第7話 湯之原真凪について
秋人から見た湯之原真凪の印象は、「静かな、強い美人」だ。
真凪は高校入学のタイミングで東京から八上町に引っ越して来た。父親の仕事の都合だと言っていた。
この狭い田舎町に誰かが越してくること自体が珍しい。まして東京から来たなんて。頭も顔もよく人当たりのいい彼女は当然、初日から囲まれていた。
しかし、数か月もするとひとりでいることが多くなった。
遠巻きにされていたわけではない。いじめられていたわけでももちろんない。
彼女に話しかける生徒はいくらでもいた。彼女も、誰にでも笑って応えていた。しかし自分の深いところまでは明け渡さない。
彼女が誰かに心を開くことがあれば、どんな人間だって両手を開いて受け入れるだろう。
けれど彼女は誰に対しても、そうしなかった。
高飛車でも気弱でもない。
自分で選んでそうしているのだ。
ひとりでいる彼女はそれでも凛としていて、孤独とは無縁のようで、美しかった。
だから……。
だから、と秋人は思う。
そんな湯之原真凪が、誰かを呪うなんて考えられない。
なのに。
加速している。
翌日登校すると、校庭には警察車両が止まっていた。不思議に思いながら教室に入ると、訪問の意図はすでに知れ渡っていた。
鹿島大夢が消えた。
それも、校内から出た形跡がない。
鹿島と最後に会った生徒によると、廊下で顔を合わせ生徒玄関までは同行したという。靴を履き替える前に鹿島は忘れものをしたと言って、鞄を靴箱の近くに置いたまま階段を上がって行ったらしい。先行って、と言われたので、その生徒は先に帰宅した。
夜、両親から帰っていない旨の連絡を受け、教員が校内を探した。すると生徒玄関に鹿島の鞄があった。靴箱を調べると下靴が残っていた。
忘れものを取りに行ったまま、戻ることなく消えたのだ。
現在の行方不明者は、五人。そのうち清峰高校の生徒は三人だ。
寺西夢乃。木戸央路。鹿島大夢。
彼らの顔を思い浮かべる。
戦慄したのは秋人だけではないだろう。スマホを見ると、果歩から連絡が来ていた。
『秋人。私たち、大丈夫だよね?』
返信できない。
昨日、力強く鹿島を否定した自分たちはもういなかった。
――――――――――
「警察に言って意味があると思う?」
一時間目は自習になった。緊急の職員会議らしい。秋人と落ち合った果歩が最初に言った言葉がそれだ。鹿島の手前、強がっていたのだろう。昨日の余裕が嘘みたいに、不安そうに瞳が揺れる。
廊下の隅。果歩が腕を組んでくる。ぎゅっと、いつになく強く引き寄せられている。秋人はその手に、自分の手を重ねた。
「信じてくれるかどうかだけど、呪いなんて……馬鹿言うなって笑われるのがオチかもな」
「そもそも、本当に『そう』なのかな?」
「湯之原の呪いじゃないってこと?」
「だって。呪いなんて……例えばあの子の親族が見当違いの恨みを向けて来てて、とかのほうが現実的でしょう?」
「……それなら、警察がなにか掴んでるだろ」
果歩は黙り込む。よくできたその頭で状況を整理している。
「最初は寺西だよね」
「果歩の友達だよな」
「そう、でもその後は、岩倉に小学生の男の子に駄菓子屋のおばあちゃんでしょう? それこそ関係ない」
確かにそうだ。
果歩はまた、ぽつりと言った。
「岩倉未鈴はどうして?」
「どうして、って」
「岩倉はあの場にいなかった。呪いってするなら湯之原が岩倉を呪う理由なんてないよ」
そうだ。岩倉未鈴はあの日、体調不良で欠席していた。
「だからつまり、呪いなんてものじゃないってことじゃ、ないのか」
そのとき担任が教室に入って行った。生徒たちを教室に呼び戻している。
秋人は果歩を抱きしめる。そして、根拠のないことを言った。
ただの願望だった。
「大丈夫だ。きっと。なんでもない。関連なんてないよ。呪いなんかじゃない。偶然だ。小さな町なんだから、そういうことだってあるだろ」
反芻するように果歩がつぶやく。祈るように。
「そうだよね。呪いなんかじゃない――」
そうだ、と強く返して、教室の自分の席に帰った。数席を挟んだ斜め前、窓際の揺れるカーテンがかかる席に、未鈴は小さく座っている。どんな様子もない。ただ座っているだけだ。
職員会議の結果、特殊な決定はされなかったらしい。
校内をくまなくチェックしたが、不審者やその形跡は見つからなかったという。もちろん鹿島も見つかっていない。
登下校の道中は気を付けるように。校内でもなるべく一人にならないように。教室の移動はクラス単位で実施、下校時間には生徒玄関に教師が常駐する。
それから、と教師は言った。呆れたような表情になった。自分を見ている、と秋人は思った。
「呪いだとか、噂があるようだが――。広めるのをやめなさい。話している人がいれば、互いに注意をするように。死んだ人を怪談のネタにするなんて不謹慎だ」
こんこん。
担任が言い切った瞬間だった。
ノックが、カーテンの引かれた中庭側の窓から響いた。教室は静まり返る。小石が当たったとか、風に揺れた金具が当たったとか、そんな音ではない。明らかに、人が指の節で窓硝子を叩いたような音だった。
なのに、カーテンの向こうには、誰の影もない。
誰もが声を潜め、息を止めた。
担任は少したじろいて、けれど意を決したように音のしたほうへずんずんと進んで行く。近づかないほうが良い、と生徒全員が思っただろう。
担任は勢いよくカーテンを引いた。
「誰もいない」
生徒たちに向き直って、そう言った。
瞬間、窓から飛び入った黒いなにかが彼のこめかみに突き刺さった。担任は衝撃で横倒れになり、教員用の椅子を巻き込みながら倒れる。
生徒たちが悲鳴を上げる。出入口に近い者から廊下へと逃げ出した。悲鳴と泣き声が二階に満ちる。秋人も思わず立ち上がった。聞こえたのは担任の太い叫び声だ。教壇のほうから聞こえる、暴れるような、なにかが床を叩く音も。
骨の薄いところ。目の真横、こめかみに、ずっぷりと烏の嘴が突き刺さっていた。
身動きの取れない烏がもがいて両翼であばれるたび、嘴の先が届いているのだろう眼球がぐらぐらと動く。担任はその手で烏を抑えようと身を捻っている。
騒ぎを聞きつけた隣のクラスの教員が来て、出入り口で立ち尽くす。
秋人は視線を、中庭側の窓に向けた。音はもうしない。代わりに、匂いがした。
こもった土のような、乾いた獣のような、――血のような。
嘘だ。眩暈がする。窓の向こうに誰かいる。
担任が引き切らなかったカーテンに、影が出来ている。
身体を揺らしているのか。リズムをとるように、左右にふらふらと揺れている。
肩までの髪。小さな背丈。シルエットは制服。
回る視界で秋人は指をさす。周囲の生徒の幾人かがそちらを向くが、何かを見つけられた気配はない。
秋人は知っていた。思い出す。あれは。
湯之原真凪だ――。
確信する。
これは、『湯之原真凪の呪い』だ。
行方不明になっている三人には共通点がある。
七月二十五日、終業式。
湯之原真凪が四階の窓から中庭に転落し、死んだ。
失踪した三人はその場にいたのだ。
――秋人と果歩も。




