかもしれないし」


ジークも頷いた。


「それはそうですね。前回も振動がありましたし」


調査担当者の一人が壁の状態を確認する。


「……確かに。今すぐ崩れるとは限りませんが、長時間滞在するなら補強が必要です」


責任者は少し考えた。

その後判断を下した。


「分かった。今日はここまでにする。内部の記録は取れた。全員、順に撤収準備だ」


隊員たちが動き始める。

ノエルはようやく少しだけ息を吐いた。


しかし。

ダスはまだ笑いを堪えていた。


*


撤収が始まってからしばらくして。

調査隊の大半は扉から離れた安全な場所へ移動していた。

ノエルは責任者から接続を今後も維持するのか、それとも解除できるのかについて説明を求められていた。

彼女は何とか平静を保ちながら答えている。


ダスは少し離れた位置でその様子を眺めていた。

リュネが隣へ来る。


「……どうする?」


小さな声だった。


「まあ、このままってわけにもいかないしな」


ダスは軽く肩をすくめた。


「接続だけ切っておくか」


リュネは頷いた。


「うん。その方がいいね」


ダスは周囲の視線が別の場所へ向いていることを確認した。

そして人には感知できないほど静かに、中継室と洞窟側の接続へ干渉した。

力をぶつけるようなことはしない。

扉を破壊する必要もない。


ただ外界側へ繋がっていた経路を元の状態へ戻す。

それだけだった。

ノエルは何かが変わったことに気付いた。


しかし振り返ることはしなかった。

しばらくして岩壁の奥から低い音が響いた。

……ごり。

調査担当者たちが顔を上げる。


「……まただ!」


責任者が周囲へ声をかけた。


「全員、退避!」


調査隊はすぐに後退した。

ダスもリュネもほかの冒険者たちと同じように距離を取る。

ヴァルもその後へ続いた。

音は数秒ほど続いた。


そして止まった。

その後慎重に確認された岩壁には先ほどまでの扉が見当たらなくなっていた。


「……消えた?」


ジークが呟く。

マナも驚いたように目を見開く。


「……どういうこと?」


責任者は扉があった場所を慎重に調べた。


しかしそこにあるのは通常の岩壁だった。

先ほどの扉も内部の部屋も今は見えない。

もちろん、だからといって最初から存在しなかったことにはならない。

調査隊は実際に扉を確認している。


内部へ入った者もいる。

記録も残っている。

ただその接続が今は失われている。

それだけだった。


「……少なくとも、現時点では通れなくなったようだな」


責任者が言った。

ノエルが小さく頷く。


「……はい。私の方でも、接続が切れたことは確認できます」

「原因は分かるか?」

「……正確には、まだ」


嘘ではなかった。

少なくとも彼女自身が何をどうした結果、扉が洞窟側へ露出したのかについては、すべてを確認できているわけではない。

責任者は難しい顔をした。


「……一度、ギルドへ戻って報告する。関係資料も調べる必要があるな」


ノエルは頷いた。


「はい。私も、必要な範囲で説明します」


こうしてクルゼ洞の新しい扉についての第一次調査は終了した。

調査隊が確認したのは洞窟側へ一時的に繋がった人工の転移中継施設らしい空間。

その管理に関わるBランク冒険者ノエル。

そして接続が失われたという事実だった。


内部設備の詳細や、何故その場所へ扉が現れたのかについては、なおも不明な部分が残っている。

ギルドは調査記録を保存し、周辺の安全確認を継続することにした。

少なくともクルゼ洞の奥に未知の魔物が潜んでいたという証拠は見つからなかった。

調査隊の全員が無事に戻れたことも何よりだった。


そして。

ダスは。

帰り道でついに我慢できなくなった。


「……っ、くくっ」


リュネが顔を向ける。


「ダス?」

「……いや何でもない」

「ふふっ」

「……っ、はは」


ヴァルが呆れたように見上げた。


しかしダスはもう駄目だった。


「……はははっ!」


思い出したのは扉を開けたノエルの顔だった。

調査隊の前に現れた瞬間。

自分たちを見つけた瞬間。

あの、世界の終わりでも見たような表情。


「……くっ、駄目だ!」


ダスは笑いながら顔を覆った。

リュネも肩を震わせている。


「……ふふっ。すごく驚いてたね」

「ああ! あんな顔、初めて見たぞ!」


ヴァルは二者を見上げた。

そして周囲に誰もいないことを確かめてから小さく呟いた。


「……笑っている場合か。ノエルにしてみれば、寿命が縮む思いだっただろう」

「はははっ! そうだろうな!」

「……まったく」


ヴァルは呆れたように首を振った。

ただし彼もノエルが何故あそこまで慌てていたのかは理解していた。

彼女にとって、主の存在は非常に大きい。

その主が自分の不注意で発生した騒動の現場へ何故か新人冒険者として現れたのである。


冷静でいられる方がおかしかった。


「……まあ、あとでノワールにも報告が行くんだろうな」


ダスが笑いながら言った。

リュネは少し考えた。


「うん。たぶん、もう気付いてると思うよ」

「……だよなぁ」


ダスの笑みがさらに深くなった。


「……ノエル、頑張れよ」


その声には同情が半分。

面白がっている気持ちが半分。

いや。

実際には後者の方がかなり大きかった。


*


そして、その夜。

《ディー・ハイマート》では一人の小人族女性が背筋を伸ばして立っていた。

ノエルである。

その正面には白髪の老紳士がいた。


ノワール。

《Das Unendliche im Endlichen》第1軍第1位。

そして本拠地の管理を担う人物である。

彼は静かに書類へ目を通していた。


「……なるほど」


ノワールが頷いた。


「外界接続用の門を使用した後、閉鎖確認を怠った、と」

「……はい」


ノエルの声は小さかった。


「その後、接続先付近の地形変動によって、外部から門が確認できる状態になった可能性がある」

「……はい」

「そして、調査隊が到着した際、あなた自身が扉を開けた」

「…………はい」


ノワールは書類を置いた。

怒鳴ることはない。

声を荒らげることもない。

ただ静かにノエルを見つめた。


「……ノエル」

「は、はいっ!」

「外界接続門の管理規則を、覚えていますか?」

「……はい」

「では、確認しましょう」


ノエルは小さく息を呑んだ。


「……確認、ですか?」

「ええ。最初から最後まで」

「…………」

「使用前の確認、使用中の監視、使用後の閉鎖、接続解除、残留確認、記録の提出」


ノワールは一つずつ指を折った。


「すべてです」


ノエルの肩が目に見えて落ちた。


「……はい」

「なお、今回の件については、管理記録の不備も確認されています」

「…………はい」

「そちらも併せて整理しましょう」


ノエルは今度こそ完全にうなだれた。

ノワールは相変わらず丁寧な口調だった。


「では、始めます」


その夜。

ノエルは外界接続門の管理規則を一からすべて確認することになった。

ちなみに。

少し離れた場所ではノワールの報告を聞いたヴェルデンが、腹を抱えて笑っていた。


「ははははっ!! いやぁ、参った!」


リュネも隣で笑っている。

ヴァルは静かに目を閉じた。


「……ノエルが気の毒だ」


ヴェルデンはようやく笑いを収めた。


「いやまあ、失敗は失敗だからな。そこはちゃんと覚えてもらわないと困る」

「ああ。それはそうだ」

「でもさ」


ヴェルデンはもう一度思い出したように笑った。


「扉を開けたら俺がいたんだぞ?」


リュネが小さく吹き出す。


「ふふっ。あれは驚くよね」

「はははっ! だよな!」


ノエルの受難はまだしばらく続きそうだった。


*


一方、その頃。

ヴェルト、ナディア、アルシェの三人は遠く離れた地方を旅していた。

目的はダスから与えられた特別訓練。

《超越者を一人発見し、接触して会話すること》。


それだけである。

ただしダスや軍団の名前を使うことはできない。

手掛かりを教えてもらうこともできない。

三人自身の判断と行動によって、未知の存在を探さなければならなかった。


「……うーん」


ヴェルトは手元の地図を眺めていた。


「難しいねぇ」


ナディアが隣で頷く。


「そうだね。そもそも、超越者がどこにいるのか分からないから」

「でもそこが面白いんじゃん!」


アルシェが楽しそうに笑う。

彼女の手にはこれまで集めた噂や記録を整理した紙束があった。

古くから続く奇妙な伝承。

普通の魔物や自然現象では説明しにくい目撃談。


何十年も姿の変わらない人物の噂。

そうした情報を集めていたものの、どれも確証には至っていない。


「……ねえ、アルシェ」


ヴェルトが顔を上げた。


「この辺りに、何か面白い場所ってある?」

「あるよ!」


アルシェは即答した。


「ちょっと先に湖があるんだけどね。周辺の土地が昔からほとんど変わってないって話があるの!」

「……へえ」


ヴェルトの耳が動いた。


「それって、何か理由があるの?」

「分かんない! ただ、何百年も前の記録と今の地形が、結構似てるらしいんだよね」


ナディアが地図へ目を落とす。


「……それだけなら、普通の湖でもあり得るよね」

「そうなんだよ!」


アルシェは嬉しそうに頷いた。


「だから本当に変わってないのか、単に昔の地図が正確だったのか、まず確かめたいんだ!」


ヴェルトは少し考えた。

そして笑った。


「いいね。行ってみよう!」


ナディアは二人の様子を眺めてから頷いた。


「分かった。ただし、今日はもう夕方になるから、無理に奥まで進まないよ」

「うん!」

「分かってるって!」


二人は元気よく答えた。

ナディアは少しだけ笑った。

その返事がどこまで信用できるかは別の話だった。


やがて三人は森を抜けた。

視界の先に広い湖が現れる。

水面には夕方の光が映り、岸辺には草木が静かに揺れていた。

遠くでは水鳥が鳴き、湖面に小さな波紋が広がっている。


「……わあ」


ヴェルトが足を止めた。


「綺麗だね」

「うん。思ったより大きい」


ナディアも周囲を見渡した。

アルシェはすでに地図と実際の地形を見比べ始めている。


「……あれ? ちょっと待って」

「どうしたの?」

「向こうの岸、昔の記録と結構似てるかも」


ヴェルトはアルシェが指した方向を眺めた。

緩やかな丘。

細い川の流れ込み。

その近くにある、大きな木。


特に変わったものは見えなかった。


しかし。


「……ん?」


ヴェルトの耳がぴくりと動いた。

湖の反対側。

岸辺の木陰に誰かが座っている。

釣り竿を持った、一人の男だった。


「……あれ?」


ヴェルトが目を細める。


「人がいるね」


ナディアもそちらを見た。


「釣りをしてるみたいだね」

「……こんなところで?」


アルシェが顔を上げた。

三人はしばらく、その人物を眺めていた。

男は動かない。

釣り糸を水面へ垂らし、ただ静かに座っている。


近くに荷物らしいものはほとんど見当たらなかった。


しかしその姿には妙な違和感もあった。

危険な気配がするわけではない。

強大な魔力を放っているわけでもない。

ただ。


湖畔の景色の中にその男だけが妙に自然に収まっているように見えた。


「……ねえ」


ヴェルトが小さく笑った。


「ちょっと、話しかけてみない?」


ナディアは男の様子を確かめた。


「……いいけど、まずは普通に声をかけようね」

「もちろん!」


アルシェはすでに興味津々だった。


「……あの人、何を釣ってるんだろう?」


ヴェルトは笑った。


「それも聞いてみよう!」


三人は湖畔の道へ足を踏み出した。

その頃。

釣り竿を持った男は水面を眺めながらのんびりと呟いていた。


「……今日は釣れないなぁ」


その声には困っている様子も焦っている様子もなかった。

ただ釣れないという事実を口にしただけだった。

男は小さく欠伸をした。

そして遠くから近付いてくる三人の足音に気付くと、ゆっくりと顔を上げた。


「……ん?」


湖畔を歩く三人の冒険者。

男はしばらく眺めてから首を傾げた。


「……お客さんかな」


その表情はどこまでものんびりとしていた。

釣り糸が小さく揺れる。

湖面には夕方の光が静かに広がっていた。

そして三人はまだ知らない。


その何の変哲もない釣り人が今まさに自分たちの探している存在かもしれないことを。

未知との出会いは時として驚くほど普通の姿で訪れる。

彼女たちの特別訓練もようやく新しい場所へ辿り着こうとしていた。

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