第二十二話
裕二と健介を乗せた車は山道を降り、現在海沿いの道を走っている。
ガソリンを補充した後の道のりは驚くほど順調だった。ここまでなんのトラブルもなかった。
健介は助手席の窓に寄りかかり、ぼんやりと穏やかな波の日本海を眺めている。
「この辺の景色、なんか見たことあるな」
ポツリとした呟きに、裕二が返答する。
「前にこの道通ったことあるだろ。何年前だったか忘れたけど、お前が海鮮丼食べたいって言って、僕が運転して連れてきた時に」
「あー。あったな、そんなこと」
その時は当然、下道なんて通らず高速道路を使ったが。
「あれって確か冬だったよな?」
「そうだよ。しかもめちゃくちゃ雪降ってる日。お前、なんで真冬に福井に行こうなんて言い出したんだよ」
裕二と健介が現在住んでいる滋賀はほとんど雪が降らないが、冬場の福井は日本でも有数の豪雪地帯だ。滋賀と福井の県境にある山を抜けると、降り積もる雪のせいで別世界かと思うほど景色が変わる。
以前、健介に頼み込まれて福井まで車を走らせた時は本当に大変だった。その日はよりにもよって福井に大雪警報が出ていた日で、数メートル先が見通せないほどだった。事故を起こさなかったのが奇跡だ。
「しかもお前が行きたがってた海鮮丼の店、雪のせいで閉まってたし」
「あの雪じゃな。やってる店の方が少なかったからな」
ここまで遠出して、何も食べずに帰ると言う選択肢はなかった。なので雪道をひたすら走らせて、何か食べられる店を探したのだ。
そして見つけたのが、カツ丼と蕎麦の店だった。
「適当に入った店だけど、美味かったよな」
「まあ、一応どっちも福井の名産だからな」
福井のカツ丼は卵とじのカツ丼ではなく、ソースカツ丼だ。
蕎麦も、大根おろしの入った冷たいつゆのかけられたおろし蕎麦。
福井を代表する二つのグルメは、大抵の店でセットで出てくる。
「俺、ソースカツ丼食ったのその時が初めてで、最初出てきた時卵とじじゃなかったことにがっかりしたんだけど、いざ食べてみるとこれが美味くてな。ソースがちょっと甘めで、酸味がちょうど良くて、米が進むんだ」
「…………」
「おろし蕎麦もさ。ソースのカツ丼に蕎麦なんて合わねえだろとか。こんな寒い日に冷たい蕎麦かよとか色々思ったんだけど、これが不思議なくらい合うんだもんな。ソースカツ丼の後味を、大根おろしがさっぱりと洗い流してくれる感じで。蕎麦自体も結構太めで歯応えがあってさ。俺、蕎麦が美味いと思ったのはあれが初めてだったな」
「……やめろよ。思い出で食レポすんの」
現在、午後1時半。
滅茶苦茶腹が減っている。
今日一日何も食べていない。さらに言うなら、2人とも酒を飲むときは軽くつまむ程度でほとんど食べないため、かれこれ24時間はまともな物を食べていないことになる。
大変腹が減っている。
先ほどから道沿いにラーメンだの蕎麦だのソースカツ丼だのの店が軒を連ねていて、横を走るたびに視線がそちらに向いてしまう。
こんな状況下で美味しかったものの思い出話なんて毒にしかならない。
「披露宴が6時からだっけ? それまで何も食えないって、きついな」
「我慢しろよ。金がないんだから」
社会に出て数年。まさか金がなくて腹を空かせる日が来るなんて思いもしなかった。
「あー。蕎麦食いてえなあ」
健介はそうつぶやくと、何か思いついた様子で裕二に問いかけてきた。
「なあ裕二。今日の披露宴、料理に蕎麦が出たりしない?」
「流石に蕎麦は出ないな」
披露宴の料理が和食だったら蕎麦が出る可能性はあっただろうが、あいにくと今日はフレンチのコースだ。
「そうか。まあ無理か」
心底残念そうな健介の声。
直後、健介は顔を裕二に向けた。
「念の為聞くけど、ソースカツ丼って出たりーー」
「出るわけねえだろ」
冠婚葬祭の席で丼物なんて聞いたことがない。
「ソースカツ丼も食いてえな。あれ滋賀じゃ食えねーんだよ」
「そりゃあ、福井のご当地グルメだし」
ソースカツ丼というメニューはチェーン店などでたまに見かけるが、大抵の場合福井のソースカツ丼と全くの別物だ。福井に来た以上、食べたいという健介の気持ちは裕二にも良くわかる。
「…………なあ。福井の警察で事情聴取されると、出てくるカツ丼はソースカツ丼になるのか?」
「やめろ。縁起でもない」
下手すれば、本気で卵とじかソースなのか確かめる羽目になるのだ。
「飯の話はもうやめよう。不毛もいいところだ」
「そうだな。腹が膨れるわけでもねえし」
ここに至るまでの道のりは順調そのもの。こんな馬鹿話が交わせる程度には余裕があった。
「この調子だと、3時には余裕で間に合いそうだな」
残りの道のりは50kmほど。法定速度を守り、安全に運転しても十分に間に合うだろう。
ゴールがようやく見えてきた。
「健介。ちょっと休憩がてら、この先の休憩所に行って良いか?」
今一番怖いのは、事故によって大五郎の存在が露見することである。
空腹のおかげで眠気こそないが、ここまで長時間の運転で疲労が溜まっている。車から降りて、少し体を伸ばしたい。
しかしーー
「ダメだ」
なぜか、健介が即座に否定してくる。
「は? なんで?」
「その休憩所って、あれだろ? 前に来た時も寄った崖沿いのとこだろ?」
「そうだけど」
日本海を臨む崖沿いに建てられた小さな休憩所。
トイレと自動販売機くらいしかないところだが、断崖絶壁から見下ろす日本海はかなりの迫力だ。前に来た時は雪のせいで、景色を楽しむどころではなかったが。
気分転換にはちょうどいい場所なのに、なぜか健介は反対してくる。
「あの休憩所はダメだ」
「なんでだよ? 僕ちょっとトイレ行きたいんだけど」
「俺もだ。だからダメだ」
「はあ!?」
意味不明な健介の言動に、思わず声を上げる。
すると健介は、ボソリと呟いた。
「あそこのトイレ。汚くて嫌だ」
「ここに来てなんだその無駄な繊細さ! ここまで僕たちが何をやってきたのか思い出してみろよ!」
車で死体を運んだり、死体を持ち上げて一度外に出したり、他の車からガソリンを盗んだり。汚いことなんてこれまで嫌というほどやってきただろうが。
「だったらもう我慢しろよ! 僕はトイレ行くから!」
「いや、俺もトイレには行きたい。だけどあの汚いトイレじゃなくて、式場にあるであろう綺麗なトイレに行きたい。一刻も早く。休憩所寄ってると時間ロスするだろ?」
「めんどくさ!」
妙なわがままを言い出した健介に呆れ返る。
行き先を決められるのは、車を運転している裕二だ。このまま無理やり休憩所まで行ってやろうかとも思ったが、ここまでこいつに助けられてきたこと考えると無碍にもできない。
「式場までまだ時間かかるぞ? お前、それまで我慢できるのか?」
「ああ。きっと耐えてみせる。絶対にだ」
「……そこまで決意固められると、かえって怖いんだけど。お前実はギリギリだったりしねえよな?」
最悪の場合、適当なコンビニでも寄ってそこのトイレに無理矢理にでも放り込もう。そう決めた。
裕二はナビの到着予定時刻を確認する。
「式場まであと1時間か。このままノンストップで行けば、2時半には…………」
言葉が途中で止まる。
「裕二?」
急に固まった裕二に、健介が心配そうに声をかけた。
「やばい」
「な、何が?」
裕二は脂汗をかきながら答えた。
「僕の両親。迎えに行くって約束してたんだった」
慌てて腕時計を確認する。
「昨日急に連絡があったんだ。式場行く途中、駅で拾ってっくれって。ああ、くそ! そのあと飲みに行ったから完全に忘れてた!」
今の今まで、すっかり頭から抜けていた。
「確か、2時に来てくれって言ってたな」
「いや、待て待て! 裕二お前、どうするつもりだ?」
「どうしよう、あと30分で駅まで行けるか? ちょっとオーバーしそうだな」
「違う! そうじゃなくて!」
ふと横を見ると、健介の顔は真っ青だった。
「お前、この車にご両親を乗せるのか?」
「…………」
現在、この車には裕二と健介だけでなく、トランクに大五郎が乗っている。
そんな車に、両親を乗せるのか?
「……っ」
とんでもないことをしようとしていた自分に気づいて、喉が干上がった。
「し、仕方ないだろう! スマホないから連絡取れないし、もう行くしかないって!」
「マジかお前。マジか……」
やけっぱちになった裕二を見て、健介は引いたような顔を見せる。
「大丈夫だって! 大五郎のことなんてバレないバレない!」
「大丈夫、って。何を根拠にそんなこと」
「よく考えてみろ、親が息子の車に乗る時、トランクを開けるようなことあるか?」
「俺、親いねえからよくわかんないけど。あるんじゃねえかな?」
焦りのあまり、自分でも意味不明なことを言ってしまう。
しかし、仕方ないのだ。スマホがない以上、迎えに行けないから代わりにタクシーで行ってくれ、と連絡することもできない。このままじゃ両親がいつまでも駅で待ちぼうけになってしまう。
「も、もう仕方ないから、連絡があったこと忘れたことにしようぜ? お前がいつまで経っても迎えに来なけりゃ、ご両親もタクシーかなんか使って来るだろ」
その手段は裕二も一瞬考えた。
しかし、もう思い出してしまったのだ。思い出してしまったら、両親のことを無視して式場に向かうことに酷い罪悪感がある。
今日の結婚式は、今まで育ててくれた両親のためでもあるのだ。
「そんな親不孝なまねできるわけないだろう!」
「……この車に乗せるのと、どっちが親不孝なんだろうな」
結局、健介の反対を押し切る形で両親を迎えに行くことに決めた。




