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ある物語  作者: ある人
第一章 『冒険者編』
PR
15/19

第15話『次の街、次の冒険』

エルノアの南西宿屋街ではまだ一部の通りが封鎖されていた。

路肩には掘り返された石畳が積まれ、その脇で職人たちが地盤を調べている。

崩れた排水路を覗き込む衛兵の姿もあったが通りの向こうでは既に露店が開き、焼きたてのパンを求める客が列を作っていた。

あれほどの騒動があったというのに、街は今日も賑やかだった。


その様子を眺めながら、ダスは旅鞄の留め具を締め直した。


「忘れ物、ないよな?」

「昨日も三回確認したよ」


隣から返ってきたリュネの声に、ダスは笑った。


「そうだったか。じゃあ大丈夫だな」

「……昨日の夜も同じこと言ってたけどね」

「念には念を、だろ?」

「うん。でもそれを言うなら宿の鍵を返すのを忘れないでね」


ダスの手が止まった。

腰の小袋を探り、中から真鍮の鍵を取り出す。


「……危ねえ!」


リュネは楽しそうに笑い、先に宿の入口へ向かった。

足元では白い小型飛竜の姿をしたヴァルが二人を見上げている。

長い尾を一度だけ揺らすと、彼も黙って後に続いた。

宿の主人へ鍵を返し、世話になった礼を伝える。


事件の夜に避難を手伝ったことを改めて感謝され、ダスは少し照れくさそうに笑った。

それから三者は朝の通りへ出た。

門へ向かう道では何人もの冒険者とすれ違った。

見覚えのある者もいれば、最後まで名前を知らないままだった者もいる。


ダスはそのたびに軽く手を上げ、ときには足を止めて短い挨拶を交わした。

エルノアで冒険者として過ごした時間は長くはない。


それでも歩き慣れた道ができた。

顔を覚えた商人がいる。

依頼を受けた倉庫も何度も迷いかけた路地ももう初めて見る場所ではなくなっている。

東門へ続く通りが見えると、ダスは少しだけ足を緩めた。


「……なあ、リュネ」

「何?」

「また来ような、ここ」


リュネはいつもの調子で返事をする代わりに、彼の顔を見た。

ダスは振り返っていた。

朝日に照らされた街並みを眺める表情はどこか名残惜しそうだった。


「フィナにも約束したしさ。あと、あの西倉庫の棚卸しも結局できなかっただろ」

「まだ覚えてたんだ」

「そりゃ覚えてるって。帳簿を見ながら荷物の数を合わせるんだぞ? 面白そうじゃないか」


彼の声には冗談めかしたところがなかった。

リュネは思わず笑みを深くした。


「じゃあ、次に来たときに受けようか」

「そうする!」


すぐに笑顔へ戻るところも彼らしかった。

ただリュネ自身も少しだけこの街を離れがたく感じていた。

彼女にとって、エルノアでの暮らしはダスの遊びに付き合うだけのものではなかった。

自分で仕事を選び、報酬を受け取り、見知らぬ人から礼を言われる。


そんな何気ない経験が思っていた以上に心地よかったのである。

門の前では数台の荷馬車が通行確認を待っていた。

ダスたちも列へ並び、順番が来ると冒険者証を提示した。


「二人ともEランクか。行き先は?」

「ハルメアだ。内陸の方へ行く」


衛兵は記録を確かめ、道の状況を簡単に説明した。

途中の宿場は通常通り利用できるが雨の後は丘陵地の一部で荷車が詰まりやすいらしい。


「従魔も連れていくんだな。道中、ほかの馬や荷車を驚かせないようにな」

「分かった。こいつは大人しいから大丈夫だ」


ダスの言葉にヴァルは当然だと言わんばかりに胸を張った。

衛兵はその仕草を見て笑い、通行を許可した。

城門を抜ける。

背後から聞こえていた市場の喧騒が少しずつ遠ざかり、代わって車輪の音と、人の足で踏み固められた街道の感触が旅の始まりを告げた。


ダスは肩越しにもう一度だけエルノアを振り返った。


「じゃあな!」


誰へともなく手を振る。

そして今度は迷うことなく前へ向き直った。

新しい街が待っている。

その事実だけで足取りは自然と軽くなった。


*


エルノアを離れて二日目、三者は街道の途中で立ち往生している荷馬車に出くわした。

片側の車輪がぬかるみに沈み、馬がいくら踏ん張っても動かないらしい。

御者の男は泥だらけになって車輪の周囲を掘っていたが、掻き出した土がすぐに崩れ、作業は一向に進んでいなかった。

ダスが声をかけると男は顔を上げた。


「手伝ってくれるのか? ありがてえが、こいつはかなり重いぞ」

「何を積んでるんだ?」

「金具と農具だ。次の宿場で降ろす分なんだが……」


荷台には木箱が幾つも積まれていた。

ダスは沈んだ車輪と荷台の傾きを見比べ、すぐに手を出さなかった。


「先に少し荷物を降ろした方がよくないか? このまま押したら、反対側も沈みそうだ」

「……ああ、そうか」


御者は車輪を見直し、納得したように頷いた。

荷台の片側へ寄っていた箱を幾つか降ろし、リュネが街道脇の石を集めて車輪の前へ置く。

ヴァルも頼まれたわけではなかったが小さな翼で泥を掻き分け、邪魔な小枝を脇へ寄せた。


「おっ、お前の従魔、仕事が分かってるな」

「だろ? 賢いんだよ、こいつ」


ダスが嬉しそうに答えると、ヴァルは何でもないことのように顔を背けた。

軽くなった荷台を御者とダスが押し、馬をゆっくり前へ進ませる。

車輪が泥を噛んで一度空転したが次の瞬間には敷いた石を捉え、軋みながら固い地面へ乗り上げた。


「抜けた!」


御者の歓声にダスも笑った。

手伝いの礼として銅貨を渡そうとされたが彼は首を振った。


「別にいいよ。俺たちも急いでないし」

「そうはいかねえ。助けてもらったんだからな」

「じゃあさ」


ダスは少し考え、男の積み荷を指さした。


「その農具、どこで作ってるんだ? さっきから、柄の形が気になってて」

「……農具?」


予想外の質問に御者はきょとんとした。

それから笑い出す。


「変わった兄ちゃんだな! いいぜ、荷物を積み直しながら話してやるよ」


結局ダスたちは農具の生産地から各地の畑の違いまで聞くことになった。

御者は思いのほか話し好きで同じ鋤でも土地が硬ければ刃の角度を変えることや、木柄が割れやすい地方では金具の取り付け方が違うことを教えてくれた。

ダスは感心しながら聞いていたが話が終わる頃にはすっかり時間を忘れていた。


「……そうか。地域によって道具も違うのか」

「そりゃそうだ。土も作物も違うからな」

「面白いなぁ」


御者は最後に二人へ焼き菓子を分けてくれた。

受け取ったダスが礼を言い、荷馬車と別れたあともしばらく農具の話は続いた。


「今度、農場の依頼を受けたら聞いてみようかな」

「何を?」

「そこの農具が、どうしてあの形なのか」


リュネは焼き菓子を一口かじった。


「仕事を頼んだ人、びっくりするかもしれないね」

「何で?」

「草取りに来た冒険者が、農具の作り方まで聞き始めるんだもの」

「……確かに」


ダスは笑った。

その足元でヴァルは与えられた菓子の匂いを確かめていた。

口にはせず、しばらく眺めてからダスへ返す。


「食わないのか?」


無言で顔を背ける。


「……お前、こういうのは好きじゃないんだな」


ヴァルは頷いた。

ダスは菓子を受け取り、何のためらいもなく自分の口へ放り込んだ。

リュネが横から笑う。


「ヴァルの分まで食べちゃった」

「本人がいらないって言ったんだからいいだろ」


そのやり取りを聞きながら、ヴァルは静かに尾を揺らしていた。

普通の旅人なら一日に進める距離は限られている。

荷車を手伝えば時間が過ぎるし、雨が降れば足元も悪くなる。

宿場が混雑していれば、食事を取るだけでも順番を待たなければならない。


ダスたちはその一つひとつを特別な力で飛び越えることなく旅していた。

三日目には雨に降られ、湿った外套を乾かすために宿の暖炉を借りた。


四日目には小さな市場のある宿場を通り、昼食を食べるつもりが、店主に勧められるまま地元の料理を幾つも試した。

五日目と六日目には道の両側を占めていた農地が少しずつ減り、低い丘と岩の露出した斜面が増えていった。

すれ違う荷馬車の積み荷も野菜や穀物から鉱石、金属の加工品へと変わっていく。


六日目の夕方、宿の食堂で隣り合わせた冒険者たちはハルメア近郊のダンジョンについて話していた。

採取しやすい素材のこと。

通路が崩れた場所のこと。

地図にない横穴を見つけたと思ったら、以前の採掘跡だったという笑い話。


ダスは食事を取りながら、耳を傾けていた。

あからさまに聞き耳を立てるものだから途中で冒険者の一人に気付かれた。


「兄ちゃん、さっきからこっちの話が気になるのか?」

「ああ。今、ハルメアへ向かってるんだ」

「初めてか?」

「そう!」


男は笑い、空いていた椅子を引いた。


「なら座れよ。危ない場所の話もしてやる」


結局その夜も寝るのが少し遅くなった。

リュネは途中から会話に加わり、冒険者たちが語る失敗談を楽しそうに聞いていた。

ヴァルは椅子の足元で大人しくしていたがダスが四度目の質問をした辺りで、長い尾を彼の靴へ巻き付けた。

そろそろ休め、ということらしい。


「……あ、もうそんな時間か」


ダスが壁の時計を見て驚く。

冒険者たちが笑った。


「初めての街なら、明日も忙しいぞ」

「そうだな。ありがとう、色々聞かせてくれて」


ダスは立ち上がり、礼を言った。

部屋へ戻る途中、リュネが彼の横へ並ぶ。


「今夜もずいぶん話したね」

「だって知ってることが全然違うんだぞ。あの人たち、同じダンジョンへ何度も通ってるらしい」

「うん。通い慣れた場所でも、毎回確認することがあるって言ってたね」

「ああ」


ダスは頷いた。

それが妙に気に入っていた。

同じ場所でも前回と今回では状況が違うかもしれない。

知らない場所へ入るときだけが冒険ではないのだ。


そう思うと明日向かう街がますます楽しみになった。


*


七日目の午後。

丘陵地を抜ける街道の先に、ハルメアの城壁が見えてきた。

最初に目に入ったのは山肌から切り出したような灰色の外壁だった。

丘の起伏に合わせて長く延び、その内側にはさらに高い建造物が覗いている。


近付くにつれて、それが二重の城壁を持つ都市だと分かった。

外門の前には広い荷捌き場があり、荷馬車が次々と出入りしていた。

鉱石の入った木箱を運ぶ労働者のそばで鎧を着た冒険者が自分の装備を点検している。

大きな荷を背負った一団が通り過ぎると、今度は素材を積んだ荷車が入れ替わるように門へ向かっていった。


人の流れがエルノアとは違う。

交易都市エルノアでは品物を売り買いする商人の姿が目立っていた。

ここでは街へ入ってくる者も出ていく者も何かしらの探索や採掘に関わっているように見える。

ダスは門前の列へ加わりながら、隣のリュネへ声をかけた。


「……あの盾、見たか?」

「入口の近くにいた人の?」

「ああ。あんなに縁が削れてるのに、まだ使ってるんだな」


先ほど通り過ぎた冒険者の盾には何度も補修した痕跡があった。

金具は新しいが板の部分は古く、細かな傷が重なっている。


「使い慣れてるのかもしれないね」

「そうかもな」


ダスはしばらく考えた。


「……今度、盾使いの冒険者にも話を聞いてみたいな」

「剣は?」

「それはちゃんと練習する!」


答えが早すぎて、リュネは小さく笑った。

フィナとの模擬戦で自分の剣筋が新人としてもまだ粗いことは分かっている。

ガルドから教えられた足の運びも意識しなければ崩れる。

だからといって、ほかの武器への興味がなくなるわけではないらしい。


門を抜けると今度は街の音に圧倒された。

鍛冶場から槌の音が響き、通りの両側では素材を扱う商人が声を張り上げている。

鎧を着たまま食堂へ入っていく者もいれば、泥だらけの靴を店先で叩き、疲れた顔で宿を探す冒険者もいた。

何より目立つのは装備の種類だった。


短槍を背負った者。

鉤付きの道具を腰へ下げた者。

重い荷物を運ぶための背負い籠を持つ者。

戦闘だけでなく、探索や素材回収を目的にした道具が当たり前のように使われている。


「……すごいな、ここ」


ダスが漏らした声には純粋な感心があった。

リュネも周囲を眺めている。


「エルノアとずいぶん違うね」

「ああ。冒険者の街って感じがする」


ダスは人混みの向こうへ視線を向けた。

そこには冒険者ギルドへの案内板が立っていた。


「……まずはギルドだな」

「今度は寄り道しない?」

「しない!」


胸を張って答えた直後、通りの向こうから焼いた肉の匂いが流れてきた。

ダスの足が止まった。

リュネは何も言わず、彼の顔を見上げる。


「…………」

「…………」

「……登録してから食おう」

「うん。それがいいと思う」


リュネは笑い、先に歩き出した。

ヴァルはその後ろへ続く。

ダスだけが一度振り返り、店の位置をしっかり覚えてから二人を追いかけた。

冒険者ギルド・ハルメア支部は冒険者街の中心に建っていた。


石造りの大きな建物で入口の数も多い。

内部へ入ると受付窓口が幾つも並び、その先では掲示板の前に冒険者たちが集まっていた。

壁には周辺地域の地図が掛けられ、森林、鉱山、遺跡、そして複数のダンジョンの位置が記されている。

ダスは最初、その地図の前で足を止めた。


「……こんなにあるのか」


地図には既知の探索区域が幾つも示されていた。

すでに調査が進んでいる場所もあれば、高ランク冒険者の同行が必要な危険区域もある。

その区別が記号と色で分かるように整理されていた。

ダスはしばらく黙って眺めていた。


自分が本来の力で行こうと思えば、どこへでも行ける。


しかし今は冒険者として許可された場所へ自分のランクに応じて入ることにしている。

そう決めてから地図の見え方が変わった。

行ける場所とまだ行けない場所。

知っていることとこれから自分で調べること。


同じ世界なのに見知らぬ土地が急に増えたような気がする。


「ダス?」


リュネに呼ばれ、彼は顔を上げた。


「ああ、悪い。ちょっと見入ってた」

「ふふっ。まだ受付が先だよ」

「分かってるって」


名残惜しそうに地図から離れ、二人は受付へ向かった。

エルノアで発行された冒険者証はそのまま使えた。

職員は登録情報を確認し、二人がEランクであること、ヴァルがエルノア支部で従魔として確認されていることを順番に確かめていく。


「こちらでも冒険者登録は継続してご利用いただけます。ただ、ダンジョンに同行する魔獣については、支部の管理記録へ追加する必要があります」

「ヴァルも一緒に入れるんだな?」

「はい。必要な登録を済ませ、各ダンジョンの規則を守っていただければ問題ありません」


職員がヴァルを見た。

白い小型飛竜はその視線へ静かに頭を下げる。


「……あら」


職員は少し驚いた。


「ずいぶん大人しい子ですね」

「頭がいいんだよ、こいつ」


ダスが答えるとヴァルは何でもないように座り直した。

その様子を見て、職員は笑いながら書類へ記入を続けた。


「それでは《同行魔獣》として登録しますね。なお、入場可能な区画については、お二人のランクによる制限も適用されます」


説明を聞き終えたあとダスは近くの案内書へ目を向けた。

そこには低ランク冒険者向けのダンジョンが紹介されていた。

中でも目を引いたのが《クルゼ洞》だった。


「……ここ、Eランクでも入れるのか?」

「第三区画まででしたら」


職員は案内書の該当箇所を示した。


「第四区画以降はDランク以上となります。Eランクの方は、まず第三区画までの素材回収や探索補助を受けられることが多いですね」


ダスは説明を聞きながら、何度か頷いた。


「なるほど。第三までは行けるけど、その先はまだ駄目なんだな」

「はい。区画によって危険度が異なりますので」

「分かった」


ダスは案内書を受け取り、丁寧に畳んだ。

職員は少し意外そうな顔をした。

制限を聞いて不満を言う新人は珍しくない。


だが目の前の青年は入れない区画があると知っても落胆した様子を見せなかった。

むしろその先に何があるのか考えているようだった。

手続きを終えた三者はその足で宿を探しに向かった。


翌日からいよいよ初めてのダンジョン依頼が始まる。


*


翌朝、ハルメア支部の依頼掲示板に貼られていた一枚の依頼書を前に、ダスは真剣な顔をしていた。

《クルゼ洞・第三区画素材回収》。

指定された素材を損傷の少ない状態で持ち帰ること。

Eランク以上が受注可能で採取区域も明記されている。


彼は依頼書を読み終えると、隣にいたリュネへ顔を向けた。


「これにしようと思う」

「うん。昨日から気にしてたものね」

「ああ。初めてのダンジョンだし、まずは中を歩いてみたい」


リュネも依頼内容を確認した。

採取する素材の量、回収方法、持ち帰る際の注意点。

どれも二人にとって特別に難しい内容ではない。


ただし手順を守る必要はある。


「容器も買っておこうか。傷が付いたら評価が下がるみたい」

「そうだな。あと、地図ももう一回見たい」


その言葉にリュネは少し感心したように目を細めた。


「今日は準備がいいね」

「昨日、宿で見ておいたからな」


ダスは鞄から小さく畳んだ案内図を取り出した。

エルノアでは市街地図を眺めながら配送先を確かめていたが、今度はダンジョンの経路である。

地図には区画の境目と主要通路が記されており、低級ダンジョンとはいえ、分岐の数は少なくない。

受注手続きを済ませ、道具を揃えた二人はヴァルを連れて街の北東へ向かった。


クルゼ洞の入口がある丘陵地までは整備された道が続いている。

街を離れるにつれ、岩の露出した丘が増え、荷物を背負った冒険者たちの姿が目立つようになった。

入口近くには管理所が設けられ、入場記録の確認や帰還した冒険者からの報告を受け付けていた。


ダスたちがそこで地図を確認していると、近くにいた三人組の冒険者が声をかけてきた。


「お前ら、これから中へ入るのか?」


振り返ると剣を腰に下げた青年が立っていた。

その後ろでは女性が荷物の紐を締め直し、大柄な男が壁へ立てかけた道具袋を背負っている。


「そうだ。初めて来たんだよ」

「なら、地図はちゃんと見ておけよ。最近、第二と第三の境目で岩が崩れた場所があるからな」


青年はそう言って、自分の持っていた地図を広げた。


「俺はジーク。Dランクの《灰枝》ってパーティで動いてる」

「ダスだ。こっちがリュネで、足元にいるのがヴァル」


自己紹介を受け、ジークも仲間を紹介した。

女性はマナ、大柄な男はボルというらしい。

マナはヴァルへ目を向けると、思わず顔を緩めた。


「白い飛竜なんだ。珍しいね」


ヴァルは彼女を見上げ、控えめに頭を下げた。


「……賢い子だね」

「そうなんだよ」


ダスが嬉しそうに答えると、ボルが笑った。


「うちにもそれくらい言うこと聞いてくれる奴がいればな」

「……誰のこと?」


マナが顔を向ける。

ボルは慌てて首を振った。


「いや別にお前とは言ってないだろ!」

「まだ何も言ってないけど?」


ジークがため息を吐いた。


「お前ら、朝から始めるなって」


三人のやり取りにダスは声を出して笑った。

初対面ではあるがずいぶん気の合う仲間同士らしい。

少なくともこの三人が普段から一緒に行動していることは、見ているだけで伝わってきた。

ひとしきり笑ったあとジークは地図へ指を置いた。


「それで、崩落箇所がここ。左の壁が崩れてるんだが、右側の通路はまだ使える。危ないから、崩れた岩には触るなよ」

「助かる。覚えておく」


ダスは自分の地図にも印を付けた。

ジークはそれを見て頷いた。


「俺たちは第四の奥まで行く予定だ。途中までは同じ道だから、何かあれば声をかけてくれ」

「ありがとう。気を付けてな」


互いに軽く手を上げ、三人組は先に入口へ向かった。

その背中を見送りながら、ダスは地図を畳む。


「いい人たちだったな」

「うん。崩れている場所を先に教えてくれるのは助かるね」

「しかも、あの三人、ずっと一緒に冒険してるんだろうな」


リュネが顔を向けた。


「どうして?」

「話し方もそうだし、準備してるときに、それぞれ自分の仕事をしてただろ。何も言わなくても」


リュネは少しだけ目を細め、それから頷いた。


「確かに、そうだったね」


ダスは今度はクルゼ洞の入口を見た。

そこで何を見つけるかは分からない。

けれど入る前から一つ、面白いものを見つけた気がしていた。

知らない冒険者と出会い、同じ場所を目指す者として情報を分けてもらう。


それも今の立場だからこそ味わえる経験だった。

入場手続きを終えると三者は岩肌に開いた洞窟へ足を踏み入れた。

外の明るさが背後へ遠ざかり、少し湿った冷たい空気が頬へ触れる。


入口付近の通路は人の手で整備されていたが奥へ進むにつれて自然の岩肌が増え、足元には浅い水溜まりや細かな段差が現れ始めた。

ダスは壁に残された道標を確かめながら進んだ。

地図を見て現在地を確認し、次の分岐へ向かう。

その繰り返しが思っていた以上に面白かった。


彼自身、洞窟や地下空間へ入ったことは何度もある。


しかしそれらをEランク冒険者として歩くのは初めてだった。

進んでいい区画が決まっていて、依頼の目的も決まっている。

知らないからといって、何でも自由に調べていいわけではない。

その制約が妙に新鮮だった。


「……こっちは第二へ続く道だな」


ダスが地図を指さす。

リュネは通路の標識へ目を向けた。


「うん。合ってるよ」

「よし」


ダスは地図を畳み、先へ進もうとした。


しかしすぐにリュネが肩へ手を置く。


「待って。足元」


見ると岩の隙間に水が溜まっていた。

通路の中央は乾いているが左端だけは泥が薄く広がっている。


「……ああ、滑りそうだな」

「うん。右から行こう」


彼は頷き、歩く位置を変えた。

戦闘なら力任せに地面を蹴ってもどうにでもなる。


だが今はそうしない。

普通の装備で普通の足場を選び、決められた道を進む。

そうやって少しずつ奥へ進むことがダスには楽しかった。


しばらくして第二から第三へ続く通路へ到着した。

そこでジークの話していた崩落箇所が現れた。

左側の壁が一部崩れ、床には大小の岩が散らばっている。

天井には新しい亀裂も見えた。


「……ここか」


ダスは足を止めた。

無理に進めば、まだ崩れそうな岩へ触れることになる。

彼は地図を確かめ、ジークから教わった右側の経路へ進んだ。

リュネも後へ続く。


足元のヴァルは崩れた岩を一度だけ見上げたが何もせずに二人の後を歩いた。

やがて通路が少し広がる。

空気が変わり、岩壁のあちこちに淡い光が見え始めた。

第三区画だった。


*


クルゼ洞の第三区画では岩壁に生える淡光苔が薄暗い通路をぼんやりと照らしていた。

魔力灯ほど明るくはない。


しかし目が慣れてくると、岩の凹凸や細い水の流れがその弱い光を受けて浮かび上がってくる。

ダスは壁の近くへしゃがみ込んだ。


「……これが指定素材か」


依頼書を開き、そこに描かれた特徴と目の前の苔を見比べる。

同じ淡光苔でも色合いは少しずつ違った。

水気の多い場所に生えたものは色が濃く、乾いた岩肌に付いているものは小さい。

依頼で指定されているのはその中でも一定の成長状態にあるものだった。


「思ったより、見分けるのが難しいな」


ダスが呟く。


「そうだね。これなんか、少し色が薄いよ」


リュネが隣へしゃがみ、別の場所を指さした。

ダスは二つを見比べた。


「……本当だ。こっちの方が形も整ってる」


しばらく観察してから採取道具を取り出した。

苔を傷付けないよう、岩の表面に沿って刃を滑らせる。

力加減は難しくないが周囲の岩を削ってしまえば素材へ傷が付く。

ダスは慎重に手を動かした。


薄く剥がした苔を容器へ収め、形を確かめる。


「……よし、一つ」


リュネも別の場所で採取を始めていた。

ヴァルは少し離れた通路の曲がり角へ腰を下ろしている。

彼は採取作業へ口を出さない。

ただ別の冒険者が近付けば顔を上げ、通路の奥で小石が転がれば耳を動かしていた。


その静かな警戒のおかげでダスたちは落ち着いて作業を続けられた。

採取したものを一つずつ並べ、状態を確かめていく。

ときには指定された条件に少し足りないものもあった。

ダスはそれを無理に採らず、別の場所を探した。


「……なあ、リュネ」

「何?」

「同じ素材でも、探すのに結構差があるんだな」

「うん。場所も状態も違うからね」

「薬草採取のときもそうだったけど、依頼書を読んだだけじゃ分からないことがあるなぁ」


リュネは採取した苔を容器へ収めながら頷いた。


「実際に来てみないとね」


ダスはしばらく壁を眺めていた。

エルノアでは銀縁草の採取依頼を受けた。

あのときも最初はどれが指定されたものなのかを確かめながら進んだ。

今は洞窟の中で全く別の素材を探している。


仕事の形は似ていても周囲の環境は違う。

その違いを知るのが面白かった。


必要な量を集め終えた頃、通路の奥から短い悲鳴が聞こえた。

二人の手が止まる。

ヴァルはすでに立ち上がっていた。


「……誰かいるな」


ダスが顔を上げた。

リュネは容器の蓋を閉め、鞄へしまった。


「行ってみよう」


二人は声のした方向へ向かった。

曲がり角を一つ抜けると、岩壁のそばに二人組の冒険者がいた。

一人は足首を押さえて座り込み、もう一人が剣を持って周囲を警戒している。

近くには小型の魔物が一体倒れていた。


「大丈夫か?」


ダスが声をかける。

剣を持った男は振り返り、ほっとしたように息を吐いた。


「ああ……助かった。仲間が足を捻っちまって」

「魔物にやられたのか?」

「いや避けたときに足を滑らせたんだ。ほら、そこの水溜まりで」


男が指さした場所には薄い水膜の張った岩があった。

周囲と同じ色をしていて、灯りが当たらなければ気付きにくい。

ダスはそれを見て、小さく頷いた。


「……さっき俺たちも似た場所を通ったな」


リュネは負傷者の前へしゃがんだ。


「足、少し見せてもらってもいい?」

「ああ。頼む」


靴を緩め、腫れている部分を確かめる。

大きく変形している様子はないが動かすと痛むらしい。


「少し治癒魔術を使うね。ただ、無理に歩くとまた悪くなるかもしれないから」

「……分かった」


リュネは手をかざし、初級の治癒魔術を発動させた。

淡い光が足首を包む。

男の険しかった表情が少しずつ和らいでいった。


「……おお、痛みが引いてきた」

「よかった。でも帰りはゆっくり歩いてね」


リュネが手を離す。

男は慎重に立ち上がり、足へ体重をかけた。

まだ違和感は残っているようだったが仲間に肩を借りれば歩けそうだった。


「本当に助かった。治療費は……」

「いいよ。困ったときはお互いさまだから」


リュネが微笑む。

男は何度も礼を言った。

その隣でダスは通路の向こうを確かめていた。

帰路へ続く道には大きな障害はない。


ただ負傷者の歩く速度を考えれば、入口まで少し時間がかかりそうだった。


「俺たちも帰るところなんだ。一緒に行こうか?」


そう申し出ると二人は驚いたように顔を上げた。


「……いいのか?」

「ああ。急いでないしな」


負傷した冒険者の肩を仲間が支え、ダスたちも歩幅を合わせて帰路へ向かった。

道中では時折ほかの冒険者とすれ違った。

狭い通路では先に道を譲り、段差のある場所では足元を確かめる。

負傷者を連れていると普段なら気にしない程度の起伏も障害になる。


ダスはその違いを興味深そうに見ていた。

ただし面白がっているからといって歩みを急がせたりはしない。

相手が立ち止まれば自分も止まり、必要なら荷物を持つ。

そうして進むうちに負傷した男が苦笑した。


「……悪いな。こんなに時間を取らせちまって」

「いいって。俺たちも依頼は終わってるし」

「でも素材回収だったんだろ? 早く戻った方がいいんじゃないのか?」

「そういう依頼じゃないから大丈夫だ」


ダスは笑った。

男は安心したように頷き、もう一度足を動かした。


しばらくして第三区画から第二区画へ戻ろうとしたときだった。

遠くから低い振動が伝わってきた。

岩の中で重いものが擦れ合うような音だった。

ダスが足を止める。


リュネも奥の通路へ顔を向けた。

音がしたのは自分たちの進む帰路ではない。

第四区画へ続く、さらに奥の方角だった。


「……何だ?」


負傷者を支えていた男が不安そうに呟く。

ダスは周囲の岩壁を確かめた。

目の届く範囲では天井の崩落も大きな亀裂も起きていない。


ただし遠くの異変がこの通路へ影響しないとは限らなかった。


「……帰ろう」


ダスが言った。

リュネも頷く。


「うん。奥へ行って確かめるのは、私たちの仕事じゃないものね」


その言葉に負傷した冒険者たちは少し安心したようだった。

四人と一体はそのまま入口を目指した。


ところが少し進んだところで前方から複数の足音が近付いてきた。


「……急げ、ボル!」

「分かってる!」


聞き覚えのある声だった。

ダスが顔を上げる。

曲がり角から現れたのはジークたち《灰枝》の三人だった。


「ジーク!」


声をかけるとジークは少し驚いたように足を止めた。


「……ダスか。まだ中にいたのか」

「ああ。素材は集め終わったところだ」


ジークはダスたちの後ろへ目を向け、負傷者がいることに気付いた。


「怪我人か?」

「足を捻ったんだ。帰る途中だった」

「そうか。なら、なおさら早く出た方がいい」


ジークの声には朝とは違う緊張があった。

マナも通路の奥を何度か振り返っている。


「……何かあったのか?」


ダスが尋ねた。

ジークは周囲を確かめ、少し声を落とした。


「第四区画の奥で、妙なものを見つけた」

「妙なもの?」

「扉だ」


ダスは目を瞬かせた。


「……扉?」

「ああ。第五へ続く通路の近くにな」


ジークは地図を広げた。

第四区画と第五区画の境目。

そこへ指を置く。


「この辺りだ。何度も通った場所なんだが、岩壁に見覚えのない扉があった」

「……前からあったんじゃなくて?」


リュネが尋ねる。


「少なくとも、俺たちが前に通ったときにはなかった。地図にも載ってない」


マナが続けた。


「通路の形も少し変わってたの。最初は崩落で壁が見えるようになったのかと思ったけど、扉の周囲はそれだけじゃ説明しにくくて……」


そこで彼女は言葉を切った。

遠くから再び、低い音が響いたためだ。

ボルが顔をしかめる。


「さっきからこれだ。どこで鳴ってるのかも分からねえ」

「開けてみたのか?」


ダスの問いにジークは首を振った。


「いや。未確認の構造だ。中から何が出てくるかも分からないのに、勝手に開けるわけにはいかねえ」


その判断を聞き、ダスは頷いた。

興味がないわけではない。

むしろ話を聞いた瞬間から扉のことが気になって仕方なかった。


だが今いるのは第三までしか許可されていないEランク冒険者としての自分である。

しかも連れには足を負傷した冒険者もいる。


「……じゃあ、まずは報告だな」


ダスが言うとジークは少し笑った。


「ああ。そういうことだ」


七人の冒険者と一体の同行魔獣は帰路を急いだ。

入口の明かりが見えた頃には外の空気がやけに暖かく感じられた。

負傷した冒険者たちを管理所の休憩場所へ案内したあと、ジークは職員へ新しい扉の発見を報告した。

事情を聞いた管理所の職員はすぐに地図と記録を確認し始めた。


「第四区画の奥に、新しい扉が?」

「そうだ。少なくとも、これまでの案内図にはない」

「内部へは?」

「入ってない」

「……分かりました。調査隊を手配します」


職員は別の担当者を呼び、第四区画以降への新規入場を一時停止するよう指示した。

既に内部へ入っているパーティにも可能な範囲で帰還を促すという。

しばらくすると管理所の入口へ新しい掲示が出された。

《第四区画以降・一時立入禁止》。


ダスはその文字を眺めていた。

その横へジークがやってきた。


「……残念だったな」

「何が?」

「扉だよ。気になってるんだろ?」


図星だった。

ダスは笑った。


「まあな。見たことない扉って聞いたら、そりゃ見てみたいだろ」

「だが今は第四にも入れねえ」

「そうだな」


ダスは素直に頷いた。

ジークは少し不思議そうに彼を見る。


「……お前、あっさりしてるな」

「ん?」

「もっと悔しがるかと思ったんだよ。こういう話を聞いた新人は、大抵すぐに奥へ行きたがるからな」


ダスはもう一度掲示へ目を向けた。

第四区画以降はDランク以上。

それは昨日ギルドで聞いたばかりの規則だった。

そして自分たちはまだEランク。


「……まあ、行けないもんは仕方ないだろ」

「その通りなんだけどな」

「それに」


ダスは少し考え、笑った。


「今の俺たちには、まだ他にもやる仕事があるし」


ジークはその言葉に頷いた。


「いい心掛けだな」

「だろ?」

「ただ、Dランクになったら無条件で何でも入れるわけじゃないぞ。今回みたいに調査中なら、許可が出るまで待つんだ」

「分かってる」


ダスは再び掲示を見た。

立入禁止の文字の向こうに、今は見られない扉がある。

その事実は変わらない。


だが今度は不思議なことに、ただ見たいと思うだけでは済まなかった。


「……なあ、リュネ」


隣にいたリュネが顔を向ける。


「何?」

「俺、Dランクになりたいな」


リュネは一瞬、目を瞬かせた。

ジークも少し驚いたようにダスを見た。

ダス自身も口にしてから何となく可笑しくなった。

今まではランクが変わるたびに少し名残惜しい気持ちがあった。


Gランクの証を手放すときは随分と渋った。

Fランクになってからもその文字を気に入っていた。

Eへ上がったときようやく昇格すること自体の面白さが分かり始めた。

そして今はもっと先へ行きたいと思っている。


「……ははっ」


ダスは笑った。


「そうか。俺、Dになりたいんだな」


リュネも笑みを深くした。


「うん。今、自分でそう言ったよ」

「そうだったな」

「……ふふっ」


リュネは少しだけ彼へ近付いた。


「じゃあ、また一緒に頑張ろうか」

「ああ!」


その返事はこれまでの昇格の話をしていたときとは少し違った。

今のダスには先へ進みたい理由がある。

新しい街で新しい人々と出会い、新しい仕事を受けた。

そしてまだ進めない場所があることを知った。


自分の立場でできることが増えれば、見られるものも増える。

それがようやく実感として繋がったのである。

ジークは二人の様子を眺め、少し笑った。


「……なら、またクルゼ洞で会うことになるかもな」

「そうだな。そのときはよろしく頼む!」

「ああ。今度はもっと奥の話もできるといいな」


マナとボルにも挨拶し、ダスたちは管理所を後にした。

足元のヴァルはいつも通り静かに歩いている。


しかしダスが新しい目標を見つけたことはよく理解していた。

昨日までの彼はEランクとして何ができるのかを楽しんでいた。

今日はその先へ進む方法を考えている。

ヴァルは小さく尾を揺らした。


その変化はなかなか悪くないものに思えた。


*


ハルメアへ戻った頃には街に夕方の賑わいが戻っていた。

門の近くでは探索帰りの冒険者たちが素材を積み下ろし、通り沿いの食堂からは温かい料理の匂いが流れてくる。

ダスたちはギルドへ向かい、採取した淡光苔を納品した。

職員が一つずつ容器を開き、素材の状態を確かめていく。


「……はい。指定された条件を満たしていますね。損傷も少ないです」


最後の容器を閉じ、職員は書類へ印を押した。


「依頼達成です。お疲れさまでした」


その言葉を聞いた途端、ダスの口元が緩んだ。

リュネも隣で微笑む。

報酬と実績の記録を受け取り、二人は受付を離れた。

周囲では別の冒険者たちが討伐報告をしていた。


奥の席では明日の探索に向けた打ち合わせが行われている。

壁際の掲示板には新しい依頼書が追加され始めていた。

ダスはしばらく、その光景を眺めていた。

初めてダンジョンへ入り、依頼を達成した。


知らない冒険者と出会い、危険な場所の情報を教えてもらった。

怪我をした者を助け、地図にない扉の話まで聞いた。

一日しか経っていないのに、昨日の自分では知らなかったことが幾つも増えている。


「……リュネ」

「うん?」

「明日、また依頼を探そう」

「いいよ。何か受けたいものがある?」

「まだ決めてない。でもダンジョンの仕事も、ほかの仕事もやってみたい」


リュネは少し考えるように彼の顔を見た。


「Dランクになるため?」

「それもあるけど……」


ダスは受付の方を見た。

今日、自分たちの素材を確認してくれた職員が次の冒険者へ声をかけている。

冒険者が持ち帰ったものを誰かが調べ、依頼として受け付け、記録する。

その仕組みの中には自分がまだ知らない仕事がいくらでもある。


「……別に、それだけじゃないかな」


彼は笑った。


「まだやったことない仕事、いっぱいあるし」


リュネは嬉しそうに頷いた。


「うん。そうだね」


ダスは冒険者証を取り出した。

そこには今日の依頼達成記録と《E》の文字が残っている。

昨日までならその文字を眺めているだけでも十分に楽しかった。

もちろん今も気に入っている。


ただ次に《D》の文字が刻まれる日が少し待ち遠しくなっていた。

その夜、三者は宿の食堂で夕食を取った。

ダスは今日の出来事を振り返りながら、ジークたちの話をしていた。


「あの三人、いい連携してそうだったな。今度、一緒に依頼を受けるのも面白そうだ」

「うん。仲がよさそうだったね」

「そうだな。朝から喧嘩してたけど」

「喧嘩というより、いつものやり取りなんじゃない?」

「……ああ、そうかもな」


ダスが笑った。

それからふとヴァルへ目を向ける。

白い小型飛竜は椅子の脇で大人しくしていた。


「そういや、お前は今日どうだった?」


ヴァルは顔を上げる。

周囲には食事中の客がいる。

当然、声には出さない。

代わりにダスの足へ尾を軽く当てた。


「……何だよ、その返事」


もう一度尾が動く。

リュネは二者の様子を眺めて、少し笑った。


「たぶん、悪くなかったって言いたいんじゃない?」

「そうなのか?」


ヴァルは目を閉じた。

それ以上は付き合わないつもりらしい。

ダスはしばらく彼を眺め、やがて笑い出した。


「……まあ、いいか」


食堂の外では仕事を終えた冒険者たちの声が響いている。

明日の予定を相談する者もいれば、今日の失敗を笑い合っている者もいた。

ダスはそんな声を聞きながら、残っていた料理を口へ運んだ。

ハルメアにはまだ見ていない場所が幾つもある。


ギルドの掲示板にはまだ受けていない依頼が並んでいる。

そしてクルゼ洞の奥にはいつか自分の足で見に行きたい扉があった。


ただし今夜はそれで十分だった。

今日の仕事を終え、明日の仕事を楽しみにしながら食事をする。

それもまた、彼がやってみたかった冒険者生活の一つなのだから。


*


同じ頃レグナリア王国の上層部にはエルノア事件についての調査報告が届いていた。

巨大な吸魔生物の出現と消失。

都市の壊滅を防いだとされる三つの正体不明の存在。

白い龍、謎の女性、黒い異形については複数の目撃証言が集まっていたものの、所属や目的を特定できる確かな資料はなかった。


過去に記録された異常存在や《Das Unendliche im Endlichen》との関連を疑う意見も出たが、それを裏付ける証拠はない。


「……現時点では、何も決められないな」


報告書を読み終えた人物が言った。

向かいに座っていた担当者が頷く。


「はい。接触できるかどうかも不明です」

「なら、憶測で動く必要はない。情報収集は続けるが、無用な接触は避けよう」


それがこの時点での結論だった。

事件の詳細はなおも調査中。

正体不明の三存在についても判断は保留された。


一方その頃のハルメアでは。

そんな王国の動きなど知らない一人のEランク冒険者が、宿の机へ依頼案内を広げていた。


「……なあ、リュネ。明日、午前中に運搬の仕事をして、午後から討伐依頼ってできると思うか?」

「場所によるかな。討伐場所が遠かったら、帰りが遅くなるよ」

「そっか。じゃあ、地図で確かめよう」


ダスは案内書を脇へ置き、ハルメア周辺の地図を広げた。

今日のクルゼ洞では他人に教えられた危険な場所を避け、決められた範囲を探索した。

明日はまた、別の場所へ行くことになる。

焦る必要はない。


Eランクとしてできることを一つずつ試していけばいい。

そうしているうちにいつかDランクへ進む日も来るだろう。

リュネは彼の隣へ椅子を寄せ、地図を覗き込んだ。


「こっちの依頼なら、二つとも街の近くだね」

「おっ、いいな。これにしようか」

「でも朝のうちにギルドで確認してからね」

「分かってる」


ダスは頷き、候補となる依頼へ小さな印を付けた。

寝台の脇ではヴァルが身体を丸めていた。

昼間の探索で彼が気にしていたのは魔物の強さでもダンジョンの深さでもない。

道を選ぶたびに地図を確かめ、知らない者から教えを受け、決められたところで引き返すダスの姿だった。


いつでも力でどうにかできる者がそうせずにいる。

しかもその不自由さを心から楽しんでいる。

ヴァルにはそんな彼の考え方がよく分かっていた。

もっとも今日一日で何度も地図を開いていたダスが明日の朝にまた迷わないかどうかは別の話である。


ヴァルは片目を開け、机の上へ視線を向けた。

地図は今のところ正しい向きで広げられている。

それを確かめるとようやく安心したように目を閉じた。

明日もまた、冒険者としての一日が始まる。


今度はどんな仕事になるのか。

その答えをダスはまだ知らない。

だからこそ今夜も地図を眺める時間が楽しかった。

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