権力は与えられるものではなかった
権力は自ら作らなければならない。
問題は。
どうやって作るかだった。
カイルは足を止めた。
「ヘルン」
「何だ?」
「先に帰ってもらって構いません」
ヘルンが目を細めた。
「どこに行くつもりだ?」
「村を少し見て回ろうかと」
「その顔で?」
カイルは手で頬に触れた。
まだ痛んだ。
「顔で歩き回るわけじゃないでしょう」
「口は達者だな」
「殴られたのは顔と腹だけですから」
ヘルンはしばらくカイルを見つめた。
信用しきれない表情だった。
「また問題起こすなよ」
「努力します」
「その返事が一番不安だな」
ヘルンがため息をついた。
「日が暮れる前には帰ってこい」
「わかりました」
ヘルンが数歩歩いてからまた振り返った。
「あとブランを見かけたら避けろ」
「わかりました」
「本当にだぞ」
「はい」
そこでようやくヘルンは歩いていった。
カイルは遠ざかる背中をしばらく見つめてから体を返した。
ラベルン。
人口1000人程度。
家200軒あまり。
小さな村。
前世の基準で考えればマンション一棟にも満たない場所だった。
なのにこの中にも権力があった。
村長。
衛兵隊。
傭兵。
商人。
住民。
誰かが命令し。
誰かが金を払い。
誰かが守り。
誰かが守られる。
そしてその関係は決して単純ではなかった。
カイルはゆっくりと市場の方へ歩いた。
(まず知らないとな)
政治で一番危険なのは敵ではない。
知らないことだ。
誰が誰の味方なのか。
誰が誰を嫌っているのか。
誰が金を持っているのか。
誰が人を動かせるのか。
それを知らずに動けば。
さっきのように殴られる。
カイルはみぞおちの下をさすった。
(二度はごめんだな)
***
市場は相変わらず騒がしかった。
カイルは今度は品物を見なかった。
人を見た。
どの店に客が多いか。
どの商人が別の商人にタメ口を利くか。
誰が衛兵と自然に挨拶するか。
傭兵が現れた時、誰が先に頭を下げるか。
些細な行動。
だがそれが積み重なれば関係が見えてくる。
前世でもそうだった。
会議の席で誰が誰の隣に座るか。
行事の後で誰が誰を待つか。
誰の電話にはすぐ出て。
誰の電話は秘書に回すか。
人は口では嘘をつく。
だが習慣までは隠しきれない。
カイルは果物を並べた店の前で立ち止まった。
商人は客と値段で言い争っていた。
「銅貨5枚」
「昨日は4枚だったろ?」
「なら昨日買えばよかったのに」
さっきも似たようなことを聞いた。
カイルは周りの店を見回した。
パン。
穀物。
野菜。
値段を直接知っているわけではない。
だが不満はあちこちから聞こえた。
「最近なんでこんなに値上がりしてるんだ?」
「カルセンから入ってくる量が減ってるらしいぞ」
「また?」
「俺に文句言われても」
カイルは歩調を緩めた。
(物価が上がっている)
原因はまだわからない。
道が危険になったのかもしれないし。
商隊が物量を減らしたのかもしれないし。
誰かがわざと溜め込んでいるのかもしれない。
今結論を出すのは早い。
カイルはそのまま通り過ぎた。
しばらくして。
赤い布をつけた傭兵が2人、市場に入ってきた。
商人たちの反応が変わった。
ある商人は先に手を振った。
「今日も出るのか?」
「午後にな」
「北側?」
「そっちだ」
会話が自然だった。
別の商人は彼らを見ると顔をしかめた。
だが傭兵たちが振り向くとすぐに表情を隠した。
カイルはその二人を交互に見た。
(好きな人もいて)
(嫌いな人もいる)
当然のことだ。
だが重要なのは理由だった。
ガルト傭兵団が単なるならず者集団なら村全体が嫌っていたはずだ。
だがそうではない。
彼らは実際に必要な仕事をしている。
魔物を狩る。
盗賊を追う。
商隊を護衛する。
その一方で力を利用して小さな横暴も働く。
(だから追い出せもせず)
カイルは思った。
(完全に受け入れることもできない)
いい構造だった。
政治をするのに。
カイルは思わず笑った。
そのせいで頬が引きつって顔をしかめた。
***
今度は衛兵隊の方だった。
村の中心から少し外れた所に、柵で囲まれた建物があった。
前には訓練場のような空き地があった。
男が数人、槍を持って訓練中だった。
カイルは通り過ぎるふりをして速度を緩めた。
「もう一度!」
太い声が聞こえた。
中年の男が訓練を見守っていた。
他の衛兵隊員と違い、腰に剣を差していた。
カイルは彼に視線を合わせた。
【観察】
【ローエン】
種族 : 人間
年齢 : 39
職業 : 衛兵隊長
Lv.13
筋力 : 25
体力 : 24
敏捷 : 20
感覚 : 22
魔力 : 4
状態 : 疲労 / 苛立ち
(あの人が隊長か)
カイルはローエンを覚えておいた。
その時、訓練場の奥で衛兵隊員の一人が言った。
「また北側ですか?」
「そうだ」
「ガルトの方でも人を出したそうですが」
ローエンの表情が強張った。
「あいつらが何をしようと気にするな」
「でも魔物が下りてくるのは―」
「うちの管轄はうちで確認する」
声が硬かった。
カイルはそのまま通り過ぎた。
(確かだな)
衛兵隊と傭兵団は仲が良くない。
だが両方とも村外の危険を処理する。
業務が重なる。
なのに傭兵団は商隊護衛までする。
金も稼ぐ。
衛兵隊は?
村長の下にいる。
カイルは遠くに見える大きな二階建ての家を見つめた。
(村長)
次はあそこだった。
***
村長の家の周りには人がよく出入りしていた。
農夫。
商人。
衛兵隊員。
カイルは向かいの日陰に立ってしばらくその様子を見守った。
直接入る理由はなかった。
今の自分は余所者だ。
それも一文無し。
下手に近づいて追い払われれば情報すら得られない。
しばらくして。
身なりのいい中年の男が一人、建物から出てきた。
服の生地から市場の人々とは違った。
指には指輪もあった。
男が出てくると、門の前の衛兵が軽く頭を下げた。
(商人か)
カイルは集中した。
【観察】
【オルマン】
種族 : 人間
年齢 : 51
職業 : 商人
Lv.7
筋力 : 8
体力 : 10
敏捷 : 9
感覚 : 17
魔力 : 3
状態 : 満足
オルマンは衛兵に硬貨を一枚渡した。
さっき市場で見たのと似ていた。
衛兵は慣れた様子で受け取った。
そしてオルマンは市場の方へ歩いていった。
カイルはその後ろ姿を見つめた。
村長の家。
商人。
衛兵。
(こちらはかなり近いな)
もちろんそれだけで結論は出せない。
商人が村長に会うのはおかしなことではない。
衛兵に金を渡したのも単なるチップかもしれない。
カイルは自分で考えを止めた。
前世でも一番危険な部下は証拠一つで話を完成させる人間だった。
望む結論を先に決めれば。
すべての情報がそう見える。
(まだわからない)
ただ記憶する。
それで十分だった。
***
数時間歩き回ると足が痛くなった。
腹も減った。
何よりみぞおちがずっと痛んだ。
カイルは井戸端に座った。
頭の中でこれまで見たものを整理した。
村長。
公式な村の責任者。
衛兵隊。
村長配下の公式な武力。
ガルト傭兵団。
公式権限は不明瞭だが実際の武力は強い。
商人たち。
金と物資を握っている。
住民。
一番多いが一番バラバラ。
カイルは指で膝を叩いた。
(まだ足りない)
誰が一番強いのか?
わからない。
誰が誰と手を組んでいるのか?
わからない。
誰が誰を嫌っているのか?
一部しか見えない。
そして何より。
自分はそのどこにも属していない。
カイルは思わず笑った。
前世では常に自分の名前の前に肩書きがついていた。
衆議院議員。
大臣。
幹事長。
総裁候補。
人々はその肩書きを見て訪ねてきた。
今は?
カイル・ベルトラン。
無職。
Lv.1。
一文無し。
殴られてばかりの余所者。
(惨めだな)
なのに不思議なことに。
少し面白かった。
最初からだ。
何もない所から。
また作らなければならない。
カイルは立ち上がった。
まずはヘルンの家に戻らなければならなかった。
約束通り日が暮れる前には帰るつもりだった。
どう考えても今の自分にとって一番重要なのは。
夕飯だった。
***
「……道はこっちだったか?」
カイルは立ち止まった。
村を歩き回りすぎたせいだった。
朝はヘルンについてきたし。
入ってくる時は周りを見るのに集中して道をきちんと覚えていなかった。
ヘルンの農場は村の外にあった。
問題はどの道だったかだ。
カイルは周りを見回した。
大きな道は2本。
細い道まで合わせると4本。
(聞けばいい)
通りかかった老人に尋ねた。
「すみません」
老人が立ち止まった。
「何だ?」
「ヘルンという農夫の家へ行きたいのですが」
「ヘルン?」
「はい」
「南の畑の方だ」
老人が指で道を示した。
「あの道を出て分かれ道が出たら右」
「ありがとうございます」
カイルは頭を下げた。
簡単だった。
政治は難しいが道を聞くのは簡単だ。
カイルは村の外へ向かった。
***
日が少しずつ傾いていた。
朝通ってきた道と似ていた。
畑。
低い柵。
遠くに森。
人はほとんどいなかった。
カイルは歩きながら今日見たものを再び思い浮かべた。
ブラン。
ローエン。
オルマン。
村長。
まだ顔もまともに見ていないガルト。
(人から集めないとな)
そうは思ったが。
誰でも自分の人間になるわけではない。
人が動くには理由が必要だ。
金。
恐怖。
利益。
信頼。
恨み。
欲望。
前世で数え切れないほど利用してきたものだ。
だが今の自分にはその理由を見つける方法が足りなかった。
【観察】で見られるのは基本情報と状態だけ。
疲労。
警戒。
苛立ち。
満足。
その程度だ。
(もう少し見えれば楽なのに)
誰が誰を嫌っているのか。
何を望んでいるのか。
どこが弱いのか。
カイルは思わず笑った。
(欲張りすぎか)
政治力99のくせに。
実際にくれるものは大したことがなかった。
その時だった。
道端の茂みで音がした。
ガサッ。
カイルの足が止まった。
ゴブリンが真っ先に頭に浮かんだ。
手に取れそうなものを探した。
なかった。
(くそっ)
カイルはゆっくりと後ろに下がった。
ガサッ。
今度は反対側だった。
カイルの表情が強張った。
一つではない。
「誰だ」
返事はなかった。
カイルは周りを素早く見回した。
前。
後ろ。
畑。
森。
村はすでにかなり遠かった。
走れば?
自分の敏捷は9。
相手が何かもわからない。
カイルはひとまず声を張り上げた。
「出てこい」
しばらくして。
茂みから人が立ち上がった。
男だった。
古びた革の服。
ひげ。
手には短い刃物。
カイルは安堵しなかった。
むしろもっと悪かった。
反対側からも男が出てきた。
今度は棍棒。
そして後ろ。
もう一人。
三人。
(今日は何で三人ばっかりなんだ)
カイルは内心悪態をついた。
先頭の男が笑った。
「服はイマイチだな」
カイルを上から下まで眺めた。
「顔は上品だが」
カイルはすぐに【観察】を使った。
【??】
情報を確認できません。
カイルの眉がわずかに動いた。
(なぜ?)
もう一度。
【観察】
【バルク】
種族 : 人間
年齢 : 36
職業 : 盗賊
Lv.11
筋力 : 24
体力 : 21
敏捷 : 19
感覚 : 18
魔力 : 1
状態 : 興奮 / 警戒
情報が浮かんだ。
さっきは距離が少し遠かったらしい。
カイルは唾を飲み込んだ。
レベル11。
ブランより高い。
残りの2人も確認した。
Lv.8。
Lv.9。
カイルは一瞬、空を見上げたくなった。
(政治力じゃなくて筋力99をくれればよかったのに)
バルクが刃先でカイルを指した。
「持ってるもの出せ」
カイルが答えた。
「ありません」
「みんなそう言うんだよ」
「今日、村の入り口でも同じことを言いました」
バルクが顔をしかめた。
「は?」
「銀貨2枚もなくて払えませんでした」
一瞬、静寂が流れた。
棍棒を持った男が笑った。
「マジで乞食じゃないのか?」
別の男が言った。
「調べればわかるだろ」
一人が近づいてきた。
カイルは動かなかった。
ポケットを探られた。
本当に何もなかった。
男の表情がおかしくなった。
「頭」
「何だ」
「マジでないんだけど」
バルクの表情が強張った。
カイルは慎重に言った。
「だからお互い時間を無駄にせず、俺はこのまま道を―」
ドスッ!
後頭部が鳴った。
カイルの体が前によろめいた。
「口が減らないな」
後ろにいた男が棍棒を持っていた。
強く殴ったわけではなかった。
だが十分に痛かった。
カイルは歯を食いしばった。
(今日一体何発殴られるんだ)
バルクが近づいてきた。
「金がないなら体で払え」
カイルの表情が強張った。
「それはかなり誤解を招く発言ですが」
「は?」
「何でもありません」
バルクが他の2人に言った。
「連れて行け」
「どこへ」
「頭のところへ」
カイルが目を瞬かせた。
(頭?)
彼はバルクを改めて見た。
さっき男がバルクを頭と呼んだ。
だがバルクにも誰かがいる。
(中間管理職だったか)
こんな状況でも頭は動いた。
一人がカイルの腕を後ろにねじった。
「うっ」
縄が手首に食い込んだ。
カイルは抵抗しなかった。
抵抗しても三人だ。
勝てない。
逃げることもできない。
だとすれば。
残る方法は一つだった。
カイルは前を歩くバルクを見た。
その後ろに続く二人も見た。
さっき自分を探っていた男がバルクの後頭部を見ながらほんの一瞬顔をしかめた。
本当に短い瞬間だった。
バルクが振り向くと。
表情はすぐに消えた。
カイルの目が細くなった。
(……今の)
偶然かもしれない。
単に機嫌が悪かっただけかもしれない。
まだわからない。
だがカイルはその表情を記憶した。
人が三人いれば。
三人の利害が完全に一致する可能性は低い。
十人ならもっと低い。
組織が大きくなるほど。
不満も増える。
カイルは手首を縛った縄を見下ろした。
刃物はない。
金もない。
助けてくれる人もいない。
だが今回の相手は。
ゴブリンではなかった。
人間だった。
カイルはゆっくりと顔を上げた。
口角がほんの少し上がった。
(まだましだな)
話の通じる連中だった。




