第1話 夏梅という男
七雲啓介は、いまにも泣きそうな少女を不憫に思った。
八月二十八日。もう少しすれば日付が変わるような時間に、啓介は困り眉で身体を縮こませている。女子高生相手に少しでも威圧感を軽減したいがための行動だったが、効果があるかどうか。
こんなことなら、まだ瘦せ型の相方に変わってもらえば良かった。彼は第一発見者である男子高生の相手をしている。
病室のベッドで半身を起こしている少女――岩倉未鈴は、『八上町連続行方不明事件』唯一の帰還者だった。
八月上旬から連続して住民が行方不明になっている事件で、事故なのか事件なのか、あるいは動物の仕業なのかも判明していない。
戻ってきた彼女の証言は非常に重要な手掛かりになる。そう意気込んでやってきた啓介だったが、なにを聞いても、未鈴は分からないと言うばかりだった。
なにも答えられないからか、それとも体格のでかい警察の男が恐いのか、追い詰められて泣きそうになっている。
体はともかく、顔は恐くないほうだと自覚しているのだが――警察官にしては、と但し書きがつくのなら、そんな自認に意味はないのかもしれない。
「ごめんなさい、覚えていないんです。なにも、なにも。ごめんなさい……」
「大丈夫、泣かないで。君は公園で発見されたんだ。その前はどうしてたか分かる?」
「わ、分からない……です」
傍らの看護師に目配せする。首を振った。仕方がない、ということだろう。目が覚めたのさえつい先ほどのことだ。
どうしたものか。彼女には一晩寝てもらって、交代要員には女性警察官を手配するべきか。考えていると個室の扉がノックされた。看護師が応える。入って来たのは見知った上司と、見知らぬ青年だった。
二十代半ばに見える。警察制服ではなく高価そうなスーツを着ていて、いわゆるキャリア組に見えた。しかし社会人らしい短髪ではなく、肩甲骨まである濡れ羽色の髪を後ろで一つに結んでいる。
「失礼」
声すら透き通っている。なるほど、鈴のような声というのはこういうのを指すのだ。三十年と少し生きてきて初めて実例と遭遇した。
陶器のような白い肌、お手本のような横顔のライン。自然物とは思えないほど美しい顔をしていた。クリスタルでできた、精巧すぎる頭蓋骨を思い出す。
(……あれは、偽物だったか)
こんなに美しくてはかえって生きづらいだろうと思った。
なんにせよ、啓介とは縁の遠そうな人物だ。
「岩倉未鈴さん?」
男はベッド脇に立ち、柔和な笑みを浮かべ未鈴に問いかけた。
彼は長身だが威圧感はそれほどない。体は細身で、薄く筋肉を纏っている。同じくらいの身長だが、大いに筋肉のついている熊体型の啓介とは印象が違いすぎる。
未鈴もそれほど警戒せずに、はい、と答えた。
「夏梅といいます」
体調は大丈夫ですか、なにか覚えていますか、公園に来る前は、最後の記憶は。
啓介と同じような質問をして、同じような返答を貰っていた。律儀な子だなと啓介は未鈴について思った。嫌がる素振りもなくきちんと答えている。
問答のあいだ、啓介は背後に立つ上司をかえりみた。ささやかな笑みを湛えていて、完全に余所行きの顔をしている。彼がこんな時間にこんなところまで同行していることを考えても、なるほど、夏梅は警察庁かどこかの人間であるのだろう。
夏梅は物腰の柔らかい男だった。最後に未鈴の回復を願う旨を伝えて、病室を後にした。上司が啓介を促し、三人連れ立って退室する。
音を立てないようにスライドドアを閉めて振り返ると、夏梅がこちらを向いて微笑んでいた。
手を、差し出しているので、戸惑いながらも握手を受け取った。
「あなたが案内役についてくださると聞いています。よろしくお願いいたします」
「はい?」
「はい。こちらの七雲啓介が、ご案内させていただきます」
当然のように上司が言った。余所行きの笑みを脱がないまま。
一切なにも聞いていない。しかし上司は夏梅の背後から、目線で啓介に圧をかける。必然、啓介も余所行きの笑みをはりつけ、曖昧に返事をすることになった。
病院の玄関前で夏梅と別れてから、上司はやっと言った。いつものくたびれた顔に戻っている。
「八上町連続行方不明事件の調査だと。国のお偉いさんだから、粗相のないように」
「察庁ですか」
「それはおれも知らない。基本的に逆らわないようにして、まあいろいろ……おかしなことしないように、見ててくれればいいから」
なんという無理難題だ。表情に出さないようにして啓介は思う。
去り際、上司は啓介の肩を叩いた。
「まあ、お前も暇でしょ」
反論をしたいが、反抗ができなかった。
上司を見送った七雲はため息だけを感情の発露とし、待合の椅子に座った。
ふと、どこかから女性の悲鳴が聞こえることに気が付いた。
救急外来で誰かが暴れているのだろうか。
いや、違うと思い直す。それにしては遠い。
この病院は八郷山の麓にある。女性の悲鳴のように聞こえるのはきっと、鹿の鳴き声だろう。




