第二十一話
「もしかしてお父さんは、私と血が繋がっていないの?」
声を詰まらせながら絞り出した答え。
涼子はこの答えに確信を持っている。だが一方で、間違っていて欲しいという気持ちが心の中にあることを自覚していた。
「…………」
父は無言。
やや驚いた表情を浮かべた後、顔をふせた。
涼子は心臓が早鐘を打つのを聞きながら父の回答を待つ。
違うと言って欲しかった。
お父さんは涼子の本当のお父さんだよ。と、父が答えるのを望んでいた。
しかし父はゆっくりと顔をあげると、首を縦に振って肯定する。
「そうだ。僕と涼子は血が繋がっていない」
その言葉を聞いて、涼子は突き落とされたようなショックを受けた。
ああ。覚悟していたが、これはきつい。
一気に現実感が薄れていく。ベンチに座っているのに、崩れ落ちてしまいそうな感覚を覚えた。
父はそんな涼子の状態に気づいていただろうが、そのまま言葉を続ける。
「涼子が小学生になる前、シングルマザーだったお母さんと僕は結婚したんだ」
「じゃ、じゃあ。私の……その、血の繋がったお父さんは?」
「……亡くなってる」
父の回答に、またしてもショックを受ける。
「なんで?」
「……震災だよ」
父が恐る恐る口にしたその言葉を耳にした瞬間、これまでにないほど強烈なフラッシュバックが起きた。
大きく揺れる部屋。
倒れこんでくる家具。
泣きじゃくる涼子を必死になって庇う母。
動悸が激しくなり、呼吸が荒くなる。
「涼子!」
意識が現実から離れていたのか、気づけば目の前には心配そうにこちらを覗き込む父の姿があった。
「大丈夫かい?」
「う、うん。大丈夫だから続けて」
心臓はまだ嫌な音を立てて暴れているが、今はそれを気にしている余裕はなかった。
「涼子とお母さんはすぐに避難したから幸い怪我もなく無事だったらしいけど、涼子の本当のお父さんは外に出かけていて……海の近くにいたせいで津波に流されて、それっきり」
父は言いづらそうに告げた。
「それからお母さんはこっちに越してきて、僕と出会って結婚。涼子もこっちの生活に慣れてきて、ああよかった。と、思った時に、予想外の問題が起きていることに気づいた」
「問題?」
疑問に父は答えた。
「涼子が、震災前の出来事をまるで覚えていなかったことだよ」
涼子は思わず息を呑む。
「まだ幼かったということもあるだろうけど、おそらく酷いトラウマになって、記憶から消してしまったんだと思う。震災前の出来事も、前に住んでいた町のことも……本当のお父さんのこともね」
「だ、だから私。記憶に矛盾が……」
今日思い出した記憶は、消えてしまったはずの過去だったのだ。
「僕のことを本当のお父さんだと思い込んでいることを知って、ようやくそのことに気づいた。でも、下手に否定してしまうと、過去の辛い記憶を思い出させてしまう。だからお母さんと話し合って、過去のことは涼子が大きくなって、全てを受け入れられるようになるまで黙っていよう。って決めたんだ」
ここで父は言葉を区切り、深いため息をついた。
「だけど……それが良くなかったのかもしれない。何も知らず、お父さんと慕ってくれる涼子があまりにも可愛くてね。どんどん本当のことが言いづらくなった」
父は懺悔するかのように目を伏せた。
「本当だったら、涼子が成人した時に言うつもりだったんだけど……言えなかった、言えなかったんだよ」
その憂いに満ちた表情を見て、それが最近ずっと父が浮かべていた表情と同じだということに涼子は気づいた。
父はずっと苦悩していたのだろう。自分に事実を告げるかどうかを。
ふと、直感的に思いついたことを口にする。
「お父さん。私とお父さんが血が繋がっていないことと、お父さんが喫茶店で男の人にお金を渡していたことは何か関係があるの?」
父がお金を渡していることに関して、母は気づいている様子だった。
『お父さんのこと信じてあげなさい』
そんな母の言葉が不思議なくらい耳に残っている。
そして涼子の直感通り、父の反応は劇的なものだった。
「なんでそのことを! ま、マスターだな、あのお喋りめ!」
狼狽しながら頭を抱える。
幾度か深呼吸の後、ようやく落ち着いた父は苦味を噛み潰したような表情で答えた。
「そうだよ。僕と涼子に血のつながりがないことを、涼子にばらすぞって脅されてたんだ」
涼子は血の気が引いた。
「だ、誰に!」
「……涼子の本当のお父さんの古い知り合いだって。前科があるって自慢そうに言ってたよ」
「そ、そんな!」
悲鳴に近い声をあげる涼子を父は宥めた。
「涼子落ち着いて。その件に関しては大丈夫だから」
「大丈夫って……」
「確かに何度かお金は渡した。だけど、いつまでもこんなこと続けてられない。ずっとあんなやつの言うことを聞き続けていると、いつかきっと涼子の迷惑になる。だから突っぱねたんだ。『ばらすなら勝手にしろ。これ以上付きまとうと警察を呼ぶぞ』って」
「そ、そんなこと言ったの?」
父は真面目で穏やかな人だ。前科のある人間にそんな啖呵を切るなんて信じられなかった。
「だからね、決めたんだ。涼子が結婚する前に本当のことを話すって。だけどやっぱり言いづらくてね。明日にしよう、明日にしよう。ってやってるうちに今日になっちゃったんだ」
「……なっちゃったって」
「今日こそ言うつもりだったんだけど、直前になって怖気付いてしまってね。気がついたら家に帰れず、この公園にいたって訳」
そして帰ってこない父を探しに出かけた涼子が、自力で真実に辿り着いたということだったのか。
父は肩の荷が降りたような、どこかすっきりとした表情を浮かべていた。
「これでもう隠し事は何もなし。まさか僕が言う前に、全部バレるなんてね」
父は呑気そうに笑った。
「……このこと、裕二に言ったほうがいい?」
正直に言って、まだ全てを受け止めきれていない。1人で抱え込むにはあまりに重い内容だった。
婚約者の裕二に黙ったまま結婚するなんてできそうにない。
「あー、そうだね。裕二くんも正式に家族になる訳だし。全部説明したほうがいいね」
朗らかにそう告げた父は、直後に顔を曇らせた。
「それに、僕のこと脅迫してきたあの男のことも教えないとね。お金を渡さないって伝えた時『他に金ヅルはいる』なんて捨て台詞を吐いてたから。もしかしたら裕二くんに何か迷惑がかかるかも」
「裕二が新しい金ヅルになるかもしれないって?」
「いやいや、可能性は低いと思うよ。だけどあの手の輩は何をしでかすかわからないから、念のためにね」
父の言葉に、やや誤魔化そうとする響きがあることに気づいた。そこで涼子は思い至る。父が懸念しているのは、裕二が新たな金ヅルになることではなく、涼子が金ヅルとされる可能性だということに。
実の父の古い知り合いであるなら、娘である自分がターゲットとなる可能性は高いのではないか。父はそのことを婚約者である裕二に伝え、警告するつもりなのだと涼子は気づいた。
不安が表情に出ていたのか、父は慌てた様子を見せた。
「だ、大丈夫だよ! もしまたあいつが何かしようとしても、お父さんがなんとかするから!」
お父さんが。
父は自身のことをそう呼んだ。そのことが不思議なくらい嬉しくて、目頭が熱くなった。
それからしばらく、父と脅迫してきた男への対策を話し合った。そして父はベンチから立ち上がる。
「帰ろっか、涼子」
「うん」
真実を知っても、父との関係は全く変わっていないように感じた。思っていたよりも呆気なく思ったが、おそらくこれが理想的な関係なのだろう。
「あ、そうだ」
前を歩く父が振り返る。
「涼子の本当のお父さんのーー」
「お父さん」
父の言葉を遮る。
「本当のお父さんって言い方やめて。私にとって、お父さんが本当のお父さんなんだから」
涼子がそう告げると、父は感極まったように目元を潤ませた。
「ああ。そうだね」
声を震わせながらそっぽを向く。
「涼子の……もう1人のお父さんの写真が家にある。帰ったら、お母さんに見せてもらいなさい」
「う、うん。わかった」
実の父の写真。それを見るのは、恐ろしくもあった。
「それともう一つ。もう1人のお父さんの名前だけどーー」
父はここで言葉を一度区切る。
そして、告げた。
「ーー大五郎さんというんだ」




