第3話 山姫神①
啓介は普段、警察署のデスクで仕事をしている。育休明け間もないからという名目で、刑事課から地域課への異動を命じられ、雑務をしたり交番勤務の足りないシフトを埋めにいったりしている。
要はていのいい閑職送りだ。
つまり、そんな雑用のひとつとして『お偉いさん』の見張り兼世話人に任命されたのだった。
出勤すれば、人がいたはずの隣のデスクはすっかり片付けられ、新しい主人を迎えていた。前回とは柄の違う、しかし同じように上等のスーツを着た夏梅がそこに座っている。こんなに暑いのに汗ひとつかいていない。優雅ささえ感じられる姿だ。
国のお偉いさんの席が、こんな雑然とした大部屋の一角でいいのだろうか。周りは居心地悪そうにしている。
「おはようございます、七雲さん」
誰の視線も気にすることなく、夏梅は啓介に微笑む。顔の造形だけではなく筋肉の動かし方さえ左右対称で美しい。やっぱり作り物のような印象だ。
「おはようございます。随分とお早いですね」
「私は仕事以外にやることもないので。早速ですがこの辺りの資料、読み込んでおいてください」
啓介の机上を指す。ファイルが山と積まれていた。
「『八上町連続行方不明事件』の捜査関連資料です。私は目を通したので」
夏梅の机上にも十冊ほどのファイルがある。彼は読んでいた一冊の最後のページをめくると、閉じて山の上に積んだ。自分は読んだから、お前も読め、ということらしい。
曖昧な返事をしながら着席する。
(やることができるならいいか……)
『八上町連続行方不明事件』は、事件性が高いということで刑事課の案件となっている。現在地域課に所属する啓介が知れる情報は多くない。
岩倉未鈴の聴取のために病院に行ったのだって、取り急ぎの身元確認と状況把握を命じられただけだったのだ。
捜査の監視にしろ署内の監察にしろ――夏梅がなにをするためにここに来たのかは分からないが、付き人をするのなら事件について知っておいて損はないだろう。
背に書き込まれたタイトルを見て、基本情報らしきものから開いていく。
四冊目を開いたとき、啓介は夏梅に話しかけた。
「これ、なんですか?」
タイトルは『八上町都市伝説』だ。不思議に思いながらも開くと、タイトル通り、八上町で囁かれている都市伝説について記述されていた。
清峰小学校のトイレの花子さん。
国道の人面犬。
八面川の男児。
富士子さん。
八郷山に生える黒い彼岸花。
おおよそ行方不明事件の捜査資料とは思えない。
夏梅は、焦るでもなく悪びれるでもなく応えた。
「私がまとめたものです。七雲さんは八上町の方ですよね? 記載されているもの以外にもご存じであれば教えてください」
「いや、なんですかこれ?」
「それも資料です」
「関係あります? 見立ての誘拐事件を疑っていたりしますか?」
「分かりません。ただ、知っておいたほうがよいでしょう?」
意味不明な言いように会話を続けられない。夏梅は机上に向き直り、またファイルを開く。返る言葉がないのなら会話は終わりだとでも言うようだ。
「待ってください。署の捜査方針と異なります。行方不明事件ですよ? 組織的な犯行も視野に入れています」
「こちらには関係ありません」
「捜査の管理をしにいらっしゃったのではないのですか?」
「私は捜査そのものをしに来ています」
夏梅は会話をしながらもファイルから目を離さない。読み終わり、啓介の机に置いた。これであちらの机上にはなにもなくなった。
啓介は、手元の不可解な記述を眺める。
周囲はずっと、こちらの会話に耳をそばだてている。視線も感じる。啓介は夏梅に話しかけたことを後悔していた。これでは悪目立ちだし、なにより夏梅の機嫌を損ねるのは得策ではない。
余計なことをせず、上司の言った通りただ見ていれば良かった。
夏梅はよく通るまっすぐな声で言った。
「七雲さんはどう思いますか」
「どうって」
「本当に、組織的な誘拐事件だと思いますか?」
「そうでないなら、なんだって言うんです」
夏梅は薄く微笑み、啓介の手から『八上町都市伝説』を取り上げた。
「七雲さんは、こちらのご出身ですか?」
「……ええ。先祖代々、です」
「違和感を覚えたことは?」
「違和感?」
どういう意図だろうか。ここは確かになにもない田舎だが、穏やかで平和だ。村というほどの狭い社会ではなく、しかし都会のように無関心で満ちているわけでもない。子供のころから町のみんなが良くしてくれた。いい町だ、と思っている。
「違和感なんてなにも。田舎でのどかな、平和な町です」
「ここは奇妙な土地です」
夏梅はぴしゃりと言った。啓介は眉を顰める。彼は外から来たよそ者だ。ここに来てそう日数も経っていないだろうに、なにが分かるというのか。
啓介の反応も見ずに、夏梅は続ける。
「小さな町です。人も、その流れも少ない。山と海に挟まれて土地に限りがある。歴史を見てもそれほど栄えた過去はなく、天候に左右されながら、ただ粛々と人が生まれ、生き、そして死んでいく。そういう土地です」
「そんな田舎、いくらでもあるでしょう」
「ええ。しかしそれにしては、噂話が多いのです」
ファイルをぺらぺらと捲る夏梅の指先を見ながら、啓介は学生時代を思い出していた。多かっただろうか。他の土地を知らないので、比較対象がない。
「トイレの花子さんだとか口裂け女だとかは、発生年月を見ても新聞や雑誌の影響でしょう。全国にありますね。しかしここには随分古く、また独自の都市伝説や伝承が多いのです。八面川の男児の霊、夜に出現する富士子さん、八郷山の麓に生える黒い彼岸花、山から降りて来る女」
「ただのローカル怪談です。そもそも迫り出した山が町の中心にあって――ああ」
特異だというなら、八上町には有名な話がある。
「伝承があります。小学校で習うから、子どもたちがそれを派生させて遊んでいるのでは?」
「山姫神伝説ですか」
知っているようだった。
そんな名前だったか。教科書に載っていたのは、小学生用にいろいろと分かりやすく噛み砕かれていたのかもしれない。
啓介の目の前の山から、夏梅は別のファイルを抜いた。『八上町伝承まとめ』と書かれている。




