第8話 未だ残る
結局、夏梅からの帰宅連絡は深夜に来た。
翌朝に署に行けば昨日と同じように椅子に座っている。眠そうな表情のひとかけらもない。
「おはようございます夏梅さん。大丈夫でしたか、昨日は」
自席につきながら尋ねると、なんの話をしているのか、という顔をしながらも夏梅は「ええ」と応えた。
いったいどうやって帰ったのだろう。
「収穫は?」
「それほど。富士子さんも黒い彼岸花も山から降りて来る女もいませんでした」
それは、『それほど』ではなく『まったく』ではないのか。というか、いると思っていたのか。つっこみどころかと啓介は思ったが、夏梅は至極真面目な表情で言うので黙っておいた。
「麓に家がありました。調べたら、岩倉未鈴の家だと」
「ああ、確かそんな住所でしたね。住宅街から離れてぽつんと。昔からそこにあるんでしょう」
「古い地図を見れば、昔は神楽殿だったようです」
「神楽殿? ああ、よく神社についてる、お神楽の舞台ですよね。そうなんですね。あんなところに神社なんてないのに」
「八郷山の中にあります。岩倉未鈴の家からまっすぐあがったところに。随分朽ちて、人もいませんでしたが」
「へえ、そうなんですか。知らなかったです」
資料はすべて読み尽くしている。捜査資料は刑事課に返却し、都市伝説や伝承の資料だけが残っている。
やることもなく机の下に鞄を置いた啓介は、夏梅に話しかけた。
「本日のご予定は?」
「……岩倉未鈴の自宅を調べたいのですが」
「無理でしょう。なんの令状も出せない」
「でしょうね。七雲さんは、岩倉未鈴を知っていますか」
「いえ。当たり前ですが、接点もありませんし」
いくら田舎であると言っても、それなりに人はいるし一校分は高校生もいる。問題のある生徒であれば警察で把握しているが、岩倉未鈴はそうではない。
被害者として、捜査資料には記載されている。
清峰高校二年生。父とは死別し母子家庭で、現在母親との二人暮らし。母親は無職で家庭の収入はない。目立って仲のいい生徒はおらず、交友関係は希薄。問題行動の履歴はなし。
行方不明中に学校にて聴取したところによっても、大人しく真面目な生徒だという。直接話した啓介の印象とも相違ない。
「追加で周辺を調査したところで、捜査資料以上の情報は出ないでしょうね」
「では……そうですね。他の神社に尋ねてみましょうか」
八上町は狭い町だ。神社も数えられるほどしかない。
夏梅の希望で八郷山近隣の神社から回っていく。近隣と言っても、どういうわけかやはり八郷山の神社――昨夜夏梅が踏み入って探した成果によれば、そのまま『八郷神社』という名称らしい――の周囲にはない。ぽつんと、ひとり寂しく建っている形のようだった。
最寄りでも、他の神社は八上の町中にあった。八上一色神社を啓介はよく知っていた。七雲家が参拝する神社といえばそこで、七五三も初詣も八上一色神社で行った。理央が三歳になれば、やはりここに世話になるだろう。
「啓介くん、久しぶり。相慈くんや理央くんは元気?」
境内に踏み入った啓介を見つけて、出て来たのは八十を超える男だ。ぴんと伸びる背筋にいつも感服する。宮司の一色大和だった。
「大和さん、ご無沙汰してます。おかげさまで元気です」
「理央くんの初宮参り以来だね」
ここは一色家が代々運営している、八上で最も大きな神社だ。啓介は夏梅と一緒に社務所へ招かれ、冷たい麦茶を振舞ってもらった。
大和は夏梅には目を向けず、啓介のほうを見つめる。
夏梅にはあまり喋らないように言っていた。田舎の、良くも悪くも狭い社会だ。よそ者の夏梅がなにか聞いても大和は話してくれないだろう。話を聞き出すのは啓介の役目だった。
「どうしたの、仕事関係?」
「まあ、関係といえば関係で。八郷山に神社があるでしょう。八郷神社というらしいんですが。そこについて――誰が管理しているのかとか、由来とか、ご祭神とか、知っていることがあれば教えていただけないでしょうか」
と、隣の美丈夫が言っていまして。
心のなかで続ける。警察のする質問にしては異色の内容だ。大和も困惑するだろう。そう思ったが、返されたのは意外な答えだった。
「おや、相慈くんから聞いていないのかい」
相慈となんの関係があるというのだろう。啓介が面食らっていると、大和はしばらく考えたあと、うーん、と唸りながら険しい顔をした。
「まあ、もう関係ないといえばないものな。相慈くんから聞いていないなら、僕から話すことはないよ。こういうのは家の方針があるから」
「……あれはなにを祀っているんですか」
事前に、夏梅から尋ねたいことを聞いていたのだ。
「八郷山だよ。山がご神体なんだ」
「いまでも、誰かが管理を?」
「どうだろう。昔はうちの分社だったんだけど、明治かどこかで独立したんだよな。いまは別の家が管理しているはずだけど。ボロボロなら、途絶えたのかもしれないなあ」
「麓の家に」
そう言った瞬間、大和の顔から笑顔が消える。
「……岩倉さんが住んでいると思うのですが。交流というか、あの親子について、なにかご存じだったりしますか」
大和はまた微笑みを湛えた。
「岩倉さんね。いや、知らないな。住んでいることは知っているけど、まあ……あまり近づかないほうがいいと思うよ、働いてもいないようだし。若い娘さんもいるのにね」
神社の大きさからも分かるように、一色家は八上の名家だ。そういう家は大概にして貧乏な家を嫌うのだと啓介は体感で知っていた。
大和は悪い人間ではない。大和だけではなく、一色家には家族ぐるみでよくしてもらっている。節目の祭事のこともそうだし、ときには家庭内の相談を持ち込むこともあった。ずっと幼いころには、留守にする両親が啓介を預けることもあった。
叱られたことはある。諭されたこともある。しかし理不尽な扱いを受けたことは一度もなかった。
情け深い人間だ。少なくとも、啓介に対しては。
「なにかやったの、あの家。まあ近くの農家が警戒してるのは知ってるよ。作物を盗られるんじゃないかって」
「いえ、いえ。公開されているのでご存じかもしれないですが、娘さんが行方不明事件の被害者なんです。その捜査をやっていまして」
「おや、刑事に復帰したのかい?」
「いえ、……いえ。ちょっと別件でして」
そうなんだ、大変だね、と大和は笑みを崩さずに言った。
「なにか、言えるようなことがあったら連絡ください」
啓介はそう締めくくって、社務所をあとにした。車に乗り込んだときにやっと夏梅が口を開いた。
「知っていましたね」
「ああ、父の――というか、先祖代々付き合いがあるんです。世話になってるんですこの神社」
「そうではなくて」
エンジンをかけず夏梅を見た。彼が目線で前方を示すので向き直ると、大和が箒片手にこちらに手を振っている。振り返す。
「よく知らない、住んでいることは知っているけど、と言いながら、家族構成も職も知っていた」
「まあ、田舎ですから。話したことがなくてもそういう情報は入るもんですよ」
啓介は他のことが気になっていた。
――相慈くんから聞いていないのかい。
大和の言葉が気になった。昨日の相慈の言葉と繋がる気がした。
自分はなにを隠されているのだろう。
――生まれた場所や血筋で人を分けるような……。
生まれた場所。血筋。例えば、と考える。
浮かんだ疑問を消化したくて、啓介は夏梅に問いかけた。
「部落差別って、まだありますよね」
突然の話題に、夏梅は不思議そうな顔をしながらもついて来た。
「ええ。ありますね。昔ほど表立つことはないでしょうが、インターネットでの侮辱行為は、近年むしろ増えています」
歪な土地と相慈は言った。八上特有のなにかだ。類似するもの、同じような構造のもの、それはなんだろうと考えていると、隣の夏梅がふいに続けた。
「就職できないとか、医療を受けられないとか、そんな直接的なことはもう、そうそうないかもしれません。しかしそれらが完全になくなったとしても、拭えないものはあるでしょう」
つまり? と啓介が問えば、夏梅は呟いた。
「何事も、受けた側は覚えている。生涯――あるいは、それを終えても」




