第2話 その町
八上町は海と山に挟まれた閑地に、縋るように立つ町である。
どちらもあるといえば聞こえがいい。結局は不便な土地だ。海を越えるのも山を越えるのも難しく、都会に出るには沿岸をぐるりと回るしかない。
こんなところに人が住んでいるなんて信じられない――小学六年生でこの地にやってきた秋人の、それが今も変わらない感想だ。
要は、田舎なのだ。
なにもないからなにもないことを売りにするしかないこの田舎を、不本意にも騒がせる事件がある。
――『八上町連続行方失踪事件』。
八月三日から始まった。八上町の住民が連続して行方不明になっているのだ。行方不明者に関連性はない。高校生が二人と、商店を経営する高齢女性が一人、小学生の男の子が一人。計四人。
不審者の情報はなく、身代金の要求もない。家出をするような環境や素行でもない。高校生のふたりは同じ学校同じ学年の生徒であるが、特に仲が良いというわけでもなかったという。
捜査は完全に行き詰まり、行方の手がかりも目撃情報もない。
市井では『神隠し』と噂された。行方不明者の生存は絶望的と見られている。
しかし八月二十八日。四人のうちの一人が帰還した――。
――――――――――
秋人はうるさく喚くテレビを消した。仕事に出た両親のどちらかが消し忘れたらしい。一度徹夜すると体内時計が狂って、こんな時間まで眠り込んでしまった。
カーテン越しの日光だけが緩やかに差し込む、夕方のリビングだ。
秋人が未鈴を発見したのは一昨日の夜のことである。警察も来て事情聴取に時間を取られ、帰宅したのは明け方のことだった。
人の口に戸は立てられない。そう言ったのは聴取した警察官で、つまり秋人が発見者であることもじきに露呈してしまうだろう、ということだった。報道関係者が家に来るかもしれない。両親にもそう伝えたが、意に介さず出社してしまっている。
(夕飯にするか……)
キッチンに入ろうとしたとき、控えめなチャイムが鳴った。
来たか、と思い固まる。きっと記者だろう。無視をしても良かったが、家の前で待たれて帰宅する両親に話しかけられたくはない。
恐る恐る、インターホンの画面を確認する。記者ではない。映るのは岩倉未鈴だった。
応答もろくにせず、玄関に走った。早く開けるべきだと思ったのだ。
「あ、麻宮くん。ごめんね突然。連絡先知らないから……」
彼女は、発見したときと同様に、新品のような夏のセーラー服を着ていた。清峰高等学校の制服である。紺のプリーツスカートに襟まで白いセーラーのシャツ。
「助けてくれたの、麻宮くんだよね」
返答を待たず、ありがとう、と未鈴は笑った。どこにも瑕疵がないような、完璧な、明るい笑顔だった。つい数日前まで行方不明であったようには思えない。
秋人は未鈴の姿を見て違和感を覚えた。なんの違和感だろうか。考えたが見つからず、どうしてここに来たのか、という疑問に上書きされた。
玄関を開け放って話すのも家に招き入れるのも躊躇われて、秋人は未鈴を公園へと促す。未鈴を発見した公園だ。秋人の暮らす住宅街の手前にある。幼い子どもが少なくなったので、いまもあまり人がいない。
近くのコンビニでアイスを買って、ベンチに座って食べながら話すことにした。
「もう大丈夫なの?」
未鈴の横顔に聞く。
夏の、強すぎる光に照らされ一層濃くなる輪郭だった。秋人は好ましく見た。
こんなに可愛い人だったか。
「うん、異常がなかったから、帰って良いって。検査より警察と話してる時間のほうが多いくらいだったよ」
「その……行方不明になってたって」
「そうみたいだね。全然覚えてないの。いつの間にか夏休みが終わりそうで、すごく損した気分。宿題もやってないのに」
「どこまで覚えてる?」
「私が行方不明になったの、八月十日って言われたんだよね。その日はお母さんと海に行って夕焼けを見て、帰りの電車に乗った。車内で寝ちゃったんだよ。そこから、目が覚めたら病室。ごめんね、覚えてたら、他の子のことも分かったかもしれないのに」
話す未鈴は、なにかを隠しているようには見えなかった。肩までの黒髪を両耳にかけて、屈託なく笑っている。
こんな子だったっけ、とまた思って、秋人は夏休み前の未鈴の印象をほとんど覚えていないことに気が付いた。同じクラスだ。一年のときは違ったけれど、二年になってからの三カ月は毎日顔を合わせていたはずだ。
「秋人くん」
大きな瞳がこちらを捉える。白い頬が夕日を反射して光っている。
「助けてくれて、ありがとう。警察の人が教えてくれた」
「いや……大した事じゃないよ。誰でも、そうする」
「うん。でも、私にそうしてくれたのは、確かに秋人くんだから。ありがとう」
未鈴を不憫に思った。彼女は背が低く華奢で、いかにも頼りない風貌をしていた。記憶がないのは、それほどショックなことがあったからかも知れない。こんな小さな子がどんな目に遭ったのだろう。
「秋人くん。行方不明になった人たち、知り合いだった?」
「ひとりは知ってる。って言っても、あんまり話したことはないけど。一年の選択授業が一緒だった。あとおれの友達の友達で。名前は……寺西だったっけ」
「そっか。私はね、駄菓子屋のおばあちゃんは知ってたの。私の家遠くてね、小学校からの道の途中にあって、いつも水をくれたなあ。警察から聞いてびっくりしちゃった」
四人は一度に行方不明になったのではなく、八月三日、八月十日、八月十六日、八月十八日とまったく別の日時でそれぞれ消息を絶ったことが分かっている。
未鈴は八月十日、高齢女性は八月十八日だったはずだ。
「どこ行っちゃったんだろう。お店、閉まってた」
「ひょっこり帰ってくるかもよ、岩倉みたいに」
「うん、そうだね」
「それより、学校は? 来られそう?」
「うん、始業式から行くつもり。宿題はね、もう諦めた。いまからやっても終わらないし。だから暇なの。秋人くんは宿題終わった?」
「八月初めには終わってる。夏期講習があるから」
「そう。秋人くんは頭がいいもんね。私、暇つぶしに結構この公園に来てるから、見かけたら声かけて」
「暇ならどっかいく? 夏休み、まだあるし」
別に他意はない。友達に遊ぼうと言っただけだ。
「いいね、思い出づくりしよっか」
「夏期講習も、ちゃんと休みの日があるんだ。確認して連絡するよ。ライン……クラスのやつに入ってるよね?」
未鈴は首を振った。
「ううん、入ってないの。ラインやってなくて。電話番号でいい? ショートメール送ってよ」
電話番号を交換し、未鈴は自宅へ帰って行った。
一人になった公園で、秋人は未鈴の倒れていた場所に立つ。
あの夜、周囲は暗かったが人の気配はなかった。足音さえ聞こえなかった。
いつから倒れていたのだろうか。公園を過ぎれば住宅街で、人の往来はそれなりにある。音もなく倒れていたのなら、気が付かずに通り過ぎてしまうことも、あるだろう。いつからか、など考えても分からない。
顔をあげると、迫り来るように大きな山がそびえている。距離にすれば離れているはずだが、近いと錯覚してしまうほどに大きい――八郷山だ。
行き詰まる警察は、「行方不明者四人が最後に目撃されたのは、いずれも八郷山の近くである」という情報を発表した。
これはトリックで、八郷山は町の大部分を占める広大な山であり、とくに西側の大住宅街はこれに沿うように位置している。つまり西側に住んでいる人間は帰宅しようとすると『八郷山の近く』に行かざるを得ないし、そもそも海側に行かない限り、どこかで八郷山には行きつく。八上町を知らない外のための言い訳で、町内の人間は呆れている。
――いまも見つからない三人はどこにいるのか。
考えても仕方ない。警察じゃないんだから――と、帰宅しようと振り返ったときだった。
男の子がいた。
いつからいたのだろう。大人しく、音もたてずにただ立って、こちらを見ている。
「どうした? 一人でいると危ないぞ」
どこの子かも分からないが、男児は小学校低学年くらいの容貌だ。中腰になって視線を合わせ、そう言ってみる。
男児は笑った。にへえ、と口を歪めて笑った。剥き出しになった小さな歯列が不気味に見えた。そのままの表情で、男児は言う。
「おにいちゃんもひとりだ」
「おれは大丈夫だよ。おにいちゃんだから」
「あぶないよ」
「……うん。だから、そろそろ帰るよ。君は?」
男児は公園の出入り口の方角、その上方を指差した。視線を合わせる。どうやら八郷山を示しているようだ。
「山がどうした?」
向き直るとそこには誰もいなかった。




