第7話 歪な土地
啓介は八郷山から一度警察署に戻り、洗車をしてから帰路についた。烏の死体処分の手配までしていたら随分と遅くなってしまった。
帰宅すると、家族の食卓はもう終わった後だった。相慈だけが居間にいて、テレビを眺めている。
「お疲れさん」
「ただいま。裕香は?」
「理央と寝とられるよ。食事、温めるかね」
「いいよ自分でやる」
台所には麻婆茄子が皿に盛られて置かれていた。冷蔵庫の白米の上に載せて、一緒にレンジに入れる。温まった麻婆茄子丼を持って居間に戻って座ると、ようやく一息ついた気分になる。
本当はビールを開けたいところだが、夏梅からのコールに備えて控えておく。
「これ、親父が作ったの?」
「そう。難しくはない。味付けはレトルトだからな。茄子切って炒めるだけだ」
「充分だよ。ありがとうね。助かってる」
ふふ、と誇らしげに相慈が笑う。こんな笑い方をするような人ではなかった。現役時代の相慈は家にはほとんど帰って来なかったし、いつも険しい顔をしていた。
笑いあった記憶は、ほとんどない。
七雲家は代々八上に住んでいて、祖父も父も、親戚も多くが警察官だ。だからそんな日常を、特別だとも思わなかった。
――ここは奇妙な土地です。
夏梅の言葉を思い出す。
啓介は半分笑いながら言った。
「親父、八上町を奇妙な土地だって思ったことある?」
雑談のつもりだった。こんなことがあった、と警察官時代の奇妙で愉快な話でもしてくれると想定していた。
相慈はテレビを向きながら黙っている。聞こえなかったのかな、と再度尋ねようとすると、ゆっくりと首だけでこちらを振り返った。
「奇妙、というより、歪な土地だったかもしれんな」
「なに。歪って、どういう」
「……いや、昔の話だ。もう違うから、知らなくていい。特にお前は。もう誰もそうしていないから、わざわざ知るべきことでもないのだよ」
「昔は、どうだったの」
「そうさな。生まれた場所や血筋で人を分けるような……どこにでもあるようなことがあった。場所というより時代がそうさせたんかもしれん。おかしなことを言って悪かった。昔のことだ。知らなくていい。理央のためにもな」
「理央?」
生まれて一年も経っていない息子に、なんの関係があるというのか。
相慈はもう終わりだとでもいうようにテレビに向き直り、芸人のリアクションに笑い声をあげた。
――――――――――
啓介は畑仕事を終え、帰路についている。
夢であるのだと理解していた。見える風景は、以前見たものと違って随分近代的だ。昭和の初めころだろうか。
自分の家は山の麓にあるあばら屋だった。この時代だとこんなものなのだろうか? 随分古い木材で出来ていて、台風でも来れば吹き飛んでしまいそうだ。
「帰ったぞ」
戸口から覗き込む。
子どもたちが家にいて、妻はひとあし先に帰っているはずだった。けれど家のなかは静まり返っている。どこかへ出かけているのだろうか、いや、そんなはずは――そう思って一瞬後、啓介は血の気が引いた。
違う、連れて行かれたのだ。
夢のなかだからだろうか、確信できた。
肺がぎゅっと縮み上がる。途端に息が浅くしか吸えなくなった。全身の毛が逆立ったような気がした。叫び出したいのを我慢しながら、啓介は家にあがり子供の姿を探し回る。
七つと、二つにもならない娘ふたりだ。下の子が熱を出したので、上の子に子守りを任せて出てきた。いってらっしゃいと笑って手を振ったのをしっかりと覚えている。
足音が走り寄ってくる。
戸口を振り返ると、息せき切った妻が飛び込んできた。
妻は、裕香の顔をしていない。知らない女だ。それでも妻であると認識していた。理解していた。
これが、自分が望むでもなく『番わされた』、女である。
それでもそれなりに、大事にしたいとは思っていた。怯えきって無理矢理に嫁がされたこの女を、せめて自分だけは虐げることがないようにしたかった。
その妻は悲壮な顔をしている。
息を切らして家のなかを見回し、静かなのを受け止めると首だけを動かしてこちらを向いた。
「連れて行かれた」
言って泣き崩れた。
土間に両膝をついてわんわんと大きな声をあげて泣き喚いている。
啓介はただ、同じように膝をつき、妻の肩を抱くことしかできなかった。
泣き喚く以外にできることはない。
反抗も反論も許されてはいない。
そもそもそのために存在しているのだ。
そのために生まれ、生き、生かされているのだ。
そう。――に生まれたばっかりに。




