第一話
男は、幸せの絶頂にいた。
「私! 今村裕二は、明日結婚式を執り行います!」
アルコールで真っ赤になった顔で、裕二は宣告する。
すると、飲み屋の店内にいた名前も知らない客たちが沸き立つ。先ほどから陽気に騒ぐこの酔っぱらいを、面白おかしく囃し立てる。
「相手は誰だ!」
このヤジは、明日の式で友人代表のスピーチを任せた親友、畑中健介だ。裕二と同じくらい赤い顔をしている。
「高校の時からずっと付き合っている、涼子ちゃんです!」
裕二は敬礼しながら答える。
涼子の名前を口にすると、思わず頬がだらしなく緩んでしまう。
高校で同じクラスだった涼子に告白したのは裕二からだ。あの時なけなしの勇気を絞り出して、本当に良かったと思う。
進学を機に地元・福井を離れた裕二と、地元で進学した涼子。就職もお互い離れた場所だった。
長期間に及ぶ遠距離恋愛。苦労はあったが、それがようやく身を結ぶ。
「てめえ! 結婚式の前日にこんな飲んでいいと思ってるのか!」
「いいんです! 人生最後の自由だ!」
親友のヤジに怒鳴り返すと、店中がどっと沸く。
今日は独身最後の夜ということで、健介の誘いで二人飲みに出かけた。
飲めば飲むほど気が大きくなる裕二は、まず隣に座る見知らぬ男に話しかけ、次は後ろの席のカップルに絡み出した。
そして気がつけば、店にいる客全員が裕二を中心に大盛り上がりだった。
「この不良新郎が! 乾杯!」
「乾杯!」
健介の掛け声と共に、店中のジョッキが掲げられる。
ああ、楽しい。本当に幸せだ。
正直言って、これほどまでに飲むつもりはなかった。裕二は酒は好きだが、あまり強くない。すぐに酔っ払ってしまい、あらぬところで目を覚ました回数は一度や二度じゃない。
しかし案の定、この様だ。健介が一緒にいたことも悪かったのだろう。こいつと一緒に飲むと、ついつい盛り上がって飲み過ぎてしまう。
下手をすれば明日の式に悪影響が出る。涼子にも事前に電話で飲みすぎるなと釘を刺されたのだが、もう止まらなかった。
頭の端っこにわずかばかりあった理性を追いやり、ジョッキを仰ぐ。一気に飲み干すと、歓声が上がった。
「お姉さん、ビールもう一杯!」
待ってましたとばかりに即座に持って来られたジョッキを再び掲げる。
「よし、もう一度。独身最後の夜に、乾杯!」
裕二の記憶はここで途切れた。
……背中が痛い。
あまり覚えのない、ゴワゴワとした感触。
その感触が不快で、目が覚めた。
「……?」
一瞬、自分がどこにいるのかわからなかった。しかし体を起こして気づく。ここは、愛車の後部座席だ。
寝起きで回らない頭。窓から太陽が見える。
「痛っ」
後頭部に軽い痛み。二日酔いではない、何かにぶつけたような痛みが走る。
外に出るため後部座席の扉を開けようとするが、なぜか扉が開かない。
仕方ないので反対の扉を見る。アシストグリップからハンガーに吊るされた礼服がぶら下がっていた。健介のものだ。
礼服を避けながら扉を開けようとするが、またしても開かない。と、ここでようやく後部座席の扉がロックされていることに気づいた。
扉を開けて、外に出る。4月下旬、朝の冷たい空気が裕二のぼやけた頭をはっきりさせた。
「っ、やばい!」
慌てて腕時計を確認する。8時50分。結婚式まで、まだまだ余裕があった。
「あ、危なかった」
流石に飲み過ぎてしまった。ここで寝過ごして式に間に合わなかったら、取り返しがつかないところだった。
「ここどこだ?」
自分の車が、見知らぬ駐車場に停められている。
いや、よくよく確認すると見覚えのある場所だ。
「健介のアパート?」
数年前に一度訪れたきりだが、間違いなく親友が住んでいるアパートの駐車場だ。
なぜここにいるのだろう? 昨日の夜から、ここに至るまでの記憶がなかった。
ふと振り返り車内を確認すると、助手席で健介が寝ている。
バカみたいに大口を開けて寝ている健介を起こすため、助手席の扉を開けようとするが、案の定ロックされていた。
「おい、起きろ」
窓を数回叩くと、ようやく目を覚ました。大欠伸をしながら、ヒョロリと背の高い男が車から降りてくる。
健介は寝ぼけ眼で辺りを見渡し、飲み過ぎで掠れた声を出す。
「……なんで俺のアパート?」
「さあ。覚えてない」
元々、飲んだ後は運転代行を使って自分のアパートに帰り健介を泊め、翌日に裕二の運転で式場へ行く予定だった。
しかしなぜか、車は健介のアパートの駐車場にあり、二人揃って車中泊という始末。狭い後部座席で寝ていたせいで、体の節々が痛い。
「代行に頼むとき、行き先間違えて伝えたのかな?」
裕二の住むアパートと、健介のアパートはそれほど場所が離れていない。
「あ、お前。時間大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。式は5時からだから」
結婚式は裕二と涼子の地元である福井で執り行われる。ここから福井まで、高速道路を使って2時間半というところ。
「支度やらリハーサルやらが3時からだから、どっかで昼飯食べてのんびり行っても余裕で間に合うよ」
ただ、昨日飲み過ぎた上に、車中泊をしたせいでコンディションは最悪だ。
「健介。悪いんだけど、シャワー貸してくれない?」
長時間の運転の前に、熱いシャワーを浴びたかった。幸いにも健介の部屋は目と鼻の先だ。
「ああ、わかった……あれ?」
ポケットに手を突っ込んだ健介が、訝しげな表情を浮かべる。
「どうした?」
健介は全身を確かめている。
「いや、鍵がなくて」
ズボンのポケットから、上着のポケットまでひっくり返しながら返事をする。
「もしかして落としたか?」
まさか、これから鍵を探しに昨日の店まで行く羽目になったんじゃあるまいな? そんな懸念を抱く。
だが、事態はそれどころではなかった。
「というか、スマホと財布もない」
「……へ?」
裕二は咄嗟に、ズボンのポケットに手を当てる。
「嘘、僕もない!」
スマホ、財布、アパートの鍵。ポケットの中にあるはずのそれらが消えていた。
慌てて車の中を探す。自分が寝ていた後部座席の足元、ドアの隙間、助手席の背面ポケット。
どこにもなかった。
「ダメだ、こっちも見つからない」
助手席を探していた健介が告げる。
「座席の下は?」
「ない」
「グ、グローブボックス!」
「車検証とか、保険の書類しか入ってない」
「真ん中のボックスは!」
「あ、車の鍵はあったぞ」
「スマホと財布は?」
「ない」
「マジか……」
後部座席に見切りをつけ、運転席を探す。
しかし開けようとした運転席のドアは、またしてもロックがかかっている。
「くそ、なんなんだ!」
「落ち着けよ」
悪態をつく裕二を宥めながら、健介が助手席から運転席の扉のロックを解除する。そして、やはり運転席をくまなく探しても、何も見つからなかった。
「嘘だろ……」
昨日酔っ払って、落としてしまったのだろうか?
いや、二人揃ってスマホと財布、さらに部屋の鍵まで落としたとは考え難い。
「まさか、寝てる隙に盗まれたのか?」
車の後部座席なんて寝づらい状況でも、朝まで一度も目を覚ますことなくぐっすりだった。裕二は酒が入った状態で寝ると、ちょっとやそっとじゃ起きないタチだ。
そんな男から金目の物を盗むなんて、随分と容易いだろう。
「ま、まずい。銀行とクレジットカードの会社に連絡して止めないと!」
慌てて電話しようとして、スマホがないことを思い出す。
「ど、どうやって連絡取れば。というか、涼子ちゃんにも連絡しないとまずいよな? 式場向かう前に電話するって約束したし……ああ、もう!」
だんだんと怒りが湧いてきた。
「ふ、ふざけんな! 今日は僕の結婚式だぞ! 僕は今、世界一幸せな男なんだぞ!」
「まあ、盗んだやつからすれば知ったこっちゃないだろうが」
健介の言い分はもっともだが、盗まれた当人からすれば理不尽極まりない。
「警察行くぞ! 被害届出さなきゃ!」
スマホの中には個人情報。財布の中には免許証、キャッシュカードにクレジットカードも入っている。部屋の鍵が盗まれたということは、アパートにまで忍び込まれるかもしれない。
盗んだ人物がその気になれば、いくらでも持っていかれる。被害を少しでも食い止めるためにも、警察に知らせなければならない。
そうやって慌てる裕二を、健介は諌める。
「落ち着けって。まだ車の中に落ちてるかもしれないだろ」
「何言ってんだ? あれだけ探したんだぞ?」
「でもトランクは探してないだろ?」
「トランク?」
裕二の車は座席からトランクが独立しているセダンタイプ。健介の言う通り、まだトランクの中は確認できていない。
しかしーー
「トランクの中にあるわけないだろ。なんであんなところにスマホと財布を入れるんだよ」
裕二は普段あまりトランクは使っていない。荷物があっても、後部座席だけで事足りるからだ。トランクの中には、洗車用のホースが一つあるだけ。
「いや、トランクの中に落としたかもしれないだろ」
「だから、そもそもトランクを開けることがないんだって」
「開けることがないって……ああ、やっぱお前覚えてないんだな」
健介から可哀想な物を見るような視線を送られる。
「覚えてないって、何が?」
「お前酔うと『今日はここで寝る!』って言って毎回トランクに入ろうとするんだよ。多分昨日もやろうとしたんじゃねえかな?」
「バカ言うなよ。僕がそんなこと…………え、嘘。僕そんなことやってんの?」
全然記憶になかった。
「一応調べようぜ」
「わ、わかった」
もしこれでトランクの中にあったらどうしよう。トランクでスマホと財布が見つかれば、自分が酔うたびにトランクの中に入りたがる異常者だということが証明されてしまう。裕二はそんな不安を抱いた。
二人で車の後ろに回る。
「ほら、開けろよ」
健介に促されて、裕二はトランクを開けた。
結論から言えば、トランクの中にスマホと財布、そして部屋の鍵はなかった。
元々トランクの中に入っていた洗車用のホース、それを奥に押し込む形で鎮座していた紺色の物体。それなりの広さがあるはずのトランクをいっぱいに占領する見覚えのないそれは、寝袋だ。
そして寝袋の口からは、見知らぬ男の顔が覗いてた。
「ひっ!」
喉の奥から、悲鳴ともつかない奇妙な音が漏れる。
「だ、誰!? あんた僕の車で何やってんだ!?」
反射的に仰け反りながら、トランク中の男に声をかける。一切の反応がなかった。
健介が恐る恐る横から覗き込んでくる。
「お、おい。そいつ死んでるのか?」
「そ、そんなわけないだろう! 寝てるだけだって! だよな? おい、ちょっとあんた起きろって!」
だが男は目を覚まさない。朝の冷気に晒され、裕二と健介がかなりの大声を出しているにも関わらず、ぴくりとも動かなかった。
裕二は震えながら男の首筋に手を伸ばす。
脈を測るまでもなかった。触れた瞬間、石のような冷たさが伝わる。
「し、死んでる」
「嘘だろ……」
恐怖から、全身の血がさっと引いて体が冷たくなるのがわかった。
トランクの中に死体がある。




