第3話 肉塊
九月十一日。
最近、よく眠れていない気がする。寝つきはいつも通りだが、起きたときに寝た感じがしないのだ。夢でも見ている気がする。しかし起きた瞬間にはすべてが消え失せている。
アラームを消したついでにスマホを見ると、通知の数が異常なほど多かった。果歩からのメッセージが多くてミュートにしていたのだ。未鈴からの連絡はショートメールだから、アプリには来ない。
開くと、果歩からのメッセージだけではなかった。新着順に並べられたリストの五つまでは果歩の友人たちだ。
『果歩のこと知らない? 帰ってないんだって』
『果歩の親から、果歩がどこにいるか知らないかって連絡が来ました。麻宮くん一緒にいたりする?』
そんな連絡ばかりだった。
果歩とのチャットを開くと、昨日最後に見てからすぐに連絡が来ていた。
『秋人。今日の放課後、ちょっと話せる?』
『秋人どこいる?』
『ごめん、既読つかないね。家に行くね』
最後の連絡は19時近い。しかし、果歩は家に来ていない。
友人たちの連絡は21時を越えてから送られてきている。どうしたのだろうか。まさか道中でなにかあったのか。
通話をかけてみたが、果歩は出なかった。
不思議に思いながらも登校すると、玄関で笹岡弘樹に会った。一年のころ同じクラスで、二年になって別れたがいまだ交流を持っている。
軽薄な挨拶を交わしたあと、連れ立って教室のあるフロアに向かう。
「秋人お前、最近大丈夫か」
「なにが」
「最近、なんか変だよお前」
「え? どの辺が」
「なんだろなあ。なんか、違う人間みたいになってる。三原とも距離あるし」
「あ~、いや、それは」
「別れんの?」
「いや、まだ」
まだ、ね、と揶揄うように笹岡が返す。
痛いところを突く。夏休み前はべったりで、休み時間にはいつも一緒にいたので、そうでなくなればよく分かるだろう。
最近は、一緒に帰ってすらいない。
「っていう感じの、連絡もしたのに既読つかねえし」
「悪い、最近、アプリ開いてなくて」
「ていうかお前、三原じゃなくて岩倉と仲良い?」
「ん? まーうん。それなりに? 内緒な」
隠していたつもりだった。他の女子と特別に仲良くしているところを果歩に知られればことだ。それでも、噂にはなるのだろう。
笹岡はまじめで性格のいい男だ。口止めをしておけば、果歩には届かないよう配慮までしてくれるだろう。
「なんで岩倉?」
「なんで、って」
「だってお前、岩倉なんか――」
つんざくような悲鳴が聞こえた。
廊下に人だかりができていた。
教室横の、階段の前。生徒玄関からは遠いので、朝に利用する生徒はあまりいない階段だ。塊から離れたところの幾人かの女子生徒が固まっており、泣いている声が聞こえた。
すでに教師が数人いて、野次馬と化した生徒たちを押し戻している。
なんだろう。
秋人もやじうまをしようと近づいた。
目の前は背の低い女子で、頭越しに階段が見える。
そのとき、やっと臭気が鼻をついた。饐えた匂いというのを初めて体験した気がする。これか、と思ったのと、女子が泣いていた理由を考えたのが同時だった。
床が、赤黒い血痕に塗れていた。
血溜まりになっているところもあれば、そこから引き摺ったように擦れている箇所もあった。廊下から階段を下りて踊り場まで。その先は折れているので見えないが、恐らく同じように赤黒い血で染まっているのだろう。
また周囲には、烏のものだろうか――黒い羽や、何かの動物の茶色い毛が散らばっている。
引き摺られたような黒い軌跡は、ところどころ掠れながら、また『中身』を点々と取り落としながら錯綜して走っている。
見たことがなくても分かる。これは生き物の内臓だ。艶やかさを失ったそれは変色し萎んで、しかし確かな肉の色で、蛍光灯の光をまだ鈍く照り返している。
真っ先に想起したのは通学路のゴミ捨て場だった。中身の詰まったゴミ袋が、烏や猫や狸に開かれ振り回され、中身をぶちまけられたような。
そうだ。まるきり同じだ。同じように、つつかれて穴が空いてぼろぼろに細切れになったゴミ袋のように、女子制服の破片が散らばっている。
秋人は嫌な予感を拭うことができなかった。そんなはずがない。そんなはずがないだろう。
アプリを開いて、果歩に通話をかける。
着信音が鳴った。
半階分、階段を下りた先。
踊り場の隅。赤茶色に染まった白のセーラー服の、布に隠れて、スマホが着信を知らせた。
そこには、秋人が贈った、動物園のストラップがついている。
ふいに、最前列の端にいた生徒が吐いた。朝食を食べて来たのだろう、半端に消化された卵焼きや味噌汁が見える。
パニックになる、人ごみは逆流し、秋人は押し返された。
流れに押し倒され床に座りこんだまま動けない。
この、人間ほど大きな肉塊は。
――果歩じゃないのか。




