第十二話
喫茶店コロコロのミックスジュースは、オレンジやパイナップルといった酸味の強いフルーツを数種類に、牛乳を混ぜてマイルドに仕上げた逸品だった。
そしてそのフルーツの中に、バナナは含まれていなかった。
おかしい。
自分が初めて飲んだミックスジュースには確かにバナナが入っていたはずなのに。
そのことについてマスターに聞いてみると、マスターは懐かしそうな表情を浮かべた。
「そういえば、涼子ちゃんが初めてこの店に来てミックスジュースを飲んだ時『バナナが入ってないからこれはミックスジュースじゃない!』って怒ってたなあ」
そう言われ、涼子は目を見開いた。
その出来事は覚えている。楽しみにしていたミックスジュースの味が全然違うから、ひどくガッカリした。そしてそれ以来、この店で注文するのはメロンソーダ一択になったのだ。
なら、自分が初めてミックスジュースを飲んだ記憶は?
喫茶店コロコロではない、別の店の記憶なのだろうか? しかし、この辺りに別の喫茶店などない。初めてミックスジュースを飲んだのは間違いなく父の行きつけの喫茶店のはずなのに。
涼子は考え込みながら店を出た。
今日商店街を歩き、過去を思い出して抱き続けている違和感。この正体はいったいなんなのか?
ふと、商店街を歩く一組の親子が目に入った。はしゃいで、今にも走り出しそうな女の子の手をしっかりと握る父親。
私も子供の頃はあんな感じだったのだろうか? ああやって父を困らせていたのだろうか?
「っ!」
その時のことを思い出そうとした瞬間、強烈な違和感を覚えた。
「……まさか」
涼子は一つの仮説を思い至った。
その仮説を確かめるために涼子は電話をかける。
『もしもし』
数回のコールで電話に出たのは母だ。
「あ、お母さん。お父さん、家にもう帰ってる?」
『帰ってきてないけど。まだ見つからんの?』
「うん」
先ほどから、入れ違いになってばかりだ。
「ねえ、お父さんのことだけど」
『んー、何?』
電話の向こうから微かにテレビの音が聞こえる。母はテレビに夢中になっているらしく、返事が適当になっていた。
「お父さんがさ、男の人にお金を渡してたみたいなんだけど、知ってた?」
『……え?』
母の驚いた声。テレビではなく、ようやくこちらに注意が向いたようだ。
『……そんなわけないでしょ。お父さんが誰かにお金なんて』
否定する母の声は、娘の涼子にはっきりとわかるほど固いものだった。
母は父がお金が渡していたことを知っている。そう確信した。
「そっか。そうだよね」
『…………』
自分の声が白々しいものになっているのを自覚する。
娘の言葉を聞いて、母も自身がついた嘘がバレたことを察したのだろう。電話越しにため息をつく。
『涼子。お父さんのこと信じてあげなさい。お父さんが誰かにお金を渡していようが、それは絶対に涼子の迷惑になることじゃない。お父さんが悪いことする人じゃないって、知ってるでしょう?』
「うん。わかってる」
父が悪事を働いているなんて、微塵も疑ってない。
『そろそろ帰ってきなさい。結婚式前に花嫁がウロチョロしてないーー』
「そういえばさ」
母の言葉を途中で遮る。涼子にとって、ここからが本題だった。
「さっき商店街を歩いてた時、酒屋さんを見つけてさ」
『酒屋さん?』
訝しげな母の声。
「私が子供の頃、お父さんが車に乗せたビールケースを酒屋さんに返す手伝いをしてたのを思い出してさ」
『……ああ、あったわね』
母の声は懐かしさで弾んだ。
『覚えてる覚えてる。ちっちゃかったあんたが運べるわけないのに、ケース持ちたいってよく駄々こねてたわね』
「うん。だから毎回、瓶を一本だけ持たせてもらってたんだ」
『そうそう。懐かしいーー』
母のセリフは半ばで途切れた。
『……それがどうしたの?』
「ううん。懐かしいなって」
やはりだ。自分の仮説は間違っていなかった。涼子は確信した。
「私、もう少しお父さん探してから帰るね」
母の返事を待たずに電話を切る。
涼子は深く、長いため息をつく。
指先が震える。
自分の予想は正しい。そのことが、ひどくショックだった。
父はお酒を飲まない。
父はお酒もタバコも博打もやらない人だ。母が結婚したのは、その真面目なところに惹かれたからだと聞いている。
そして家族でお酒を飲む人は一人もいない。なのに、酒屋にビールケースを返すことが日常の記憶として存在するなんて、あり得ないのだ。
涼子の記憶違いではない。母もそのことをしっかりと覚えている。
そのことが示す事実は何か?
母と歩いた商店街。
肉屋のコロッケ。
ミックスジュース。
ビールケース。
今日商店街を歩いて覚えた記憶の違和感の答えを涼子は見つけた。
あとは父を見つけて確かめるだけだ。
父の行き先には心当たりがある。涼子は迷うことなく足を進めた




