第二十話
父の行き先について、涼子はある程度の予測ができていた。
まず、マスターの話によれば父が喫茶店を去ったのは、涼子が来る直前のこと。ほぼ入れ替わるようなタイミングだったそうだ。
ならば、涼子が歩いてきた道の途中で出くわしてもおかしくはない。商店街の道はそれほど大きくもないため、父を探していた涼子が見落とすはずがない。
つまり、父は涼子が来た道とは逆の方向へ進んだはずだ。
喫茶店コロコロは商店街の端に位置している。父はおそらくすでに商店街を出ているだろう。
そして商店街を出た先で、父が行く可能性がある場所について心当たりは一つしかない。東山運動公園だ。
東山運動公園は地域の人々に愛される総合公園。
公園内には広々とした芝生。子供向けの遊具。さらに、サッカーや野球ができる多目的グラウンドからテニスコートまで揃っている。
何より目を引くのは、芝生の中央に存在する、巨大な鳥を模ったアスレチック。
その鳥のアスレチックは、尾は滑り台。羽はロープクライミング。頭は胴体から入り込んで登っていけるジャングルジムになっており、鳥の全身くまなく遊べる構造になっている。
東山運動公園は、この辺りの子供が外で遊ぼうとしたら、ほぼこの公園一択になる程充実した設備だ。実際に涼子も子供の頃は、自宅から歩いて10分もしない位置にあるこの公園でよく遊んでいた。
初めてこの公園に来たとき、大泣きしたっけな。
公園にたどり着いた涼子は懐かしさに目を細める。
「っ」
そして、そこでまた記憶に違和感が生じる。いや、この違和感の正体について涼子は自分の中で答えを出していた。
あとは確かめるだけ。父に会えば答え合わせができる。
しかし、公園を目指して歩く涼子の足取りは重かった。
涼子の出した答えは、自身のこれまでをガラリと変えてしまうものだ。ひょっとすれば、この先の家族関係さえも。
涼子はその事が怖い。このまま有耶無耶のままにしてしまおうかと、何度も考えた。
何度も何度も考え、その末に父に確かめると決めた。
足取りは重い。しかし涼子は確実に父に向かって歩き続けていた。
公園内を歩く事しばらく、鳥のアスレチック前にあるベンチに腰掛ける父を見つけた。
「お父さん」
声をかけると父は振り返り、驚いた表情を見せる。
「涼子。どうした?」
「どうしたじゃないよ。ずっと電話してるのに出なかったのはお父さんでしょ」
涼子が文句を言うと、父はポケットからスマホを取り出し、画面を確認する。
「あ、着信がこんなに。マナーモードにしてたから、全然気づかなかった」
「もう」
頭をかきながら誤魔化すように笑う父に呆れる。
「お父さん、なんですぐ帰ってこなかったの?」
「……まあ、ちょっとね」
問いかけると、曖昧な返事が返ってくる。
父は娘が迎えに来たにも関わらず、少し上の空だった。何やら考え込んでいる様子で正面のアスレチックを見つめている。
涼子も父の隣に腰掛ける。
鳥のアスレチックは今でも人気らしく、そこそこ大きい小学生ぐらいの子から、小さな幼稚園児まで、たくさんの子供が楽しそうに遊んでいた。
「ねえ、お父さん」
「うん?」
「私がお父さんに初めてこの公園に連れてきてもらった時のこと、覚えてる?」
涼子の質問に、父は不思議そうな顔をしながらも答えた。
「覚えてるよ。涼子、あのアスレチック見て大はしゃぎだったから」
父の言う通り、初めてこの公園に来たとき、幼かった涼子は今まで見た事がない大きな遊具に興奮し、父と母を振り切って走り出した。
アスレチックの中に入り、中をどんどん登って行った。
そしてたどり着いたのが高い位置にある鳥の頭の中。
「頭まで登った涼子。大泣きしてたからね。そりゃあ覚えてるよ」
幼かった涼子は自分で登ったクセに、あまりの高さに怖くて泣いてしまったのだ。足がすくんでその場から動けず、1人取り残される不安にさらに泣いた。
結局、大人には狭いアスレチックの中を追いかけてきた父に抱えられ、ようやく下に降りる事ができた。
アスレチックを降りてからも、涼子は父にしがみついてわんわん泣いていた。
結局その日は、公園に来て10分もしない内に帰宅する運びとなったのだ。
「涼子、家に帰っても泣きっぱなしで困ったよ」
「……泣いてる私にさ、お父さんなんて言ったか覚えてる?」
「えーっと、なんて言ったっけ?」
「『もう小学生なんだから、いつまでも泣いてちゃダメ』だって」
その時のセリフは、今でもよく覚えている。自分はもう小学生のお姉さんになったんだからと、泣くのを必死に我慢していた。
「ああ、そうだ。言った言った!」
父は懐かしそうに笑った。
「ってことはさ、私がこの公園に初めて来たのは小学生になってからなんだよね」
「うん? そうだと思うけど」
「なんで私、小学生になるまでこの公園に来たことなかったの?」
父の表情が固まる。
この公園は自宅から徒歩で10分ほどの距離にある。さらに言えば、自宅周辺で遊べる公園など、この東山運動公園以外にない。
なのになぜ、自分は小学生に上るまでこの公園に来た事がなかったのか?
鳥のアスレチック以外にも、幼い子供が遊べる遊具は山ほどあるというのに。
「それは……」
父は途中で言葉を切る。涼子にはどうやって言い訳すればいいのか必死に考えているように見えた。
涼子は父の回答を待たなかった。
「今日、お父さんを探して商店街を歩き回った時、子供の頃を思い出したんだ……でも、記憶の中と現実の商店街に全く違うところがあったんだ」
思い出の中にだけ存在するコロッケの美味しい肉屋。
入っていないはずのバナナの味がするミックスジュース、
記憶の中の商店街は現実とは矛盾している。しかし、涼子の記憶が間違っているとは思えない。
ならば、考えられる可能性は一つだけ。
「もしかして私、子供の頃別の町に住んでた?」
記憶の中の商店街は、別の商店街だった。
あの時食べた肉屋のコロッケも、バナナの入ったミックスジュースも。かつて、自分がうんと幼い頃に住んでいた町の商店街だったのだろう。
偶然似通った商店街のつくりのせいで、当時の記憶と現実の光景が混ざり合ってしまった。そう考えれば説明がつく。
涼子は自分の考えを確かめるために、父の顔を見つめる。
父は視線をそらして、ゆっくり頷いた。
「……そうだよ。涼子がこの町に来たのは、涼子が小学生になる直前だ」
ああ、やはりか。
父の言葉を聞いて、疑問の一つが解消された。
「さっき言ってた、この公園に初めて来たのが、涼子が小学生になってからなのは、そのためだーー」
「それだけじゃないよね」
涼子は父の言葉を遮った。
「お父さんが私に隠していること。私が昔別の町に住んでたことだけじゃないよね」
父の目が動揺に揺れた。
涼子の記憶と現実の矛盾は、別の町の出来事ということだけでは説明がつかない。
共働きで忙しいはずなのに幼稚園に迎えに来た母。
家族で誰も飲まないはずなのに返却していたビール瓶。
何より決定的におかしかったのは、先ほど商店街を歩く親子連れを見た時だ。
その時、幼い自分が父の手を引いて商店街を一緒に歩いている瞬間のことを鮮明に思い出した。
はしゃいで足早になる自分と、そんな娘が勝手にどこか行かないよう手を握る父。
記憶の中の幼い自分が後ろの父に振り返るーー
その時の父の顔は、全くの別人だったのだ。
「もしかして……もしかしてだけど」
声が震える。
今目の前にいる父と、記憶の中の人物の顔は全く違う。しかしあの人物が全く知らない赤の他人だとは思えない。記憶の中の自分は、その人のことが好きだったのだと確信を持って言える。
親戚のおじさんとか、両親の友達とかではない。もっと自分に近しい存在だったはずだ。
これまでの記憶の矛盾。別の町に住んでいたという事実。父ではない別の誰か。
納得の行く答えは一つしかない。
その答えを確かめるのが怖い。
だけど涼子は勇気を振り絞って父に問いかけた。
「もしかしてお父さんは、私と血が繋がってないの?」




