第二話
裕二と健介は呆然とトランクの中の死体を見る。
寝袋から顔だけを出した男の死体。50代くらいだろうか? 無精髭が生え、痩せこけている。一見して見窄らしいその顔は土気色をしていた。
しかしその変わらない表情は穏やかで、何も知らなければ眠っているだけだと錯覚してしまいそうだった。
「ど、どうするんだ?」
恐る恐ると言った様子で健介が裕二に問いかける。
「どうするって、そんなの警察に通報するしかないだろ!」
自分の愛車のトランクに詰め込まれた見知らぬ男の死体。
明らかに何かの事件に巻き込まれている。
「すぐに電話して……ああ、くそ。だからスマホがないんだって」
となると、歩いて近くの交番か警察署に。いや、近くの家に駆け込んで電話を貸してもらうか。
「いっそのこと、この車ごと警察にーー」
と、ここまで考えたところで、あることに思い至った。
脳裏に婚約者の顔が浮かぶ。
「……」
車のトランクをゆっくりと閉める。男の死体を隠すように。
「裕二?」
「ダメだ。警察には行けない」
静かだが、はっきりとした口調だった。
「今警察に届けたら、今日の結婚式は多分延期になる」
朝、目が覚めたら、自分の車のトランクに死体がありました。
そうやって警察に届ければどうなる? 間違いなく事情聴取で結婚式に間に合わなくなるだろう。
「今日の式、絶対に延期できない」
式場の選定。披露宴会場の予約。日程の決定。席次表作成。披露宴で出す料理の相談。引き出物の手配。衣装の試着。披露宴で流すBGMの選曲。招待状の送付。
この1年間目の回るような忙しさだった。
忙しさが問題なのではない。問題なのは、準備に1年間かかったという点だ。
「今日の式が延期になったら、涼子ちゃんのおばあちゃんが、涼子ちゃんの花嫁姿を見ることができないかもしれない」
新婦である涼子の両親は共働きで、幼い涼子の面倒を見ていたのが同居していた父方の祖母だった。
涼子の祖母はたった一人の孫である涼子をずっと可愛がっていた。涼ちゃんの花嫁姿を見るまで死ねない。それが口癖だったという。
だからこそ、涼子は自身のドレスにとことんこだわった。最愛の祖母に立派な花嫁姿を見せるために。
「前にも聞いたなその話。おばあさん、悪いのか?」
「……今すぐどうこう、ってわけじゃない。だけど歳が歳だから体も弱っててね。もし延期になってまた1年間かかったら……わからない」
だからこそ、今日の結婚式を延期させるわけにはいかない。たとえそれが人道に反するものだろうと、裕二は涼子の願いを優先させる。
「じゃあ、この死体どうすんだ?」
「一旦、トランクに入れたまま放置しよう。少なくとも、式が終わるまでは」
トランクを閉めれば外から死体は見えない。鍵をかけてしまえば露見する可能性はないだろう。
「いいか。こういうストーリーでいこう。今、僕たちは何も見ていない。トランクも開けてない。このまま車を置いて電車で式場に向かう。で、帰ってきてトランクを開けて初めて死体を発見した」
「トランクに死体が入ってたなんて知りませんでした。ってスタンスでいくんだな?」
「ああ。実際、トランクなんて普段開けないからね」
事情聴取はされるだろうが、結婚式が終わってしまえばこちらのものだ。
「だけど電車で行くって、金はどうすんだよ」
「あ」
頭からすっかり抜け落ちていた。今の自分たちはスマホも財布もない状態だった。
「く、車の中にーー」
「だからねえって。さっき散々探しただろ」
「もう一度探せば見つかるかもしれないだろ!」
そう言って、再度車の中を探す。
しかし車には小銭一つ落ちてなかった。
「ダメだ。ご祝儀まで持ってかれてる」
扉にかけていた礼服のポケットを確認した健介はそう呟く。
「マジか」
どうする? 式場までたった3000円あれば電車で行けるのに。1円も見つからないなんて。
「くそ、金が。せめて健介のご祝儀だけでも無事だったら……」
「あっ」
礼服のポケットから健介が何かを見つけたようだった。
「まさか、ご祝儀残ってた!?」
「スピーチの原稿は無事だったぞ」
「それは今どうでもいいよ!」
「どうでもいいって……お前、これ書くのにどれだけかかったと」
「スピーチの原稿じゃ電車に乗れないんだよ!」
傷ついたようにシュンとした表情を見せる健介が妙に腹立たしかった。
「健介、部屋にお金あったりしない?」
「そりゃあ、いくらかはあるだろうが、鍵がねえんだぞ」
「……窓割って、入れないか?」
「はあ?」
怪訝な表情を見せる健介に、裕二は手を合わせて頼み込んだ。
「頼むよ。窓ガラスは全部終わったら弁償するからさ」
いくら払うことになろうと、無事式場に行くためなら惜しくはない。
しかし、健介は首を横に振る。
「いや、そうじゃなくて、俺の部屋3階だぞ?」
「ああ、そうか。そうだった。ちくしょうこいつ、無駄にいい部屋住みやがって」
そうなると、近くにある裕二のアパートの部屋も2階にあるため、窓ガラスを割って侵入することはできない。
「そうだ、タクシーはどうだ? あれって後払いだし、あっちに着いたら親に払って貰えばいい」
福井までタクシーで行くとなれば数万円はかかるだろうが、背に腹は変えられない。
いいアイディアだと思い裕二は喜色を浮かべるが、健介が冷静に否定してきた。
「いや、多分無理だ」
「なんで?」
「この辺りのタクシー会社は軒並み、長距離の移動に予約がいるんだよ。県を跨いでの移動は飛び込みじゃ無理だ」
「……そうなの?」
車を持っている裕二は、長距離の移動でタクシーなんて使わないため知らなかった。
「な、ならヒッチハイクでもして……」
「ここから福井までヒッチハイク繰り返して行くなんて、博打もいいところだろ」
それはそうだ。自分たちを乗せてくれる車を探すだけでどれだけ時間がかかるか。結婚式の時間に間に合うかどうかなんて、健介の言う通り博打と一緒だろう。
そもそも男二人ヒッチハイク旅なんて怪しすぎる。今時、一体誰が乗せていってくれるというのか。
「健介。誰かお金借りれる知り合いはいないか?」
「いるにはいるが、住所知らねえよ。スマホがねえから連絡先もわかんねえし。お前は?」
「……僕もだ」
こっちに住んでから、相手の家を知っているような付き合いをしている人間は健介だけだった。
「ちくしょう。じゃあどうすんだよ」
八方塞がりだった。
絶望的な気分で頭を抱えていると、健介がとんでもない提案をしてきた。
「もう、仕方ねえだろ。この車で行くしかない」
「……お前、本気で言ってるのか?」
トランクに死体を乗せたまま車を走らせろというのか?
「そ、そんなことできるわけないだろ。万が一死体が見つかったらーー」
「死体が見つかるって、何をどうやったら見つかるんだよ」
裕二の否定の言葉を、健介は途中で遮る。
「死体はトランクの中で、外からは見えないんだぞ。トランクを開けたりしない限り見つかりっこない。お前車運転してて、警察からトランク開けるように言われたこと今までにあるか?」
「……ない」
健介の言葉がひどく現実的で実現可能な提案に聞こえてきた。むしろこれ以外に方法はないんじゃないかとすら思えてきた。
しかしそれも一瞬のこと。死体と一緒に式場に向かうことが、どれだけイカれた行動であるかに気づくと、裕二は頭を振ってその誘惑を拒絶した。
「だ、ダメだ。そんなのできっこない。他に方法があるはずだ」
「他に方法って。どうすんだよ、モタモタしてると結婚式に間に合わないぞ?」
健介はそう言って腕時計を確認する。
その様子を見た裕二は、一つの天啓を得た。
「そ、それだ!」
「え、何?」
「お前その腕時計、結構いい奴って言ってたよな?」
「おう。昔海外行った時に買ったブランド物だけど」
その話は何度も聞いたことがある。腕時計の自慢話を始めるたび毎回、またかと思わされたのもだ。
「その時計、売ろう」
「へ?」
「近くにリサイクルショップあったよな? そこで売って金にしよう」
「嫌だよ! この時計いくらしたと思ってるんだ!」
時計を庇うように腕を体の後ろに回す。
「だからこそだよ。ブランド物でいい値段した時計なら、僕たち二人分の電車代にはなるはずだ」
「だ、だけど……」
「なあ、本当に頼むって。僕と涼子ちゃんを助けると思って」
「ええ……」
車の鍵をしっかりとかけたことを確認し、嫌がる健介を引きずってリサイクルショップへと向かった。




