第四話
『おかけになった電話は、電源が入っていないか、電波の届かないところにあるためーー』
スマホから流れてくる機械的な音声を最後まで聞くことなく電話を切る。
「……出ないな」
村山涼子は苦々しい顔でそう呟く。
先ほどから何度も婚約者の今村裕二と連絡を取ろうとしているのだが、電話が通じない。 メッセージも数回送ったが、いずれも返信がなかった。
「まさか、まだ寝てる?」
嫌な予感はしていた。
結婚式前日に友人と飲むと聞いた時、涼子は止めるようにお願いするか本気で悩んだ。
学生の時から裕二の酒癖の悪さは折り紙つきだった。酔って乱暴になるわけでないのが救いではあるが、突拍子もない行動を取る上、一度寝ると何をしても目を覚さなくなるのだ。おかげで過去、何度約束をすっぽかされたことか。
タチが悪いのは、酔うと記憶を無くすせいか、裕二自身にその自覚が薄いことだ。
独身最後の夜くらい、男友達と過ごしたいだろう。そう思って何も言わなかったが、できれば式の前日は、福井の実家に帰って大人しく過ごしていて欲しかった。
『大丈夫、大丈夫。そんなに飲まないから』
裕二は電話越しにそう言っていたが、信じるべきじゃなかった。
「結婚式に間に合わない、なんてことはないよね?」
流石にそれは大丈夫か。
遅くとも午後3時には式場についていればいい。たとえ昼まで寝ていたとしても、間に合うだろう。
「いや、でもなあ。裕二だしなあ」
涼子は、酒の入った婚約者を信用していなかった。
「ただいま」
そうやってあれこれ悩んでいると、美容院へ行っていた母と祖母が帰ってきた。
「おかえり、遅かったね」
「そりゃあ、ヘアセットとメイク二人分だから」
「式場でやってもらえばよかったのに」
母が行った美容院は涼子にとっても行きつけだが、この日ばかりは結婚式場で用意するつもりだった。頼めば母と祖母の準備もしてくれただろう。
「そっちだとお金かかるでしょうが」
昔から、母にはケチなところがあった。
しかし、二人とも髪もメイクもバッチリ決まっている。首から下が普段着なので、かなり浮いている気がするが。
「おばあちゃん、綺麗だよ」
「ありがとね、涼ちゃん」
祖母は顔を皺くちゃにして笑った。
「お父さんは?」
母に聞かれて、地元の理容室に髪を切りに行った父がまだ帰ってきていないことに気づいた。
「あれ、おかしいな。もう帰ってきてもいいんだけど」
いつもなら30分ほどで帰ってくるはずなのだが、父が出かけてからすでに1時間経っていた。
「ふーん。どこかぶらついてるんでしょ」
「……娘の結婚式の日に?」
急に不安になってきた。涼子は父に電話をかける。
しかし、いくら待っても繋がらなかった。コール音は鳴り続けているため電源は入っているはずだが、気づいていないのだろうか?
「もう。お父さんも裕二もなんなの」
こんな大事な日に二人とも何をしているのか。
「まあ、そのうち帰ってくるでしょ」
「そや。あの子、涼ちゃんお嫁に行くの寂しいだけやろ」
母も祖母も呑気そうに言って、二人ソファに並んでテレビを見だした。父のことを全く心配していないようだった。
しかし、涼子の不安は膨れ上がっていった。
最近、父の様子がおかしい気がする。
ここしばらく表情が暗く沈みっぱなしで、話しかけても上の空。ずっと何かを考え込んでいるようだった。
心配になって母に相談したが『ただのマリッジブルー』などとズレたことを言われただけで済まされた。
しかし父の表情は『ただのマリッジブルー』にしては随分と深刻そうで、何か別の不安があるのではないかと涼子は考えていた。
それに加えて、今連絡がつかないことが涼子の不安を加速させる。
「私、ちょっと探してくるね」
「別に、心配せんでもいいと思うけどね」
「せやせや」
どこまでも呑気そうな二人にため息をついて、涼子は家を出た。
「まだ理容室にいるかな?」
父の行きつけの理容室は、少し歩いた先にある商店街の中。
涼子も中学に上がるまではそこで髪を切ってもらっていたため、道のりは足が覚えていた。
10分ほど歩くと、見覚えのある店の通りが見えてきた。
「懐かしいな。この辺歩くのなんていつぶりだろう」
中学、高校は自転車に乗ってこの道を通り過ぎるだけだった。大学生になると、そもそも来る機会すらなかった。古い軽自動車をもらって、涼子の行動範囲が一気に広がったからだ。
久しぶりにゆっくり商店街を歩く。いくつかしまっている店、新しくできた店などはあるが、全体の雰囲気は全く変わっていないように感じた。
結婚を前に、少しセンチメンタルな気持ちになっているのかもしれない。思い出深いこの道を噛み締めるように行く。
「昔、お母さんとよく来てたっけ」
幼い頃、幼稚園へ迎えにきた母に手を引かれ、この商店街まで買い物に来ていた。
母が買う食材から、その日の夕飯を推測するのが楽しかった。
「そうだ。あのコロッケ売ってた店、まだあるかな」
幼稚園帰りでちょうどお腹が空いていた幼い涼子は、よく母にねだって肉屋のコロッケを買ってもらっていた。
母は夕食前だからと渋っていたが、結局涼子と一緒にコロッケを食べ歩きながら家まで帰ったものだ。
『お父さんには内緒だよ?』
母がよく言っていた言葉を、今でも覚えている。
「どうしよう。お昼前だけど、久しぶりに買っちゃおうかな」
コロッケの売っている肉屋はこの道をしばらくまっすぐ行き、商店街の突き当たりを曲がった先にある。
意外と覚えているものだな。なんて考えながら足を進める。
そして、少しワクワクした気持ちのまま曲がり角に差し掛かる。
その先にあったのは和菓子屋だった。
「……え?」
涼子は足を止め、呆然と店を見る。
もう潰れて、和菓子屋に変わってしまったのだろうか。一瞬そう考えたが、すぐに違うと気づく。目の前の和菓子屋の構えは、明らかに築数十年は経っている。
「そ、そうだ。この和菓子屋、よくおばあちゃんときんつば買いに来た店だ」
祖母が昔から贔屓にしている店で、ここのきんつばは自分も好きだった。
しかし涼子の記憶では、商店街の曲がり角にはコロッケを売っている肉屋が確かにあったはずなのだ。
幼い故の記憶違い。と言うにはあまりにも鮮明な記憶。だが、実際に目の前には和菓子屋があるし、そこに来た記憶もある。
「お父さんとお母さんがいないことが寂しくてぐずってた私のために、おばあちゃんが連れて来てくれたんだっけ?」
父と母は共働き。今でこそ落ち着いたが、涼子が幼い頃は帰ってくるのが夜遅く、なんてことが当たり前で、家事と涼子の世話は祖母の役割だった。
「……ちょっと待って」
そのことを思い出した時、涼子は自身の記憶の中に矛盾があることに気づいた。
「幼稚園帰りによくお母さんと一緒に商店街に来てた?」
そんなことありえない。
涼子が幼い時の母は仕事で忙しく、幼稚園まで涼子を迎えにくるなんてことできるはずがない。
しかし涼子の中には、母と手を繋いで商店街を歩いた記憶がある。
母に買ってもらったコロッケの味を、今でも覚えている。
矛盾する思い出に、涼子は混乱する。
「……あれ?」




