第九話
「……終わった」
ペシャンコになったタイヤを見た健介がガックリと項垂れる。
絶望的な状況だった。何か鋭利なものでも踏みつけたのか、タイヤは完全に空気が抜けて潰れている。素人目に見ても、応急処置でどうにかできる状況ではなかった。
「裕二お前、ロードサービスか何かーーいや、無理だ。連絡できねえし、例え呼べてもこの状況じゃレッカーされるしかない」
健介は完全に諦めた様子で、ハハハと乾いた笑い声をあげる。
「いや、まだだ」
しかし、裕二はまだ諦めてなかった。
「僕の車、スペアタイヤ積んでるんだ。ジャッキとレンチもある」
「まじか!」
車を購入した時、万が一のためだと思って買って積んだスペアタイヤ。余計な買い物だったかと後悔する時もあったが、まさかこんなところで役に立つとは。
「ならガソスタで働いてた俺に任せろ。タイヤの交換なんて朝飯前だ!」
健介は喜色を浮かべながら、自信満々に胸を叩いた。
「で、スペアタイヤどこにある?」
「……トランクの下」
「…………」
そしてその顔は一瞬で引き攣った。
セダンタイプの裕二の車は、トランクの下に収納スペースがあり、そこに予備のタイヤと工具を入れられるようになっている。
そして当然のことながら、トランクに荷物が入っている場合、その荷物をどかさなければトランク下の収納スペースを開けることができない。
つまりーー
「一回、大五郎をトランクから出さなきゃいけない」
狭いトランクは大五郎でいっぱいになっている。少しどかす程度ではタイヤは取り出せない。
「まじか……大五郎、外に出すのか?」
健介が緊張したようにゴクリと喉を鳴らす。
当然だ。通りがかった誰かに外に出した大五郎を目撃されたら、自分たちは一巻の終わりなのだから。
「それしかない。どっちみちやらなきゃここで詰みだ」
覚悟を決めるしかない。
「幸いこの道は広い割に交通量が少ない。開けていて見晴らしもいいから、他の車が来ないタイミングを見計らえば、誰にもバレず大五郎を外に出せる」
路肩も広く、タイヤの交換をするのに十分なスペースがある。
「大五郎を外に出して、スペアタイヤを取り出した後に、もう一回大五郎をトランクに戻すわけだな」
健介の確認に、裕二は頷く。
「よし、ならやるぞ」
重要なのはタイミングだ。左右に見える道の端まで車が存在しない瞬間を辛抱強く待つ。
車を数台見送ると、左右の視界から完全に他の車が消える。
「今だ!」
合図と共にトランクを開ける。
そして二人がかりでトランクの中の大五郎を持ち上げる。
「うっ」
寝袋越しの不自然に柔らかい感触に怖気付きそうになるが、なんとか耐え、地面に下ろす。
「裕二、早くしろ!」
空いたトランクの底のシートを剥がそうとしたが、載せていた洗車用のホースが引っかかって、うまく剥がせない。
「ああもう! 邪魔だなこいつ!」
「何やってんだ! 向こうから対向車来たぞ!」
慌てて顔を上げれば、だんだん大きく見えてくる対向車が。
「わかってる! でもこのホースが引っかかるんだよ!」
「外に出しゃいいだろ!」
「あ、そっか」
健介のアドバイス通り、ホースを外に放り投げる。するとスムーズにシートを剥がすことができ、スペアタイヤと工具が収納されているスペースが露出する。
「急げ!」
健介の追い立てる声を背に受けながら裕二は急いでタイヤと工具を取り出し、シートを元に戻す。
そして再び大五郎を持ち上げ、トランクに入れる。
トランクを閉めたタイミングと、対向車線の車が自分たちの真横を通り過ぎるタイミングは全く一緒だった。
「あ、危なかった」
ギリギリ見られていないはずだ。
大五郎の積み下ろしと、タイヤの取り出し。大した運動ではないはずなのに、息が切れていた。
「健介。後は任せた」
「ああ」
健介はジャッキで車を持ち上げ、手早くタイヤの交換を行う。ガソリンスタンドで働いていた経験があるだけあって、見事な手際だった。
10分ほどで作業は終わる。
「オッケー。交換終わり。スペアタイヤの空気も問題なさそうだし、福井までは持つだろ」
「よかった。一時はどうなるかと……」
緊張感から解放されて、膝から崩れ落ちそうだった。
「じゃあ裕二、また運転ーー」
健介が言葉を切って少し考え込んだ。
「健介?」
「……このタイヤどうする?」
健介の視線は、交換済みのパンクしたタイヤに注がれていた。
「どうするって。そんなの…………トランクの下に入れるしかない」
自分で言って気づく。もう一度さっきと同じように大五郎を外に出して、もう一度入れる作業をしなければならない。
「ど、どうする? このまま捨ててくか?」
「不法投棄になっちまうだろ! そんなことできるか!」
これ以上罪を重ねたくない。
自分たちは車の中の大五郎は知らなかった、というスタンスで通す予定なのだ。交換したタイヤをそのまま捨てていくなんて不自然な状況を作るのは避けるべきだ。
「も、もう一度やるぞ!」
また死体に触れる必要があると思うと、心臓が嫌な音を立てる。しかしやるしかない。
先ほどと同じように、車が来ないタイミングを見計らう。
「今だ!」
トランクを開け、大五郎を持ち上げて地面に下ろす。トランクのシートを剥がして収納スペースを開ける。2回目ということもあり、スムーズな作業だった。
「よし、タイヤは積んだ!」
健介の合図と共にシートを取り付け、大五郎を持ち上げる。
そのままトランクの中に入れようとしたがーー
「あ、やべ。なんか引っかかった!」
「何やってんだ健介!」
元々、トランクのスペースは大五郎を入れるのにギリギリのサイズだ。大五郎の体を少し折り曲げなければトランクに収まらない。
こうして持ち上げて気づいたのだが、大五郎は意外と上背がある。伸びた大五郎の足部分だけが、トランクの外に突き出していた。
「ゆ、裕二! 一回そっち寄せろ!」
「わ、わかった!」
健介の指示通り、持ち上げるような形で大五郎の体を引き寄せる。体に触れる大五郎の感覚に鳥肌が立つ。
これまであまり見ないようにしてきた、大五郎の土気色の顔が目の前にある。
「うう、気持ち悪い」
思わず漏れた言葉聞いて、健介が怒りの表情を浮かべた。
「気持ち悪いだと! 裕二てめえ、大五郎になんて事言うんだ!」
「何ちょっと愛着湧いてんだてめえは! 名前なんかつけるからだぞ!」
こちらも負けじと怒鳴り返す。こんなことをしている場合ではない。
悪戦苦闘の果て、なんとか大五郎をトランクに収めることができた。
二人とも、地面に座り込んで荒い息を立てた。
「……もう二度とごめんだ、こんなこと」
「……俺もだよ」




