第二十三話
両親との約束の時間までそれほど余裕がない。裕二は法定速度は超えないよう気をつけながら、気持ち急いで車を走らせた。
「しかし、なんで駅で待ち合わせなんだ?」
待ち合わせ場所まであと少し、というところで健介がそんな疑問を口にする。
「家でいいだろうに。まあ、お前の実家まで迎えに行くとなると、大幅に時間をオーバーしそうだが」
待ち合わせ場所である駅は、式場までの道のりの途中にある。
健介の言う通り。もしこれが裕二の実家まで一度行くことになっていれば、かなり遠回りになってしまっただろう。
都合がいいとも言えるが、なんで駅で待ち合わせなのだろうか? 家から父の車で式場に向かえばいいのに。と思う。
「知らないよ。多分母さんの思いつきかなんかだろ。あの人、いつもそうなんだ」
「ふーん」
健介が気の抜けた返事を返してきた。
「そろそろだな」
福井駅のシンボルでもある、大きな恐竜のモニュメントが見えてきた。
駅前の広場に設定されている実物大の恐竜のモニメント。あまりのリアリティに今にも動き出しそうーーというか、機械仕掛けのため実際に首や口が動いている。
福井駅に来るのは随分と久しぶりだが、知らない間に恐竜の数が増えている気がする。
そんな恐竜を横目に見ながら、ロータリーを回って車を停めた。
現在2時10分。待ち合わせの時間を少しオーバーしてしまった。
随分と前から待っていたであろう裕二の両親が、すぐに車に近づいてきた。
父は礼服。母は黒留袖で、なぜか手には紙袋を持っている。
「なんや、あんた遅いわ」
助手席の窓を開けると、真っ先に母が文句を言ってくる。
「どっかで事故あったんかと思って電話かけても出んのやし。何してたんや、あんた」
「ごめんて。スマホは……ちょっと電源切れてて」
裕二はモゾモゾと口ごもりながら謝る。
何者かに盗まれました、なんて言えるわけない。
「あら! 健介くん久しぶりやね」
母の視線は助手席に座る健介に移った。
「お、お久しぶりです」
「前にうち泊まりに来てくれた時以来やね。いつやったっけ?」
「あー。確か自分たちが大学生の時だったと思います」
「そんな前やったっけ? また遊びに来てくれたらいいのに」
母はなぜか健介のことを気に入っていた。息子の前で、その辺に高い声はやめてほしいと思う。
「母さん、早く乗ってよ」
ロータリーでいつまでもお喋りなんかしていられない。父なんてすでに無言で後部座席に座ってる。
「はいはい」
そう言って母は窓から離れた。
裕二が助手席の窓を閉める直前、母が振り返った。
「そや裕二。この荷物、トランクに入れさせてな」
完全に油断していて、母の言葉の意味が一瞬わからなかった。
「あっ! ちょっ!?」
その一瞬が命取りだった。裕二はパニックに陥り、意味を為さない音が口から漏れ出る。 そして止める暇もなく、母はトランクに手をかけた。
終わった。
頭の中が真っ白になる。
もうだめだ。大五郎の存在が親にバレる。
警察沙汰。
逮捕。
婚約破棄。
勘当。
一家離散。
ありとあらゆる最悪の可能性が頭の中を走馬灯のようによぎっていく。
しかし、トランクは開かれることなく、開けようとしたガチャガチャという音のみが響いた。
「あれ? なんやあんた、開かんのやけど?」
母の不思議そうな声を聞いて、裕二はようやく我に帰った。
そうだ。トランクは開かないのだ。
「か、鍵が車内にあるから開かないんだよ!」
裕二の車はセダンタイプであり、トランクが独立している。
盗難のリスクを軽減するために、車内に鍵がある状態だとトランクを開けることができないように設計されている。
その事実をようやく思い出し、ホッと胸を撫で下ろした。
危なかった。危機一髪だった。寿命が数年縮んだ思いだった。隣に座る健介も、額に冷や汗をかいているのが見えた。
「…………?」
しかし、それと同時に奇妙な違和感を覚えた。何か重大な事実を見落としている感覚。
そう言えばこの鍵、朝は確かーー
「ちょっと裕二。開けてや」
「あ、うん」
違和感の正体について考えていると、母から催促される。
「母さんちょっと来て」
慎重を期して、母を運転席の近くに呼び出してから裕二は車の外に出た。
「僕がトランクの中に入れるから、座ってて」
「そうか? ならお願い」
母から紙袋を受け取る。
「……これ何?」
「何って、お饅頭やけど。そこのデパートで買った良いやつ」
「なんで?」
なんで母は息子の結婚式直前に饅頭なんて買ってるのだ?
「そらあれやん。今日結婚式来てくれはる人に配る用やん」
「引き出物出すからいらないって言ったじゃん!」
事前に何度も念押ししたはずだ。出席者へのお礼は裕二と涼子から引き出物という形で配るから、両親は手ぶらでの出席でいいと。
「あっちのご両親にも、いらないですって伝えてあるんだよ! これで母さんが饅頭なんて配ったら涼子ちゃんとこのご両親が遠慮しちゃうだろ!」
「ええやんか。こっちのありがとうって気持ちなんやから」
「必要ないってずっと言ってただろ! というか、そんなことのために僕を迎えに来させたの!?」
「なんやそんな怒って。別にちょっと迎えに来てもらうくらいええやろ」
全然良くない。今この車に両親を乗せることが、どれだけリスクがあると思っているか。 しかも、たかが饅頭のために。
「…………もういいから。早く座って」
さっさと紙袋を片付けて出発したい。
裕二は1人車の後部に移動する。
「…………」
あたりを慎重に見渡す。
現在、裕二の後ろに他の車はないが、駅前であるためそれなりの人が出歩いている。
大丈夫だ。少しトランクを開けて中に紙袋を入れるだけ。誰もこっちを見ていないし、中に入っている大五郎なんて外からは見えない。
自分にそう言い聞かせるが、なかなか踏ん切りがつかない。万が一見られたらその時点で終了だ。
震える手でゆっくりとトランクに手をかける。
「あ、裕二。紙袋の中に携帯入ってへん?」
「わーっ!」
直後。音もなく真横に現れた母の存在に悲鳴を上げる。まだトランクは開いていなかったが、喉から心臓が飛び出るかと思った。
「な、なんなんあんた。おっきい声出して」
「スマホね! はいこれ!」
紙袋から取り出したスマホを母に押し付ける。そのまま後部座席まで背中を押し、扉を開ける。
「いいから座って! ね!」
「わかったから。そんな押さんといてや」
母が後部座席に座ったのを確認し、再び車の後部へ。
3回ほど吸って吐いてを繰り返して呼吸を落ち着ける。
今度こそトランクをーー
「裕二。この礼服誰の? 窓のところにかかってて、お父さん邪魔やって」
「健介ぇっ!」
またしても隣に立つ母。その手には健介の礼服がぶら下がっていた。
「お願いだから座ってて! わかったから! この礼服もトランクに入れるから!」
「えっ!?」
助手席に座る健介が振り返り、驚愕の表情を見せた。どうやら自分の礼服が大五郎と同じ場所に入れられるのが不服らしい。しかし、構っていられなかった。
母を再び後部座席に押し込み、今度こそ座らせる。
周りに誰もおらず、こちらを見ている人物がいないかしっかりと確認する。
そしてようやく、トランクを開けた。
「うっ!」
当然のようにそこに横たわっている男の死体。
「こ、ここに饅頭を入れるのか? 結婚式の出席者に配る用の……」
頬を引き攣らせながら、ポツリとつぶやく。
トランクは大五郎の存在のせいでかなり狭く、饅頭の入った紙袋はどうやっても大五郎に接触してしまう。
寝袋越し、紙袋越しとはいえ、かなりの嫌悪感がある。裕二はせめてもの抵抗として、健介の礼服を仕切り代わりに引いた。
洗車用のホースが相変わらず邪魔でつっかえる。裕二はホースを奥に追いやって紙袋をトランクに収めた。
というか、死体の臭いが饅頭に移ったりしないだろうな? 裕二は念の為、恐る恐るトランクの中に鼻を近づける。
……不思議と、それほど嫌な臭いはしていなかった。
トランクを閉め、裕二はようやく運転席に戻った。
なぜ親を車に乗せるだけでこうも疲れなければならないのだろうか。
「裕二お前、俺の礼服……」
「……じゃあ、行くから」
恨みがましくこちらを見る健介を無視して出発する。
「というか母さん、わざわざ饅頭買うためだけに、電車乗ってここまで来たの?」
車を走らせながら裕二は後ろに座る母に問いかける。
「饅頭なんて近所で買えるだろうに」
それとなく、自分の心臓に著しい負担を与えた母を責める。
「せっかくおめかししたんやから、お父さんとデートしたかったんや」
「デートって……」
いい年して何言っているんだか。
「あんた今日の披露宴、フレンチのコースなんやろ? だからお昼は和食かなーって、デパートでうなぎ食べてきたんや」
「……うなぎ」
うなぎは裕二の好物だ。反射的に溢れてきた唾を飲み込む。
「美味しかったわー。今日はうな重やなくて、ひつまぶしで食べたんや。あ、お父さんは白焼と肝吸い食べてたやんな。美味しかった?」
「…………ああ」
父の短い返事。
「でもな、ちょっと食べ過ぎたかもしれんわ。夜ご飯もご馳走なのに、今からお腹スカせんと。お父さんは大丈夫?」
「…………大丈夫だ」
父の言葉は極端に少ないが、これが父の平常運転だ。
裕二の家では、おしゃべりな母が一方的に喋り続けて、寡黙な父が短く相槌を打つ、というのが日常だった。
今も、母は今日食べたうなぎのことから、朝食べたパン。そして昨日の夜はカツ丼だったことまでベラベラと喋り続けている。
いいかげんやめてほしい。
さっきからこちらの空腹の具合を知ってか知らずか、まるで嫌がらせのように食べ物の話ばかりだった。
「あんたら今日、お昼何食べてきたん?」
「あー……蕎麦とか?」
本当は今日一日何も食べていないのだが、流石にそれは不自然に思われると考えて誤魔化した。
「なんや控えめやな。結婚式なんて新郎のあんた忙しいんやから、倒れても知らんで」
母の言葉に、裕二はふと思いつく。
自分たちは今無一文だが、両親はお金を持っている。
今からどこかーー時間はないからコンビニでもいい。そこで軽く食べられるものを買ってもらえれば、幾分か腹の具合がマシになるのではないか?
いや、しかし。金を持っていない理由をどう説明する? いい年した大人2人が金欠で空腹になっているなんて、不自然極まりないのではないか?
「…………裕二」
言い訳を頭の中で考えていると、後ろに座る父が自分の名前を呼ぶ。
「何、父さん?」
「…………」
聞き返すが、父から返事がなかった。
裕二は怪訝に思い、バックミラーで父の顔を見る。
「っ!?」
そしてギョッとする。
なんと父は滂沱の涙を流していた。
「な、何!? どうしたの父さん!?」
口元を固く結び、真っ直ぐ前を見る父。その目から溢れる涙を拭うことすらしていなかった。
涙を流しながら、父はゆっくりと口を開いた。
「……裕二。良く、やったなあ」
「な、何が? なんの話!?」
裕二は混乱していた。父が泣いている姿など、生まれてこのかた見たことがなかった。
無口で、自分にも他人にも厳しい一家の大黒柱。
そんな父が涙を流す姿が与える衝撃は、裕二にとって並大抵のものではない。
父はわずかに震える声で、涙の理由を説明する。
「あんなに小さかったお前が、こんなに大きくなって、け、結婚するなんて」
「…………」
「一人前の男になった。俺は、お前が誇らしい……!」
「…………」
その言葉を聞いて、裕二はシンプルに死にたくなった。
絶対、今じゃない。
今は両親と死体を同じ車に乗せている最悪の状況なのだ。こんな状況でなければ、父の言葉と涙に自分も感動のあまり咽び泣いたかもしれない。しかし今は別の意味で泣きそうだ。
父は知る由もないだろうが、その言葉を贈るタイミングは絶対に今じゃないのだ。
「あ、うん……ありがと」
男泣きする父に、裕二は消えいるような声で返事をするのがやっとだった。
「…………」
隣に座る健介も、どういう感情の表れなのか定かではないが、裕二がこれまでの人生で見たことがないような引き攣った表情を浮かべている。
「もーお父さんったら。まだ泣くには早いわ」
目尻にうっすらと光るものを見せる母が、ハンカチで父の涙を拭う。
気がつけば、空腹なんてまるで感じなくなっていた。




