第十八話
残り一つだったガソリンのメーターがとうとう消えた。それを見て、裕二は結婚式にはもう間に合わないことを悟った。
ここまでトラブル続きだったが、なんとかやってこれた。
健介の悪知恵や経験、柳生の者の予期せぬ介入のおかげで、滋賀の県境を越えることまではできた。
だが、もうどうしようもない。これまで何度も言ったことだが、裕二たちは無一文。ガソリン一滴入れることすらできない。
「ちくしょう。この前入れたばかりだったはずなのに。いつもだったら余裕で足りたのに」
「……高速と下道じゃ、そりゃ違うって。ここまで上り坂だったのも効いたんだろうな」
「ああ、ちくしょう……」
裕二は拳を腿に打ちつけた。
今ちょうど、ガソリンスタンドを通り過ぎた。
ほんの少しでいい。ほんの少しでも金があれば今のガソリンスタンドで補給できるのに。
「なあ健介。これから誰かに、僕の時計をあげるから1000円くれ。って言ったらもらえると思うか?」
「俺だったらそんな怪しい取引、絶対しない」
「だよな」
わかっていた。こんなつまらない冗談を口にしなければやっていけなかった。
「裕二。後どれだけ走れる?」
「さあな。メーターがなくなってから走るなんてしたことねえよ。でも、普段1メーターで30kmほどだ。ここから式場までは無理だよ」
ナビを見る限り、式場まで残り60km。どう考えても辿り着けない。
今更ではあるが、道ゆく誰かにスマホを借りて、自分の親や涼子に迎えにきてもらうことも考えた。しかし現在午後1時。ナビを見ると式場まで1時間半かかる。往復の時間を考えると、到底間に合いそうにない。
もし仮に、健介のアパートで大五郎を発見したあの瞬間から、親や涼子に連絡をとって迎えにきて貰えば式に間に合っただろうか? 今更考えても、もう遅いか。
裕二は車を路肩に停め、がっくりと項垂れた。額が当たり、クラクションが鳴り響いたが構っていられなかった。
「健介。今から誰かにスマホ借りて警察に連絡しよう。話してた通り、トランクに死体があるなんて知らなかった。ってことにしよう」
これ以上、大五郎の存在を隠していても仕方ない。そう考えて健介に提案する。
「…………」
しかし、健介は無言。口元に手を当てて、何やら考え込んでいる。
「健介?」
反応がないことに戸惑い、声をかける。
「なあ、裕二」
すると、健介がゆっくりとこちらを振り向く。
「俺のこと、信じるか?」
「は? 何言って……」
「俺がガソリンなんとかしてやるって言ったら、お前信じるか?」
その目には強い決意が宿っているように見えた。
「ど、どうにかするって。一体どうやって?」
「……車出せ」
健介は質問には答えず指示を出す。
裕二は困惑しながらも、その指示に従い停めていた車を走らせる。
「しばらく道なりに進むと駅が見えてくるはずだ。そこで停めろ」
健介の言う通り、5分ほど走らせると小さな駅が見えてきた。
山の中にあるログハウス調の駅舎。裕二はその駐車場に車を停めた。
「降りるぞ」
エンジンを止めて、車から降りる。健介が足早に駅舎に向かったため、裕二はその背中を追った。
駅舎の中にはこぢんまりとした待合所があった。
「ここに座れ」
健介に従い、待合所のベンチに座る。健介は立ったままだった。
「鍵よこせ」
「は?」
「いいから。渡せ」
健介は手を差し出す。
有無を言わせぬ迫力があった。裕二は大人しく尻ポケットから取り出した車の鍵を渡した。
「いいか裕二。お前は俺が戻ってくるまでここに座ってろ。トイレにも行くなよ。外に出るな。外を見るな」
何度も念押しされる。
「あ、ああ」
頷いた裕二を見て、健介はそのまま駅舎から出て行った。
裕二は1人取り残される。
「ま、待ってりゃいいのか?」
健介が一体何をするつもりなのかわからないが、今は信じるしかない。
裕二はベンチに座ってひたすら健介を待ち続けた。
ログハウス調のデザインと違わぬ、落ち着いた雰囲気の駅舎。山の中の駅としてふさわしいデザインだった。
無人駅だが、駅舎の中は綺麗に整備されていて居心地が良かった。有名な撮影地なのか、鉄道写真が壁一面に展示されている。
しかし、利用客がそれほど多くない駅らしく、現在駅舎には裕二1人だけだ。
健介のなんとかしてやる。という言葉に一瞬だけ希望が見えたが、1人になると急に不安に襲われる。
どうにかすると言っても、無一文のあの状況で一体どうやってガソリンを手に入れるというのか。そんな奇跡みたいなこと、本当にできるのか。
もしこのままガソリンが調達できなければ、結婚式には間に合わない。他に式場まで行く手段はない。新郎の自分が式場に居なければ当然式は中止だ。涼子の、祖母に立派な花嫁姿を見せるという夢を叶えることができなくなる。
結婚式が延期されたとして、次に開催できるはいつだろうか。式場、ドレス、出席者の都合もある。1年以内に開催できれば御の字だろう。それまで涼子の祖母が元気でいてくれるといいが。
いや…………そもそも式が延期になった場合、自分はこのまま涼子と結婚できるのだろうか? 事情があるとはいえ、結婚式をすっぽかした自分を彼女は許してくれるのか。
それにこのまま車を動かすことができなければ、当初の予定通り大五郎のことを警察に通報するつもりである。
死体がトランクの中にあるなんて知らなかった。とすっとぼけるつもりだが、それが通じるだろうか。死体遺棄の容疑で逮捕されてしまうかもしれない。
最悪の場合、大五郎の死に関わっていると判断される可能性すらある。
自身の推理通り、大五郎の爪から柳生の者のDNAが検出されれば、殺人の容疑は晴れるかもしれないが、本当に自分の推理は合っているのだろうか。全く見当違いの推理だったのではないだろうか。段々と自信がなくなってきた。
警察のお世話になった自分を、涼子は愛してくれるだろうか。たとえ涼子が受け入れてくれても、彼女の両親は許してくれないかもしれない。
ネガティブな想像ばかりが、頭の中をぐるぐる回る。
「おい。裕二」
「っ」
意識が現実に戻ってくる。
肩を叩かれるまで、健介の接近に気づかなかった。
時計を見ると、20分ほど経っていた。
健介は裕二に車の鍵を返し、立つように促す。
「行くぞ」
そしてそのまま車へと戻る。
車に乗り込みエンジンをかけると、なんとガソリンメーターが3本回復していた。
「お、お前! まじか!」
裕二は興奮のあまり助手席に座る健介の肩を掴んで揺らす。
「これなら式場まで行ける! お前本当にやりやがったな!」
健介の信じろ。という言葉は嘘じゃなかった。
奇跡みたいな出来事に、裕二は涙が出そうだった。
「……時間がない。行くぞ」
「ああ!」
アクセルを踏み込んで車を走らせる。このまま式場までノンストップだ。
「しかしお前、一体どうやったんだ?」
運転する裕二の声は弾んでいた。
「僕もう完全に諦めてたもん。これからどうやって警察に通報して言い訳するかのシミュレーションまでやってたんだぜ?」
窮地に一生を得たことで、完全に舞い上がっていた。
「健介お前、一体どうやってガソリンを……」
だから全く気づかなかった。
「…………」
健介が先ほどから、表情を一切変えずに無言だったことに。
「……健介?」
体の熱が段々と下がっていくような感覚を覚える。
そして理解する。奇跡なんてものはないということに。
「お前……何やったんだ?」




