第3話 喝采
夏休み最終日、八月三十一日に未鈴と出掛けた。
八郷山の自然を利用した小さな町立動物園だ。展示内容の薄さもあって、来園者は多いがそのほとんどが小さな子どもだった。これなら同級生に見咎められることはなさそうだ。
待ち合わせ場所に来た未鈴はまたセーラー服だった。
「夏休みにまで制服を着なくていいのに」
制服だと人目を引く。少し嫌がっての言葉だったが、未鈴は感じ取ったふうもなく笑顔をつくった。
「この服が一番好きなの」
等角に唇の端が上がる。美しい笑顔。
可愛いから、それならまあいいか。
入ってすぐの檻にはカピバラがいた。普段のったりとして冬には温泉に浸かっているイメージがある動物だ。秋人が先に檻の前に行っても、目を閉じて眠っていた。
半歩遅れて未鈴が行くと、カピバラが目を覚ました――ように見えた。
ゆっくりとこちらに向かってきた。一匹ではない。五頭いたすべてだ。
「すごいね。岩倉さん目掛けて来てない?」
「なんだろう。なんかいい匂いでもするのかな」
目の前に五頭が来て、檻の間に鼻を差し込んでまで近づこうとしている。
行こう、と未鈴が言って檻から離れた。カピバラはそのまま止まり、目を閉じてまた眠った。
ペンギンの水槽に行っても、シマウマの広場に行っても、同じような反応だった。全頭ではないにしろ、必ず何頭かが寄って来るのだ。
「いつもこうだったりする?」
順路を行きながら尋ねれば、
「うーん、動物園あんまり来ないからなあ。だから来たかったの。でも近所の犬とか猫とかは、全然寄って来ないよ。残念」
そう言って首を傾げた。
そのしぐさに、未鈴と猫の姿が重なる。幼いころに飼っていた猫は神の傑作といえるほどに可愛かった。いつだってまったく同じ角度で、可愛く首を傾げるのだ。まるで遺伝子に刷り込まれているかのように。
未鈴の可愛さもそういう類のものらしい。普段の何気ないしぐさが、神の設計のごとき完璧なしぐさとして世に顕現する。
昼頃にレストランの近くを通りがかり、食事をすることにした。
動物園のカフェテリアならではの、ライスがライオン型になったカレーや、象がプリントされたナルトの乗ったうどんなどが売られている。
選択肢があまりなく、二人そろってカレーを注文した。
秋人は恐る恐る、興味本位ということを悟られないように、尋ねた。
「なにか、思い出したりした?」
未鈴は首を振る。
「なんにも」
「どんな感じなの、覚えてないって」
「眠っている間って意識がなくて、だから記憶なんてないでしょ? そんな感じで、何となく時間が経った感覚はあるけど、なにがあったかはなんにも思い出せないの」
カレーは案外辛く、水を飲んでいたら未鈴が注ぎ足してくれた。一杯目と違い甘く感じる。
どこかおかしいのだろうか。秋人はそう考えるが、目の前の未鈴の表情を追いかけていれば思考は消えていった。
「当面の心配事は、学校かなあ。絶対いろいろ言われるよね」
「なにかあったらおれに言ってよ。学年のやつらくらいなら、黙らせられるからさ」
「そうだった。秋人くんは人気者なんだった。困ったら頼らせてもらうかも」
「うん。いつでも。なにか言ってくるようなやつがいたら、おれが守るから」
「ありがとう。……本当、思い出せたらいいんだけどね。警察の人も、ときどき連絡してくるよ。思い出せなくて申し訳ないけど。でもそうだよね、私が覚えていたら、この事件が解決するかもしれないんだもんね……」
「もしショックなことがあって忘れているんだとしたら、思い出さないほうがいいかもしれないよ」
半分は本心であり、半分は方便だ。
怖いことを思い出してしまっては可哀相だと思う。
すぐにでも思い出して、誰より先に自分に教えて欲しいとも思う。
(そうすれば誰より早く事件の真相を知れるし、誰より先に未鈴を守れる)
「ありがとう、秋人くんは優しいね」
新学期は明日からだった。
――――――――――
早めに就寝したのが悪かったのだろうか。
その夜、秋人は夢を見た。普段の眠りは深く、夢などほとんど見ない。悪夢ともなればなおさらだ。
どこか古い森のなか、両手足を拘束され野外に転がされている。頬を地面にこすりつけながら周囲を確認するとあばら家がいくつか見えた。どうやら山村にいるらしかった。
荒い縄できつく縛られた皮膚は引きつって、足掻くうちに血が出たようだ。痛みと、乾きかけてゼリー状になった血液がぬめる。
これからどうなるのか。夢だからか、分かる気がした。息が浅くなる。恐怖に涙が滲んだ。
知っている。泣いたところで、村人は容赦をしてくれるわけがない。
背中に衝撃が走る。蹴ったのは幼児だった。まだ歩くのさえ覚束ないようなのに、蔑むことは知っているらしい。にやにやと楽しそうに笑っている。
その姿を拍手で讃えるのは村の大人たちだった。農作業の合間だろうか、食事をしながら児戯をもてはやす。
手本を見せてやろう、と進み出たのは年若い女だ。幼児の母親らしい。女は容赦なく、秋人の顎を蹴り上げた。脳みそが揺れる感覚に耐えきれず嘔吐する。それをまた周囲は笑って拍手を打った。
おうい、と遠くから呼んだのは村の男たちだった。牛を二頭引き連れてきた。秋人はいよいよ身がすくむ。呼ばれた村人たちは歓喜してそれらを迎えた。
抵抗もできず、秋人の脚の拘束は一度解かれ、足首に一本ずつ縄が結ばれた。その先はそれぞれ牛の首に括られる。村人が、牛の尻を叩き、それぞれ逆方向に進ませる。
強く引っ張られ、皮も肉も引き攣れる。叫んでも意味がなかった。それでも叫ぶしかなかった。
村人の拍手は続いている。喜んでいる。笑っている。
どこか頭の隅で考えた。かつて西洋では死刑が民衆の娯楽だったのだ。
起きてすぐ、洗面台へと駆けた。
鳴りやまない拍手喝采が、いまも聞こえる気がした。




