第十九話
「お前……何やったんだ?」
無一文の自分たちに、ガソリンを合法的に手に入れる方法はない。ならば、合法じゃない手段を使うしかなかったのではないか。
「……昔ガソスタで働いてた時、店の人と映画の話で盛り上がってな」
静かに健介が語りだす。
「核戦争で滅んだ世界で、生存者たちがドンパチする映画だったんだけど、その中に動かなくなった車の中からガソリンを取り出す場面があったんだ」
ガソリン。そのワードを聞いて、ヒヤリとする。
「給油口から燃料タンクにホースを突っ込んで、片側から口を使って吸い出す、ってシーンだった。そんなこと実際にできるのか、皆で議論したことがある」
裕二は健介の話を固まりながら聞いていた。
「で、1人の先輩がそれができることを証明するために、自分の車でやったんだよ。で、マジでできたんだ」
裕二はようやく、健介が何をしたのか悟った。裕二の車のトランクには、洗車用のホースが積まれている。
「お前……やったのか?」
声が震える。
「その方法で、他の車からガソリン盗んで来たのか?」
健介はその問いに答えなかった。違うと否定することすらしなかった。
「……ちょうどいい車探すのに苦労したよ。それができる車は結構限られててな。古い車じゃないとホースが入んねえんだ。お前の車にホースが積んであったのもラッキーだった」
「まさかお前、免停中なのに車探すために運転したのか? い、いや。それよりも、他の車の給油口なんてどうやって開けたんだ!?」
普通、給油口なんて車の中からしか開けられない。駐車されている車から、たまたま鍵のかかっていない車を探すなんてことはしないだろう。
「こじ開けるコツがあるんだ。やり方は……まあ、聞くな」
全身から血の気が引いていく。
この親友は明確な犯罪を行なったのだ。いや違う、自分がそれをさせたのだ。
「裕二! 信号赤!!」
「っ!」
急ブレーキを踏む。停止線を大幅に超えて車が止まった。
「何やってんだ! ボーッとしてんな!」
「す、すまん」
健介から叱咤されるが、裕二はほとんど聞いていなかった。ただ反射的に謝罪を口にする。
頭の中は、健介に対する罪悪感でいっぱいだった。
健介にガソリンを盗ませてしまった。罪を犯させてしまった。
もちろん、自分たちが今死体を車に載せて移動させている行為が、死体遺棄という明確な犯罪だとはわかっている。
だが、それはあくまで自分たちは巻き込まれた被害者であるという認識があった。やむを得ない事情で仕方なく、と自分を無理やり納得させていた。事が警察に発覚しようが、
知らなかったとシラを切れると踏んでいた。
しかし健介のガソリン泥棒は全く違う。完全に自分たちが加害者で、言い逃れができない犯罪だ。
それを親友にさせてしまったのだ。
そもそも、死体を警察に通報せず、車に載せた状態で結婚式に行くと決断したのは自分だ。
婚約者である涼子のためだなんてただの言い訳だ。全部自分勝手なわがまま。健介はそのわがままに巻き込まれただけ。自分が健介を巻き込んだのだ。
真に被害者と言える存在は健介だけだった。
「おい、青だぞ」
「あ、ああ」
またしても、前が見えていなかった。慌ててアクセルを踏んで走りだす。
「……安心しろ、裕二」
裕二の心の内を知ってか知らずか、健介が声をかけてくる。
「ガソリンを盗んだのは俺の独断。お前は何も知らなかったんだ」
その言葉に、裕二は息を呑んだ。
「お前、だから僕に駅舎から出るなって……」
最初から自分1人で罪を被るつもりだったのか。
罪悪感が膨れ上がる。
今日は最高の日になるはずだったのに。幸せな結婚式を迎えられるはずだったのに。
今日を振り返るとどうだ? いつ警察に捕まるかわからず緊張しっぱなしで、事故の恐怖にビクビクしながら運転を続けてきた。挙げ句の果てに、殺人犯と思われる人物からナイフを突きつけられた。
最高の日とは程遠い、地獄のような1日だったではないか。
ここにきて、裕二の精神的疲労はピークに達しようとしていた。
福井県に入って、式場までは残り60kmほど。目的地まで後少しのところまで来ている。
しかし、これ以上自分は耐えられるのだろうか? ここから先、また予想外のトラブルに襲われるのではないか? その時、これまでのように切り抜けられるのか?
ふと、進行方向の先の案内標識が目に入る。このままずっと真っ直ぐ行けば福井市に。
そして、1km先を右に曲がれば、小井手町にたどり着くとある。
それを見て、裕二は思いつく。
「…………なあ健介。小井手町って、何年か前にニュースになってたよな」
全国規模のニュースになり、連日世間を騒がせていた。地元、福井県での出来事だったため、今でもよく覚えていた。
「小井手町に行く途中の崖沿いの道、その崖下から死後半年は経ってる刺殺体が発見されたってーー」
「裕二」
健介に遮られる。
「お前……何考えてる?」
さすが、長い付き合いの親友と言うべきか。裕二の考えていることを完全に理解したようだ。
「……その死体は半年見つからなかったんだ。だったら、大五郎だってーー」
「裕二!!」
大声で止められる。
「ダメに決まってるだろ。大五郎を崖から捨てるなんて!」
「あの死体が全ての元凶なんだ! 今ここで死体をなんとかすれば、この先式場に着くまで露見するリスクは無くなる。何事もなく、涼子ちゃんと結婚式を挙げられる」
裕二は本気だった。本気で、死体を崖から捨てるつもりだった。
結婚式のために、もうなりふり構っていられなかった。
「落ち着け、考え直せ。今はまだ、お前はまだ許される範疇にいるんだ。死体なんて知らなかったで切り抜けられるギリギリのラインにいるんだよ。死体を捨てたら、完全にラインを踏み越えることになるんだぞ!」
「僕は! お前にそのラインを踏み越えさせたんだよ!」
限界だった。
裕二は怒鳴り声を上げて、車を路肩に停めた。このまままともに走り続けるなんてできそうになかった。
停めた車の中で、裕二は額を拳でガンガンと叩く。こんな自罰的な行動をとらなければ、罪悪感で押しつぶされそうだった。
「くそ、くそっ! 元々僕のわがままだったんだ。お前にばっかそんなことさせられるか」
死体を捨てるのは自分1人でやる。健介は一切かかわらせない、そのつもりだった。
「式が終わったら自首する。結婚式が終わりさえすればーー」
「ふざけんな!」
怒鳴りつけられ、胸ぐらを掴まれる。
「お前、勘違いしてないか? 結婚式を挙げられれば、後はどうなっても構わないと思ってないか? 違うだろ!」
健介の表情は、これまで見た事がないほど真剣だった。
「いいか聞け、よく聞けよ? 結婚式はゴールじゃない。これから新しい家族、涼子ちゃんと幸せな生活を送るためのスタートなんだ。その幸せを台無しにするつもりか?」
「……健介」
胸ぐらの手が離される。
健介は自分を落ち着かせるように、シートに深く腰掛け深くため息をついた。
「俺はな、お前が羨ましい」
ポツリと呟く。
「俺には、お前みたいに家族を持とうなんて、できる気がしないからな」
その言葉を聞いて、裕二は思い出した。
健介には家族がいない。
唯一の肉親だった母親は高校生の時に亡くなり、それ以来天涯孤独。そんなことを以前一度だけ口にした事があった。
その時の表情がやけに寂しそうで、強く記憶に残っていた。
「もう俺には家族の感覚がよくわからなくなってきてる。新しい家族を作るとか、全く想像ができない。なのにそれをお前はいとも容易くやってのけるんだもんな」
健介はここで、少しおどけた様子を見せた。
普段の軽口のようだが、裕二にはそれが健介の本心だとわかった。
「安心しろ、なんとかなる。俺がなんとかしてやる。このまま式場に向かって、お前は涼子ちゃんと結婚式を挙げて、俺がスピーチする。その後警察に大五郎のことを通報。シラを切り通す事ができれば、俺たちはお咎めなし。簡単だろ?」
軽快に裕二に向かって笑いかける。それを見てこちらも思わず笑ってしまった。
「ほら、行くぞ。俺もお前の結婚式楽しみにしてるんだから」
「……ああ!」
自分を奮い立たせ、顔を上げる。
式場までもう少し。
裕二はアクセルを踏み込んだ。




