第十話
幸運にも、作業中は車が通り掛からなかった。いや、死体を出し入れしなければならないこの状況はとても幸運とは呼べないだろうが。
二人とも疲れた表情を浮かべながら、車内に戻る。
「…………」
裕二は座席に深く腰掛け、そのまま黙り込んだ。
それを見た健介は心配そうに声をかける。
「どうした裕二、疲れたか? しばらく運転代わるか?」
「ふざけたこと抜かすなよ、免停」
誰がお前なんかに運転を任せるか。
運転は自分がする。そう主張するように裕二はエンジンをかけ、車を発進させた。
車を走らせながら、健介に告げる。
「確かに、疲れたのは疲れたんだけど、そうじゃなくて。さっき大五郎の顔見た時なんだけどさ……」
先ほど改めてじっくりと見た大五郎の顔。その時、生理的な嫌悪感とは別の感覚を覚えて、戸惑った。
その感覚を一言で言えば、既視感だ。
「僕、大五郎をどっかで見たことある気がするんだよ」
「大五郎を?」
健介は怪訝そうな表情を浮かべる。
「どっかって、どこだよ?」
「それが思い出せないんだ。でもなんか、見覚えあるんだよな」
一体いつ見かけたのか、どこで見かけたのか。それが全くわからない。ただ強い既視感だけが頭から離れなかった。
「あれじゃねえか? どこかで飲んだ時に見かけたとかじゃねえのか?」
「いや、違う」
裕二は首を横に振って否定する。
「酒の入った僕が、“見覚えがある“程度でも記憶が残ってるわけないだろ?」
「堂々と言うことじゃねえよ」
つまり、酒の入っていないシラフの状況で大五郎を見た気がするのだ。
しかし、シラフの状態の自分の記憶がここまで曖昧なのも変だ。人の顔を覚えるのはそれなりに得意なはずなのに。
思い出せそうで思い出せない。喉に魚の小骨が引っかかったようなむずむずする感覚。
「おい。次の信号右だぞ」
「え、ああ」
頭を悩ませていたせいで、ナビの案内を聞き逃したようだ。裕二は慌てて車を右折させる。
「まあ、考えてもしゃーないだろ。そもそも大五郎の正体がわかったところで、俺たちがやることは変わらないんだから」
「……そうだな」
健介の言うことにも一理ある。
大五郎が一体誰であろうと、このまま車を福井の式場まで走らせるしかないのだ。運転中にあれこれ考え込んで事故を起こすわけにはいかない。
裕二はハンドルを握り直した。
「ここから先、琵琶湖の西側を北上してく道になる。ほとんど一本道で走りやすいはずだ」
健介の言う通り、視界の果てまで伸びた道が見える。地形に沿って多少曲がりくねっていたが、信号もほとんどないため走りやすそうだ。
「けど気をつけろよ? 調子に乗って飛ばすと、道の横で張ってる警察に捕まるからな」
「詳しいな」
「ああ。前に何回かお世話になった」
「……クズめ」
実体験だったようだ。
しばらくの間、恐る恐る走っていたが、あまりに運転がしやすい道であるためその緊張感も薄れてきた。法定速度さえしっかり守って走れば、そう警察の世話になることもないだろう。今はそんなゆったりとした心持ちになっている。
「しかし、あれだな」
「ん?」
裕二の独り言のような呟きに健介が反応する。
「琵琶湖の西側を走るって聞いてたから、琵琶湖が見えるかと思ったんだが、違うんだな」
位置的に見て、自分の右手側に琵琶湖があるはずなのだが、今見えているのは小高い山と、そこに生えている木々のみ。
「この道、山の間を走る区間がしばらく続くからな。もうちょい走ったら見えてくると思うぞ」
「そうか」
「というか裕二お前、滋賀に住んで何年経つんだよ? 今更琵琶湖が珍しいのか?」
「……インドア派なんだよ、僕は」
滋賀に住んで長いが、生活圏は微妙に琵琶湖から遠く、普段福井の帰省に使用する高速道路から琵琶湖は離れた位置にあるため、琵琶湖をこの目で見たことがない。
生来の出不精もあり、今までわざわざ見に行こうとしたことがなかった。
「まあ、琵琶湖が見えたら教えてやるから、運転に集中しろよ」
「別に、どうでも見たいわけじゃないけどさ」
我ながら言い訳がましいと思った。
またしばらく車を走らせる。琵琶湖はまだ見えてこない。
「……まいったな」
裕二が目元をグリグリ押しながらそう呟く。
今日は本当にいい天気だ。
空には雲ひとつなく、青空が澄み渡っている。
風も穏やかで、こんな時でもなければ絶好のドライブ日和だと言えるだろう。
車の窓から指す陽の光は刺々しいものではなく、体を柔らかく包み込んでリラックスさせてくる。
つまりーー
「眠くなってきた」
「おい、勘弁してくれよ」
仕方がないだろう。もともと昨晩は車中泊であったため十分な睡眠が取れたとは言い難い。
ここまで死体を運ぶ緊張感のせいで眠気なんて微塵も感じていなかったが、流石にその緊張感にも慣れ、薄れてしまった。こんな状態で平坦で走りやすい道がずっと続くと眠たくもなってくる。
「どっかで休んだ方がいいんじゃねえか?」
「いや、そんなわけにはーー」
今の自分たちは休める状況ではない。そう否定しようとしたが、健介は強い口調で裕二に注意する。
「馬鹿。居眠り運転で事故なんて洒落にならないぞ。少し仮眠を取れ」
「……そうだな」
時計とナビの到着予想時刻を見る限り、式の時間までまだ余裕はありそうだ。
30分ほどの仮眠でも取れれば随分と変わるだろう。
「この道しばらく走ると、途中で道の駅がある。そこで休もう」
「わかった」
「ただ、もうしばらくかかるな。大丈夫そうか?」
「……できれば、会話を途切れさせないでほしい」
おしゃべりで脳を動かしていないと、本当に眠ってしまいそうだった。
「健介。なんか面白い話題ないか?」
「面白い話題っつってもな……」
健介は少し考え込み、ややあってから口を開いた。
「今日の結婚式。ぶっちゃけいくらかかってる?」
「……こっちからお願いしといてなんだけどさ。出てきた話題が金の話かよ」
タイムリーと言えば、タイムリーな話ではあるが。
しかしせっかく出してくれた話題だ。眠気を誤魔化すためにも話に乗っておこう。
「まあぶっちゃけて言うと。式と披露宴合わせて200万前後」
「おお! まじか、そんなにすんの?」
健介が感嘆の声を上げた。
「これでもかなり抑えられた方だよ。参加者は親族とごく一部の友人で、ほとんど身内だけだし」
下衆な話のためこればかりは口にしないが、出席してくれるみんなからの祝儀でかなり賄う事ができる。それでも100万ほどは払う必要になるだろうが。
「ほら、さっきも言ったけど涼子ちゃんの望みはおばあちゃんに立派な花嫁姿を見てもらうことだからね。そのあたりめちゃくちゃこだわったんだよ」
流石に購入ではなくレンタルだが、有名なデザイナーの作ったウェディングドレスらしく、人気のため予約を取るのが大変だった。
正直に言えば、結婚式の日取りは出席者の都合や式場の都合で決めたと言うより、ウェディングドレスがレンタルできる日に結婚式を決めたようなものだった。
裕二としてはそのことに異存はなかった。
涼子が昔から口にしていた夢を叶えてあげたいと心から思い、全面的に協力した。
「すげえいいウェディングドレスでさ。試着の時に見たけど、涼子ちゃん綺麗だったな……」
「へえ。よかったじゃねえか」
確かによかった。その時は試着だけだったので涼子の化粧は彼女自身が行ったナチュラルメイクだったが、それでも目を奪われるほどだった。
そのため、今日式場のプロのスタイリストに化粧を施され、髪型も決めた涼子があのドレスを着るとどうなるのだろうと、今から楽しみでしょうがなかった。
ただしーー
裕二は少しだけ顔を曇らせて話を続ける。
「ただね。人気ドレスのレンタルって、すげえ金かかるんだよ」
「いくらだ?」
「……70万」
「70万!?」
健介が素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「ドレスのレンタルが70万? それ今日の式代のほとんどドレスのレンタル料金じゃねえか!」
「そうなんだよ! 僕もレンタル料聞いて目ん玉飛び出るかと思ったよ!」
裕二としては、花嫁の涼子がおばあちゃんのためにウェディングドレスにこだわることに異存はなかった。
しかし、それでも70万は想定外だった。涼子の希望を叶えたい気持ちと、高額のレンタル料に対する抵抗感がせめぎ合って、しばらくフリーズしたぐらいだ。
「僕もその時までウェディングドレスのレンタル料金の相場なんて知らなくてさ。せいぜい数万くらいかなー、なんて思ってたけど。甘かったよ」
一般的なドレスのレンタルの相場が30万前後だと知った時は本当に驚いた。
「でもまあ、最終的にはそのドレスで行くって決めたんだろ? すげえな、お前と涼子ちゃん」
「まあね。ただ、その後にも問題があってね」
その後のことを思い出して、裕二はため息をついた。
「レンタル料金70万のことを知った涼子ちゃんのお母さん、春子さんが大反対して、すげえ大変だったんだよ」
「おーっと」
「涼子ちゃんはウェディングドレスは妥協できない。そのために今までお金を貯めてきたって強く主張するし。春子さんは結婚した後もお金がかかるんだから無駄遣いはするんじゃないって、至極真っ当なこと言うもんだから、板挟みでさ」
「下手にどっちかに肩入れなんてできねえよな」
「どっちも譲らないものだから、もう大喧嘩。僕がオロオロしているうちに、涼子ちゃんが『絶縁するから!』なんて言い出してさ」
「結婚式直前に?」
「結婚式直前に」
最終的に涼子の父に間に入ってもらいことなきを得たのだが、その間はどうすればいいのやらわからず気が気ではなかった。
「はー。涼子ちゃんのお母さん、春子さんだっけ? 結構厳しい人なんだな」
「まあね」
涼子と恋人関係になったのは高校生の時。涼子の両親ともその時からの付き合いなので、ある程度気安い関係となっている。
しかし、裕二は涼子の母に若干の苦手意識があった。
「基本的には気のいい人だよ。でもさお金関係はめちゃくちゃ厳しくてね」
高校生の時から、顔を合わせるたびに『無駄遣いはしていないか?』『若いうちからバイトはしたほうがいい』などと小言をいただいていた。
「結婚するって挨拶に行った時も、『借金はするな。身の丈に合った生活をしろ』とか、『酒、タバコ、博打は身を滅ぼすからやめろ』とか結婚を許す条件として色々言われてさ」
「へえ」
実際、涼子の父は酒もタバコも博打も一切やらない真面目な人で、それが涼子の母の結婚の決め手だったという。
「だから僕言ってやったんだよ。『僕は借金なんてしません。酒もタバコも博打もやりません!』ってな」
「酒に関しては大嘘じゃねえかよ」
健介が冷めた視線を送る。
「しかしそうなると、緊張してきたな」
「緊張?」
「今日のスピーチだよ。よく考えたら、お前とお前の家族以外全員初対面の状態で話すことになるんだからな」
「そういやそうか。涼子ちゃんとも会ったことなかったっけ」
「ああ。今日が初めましてになる」
何度か健介に自分の恋人を紹介しようとしたことはあるが、その度になんやかんやで都合が悪くなり、今まで一度も顔合わせが実現したことがなかった。
「まあ最も、涼子ちゃんの写真は何度も見せてもらったし、お前からよく話を聞いてるから初対面って感じはしねえけど」
「ん? 写真なんか見せたことあったか? 涼子ちゃんのこと、そんなにお前に話した覚えもないけど?」
「あー、酒飲んでる時にな」
「なるほど。酒飲んでる時なら僕が覚えてるわけないな」
仕方ない。と裕二は頷く。
ここまでの会話で、裕二を襲った眠気はある程度どこかへ行ったようだった。健介に会話の話題を振ってもらって正解だった。
「そういや健介。お前今日ーー」
このまま道の駅まで話し続けようとしたその時、後方からけたたましいクラクションが鳴らされた。




