第2話 触れるな
秋人は学校が終わっても帰宅する気にならず、公園のベンチに座って時間を潰していた。夕方五時を過ぎた空は地面を赤く染めて、担任や、湯之原真凪から流れた血を思い出させた。
担任はまだ復帰していない。噂によれば、烏が刺さった左目はもう、光を映すことはないらしい。
『湯之原真凪の呪い』だ、と秋人は思う。
呪われる筋合いはない、とも思う。
しかし事実として、あの場にいた人間が行方不明になっている。校内で消えた鹿島も、それ以前に失踪した寺西も木戸も、まだ見つかっていない。
不安がる果歩には「呪いなんてない」と何度も言い聞かせた。それでもメッセージを送ってきて言い募るので、アプリをミュートにして見ないようにしている。
秋人だって不安だった。烏が飛び込んできたとき、窓に真凪の影があったことは打ち明けられていない。そんなことが本当にあるのか? 幽霊や呪いなど、やはりまだ信じ切れない。
人が消えているのは、すべてどこかの誘拐犯の仕業で。
担任の事故は偶然で。
影はただの錯覚で。
時間が経って冬にでもなれば、全部なかったことみたいに、いつものように生活しているのではないのか。
「あれ、秋人くん」
声を掛けられて顔を向けると、岩倉未鈴が公園に入ってくるところだった。
「おう。いま帰り?」
「うん、宿題してたらちょっと遅くなっちゃった」
自然と隣に座ってくる。下から覗き込むように首を傾げた。
「なにしてるの?」
「……ちょっと考え事。最近学校いろいろあるだろ」
「ああ、ショックだったよね。学校休んでる子もいるし。先生、大丈夫かな」
担任も湯之原真凪に関連している。図書館やその周辺の掃除区画の指導担当だった。その場にはいなかったものの、真凪が恨んでいても不思議ではない。
それもあって、『湯之原真凪の呪い』であるという噂は日に日に信憑性を帯びている。
「未鈴は、さ」
うん? と笑う。屈託のない、猫のような可愛い顔。
自分と似合いだと思う。もしかしたら果歩よりも。どうしていままで彼女の存在に気が付かなかったのだろう。
惹かれている、と思う。
「まだ思い出せない? 行方不明になってたときのこと」
「うん……思い出せない。やっぱり、寝てたときみたいな感じなんだよね。自分が移動した記憶もないし、そんな感覚もない」
「そっか」
その記憶は真凪の幽霊が奪ったのだろうか。未鈴は終業式の日、体調不良で欠席していた。あの場どころか学校にもいなかったのだ。恨まれる筋合いはないだろう。
「未鈴も、あんまり遅くならないほうが良いかもよ。ほら、始業式でも校長が注意してた」
「ひとりで帰らないようにってね。でも、二回も行方不明になるなんてこと、あるかなあ?」
未鈴は呑気に返す。彼女を背後の雑木林に連れ込もうとしたら、簡単にできるだろう。未鈴は身体が小さくて、細くて、ひょいと抱えてどこへでも走れそうだし、抑えるのも容易に思える。
「いやほんとに。未鈴が誘拐犯から脱走してたら、むしろ狙われるかもよ」
冗談で言ったつもりはなかったが、未鈴はきゃらきゃらと笑った。
「秋人くんは?」
「おれ? おれは、大丈夫でしょ」
根拠もなく返せば、未鈴は笑顔のまま言った。
「分かんないよ」
語気は強い。微笑みは優しい。一瞬時間が止まる。声色と表情が嚙み合わない。夢の中に入り込んだような違和感だ。しかしすぐに口調が顔と合う。
「うーんでも確かに、女の子のほうが危ないかな?」
「……そうそう」
「でもこないだ行方不明になったのは、男の子だったね。鹿島くんだっけ」
「ああ、男子はみんなビビってる」
「友達だった?」
「ん?」
「行方不明になった子。友達だった?」
「……いや。話したことは全然あるしつるんでたけど、友達ってほどじゃなかった」
「そっか」
「未鈴は、さ」
訊いても意味がないことは分かっていた。ただ、どうしても否定して欲しかったのだ。湯之原真凪を恐れる必要のない誰かの意見が聞きたかった。
「呪いって、信じる?」
未鈴は考え込む。
「言われてるよね、噂。湯之原さんの呪い」
「そうそれ」
「私は、信じないかな。死んだ人間が生きた人間になにかするなんて無理じゃない?」
未鈴がベンチから立ち上がる。
「注意してもらったし、帰ろうかな」
目線を下げると烏が降りてくるところだった。とんとん、とジャンプをして移動する。
最近、烏が増えた気がする。山から降りてきているのだろうか。
「送るよ」
「ううん、まだ明るいし大丈夫。ありがとう」
未鈴は手を振って、秋人に別れを告げる。その時だった。怒号が飛んだ。
「秋人!」
驚いてそちらを見ると、祖父の時雄が怒りの形相でこちらに走って来ていた。老人の走りなのでそれほど早くない。秋人は祖父がなにに怒っているのか分からず、ひとまず立ち上がって出迎えた。
時雄は秋人の身体を押して自らの後ろに押し込んだ。未鈴から遠ざけたのだと分かったのは、時雄が未鈴のほうを向いて怒鳴ったからだ。
「うちの孫に近づくな!」
秋人は目の前で起こっていることが信じられなかった。威厳があり礼儀に厳しい祖父が、秋人の友人に突然怒鳴っている。ましてや、女性に。
「どしたのじいちゃん、やめてよ。話してただけだよ」
時雄の後ろから出て、秋人は未鈴を庇うように立ちふさがった。未鈴は突然激高する老爺に怯えて、身を縮めている。
「どけ、秋人!」
怒りは収まりそうになかった。秋人は時雄を押し留めながら、振り向いて未鈴に叫ぶ。
「未鈴、ごめん! うちのじいちゃんなんだ、大丈夫だから、行って!」
未鈴は狼狽えていたが、再度の促しにより走って公園を後にした。追おうとする時雄の腕を掴んで止める。
「なに、いきなり。やめてよ。おれの友達だし、話してただけじゃん」
「恵美は話しておらんのか」
「母さん? なに……」
「お前たちがここに来るときに言っておったのに」
「聞いてないよ、なに?」
秋人の返答が気に入らなかったのか、時雄は早足で公園を出ようとする。未鈴の姿はもうない。いまから時雄が走ったところで追い付けはしないだろう。秋人は時雄の速度に合わせて並走した。
「どこ行くの」
「お前の家だ。恵美と話す」
「母さんいないよ、仕事で」
時雄はやっと立ち止まった。彼は大きくため息を吐き、すっかり上がった息を整えてから、八尾家に向かって踵を返した。
「恵美に電話するように言え」
それから、秋人を見据えて。
「あれとは関わるな」
帰宅した恵美に事情を話しても、時雄に電話をしなかった。するとその日の深夜に時雄から家の電話へかかって来た。出たのは恵美だったが、案の定すぐに喧嘩になった。
一階の口論を階段に座って聞いた。『迷信でしょ』『古いって』『私たちには関係ない』といった言葉が聞き取れたが、なんの話をしているのかは結局分からなかった。
口論が止んだ頃、一階に降りてなんだったのか尋ねた。
「なんでもない」
そう言って、恵美は自身の部屋へと帰って行った。




